7 伊吹の趣味
「おかわり!」
伊吹はもう3杯目のご飯を食べ終え、紬に向かって茶碗を差し出した。一方で鏡花の方はすでに満腹で用意してもらった煎茶を飲んでいた。伊吹は背の高い男であったが、体型は痩せ型なのに非常によく食べる男だ。鏡花が伊吹の食べっぷりに見惚れるほどに。
「伊吹はすごくよく食べるんですね」
「まあ、これも妖の血の影響かな。でも、うちのご飯は美味しかったろう? 米も肉も野菜もいいものを使っているんだ」
「美味しかったです」
「ならよかった。あぁ紬ありがとう。ついでに鶏そぼろの時雨煮と漬物も追加で」
伊吹は茶碗を受け取って紬に注文すると、彼女は直ぐに台所へと戻った。鏡花は少しだけ心配になって立ちあがろうとする。
「どうした?」
「私は食べ終わりましたし、紬さんをお手伝いしようかと」
鏡花は自分が実家にいた時に「食卓に入れない」ことがとても辛かった記憶がある。自分以外の皆が楽しそうに食事をしているのに、自分だけ料理や飲み物の準備で台所と食卓を行き来し料理にありつくことは許されない。
自分で作った料理を温かいうちに座って食べることができな、それは紬にとっても苦痛ではないかと鏡花は考えたのだ。
「その必要はありませんよ。鏡花さん」
「ひゃっ」
音もなく後ろに立っていた紬に驚いて、鏡花はビクッと体を撥ねさせた。それを見て、紬は肩を震わせて笑った。
「すみません。足音を消すのが癖で……。でも、お気遣いありがとうございます。私は天狗という妖でして腹はあまり空かぬのです。食事のタイミングは旦那様や鏡花さんのような人間とは違いますし……人前でこの面を外すことはしたくありません。ですから、お食事の際、私のことはお気になさらずで良いのです」
紬は、鶏そぼろの時雨煮と糠漬けの野菜を伊吹の前に置き、軽くお辞儀をした。
「もし、私に手伝えることがあれば教えてください。家事全般であればなんでもお力になれると思います。私は、遊馬家という華族の分家の長女として様々な作法や仕事を仕込まれてきましたから……」
鏡花は自分で説明していて少し悲しくなった。自分で自分のことを「何もできないただの女」だと自己紹介しているようなものだからだ。
けれど、それに対する伊吹の反応は全く違った。
「だから、鏡花は食べ方が美しかったんだな。俺、惚れ惚れしてしまったよ。君は箸の先も汚さないし料理を皿から口まで運ぶ姿も美しい。君が食べている間、何一つ音がしなかった」
「お褒めいただくようなことでは……」
謙遜した鏡花を不思議そうに伊吹は見つめた。
「旦那様はもう少し鏡花さんを見習ってください。米粒がお着物に付いてしまっていますよ」
紬が言うと、伊吹は恥ずかしそうに襟元についた米粒を摘み上げて食った。紬はその後、部屋を出て行き、伊吹が口を開く。
「鏡花は趣味とかある?」
「趣味……ですか。えっと、ないですね」
「ない⁈」
「はい、私は長女で幼い頃から家事の手伝いをしていたので趣味の時間を持てるような環境ではなかったので」
伊吹は驚いて一旦持っていた茶碗を置くと、じっと鏡花を見た。
「遊馬家は華族の分家だって言ってたよな?」
「はい、三國家という華族の分家です」
「三國か、聞いたことがあるぞ。規模は小さいが歴史が長く武家から華族へと成り上がったなんて聞いたが。ということは遊馬家は娘を育てるのに十分な資金をもっているはずじゃないか? なのに君は趣味の時間もないほどに働いていたのか?
「遊馬家は、長女の私が跡取り……だったので厳しく育てられました。けれど……いえ、なんでもありません。伊吹は趣味があるのですか?」
伊吹は、鏡花が途中で言い淀んだ姿を見て気になったが無理に話を聞くことはしなかった。少し悩んでから彼は
「趣味、というと山を散策したり薪を集めることかな」
「薪……ですか?」
「こう、なんと言えばいいのかな。太くていい感じの薪になりそうな木が落ちてると思わず拾ってしまうんだよ。ちなみに、君を見つけたのも薪探しの最中でね。薪探しの時は獣の姿で駆け回るから君を怖がらせたろう。すまなかった」
「もしかして、あの草陰で唸っていた……?」
「唸ってない! 挨拶してたんだ。でも怖かったよな。すまない、犬や狼は苦手か?」
伊吹は不安そうに眉を下げてじっと鏡花を見た。
「えっと……わかりません。あの時は怖い狼に食べられるかもって思ってたので。けれど、街中にいる看板犬とか友好的な犬は好きかもしれないです。可愛いと思って何度かこっそり頭を撫でたり」
伊吹は、鏡花の話を聴きながら焦ったり喜んだりコロコロと表情を変えた。その様子がおかしくて鏡花は心が少し楽になった。
「薪拾いをしてる途中に、葉や紬も拾ったんだ。今はうちの家族として楽しく過ごせているはずさ。鏡花も好きなことをして過ごすといい。あ、いや。良ければ俺と一緒に薪集めに行くかい?」
返答に困る鏡花。苦笑いをしていると、部屋の襖が開いて慌てた様子の男性が入ってきた。彼は珍しい鼠色のザンバラ髪にこれまた鼠色の可愛らしい丸い耳、ひょろりと長い尻尾がお尻から生えていた。彼は作務衣のそこかしこに木の葉やひっつき虫をつけたまま、両手で大きな風呂敷包みを抱え息を切らしている。
「女の子が薪集めなんてするはずないじゃないですか。旦那様、まったくもう……。あ、どうも。僕は葉って言います。えっと、鏡花さんでしたっけ。旦那様のご命令で鏡花さんのお着物を買ってきたので良ければ使ってくださいね」
「あ、ありがとうございます。遊馬鏡花と申します」
「鏡花さん。えっと僕は窮鼠っていう鼠の妖でして、見慣れないですよね。でも怖がらないでください、絶対に人間様に危害は加えないので」
必死で鏡花に挨拶をする葉と、「女の子は薪集めはしない」の言葉にしょんぼりする伊吹。鏡花が何も言えずに困っていると、颯爽とやってきた紬が着物と葉を回収していった。
「あの、伊吹?」
「ん?」
「薪集めはちょっとまだできないけれど、もし良ければ午後はお屋敷の中やお庭をお散歩とかいかがでしょう? 私もここへ置いてもらうには自分ができる事を考えたくて」
「おぉ! ぜひそうしよう。体は大丈夫か? もう歩いても平気なのか?」
「はい。薬を……睡眠薬を飲まされていたみたいですけれど今はもうすっかり気分も良くなって、多少擦り傷や切り傷はありますが歩くくらいなら大丈夫です」
「無理……してないよな? 鏡花はなんだか直ぐ我慢して人の希望に合わせているように感じるから」
伊吹にじっと見つめられると図星をつかれて鏡花は言葉が出なくなった。それを見て伊吹はさらに言葉を続ける。
「俺が、外に行くのが好きだと言ったから散歩するのを提案してくれたんだよな? ありがとう。でも、俺は鏡花には我慢も遠慮もしないでゆっくり過ごして欲しいんだ。君はこの後どうしたい?」
自分の希望を聞かれることなどなかった鏡花はぐっと胸を刺されるような感覚になった。
(私は、何がしたいんだろう?)
言葉が出てこない鏡花を、伊吹は急かさずにじっと待った。鏡花はしばらくしてから口を開いた。
「今日は横になって、何も考えず過ごしたいです。」
伊吹は、笑顔になって大きく頷いた。




