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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【夏のホラー2025 短編】 濁音の顔

作者: 香坂くら

 大学1年の時の話です。


 地方の某県出身の私は、親元から離れたい一心で、数校受けた中でかろうじて受かった1校の大学に進学することにしました。それは東京近郊のある県のFランク大学でしたが、一人暮らしができるだけで私は満足でした。


 しかし、ここで問題が発生しました。なかなか住む部屋が見つからず、数軒の不動産屋をはしごしても条件に合う物件が見つからなかったのです。学校から近くて安いことを必須条件にしていたので、無理もないことでした。親は一円も出さないという態度でしたし、苦学生を覚悟していた私は交通費を捻出するのもどうしても嫌だったのです。


 切羽詰まった時、ネットで見つけたのがいわくつきの物件でした。そこは事故物件であること以外、すべて私の考えていた条件を満たす好条件だったのです。私は事故物件というものに当時ほとんど抵抗がなく、聞いたこともない不動産会社でしたが、即決で契約しました。


 その物件は、〇〇沿線の駅から徒歩3分の好立地にありましたが、一つ難点を言えば、大きな川にかかる橋が近く、昼夜を問わず列車や車の往来の音が気になる場所でした。しかし私は全く現地確認もせずに契約し、引っ越しもしてしまったわけですから、今さら文句の言いようもないと諦めました。それよりも、ようやく口うるさい実家から解放された喜びの方が大きかったのです。


 ところで、引っ越した部屋は日当たりもよく、内装もきれいで、どこが事故物件なのか疑うほどでした。キッチン、風呂、トイレ、それにエアコンもついていて、一人暮らし初心者の私にとってはとてもありがたかったです。


 さて、ここからが気になるところですが、やはり事故物件にありがちな恐怖体験というものがありました。それは私が引っ越しして最初の夜から始まりました。


 まずは耳鳴りや金縛りなどです。そのうち、夜中にふと目を覚ました時に、寝ていたベッドの脇に誰かが立っているのを感じるようになりました。それは影のようでいて、しかし気配はしっかりと感じるものでした。ある程度想定していましたし、私自身はいわゆる霊感は皆無な方なので、「まあ、これくらいはあり得るか」程度の感覚でした。だから大学入学後しばらくは学校での活動にも追われ、思ったほど苦ではなく、むしろ良い条件の部屋に住めるのだから、このくらいの負荷はあっても仕方ないと思うほどでした。


 それが、ある時を境に一変しました。問題は入浴時でした。


 洗髪する際、泡立つ髪の毛をシャワーで流す時、あなたは目を開けていますか? 私は目を閉じる癖があったのですが、いつものようにそうしていたら、パッと目を開けた時に「それ」がいたんです。目の前に。しかも私の顔を覗き込むように。


「うわああ!」


 恐怖に大声を上げてのけぞった私は、濡れた浴室の床で足を滑らせて転び、腰を打って骨にひびが入ってしまいました。1ヶ月ほど実家に戻り、親に頭を下げ、親のお金で病院のお世話になる羽目になりました。


 入院中も、あの目を開けた時の得体の知れない人の顔が脳裏に焼き付いていました。髪の毛が抜けてまばらで、青紫の皮膚をしていて、ぶよぶよにむくんでいた性別不明の人の顔。はっきり言ってトラウマ状態でした。


 けれども日が経つにつれ、馬鹿な私は一人暮らしの生活に戻りたくなりました。学校の授業も欠席が続いていたので気になっていましたし、私はあの部屋に帰ることにしました。恐る恐る入った久しぶりの部屋の中は特に大きな異常はなかったのですが、ただ、お風呂のシャワーがほんの少しだけ、出っぱなしになっていて、「誰が水道代を払うんだよ!」と腹を立ててしまいました。その間もチョロチョロ、チョロチョロと出続けていましたが、私はその場にいるのが不意に怖くなり、急いで栓を閉めると浴室から逃げ出しました。


 その後数日間は浴室に行くのを避けていましたが、余計なお金もかかりますし面倒ですし、外湯を使うのにも限界があります。ついに決心した私は自室の風呂を使うことにしました。


 入浴してすぐのことです。湯船につかっていると、ふと、脱衣所の電気がつきました。妙だなと瞬時に思いました。浴室のドアの手前が脱衣所なのですが、そこはLED照明が使われていて、人を感知すると自動で点灯するようになっています。つまり脱衣所に誰かが来ないと明かりはつかないわけです。


 私は一人暮らしです。部屋には当然、私一人しかいないことになります。──と、感知しなくなってから約1分で自動消灯します。機械のことですから、何かの拍子に点いてしまうことだってあります。私は息を呑み、悪寒が走りました。数秒して、脱衣所の照明がまた点灯したのです。消灯して数秒経ち、また点灯する。これが何回か繰り返されました。


 声なき声で助けを求めながら、とにかく私は体を洗い、浴室を出ようとしました。洗髪を忘れていることを思い出した私は、とうとう「ひぃ」と泣き声に似た悲鳴を上げてしまいました。


 私は怖くて、つい無意識に頭を洗う工程を飛ばしていたのです。それに気づいての絶望の悲鳴でした。しかし自分で言うのもなんですが、きれい好き……というより潔癖症の私は、頭を洗わずに済ませるという選択がどうしてもできず、「目を開けたまま」泡を洗い流そうと誓ったのです。


「あっ──」


 シャワーがなぜか少量の水を垂れ流しています。ポタ、ポタ、ポタ、ポタ、ポタ……。閉栓しても止まりません。何度閉めても同じです。ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。大粒の水滴が滴ります。


 パニックになりかけながら頭部を泡立て、掻き、シャワーを逆にひねります。しかし勢いよく出たのはお湯ではなく、水。しかも土が混じったようなぬるぬるとした濁り水でした。


「わあぁ!」


 叫びながらも強い意志を保ち、「絶対に目は閉じないぞ」と念じました。


 ところが、です。慌てて流したために泡の一部が跳ねて目に入り、つい、目を閉じてしまったのです。その瞬間、まるでそれを待っていたかのように「ゴオオオ」と激しい耳鳴りがしました。本能というか、勘が働いたとしか言いようがありませんが、「これは絶対に目を開けたらダメだ」と思いました。ぎゅっとまぶたに力を入れた私は、必死に浴室内を這い、脱衣所があるはずの方角へ向かいました。


 その間もなぜだかシャワーからの泥水が頭に当たり続け、そして何よりも恐ろしいのは、耳元で「ブオブオブオ」と口の中に泡を含んだような人の叫びが聞こえ続けたことです。「助けて」なのか「行くな」なのか、とにかく縋りつくような濁音が私の背中に張りつき、足を引き攣らせ、「ブクブクブク」と腐臭の息を顔に当ててくるのです。


「うわわわわあああッ、ひいいいいいいい!」


 それでも私は浴室のドアに体当たりし、脱衣所に転がり出し、脱衣所からも逃れ出ました。どうやらそこで気を失ったようです。翌朝、全裸で目覚めた私はよろよろと服を着て、実家に向かう電車に飛び乗りました。そのままもう二度とあの部屋には戻りませんでした。


 情けない話ですが、私の代わりに親が引っ越しの後始末をしてくれた時、近所の人が教えてくれたそうです。その人の知る限りでは、あの一棟でこれまでに3人の人が不審死したそうです。部屋は別々で死因も不明ですが、発見場所は全て浴室だったとのこと。しかも死後大分経ってから発見された人もいて、警察やらマスコミやらで大変だったこともあったそうです。


 なお、不動産屋とはその後連絡がつかなくなり、直接大家さんと解約の手続きをすることになったのですが、実はもう新規契約は取らないでくれと不動産屋に伝えていたそうです。なんでも、6年ほど前に橋から投身自殺した人が、数ヶ月後の河川氾濫による水害でこの棟の屋上に死骸で流れ着き、不気味に思ったからだそうです。それでも住む人がいなくなるまではとズルズルと今日まで放置してしまったとのことでした。


 この建物は年内いっぱいで解体が決まりましたが、今もまだ数名の人が立ち退きを拒み入居中とのことで、私は日々起こる事件や事故のニュースを見るのが怖くてたまりません。

 しかし何よりも。――あの時もしも、閉じた目を開けてしまっていたら。


 私は何を目にしたのでしょうか?

 私はどうなっていたのでしょうか……?

 そう考えるともう二度と独り暮らしが出来なくなりました。



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