露清戦争までの流れ
1. クリミア戦争後の国際秩序(1856)
• 日本皇国はクリミア戦争で連合国側に参戦し、勝利の戦果として
樺太・千島列島・カムチャッカ半島を獲得。
• この結果、ロシアは太平洋への出口を大きく失い、以後の東アジア進出は 「満州・遼
東経由」一本に集中する。
• 英国はインドからのシーレーンを確保、日本は北太平洋の覇権を固め、日英協調が強化
される。
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2. 清と南明の二重構造
• 南明
• 日本と英国の保護下で存続。
• 華南・東南アジア交易を掌握し、徐々に近代化を進める。
• 欧州列強にとっては「中国との主要な貿易窓口」となる。
• 清
• 内陸農耕地帯を支配するが、近代化は停滞。
• アヘン戦争も太平天国の乱も回避されたため、表面上は安定したが、逆に旧体制が温存
され近代化の契機を失った。
• 財政は慢性的に逼迫し、北方防衛すら難しくなる。
清は「内陸に取り残された古い帝国」と化し、国際的には日英の保護を受ける南明の方
が存在感を持つ。
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3. ロシアの南下政策(19世紀後半)
• ロシア帝国はクリミア戦争で黒海方面に制限を受けたため、戦略を東方へ転換。
• シベリア鉄道建設を推進し、極東への軍事・移民輸送を強化。
• 日本領の樺太・カムチャッカには直接手を出せないため、満州・遼東半島を支配下に置
くことを目標とする。
• この頃、満州各地にはロシアの軍事顧問団・鉄道技師が入り込み、清の主権が侵食され
ていく。
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4. 義和団の蜂起(1900年頃)
• 農村の困窮と外国勢力への反発から「扶清滅洋」を掲げる義和団が華北・満州で活動開
始。
• 史実と違い、この世界では列強利権の大半が南明を経由しているため、直接標的は 清
支配地域に浸透したロシア人・ロシア施設 となる。
• 清朝廷は義和団を「対ロシア民兵」として利用しようとするが、逆にロシアの口実を与
える結果となる。
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5. 露清戦争の勃発(1900)
• ロシアは「自国民保護」を理由に大軍を満州へ派遣。
• 清朝廷は対抗心から ロシアへの宣戦布告 を決定。
• しかし清軍は旧式装備と旧態依然の指揮系統で、鉄道と砲兵を駆使するロシア軍に太刀
打ちできない。
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6. 戦争の帰結(1902)
• 清軍は次々と敗北し、奉天(瀋陽)・吉林・黒竜江流域までロシア軍に制圧される。
• 講和条約により:
• 満州・遼東半島の利権をロシアが獲得
• 清は事実上、北方から半分属国的な扱いを受ける
• 北京はかろうじて清の手に残るが、軍事的威信は完全に失墜
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7. 日本・英国の反応
• 日本皇国は「満州・遼東を握るロシア」が自国領(樺太・カムチャッカ)や南明を直接
脅かす存在になったと認識。
• 英国もインド・中国市場がロシアに脅かされることを警戒し、日本との同盟関係を強め
る。
• この状況が 1904年の日露戦争 へ直結していく。
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まとめ
1. クリミア戦争で日本が樺太・カムチャッカを獲得 → ロシアは満州南下に注力。
2. 清は内乱を回避したが、近代化に失敗して弱体化。
3. 義和団の蜂起を契機に清とロシアが衝突 → 露清戦争勃発。
4. 清は大敗し、満州・遼東がロシア勢力圏へ。
5. これにより日本とロシアが東アジアで直接対立、日露戦争(1904)へ繋がる。




