東北・四国・九州の平定と信忠への権力移譲
1. 東北平定(1585〜1587年)
• 家康滅亡後、残る大勢力は奥羽の伊達政宗。
• 政宗は「独眼竜」の名を馳せ、南奥羽の支配を拡大しつつ「織田に従属する気はない」
と明言。
• 織田政権は、北陸から前田利家、関東から滝川一益を派遣し二方面から東北へ進軍。
• 1586年、摺上原の戦いで伊達軍は壊滅。
• 政宗は仙台一帯に小領を許され臣従、奥羽諸氏は次々と改易または転封。
• 奥羽は織田の直轄支配が進み、「北方鎮守府」が設置される。
→ 東北戦役により、日本列島の北限まで織田政権の権力が及ぶ。
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2. 四国平定(1586年)
• 長宗我部元親は家康反乱時に織田に呼応していたため、懲罰対象。
• 秀吉を総大将とする四国征伐軍が派遣され、九鬼嘉隆・村上水軍が瀬戸内を制圧。
• 阿波・讃岐・伊予はほぼ無血で織田方に帰順。
• 元親は土佐で抗戦するも、鉄砲と兵力差で敗北。
• 最終的に土佐一国へ削封され、四国はほぼ織田直轄に。
→ 瀬戸内〜九州航路の安全が確保され、海外貿易拡大の基盤が整う。
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3. 九州平定(1587年)
• 島津義久は家康反乱に呼応し、大友氏を圧迫。
• 織田政権は羽柴秀長・黒田孝高・立花宗茂らを中心とする九州討伐軍を派遣。
• 肥後・豊後を制圧し、島津軍と薩摩国境で決戦。
• 兵力差と補給不足から島津は降伏、薩摩一国に押し込められる。
• 九州の主要港(博多・長崎・平戸)は織田の直轄支配下に。
→ 南蛮貿易拠点を直轄化し、海外への窓口を完全掌握。
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4. 信忠への権力移譲(1588年)
• 信長は本能寺での重傷により政務から退き、安土城に「大御所」として隠退。
• 信忠は父の命で「天下の公儀(将軍・関白相当)」に任じられ、軍政・外交を全面的に
掌握。
• 政権は「二頭体制」から「信忠単独の執政」へ移行。
• 信忠は合理主義を継承しつつも、若さと柔軟性で家中をまとめ、平和的な再建政策を進
める。
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5. 天下統一の完成
• 1587年:東北・四国・九州すべて平定。
• 1588年:信忠が全国政権を掌握。
• 織田政権は史実より10年以上早く、日本全土の統一を達成。
• 天下布武は名実ともに完成し、「織田日本国(仮称)」が国際社会に登場する。
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6. 歴史的意義
1. 戦国大名の独立性は完全に消滅 → 日本史上初の中央集権国家が成立。
2. 信忠への権力移譲により、政権は世代交代に成功。信長は権威の象徴、大御所に。
3. 貿易拠点の直轄化(博多・長崎・堺・瀬戸内) → 海外進出の準備が可能に。
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まとめると:
東北・四国・九州の平定は「信長の天下布武の軍事的完成」、
信忠への権力移譲は「政権の制度的完成」となり、
ここから織田政権は「海外へ目を向ける余裕」を得ることになります。




