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南蛮貿易の拡大とスペインとの対立激化(1588〜1589年頃)

1. 南蛮貿易の国家事業化

• 信忠は「天下統一の成果を維持するためには財源が必要」と判断。

• 堺・長崎・博多を直轄都市に指定し、南蛮貿易を公儀の独占事業とする。

• 交易品:

• 輸出 → 銀(石見・佐渡)、刀剣、漆器、屏風、硫黄

• 輸入 → 火薬・大砲・銃器、絹織物、香辛料、西洋書物・地図

• 特に石見銀山と佐渡金山からの膨大な銀が、アジア貿易の基盤となる。

• 堺商人・博多豪商は「御用商人」となり、織田政権のためにアジア各地に交易網を拡

大。

---

2. ポルトガルとの協調

• マカオを拠点とするポルトガル商人は日本の重要な交易相手。

• 信忠政権は「火器・航海術供給」を目的にポルトガルとの関係を継続。

• ただし布教活動には厳しい制限をかけ、「布教と貿易の分離」を進める。

• → ポルトガルは日本市場を失うのを恐れ、従順に従う姿勢を見せる。

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3. スペインとの摩擦

• スペインは1580年にポルトガルを併合し、アジアの旧ポルトガル拠点(マニラ・マカ

オ)を自国勢力圏に組み込もうとしていた。

• マニラ総督府は日本商人や倭寇を警戒し、交易船を拿捕・処刑。

• 日本側は「商人保護」を掲げて強く抗議。

• スペイン宣教師は日本での布教を続けていたが、織田政権は「背後にスペインの征服意

図あり」と見なすようになる。

• → この時期、

「スペインは日本を征服しようとしている」という噂が流布(史実でも記

録あり)。

---

4. 英国との接触加速

• 英国商人は東南アジアで活動を始め、日本商人と接触。

• 英国はスペインとの戦い(無敵艦隊撃破・1588年)で台頭しており、日本との利害が一

致。

• 日本:外洋航海術・造船技術・大砲を求める

• 英国:日本の銀・武具を求め、かつ「反スペインの同盟者」として期待

• ここで初めて「日英協力の可能性」が浮上。

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5. 対立の激化

• スペイン側は日本における宣教師活動を通じて影響力を拡大しようとするが、信忠政権

は「布教制限令」を発布。

• 日本商人がルソンで再び被害を受けると、信忠は **「日本人の権益を守るため武力行使

も辞さず」**と宣言。

• これにより、日西間の緊張は頂点に達し、1589年の日西戦争(ルソン遠征)へと発展す

る。

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6. 歴史的意義

• 織田政権は「国内統一」から「海洋進出国家」へとシフト。

• 南蛮貿易の国家独占により、経済基盤と軍事力を強化。

• スペインとの対立は、日本が初めて世界帝国と直接衝突する歴史的瞬間。

• 英国との接触が並行して進んだことで、日西戦争後に自然に「日英準同盟」へとつなが

る。

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まとめると:

• 1588〜89年に、信忠政権は国内統一の完成と同時に南蛮貿易を国家化。

• その結果、スペインと不可避の衝突コースに入り、英国との接近が加速。

• **「天下布武 → 世界布武」**への転換点がここに位置づけられます。

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