3 妹の誘いと夫の残酷な言葉
「お姉さま、今週の土曜日に一緒にお出かけしませんか?」
平日の昼下がり、遊馬家離れにやってきたすみれが言った。彼女は、慶がこの離れに住むようになってから度々訪れるようになり、彼にとても懐いている。鏡花は心の奥ではそれを良く思っていなかったが、まさか妹に「夫に近づくな」などと忠告することはできなかった。
「お出かけ? どこへ?」
「ほら、小さい頃に一度行ったことがある展望台よ。山をいくつか超えた先にあったじゃない? お姉さまと一緒におにぎり食べて……」
小さい頃、両親に連れて行ってもらった場所だ。山の中腹あたりに展望台が建てられおり、そこから見える景色は絶景だった。
「そうだったわね。でもどうして? とても急だけれど」
「あのね、私思ったの。お姉さまがご結婚されて私もそのうちすぐに縁談話がくるでしょう? となれば家族でお出かけできるのはもう残り少ないかも。私はお姉さまと違って別のお家に嫁入りするのだし尚更ね」
「そうね……、けれど女性二人は危険じゃないかしら?」
「じゃあ、私がお義兄様にも声をかけておくわ。今日、どうせここに帰ってくる前に母屋に寄るだろうから」
「慶さんも……?」
「うん。お義兄さんもお姉さまとお話しできる機会があれば喜ぶと思うわ。お姉さまが人見知りだから遠慮なさっているようだし……」
「そうだったの……」
すみれはふっと笑顔になると「じゃあ、今週の土曜日ね」と強く鏡花の手を握った。
***
食卓に並んだ料理は完璧だ。栄養バランスに彩り、それから配膳の位置まで。まるでマナーの教科書にでも載っているかのようで、慶は感動すると同時に少し窮屈な気分になった。
「おかえりなさい、慶さん」
「ただいま、鏡花。今日は肉じゃがかい?」
「はい、お好きだと聞いて……」
「そうか、ありがとう」
鏡花は慶が箸をつけてから、追うようにして食事を始める。無論、彼の茶碗が空になれば新しい米をよそったり、お酌もするのでずっと座りっぱなしで食事を楽しむ時間はない。
「すみれちゃんから聞いたんだけれど、お出かけのことさ」
「はい、私も誘われました。とても綺麗な場所ですよ」
「なら、三人で行こうか。馬車は僕が手配しておくから鏡花は自分の準備だけしておいてね」
「ありがとうございます。昼食はすみれと一緒に準備しておきましょうか」
「あぁ、そうだね。僕は鮭おにぎりがいいな」
和やかな雰囲気に包まれた夕食を終えると、鏡花は後片付けに慶は風呂へと向かった。鏡花は先ほどの夕食時の会話を思い出して、嬉しい気持ちになった。少しずつではあるが、夫のことを知ることができたし、彼は料理も残さず食べてくれたのだ。
(もしかしたら、これから夫婦関係も進んでいけるかもしれないわ)
食器洗いを終えて、簡単に台所を掃除する。それから、明日の朝食の仕込みを簡単に行っていると、慶が風呂から上がってくる。鏡花は準備していた晩酌セットを彼の机に置くと、自らも風呂へと向かった。
風呂から上がって居間に戻ると、慶は晩酌を終えて読書をしていた。
「すみません、すぐにおかわりの準備を」
「いや。今日はもう寝ようかな」
「はい」
布団の上に座った慶は、少し不満げにため息をついた。それから、じっと鏡花を見つめる。鏡花は自分の布団の上に座り彼を見つめ返した。
「鏡花、君は子供をすぐにと考えているかい? お義父さんたちはそう言っていたけれど」
「私は……」
「いや、単刀直入に言うと君は僕の好みじゃない。だから、正直言って君を抱こうとは思わないんだ。君は愛想ないし何より君自身が僕との結婚を喜んでいないようだからね。僕はそういう女の人を抱くのは苦痛なんだ」
あまりの酷い言葉に鏡花は表情を動かすこともできなかった。「抱こうと思わない」それが彼の意志だったのだ。けれど、そう言われてしまったのは全て自分のせいだと鏡花は感じて気がつけば謝罪の言葉が口から飛び出していた。
「申し訳ありません」
それを聞いて、慶はまた不満げにため息をつきボソッとつぶやいた。
「君も少しはすみれちゃんを見習ったらどうだ。女としても僕は格下を押し付けられた気分だよ。全く、悲しげな雰囲気を常に纏って色気も愛想の良さもない。家事が完璧にできるのなんてメイドで十分だよ。あぁ、面倒だから泣かないでくれよ。そういうの、もう腹一杯だから」
慶はそう言うと横になって布団をかぶり鏡花に背を向けた。反論することも泣くことも許されず、ただ布団の上に座って呆然とした。夫からの容赦のない言葉に深く傷つき、どうすればよいのかわからなかったのだ。
「子供は、君のせいで出来なかったことにすればいい。そうすれば、適当に妾に産ませてその子を育てよう。君は母親役をやってくれればそれでいいよ。我慢強い君なら愛人の一人や二人問題ないだろう」
結婚をすれば少しは生活が良くなるかもしれない。遊馬家でない人を迎えれば自分を受け入れてくれるかもしれない。鏡花が抱いていた希望が幻想だとわかり彼女は深く絶望をした。これからも、鏡花は遊馬家の奴隷として生きる未来しか見えなかった。
鏡花は寝息を立て始めた夫の背中を見つめながら、そっと涙を流した。