トルキスタン和平プロセス(2053〜2059)
2053年:イスタンブール会議
• 2月:「第二次和平会議」がイスタンブールで開催。
• 出席:連合国、イスラム国家群、トルキスタン自治政府、G-CIS、中
華民国(不参加)。
• 合意:停戦維持と人道支援強化を確認。だが実効性はなく、現地では戦闘継続。
• 夏:トルキスタン西部で過激派が「イスラム首長国」を樹立宣言。
• 秋:自治政府内で内閣崩壊、再編に失敗。
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2054年:ドーハ合意案
• 1月:カタール仲介で「トルキスタンの二国化構想」提示(親G-CIS派と独立派で分
割)。
• 連合国とイスラム国家群は検討するが、自治政府とG-CISが強硬に反対。
• 5月:ドーハ会議開催 → 合意に至らず。
• 秋:G-CIS軍が補給路を守るためにトルキスタン東部へ再侵攻、戦闘激化。
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2055年:東京会議
• 3月:日本主導で「東京会議」開催。
• 提案:①国際治安部隊(イスラム国家+連合国志願軍)派遣、②資源収益の国際管
理。
• G-CISと中華民国が「主権侵害」と反発、案は棚上げ。
• 夏:イスラム過激派がトルキスタン南部で大規模攻勢。治安は最悪化。
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2056年:カイロ合意草案
• 春:エジプト仲介で「カイロ合意草案」が提示。
• 内容:トルキスタンを「連邦制国家」として存続、部族自治を認める。
• 問題:自治政府は賛成するが、過激派は「連邦制ではなく完全独立」を要求。
• 秋:カイロ会議 → 交渉決裂。
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2057年:ジュネーブ和平再挑戦
• 2月:国連(この世界では「国際連合委員会」的枠組み)主導でジュネーブ再会議。
• 議題:①停戦監視強化、②トルキスタン復興基金。
• 進展:復興基金に限定的合意 → だが汚職と横流しで現地に届かず。
• 夏:タシュケントでイスラム過激派による自爆攻撃、自治政府要人多数死亡。
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2058年:イスラマバード会議
• 1月:パキスタン主導で「イスラマバード会議」開催。
• 提案:トルキスタンを「イスラム共同体」監督下に置く。
• G-CIS・連合国が反対、交渉不成立。
• 秋:トルキスタン北部でG-CIS軍と過激派が激戦、数万人規模の避難民発生。
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2059年:モスクワ・ロンドン二重会議
• 春:G-CISが「テロ根絶」を掲げてモスクワ会議を主催。イスラム国家群はボイコッ
ト。
• 夏:連合国が対抗してロンドン会議開催。
• 提案:停戦ラインを固定して事実上の三分割を認める案。
• → G-CISは拒否、中華民国は沈黙、イスラム国家群も「分割固定は植民地主義」と反
発。
• 年末:和平交渉は完全に停滞。現地は「永続的内戦」状態に。
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まとめ(2050年代)
• 会議の開催地:イスタンブール → ドーハ → 東京 → カイロ → ジュネーブ → イスラマ
バード → モスクワ/ロンドン。
• どの会議も「理念や原則」レベルでしか合意せず、実効性なし。
• トルキスタンはアフガニスタンとパレスチナを合わせたような「慢性的戦場」と化し、
和平プロセスは形骸化。
• 連合国・イスラム国家群は「会議を続けることで最悪の崩壊を防ぐ」程度にしか機能し
ていない。
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この流れで描けば、2060年代以降も「和平プロセスは続くが一歩も進展せず」という冷
徹な膠着状態を維持できます。




