26 妖たちの大計画
「はぁ? それでみすみすお嫁さん候補を返しちゃったっていうの? このバカ犬は」
虎尾家、応接間。湯呑みをドンと机に叩きつけたのは甘煮蜜子だった。蜜子は五大華族・甘煮家の次期当主。彼女は妖狐の血が流れる妖の一人で伊吹とは旧知の仲である。
「で、私に相談したってわけ」
「あぁ、鏡花を取り戻すためにはどうしても甘煮家の協力が必要でな」
「そりゃ、遊馬家と繋がりのある堂上家は私たち甘煮家と関係があるから一声かければどうとでもなるでしょうよ」
蜜子は不満げに伊吹を睨んだ。
「なんだよ」
「なんだよって、紬ちゃんからその子がこの家を出た日のことを聞いて納得がいかないだけ。どうして引き止めなかったの? 遊馬家が彼女にひどい扱いをしていたのをわかっていて、ましてやアンタはあの子が山で酷い目にあったところを助けたのにどうしてその場で言わなかったの?」
「それは……」
ガコン、と音が出るくらいの殴打が伊吹の右頬を襲った。蜜子の握り拳が彼を襲ったわけだが、止められたはずの紬はそれを止めなかった。
「痛っ……」
「甘煮家が遊馬家に働きかけるのは、アンタがその子を取り戻したあとよ。本当に好きながら自分の手で取り戻すことね。アンタは自分の好きになった子くらい自分で守りなさい。紬ちゃん、悪いけれど、その鏡花ちゃんって子が山に捨てられた日に本当にそんなことがあったのか森で証言を取ってきてくれるかしら。誰かしら妖はいたでしょう」
「わかりました。すぐに」
「アンタって、本当に好きな子の前じゃそんなに弱くなっちゃうのね。狼の妖は生涯に一人の女性しか愛さない。だから、その子がアンタの気持ちに答えてくれなくちゃもう虎尾家はこれっきりってこと」
蜜子はため息をつくとお茶をぐいっと一気に飲み込んだ。興奮した彼女の黄金色の耳と9本の尻尾が揺れた。妖艶な花魁のような赤い着物の襟元を直して背筋を正した。
「あぁ、そうだよ。あの子は優しくて誰よりも心の綺麗な子だ。だから、好きになった」
「じゃあなんで引き止めなかったの?」
「あの子が自ら帰ると言ったんだ。俺ではなく家族の方を選んだ」
伊吹の情けない表情に蜜子は舌打ちをした。
「ほんと、バカで女心のわからない奴だね。アンタは」
「鏡花は優しい子なんだ、強引に奪われるようなこと怖いに決まってる」
「はぁ、どうしようもないね。身分の低い、ただでさえ家で厄介者のように扱われている子が劣等感を抱いていないとでも思ったかい? 自分は虎尾家にふさわしくない迷惑になるって自分を虐げていた家族に言われてそう思い込んだに決まってるわ」
「そんな……」
蜜子はパチパチと指を鳴らして首を傾げた。
「私は腐っても妖狐だよ。あのロビーに残った思念。複数人の腹黒い思惑、一人の悲しい思い。あぁ、悲しいねぇ。身分差を考えるのはいつだって身分の低い方だ。私たちの当たり前は他の人の当たり前じゃない。いろんな思いを押し込める人だっているんだ。そこのところもう少し勉強しな」
「すぐに鏡花を迎えに行くよ」
「いい顔になったじゃないか、遊馬家のことは任せておきな。あの堂上家の婿さんが色々と汚いことに手を出しているらしい話は耳にしていてね。ここの所、悪い家業を始めたみたいでね」
「怪しい家業?」
「あぁ、どうやらあの婿さんは金を集めるために誑かした娘に何やら薬を盛って悪い輩に売り渡しているらしいんだよ。堂上家の裕福さに比べたら婿入り先の遊馬家は質素だからね、我慢できなくなったんだろう」
伊吹の顔がみるみるうちに青くなった。それから彼は勢いよく立ち上がると応接間を出て行った。
「葉、取って食ったりしないから挨拶くらい私にしたらどうだい?」
蜜子に怯えた葉はぷるぷると震えながら応接間に入ってくる。窮鼠にとって妖狐は食物連鎖的に圧倒的上位。葉は死の恐怖を感じてしまうのである。
「葉、アンタって可愛い顔してるよねぇ?」
「へぇっ、勘弁してくださいよ!」
「ほら、こうして頭巾をかぶって紅をさせば小さくて華奢な街娘だよ」
蜜子はにやにやしながら葉に詰め寄った。
「なななな、なんですか!」
「アンタにも一役買ってもらうよ。あぁ、一番重要な役だねぇ」
「えぇっ! 僕もですかっ!」
「そう。しばらく私の舎弟になりなさい。行くわよ」
蜜子は葉の首根っこをつかむと颯爽と虎尾家別邸を去って行くのだった。




