日本皇国と明(1600年前後)
1. 背景
• 日本皇国(信忠政権)は、1590年代に 台湾・フィリピンを直轄化、琉球を保護国化。
• 明にとって琉球は冊封体制下の王国であり、台湾も「沿海の支配圏」と見なされてい
た。
• よって、日本の進出は明の伝統的な秩序=冊封体制への重大な挑戦。
---
2. 明の反応
(1)外交的抗議
求。
• 明朝廷は南京から日本に使者を送り、「琉球を返還せよ」「台湾は中華領である」と要
• 信忠政権は「皇国は皇を戴く独立の帝国であり、冊封体制には属さない」と宣言。
• ここで初めて 「倭国」ではなく「皇国」を名乗る外交衝突 が起きる。
(2)軍事的摩擦
• 1602〜1605年頃、福建・台湾沖で小規模な海戦が発生。
• 明水軍は日本の新式帆船(英式技術導入)に劣り、敗北。
• 明は本格的な遠征を試みる余力がなく、日本の台湾支配を事実上容認せざるを得なかっ
た。
---
3. 日本皇国の対応
(1)正統性の主張
• 信忠は「皇国は天皇を戴く唯一の帝国であり、冊封を受ける必要なし」と断固主張。
• 朝廷を通じた国書交換を制度化し、外交儀礼の独自性を打ち出す。
(2)交易の武器化
• 日本は銀(石見・佐渡)を大量に保有しており、これが明の経済に不可欠。
• 信忠は「銀貿易を制限するぞ」と圧力をかけ、明に妥協を迫る。
• 結果、1605年頃には福建・広東での密貿易が拡大、日本は公然と「皇国貿易」を展開。
---
4. 明の弱体化と転換
• 明は内政腐敗・宦官政治の弊害・銀流入不足で財政が急速に悪化。
• 北方では後金(清の前身)が台頭し、遼東で軍事的圧迫を強める。
• 日本皇国との対立を続ける余力はなく、むしろ 「反清の同盟者」として日本に頼る空
気 が生まれる。
---
5. 日明関係の特徴(この世界線)
1. 摩擦期(1600〜1605年)
• 琉球・台湾をめぐり外交衝突、小規模海戦も発生。
• 明は「冊封秩序」を守ろうとするが、日本の軍事・経済力に押される。
2. 交易圧力期(1605〜1615年)
• 日本が銀貿易を握り、明は経済的に依存。
• 表向きは国交断絶だが、裏では福建・広東で「皇国貿易」が隆盛。
3. 従属化の兆し(1615年以降)
• 後金(清)の脅威が高まる中、明は「日本皇国との協力」を模索。
• 信忠政権はこれを外交的に利用し、港湾権益や交易特権を拡大。
---
6. 世界史的意義
• 史実では日明は「倭寇・朝鮮出兵」で関係が悪化し、やがて鎖国路線に転じた。
• この世界線では逆に、日本が帝国として日明関係を主導する立場に。
• 明は「衰退する中華」、日本は「上昇する皇国」として対照的な存在となる。
• ここから「日清関係(清との対決)」へと移行する伏線ができる。
---
まとめると:
• 国号「日本皇国」制定直後、日明関係は「摩擦と対立」から始まる。
• しかし明の弱体化と清の台頭により、関係は逆転、日本が優位に。
• 1600年代前半には、明はむしろ「日本皇国に頼る」姿勢を見せ始める。




