2 窮屈な晩餐会
「鏡花、慶さんとはどうなの?」
商店をいくつか巡り夕食に使う食材をたっぷり買ったあと、すみれにお願いされた鯛焼きを買うために行列に並んでいる。母・久子の質問はきっと初夜についてのことだろうと察した鏡花は何も答えることができなかった。
「慶さんは遊馬家の当主になるお人。しっかり支えなさい。貴女は長女に生まれた以上そうなる運命なのだから、お母さんのような経験はさせたくないのよ」
「お母様?」
「うちには跡取りの息子がいないでしょう。それでお母さんがどれだけ親戚連中から責められたか。だから、貴女は息子同然に厳しくした。遊馬家次期投手の妻になれるように」
「精進します」
「少しは、すみれを見習って愛想よくしたらどうかしら?」
「申し訳ありません」
愛想よく笑っても「へらへらするな」と叱られた記憶があったので、鏡花は謝ることしかできなかった。母が男の子を産めなかったことで辛くあたられていたことは薄々感じていたが、それ以上に母の鏡花への当たりが強かったので印象にはほとんど残っていない。
「たいたい鯛焼きを2つ。慶さんとすみれの分でいいわね」
「はい、私は結構です」
「えぇ、甘いものは体型を崩すし貴女は妊娠に備えて栄養満点のものだけ食べていればいいわ」
「はい、お母様」
本当は甘い物が大好きな鏡花は少し俯くと、鯛焼きを受け取って母へ渡した。帰路も会話のほとんどが後継ぎに関することでせっかくの買い物すら楽しめないままに帰宅した。
鏡花はたい焼きを届けに離れへと向かう。その後は晩餐会の準備があるのですぐに母屋へ戻らなければならない。
「ただいま戻りました」
居間から慌ただしい音が聞こえ、それからすぐ後に「おかえり、鏡花」と慶の声が響いた。玄関から一度手洗い場に向かって手を洗い、それから鯛焼きをもって居間へと向かう。ソファーには相変わらず慶とすみれが並んで座っており、どことなく二人の距離が空いているようで鏡花は少しホッとした。
「鯛焼き、お母様が慶さんとすみれにって」
「やったぁ。け……お義兄様。一緒に食べましょう。お姉さま、お茶はどこかしら」
すみれが「慶」と言いかけて、お義兄様と言い直したことに違和感を感じその後の慶の様子がどことなく怪しいことに鏡花は気づかないフリをした。
まさか、初夜に妻と寝ない男が婿入り先で妹に手を出すなどと考えたくなかったからである。
「お茶は私が淹れるわね。二人は座っていてくださいね」
「ありがとう、鏡花」
「いえ、当然のことです」
鏡花は二人を居間に残して台所へと向かった。心臓がドキドキと強く脈打ち嫌な予感が彼女の頭を支配する。慶は独身時代に数々の令嬢との関係が噂された色男。
(だめよ、旦那様を疑うような事)
心を落ち着けて、二人に煎茶とたい焼きを出す。
「美味しそうね、お義兄様」
「そうだね、すみれちゃん。いただこうか」
見つめ合い、微笑み合う二人の間には形容のできない雰囲気が流れているような気がして、鏡花は逃げるように母屋へと向かう。渡り廊下を走るように歩き、鏡花は母屋の台所へ入り込んだ。
そうして逃げたところで、悩みを打ち明ける相手もない。仮にこの台所に立っている母親に「妹と旦那がいい雰囲気になっている」と打ち明けたところで叱咤されるのは鏡花の方だからだ。
***
「おぉ、久子の得意料理じゃないか。毎週水曜日は家族皆での食事。とても良いな」
母屋の長テーブルに並んでいるのは、竜田揚げや煮物といった母の得意料理であった。鏡花は、台所で下準備や調理器具の洗浄を主に担当していたため褒められることはない。それどころか、父には「鏡花もお母さんを見習いなさい」と言われる始末だった。
「鏡花、お父さんと慶さんにお酌をして差し上げなさい」
「はい」
食卓につく暇もなく、鏡花は父と慶に酌をする。すぐに空くお猪口に望まれるまま酒を注ぎ、すみれや母に頼まれれば大皿料理のとりわけもする。そうしてバタバタとしているうちに父と慶はすっかり出来上がっていたし、母とすみれは食事を終えて団欒を楽しんでいた。
「久子、締めの茶漬けを作ってくれないか。慶くん、うちの出汁茶漬けはいかがかな?」
「お義父さん、ぜひ。食べたいなぁ」
「はっはっはっ、君はなかなか芯のある男だ。久子、鏡花。作ってくれ」
ほとんど口をつけないまま、鏡花は再び台所へと戻った。その際に皆が食べ散らかした大皿も台所へ下げてしまう。
母の指示で、土鍋のおこげの部分と白米を程よく茶碗に盛り上から茶漬け用の小さなあられと海苔を乗せる。そして、温めた出し汁をたっぷりとかけて小皿に薬味のわさびを盛り付ける。
「貴女は、ここでささっと夕食を済ませてしまいなさい。貴女は次期当主の妻、つまりはこの家では嫁と同じ立場なのよ。もう娘として甘えてもらったら困るの。もっと積極に働きなさい。お茶漬けは私が出しておくから貴女は洗い物を」
「はい、申し訳ございません」
母は、大皿に残った料理を指差して言った。鏡花は土鍋に残った少しの米と皆が食べ残した竜田揚げを一つ、それから煮物を摘んだ。
それから急いで洗い物を始める。食卓では鏡花以外の家族が談笑していた。冷たい水で油を落とすために金たわしで鍋を擦る。ジンジンと手が痛んで、惨めさで涙が出そうになる。
「あらやだ、お義兄様ったら。私なんて全然綺麗じゃないですよ」
「慶くん、君は目の付け所がいいね。すみれは代々続く遊馬家で一番美しい娘なんだ。まだ、花嫁修行中でね。彼女の美しさなら五大華族様ともお見合いができるのではと思っているのだよ! はっはっはっ」
「まぁ、お父様ったら。お義兄様も大袈裟ですわ。まぁ、いけないお義兄様お水をどうぞ」
「美しくて良く気が利くなんて……きっとすみれちゃんは引く手あまたでしょうね」
「そうだろう、そうだろう。すみれは私たちの自慢の娘なのだ」
父も慶も鏡花を褒めることはなかった。いつもと変わらない事のはずなのに、今日ばかりは鏡花の胸を苦しめた。結婚をして、自分を愛してくれる夫ができれば少しは楽になると思っていたのだ。けれど、それは鏡花の思い過ごしで、現実は何一つ変わらなかった。夫ですらも、妻の鏡花ではなく妹のすみれを褒めちぎっている。
「あの子ったら何をぐずぐずしているのかしら」
「久子、鏡花もまだ本格的な家事には慣れていないんだ。そう怒るなよ。すみれ、慶さんを代わりに離れまで送ってあげなさい。あぁ、久子。私も自力では歩けなさそうだ。うむ、酒の相手ができると飲み過ぎてしまうな」
「お義兄様、大丈夫ですか? 私の肩に掴まって」
「あぁ、すまないね」
鏡花は山積みになった食器を洗いながらぐっと唇を噛み締めた。自分の生まれ育った唯一安心できる場所であるはずのこの実家は、鏡花にとって監獄のような場所だ。結婚相手すら自分を見ようともしない。
(あぁ、なんて私は惨めなのかしら)