第一次世界大戦・東部戦線と日本軍の撤退
1. 日本軍の派遣(1915)
日露協商に基づき、日本はロシア支援のため 1個軍(約10万名)を派遣。
主戦場は ポーランド・ガリツィア戦線。
日本軍は近代化装備と組織的な兵站でロシア軍から高評価を得る。
とくに塹壕戦や機関銃の運用で優れ、ロシア軍の弱点を補った。
2. 前線での戦闘(1915〜1916)
日本軍は ワルシャワ攻防戦や ガリツィア戦役に参加。
ロシア軍が混乱する中でも、日本軍は秩序ある撤退や反撃を行い、現地住民からも「規
律正しい軍隊」として知られる。
ポーランド人義勇兵とも協力関係を築く。
3. ロシア革命の衝撃(1917)
二月革命 → 十月革命でロシア帝国が崩壊、ボリシェヴィキが政権を掌握。
新政府は独墺と講和交渉を開始、ロシア軍は前線から事実上消滅。
日本軍は孤立無援の状態に置かれ、帰還路を自ら切り開く必要に迫られる。
4. 孤立無援の撤退作戦(1917〜1918)
日本軍は 撤退しつつポーランド義勇兵・避難民を保護。
ボリシェヴィキ軍・独墺軍・現地ゲリラから攻撃を受けながら東進。
極寒の気候と物資不足に苦しみ、「死の行軍」と呼ばれる過酷な退却戦となる。
5. アナスタシア救出(1918初頭)
撤退途上、日本軍偵察隊はウラル地方で幽閉されていた ロマノフ家の一部生存者の情報
を得る。
日本軍の一部部隊が強行突入し、アナスタシア皇女と数名の皇族を救出。
彼らは日本軍の庇護下でシベリアを横断し、最終的に満州経由で日本領へ亡命。
この出来事は連合国に大きな衝撃を与え、日本の「騎士道的軍隊」という評価を決定づ
けた。
6. 満州への帰還(1918後半)
日本軍は シベリア横断鉄道の一部区間を確保しながら東進。
激しい戦闘と長距離行軍で半数近くの兵を失うも、ついに満州国境に到達。
この撤退は「極東の殿軍の戦い」として後世に伝説化。
歴史的意義
ロシア革命と共産主義の台頭を直接経験したことで、日本は早期から「対ソ警戒国家」
となる。
アナスタシア救出によって、ロシア亡命貴族との強い絆が生まれ、日本は亡命者社会の
保護者として国際的評価を高めた。
ポーランド義勇兵の救出は、後のポーランド独立で「日本は恩人」として語られる契機
となる。
• 4. 過酷な撤退経験は、日本軍の軍事伝統に「殿軍精神」として強く刻まれる。




