死人に口なし
そこの兵士さん。お見受けしたところ、暇を持て余しているようですが、よろしければ、私とお話してくれませんか?
……そんな固い表情をしなくたっていいのに。別に私は貴方を取って喰らいはしないのだから、あまり冷たくされては傷付きます。それとも、私と言葉を交わすことは禁止されているのでしょうか。
ああ、そうか、そうなのですね。兵士さんの上官はどうやら厳しいお方らしい。では、返事はしなくて結構です。私が一人で喋りますから、兵士さんはただ耳を傾けてくださればいい。
そんなに身構えなくても、これは、これから断頭台におもむく哀れな故人の、最期の妄言ですから。
さて、己の身を故人と表しましたが、別に、私は幽霊の類いではありません。私の体内では確かに心の臓が脈打っています。死体をギロチンにかけるなんて、あまりにも滑稽でしょう。
しかし、私は生きている身だというのに、死人なのです。大抵の人間が勘違いしていますが、世の中とは不思議な物で、あり得ないと思っていたことがあり得てしまうのです。平々凡々な農村で生を受けた私も、例に漏れず勘違いしていましたが、創作物のような展開は、現実でも起こってしまうのです。
……随分と驚いた顔をしていますね、兵士さん。落ち着いてください、これは私の妄想ですよ。貴方はただ、職務を全うしていればいいのです。
まるで働き蜂のように、例え押し潰されて息絶えようとも、人は自分の使命から逃れられないのですから。私だってそうです。ご覧の通り、未だに檻の中だ。
どこまで話したか、そうだ、私の故郷のことです。特筆する点がないぐらい平凡。野菜と羊を育てて、村人同士寄り添って生きる。今では廃村ですがね。
廃村になった村の、どこが平凡かって?平凡ですよ、ご存知でしょうが、平民に限り、私の祖国は貧しいですから。田舎の村が飢えで一つ滅びるぐらい、日常茶飯事です。
飢えて滅んだと言いましたが、私が幼かった頃は、特別飢饉を感じることはありませんでした。
あの頃は、豊かな森に囲まれていましたから。鬱蒼と繁る木々の中を駆け回れば、いくらでもご馳走にありつけた。
ほどよく湿った土の匂い。木々に成った艶やかな木の実。根っこの上を野兎が愉快そうに跳ね回って、透き通った小川には川魚が泳いでいる。
その光景は、今でも目を瞑れば鮮明に思い出せます。
いつも森で友人達と遊んで、黄昏時になったら村へ帰りました。年期が入った木製の門を通って村に入ると、羊達を囲う柵と畑仕事をしている大人達が、温かく迎えてくれました。
その時刻になると、村には夕食の香りが漂っていて、私達は腹の虫を鳴らしながら各々の家へと帰って行ったのです。
私の母の料理は、絶品なんですよ。是非とも兵士さんにも味わってもらいたい。まぁ、母はもうこの世にはいないので、無理な話ではありますが。
……ジョークですよ、そんな顔をしないでください。先程も言いましたが、傷付いてしまいます。
手先が器用だった母は、刺繍も大層上手でして。
村人達の服によく刺繍を施していました。
花をあしらった物なのですが、これが複雑で、そして繊細で。ふわっと花開く様がありありと浮かぶような、芸術的だと、子供ながらに思っていました。
食事には困りませんでしたが、小さな村でしたから。母の刺繍は、村人達の数少ない贅沢の一つでした。
昔、私が森で遊んでいた時に、怪我をしてしまったことがあるのです。
怪我と言っても、転んだ拍子に運悪く木の枝で腕を軽く切ってしまった程度です。
大した深さではなかったので、当然、血はほとんど出なかったのですが、まだ幼い私はびっくりしてしまって、泣きじゃくりながら家に駆け込みました。
その時の母の顔と言ったら!呆れ半分、笑顔半分、と言ったところでしょうか。
自分の子供がかすり傷で号泣している訳ですから、母が苦笑するのも無理もない。そう言いたいところですが、私は本気で怯えていて、ああ、自分の命はここで終わるんだ、と覚悟して泣いていたのですから、もう少し心配してくれてもいいとは思いませんか?まったく、酷い話です。
ですが、あの時、私の腕に包帯を巻いてくれた母の、あの優しい手つき。私は、あれを最期まで忘れることはありません。
父はどうだったかと言うと、猟師でした。
村一番でしたよ。あの村で、父ほど矢を外した者は居ないでしょう。どうやら父方の家系は、代々猟師だそうで、それで父も猟師になった訳です。
とことん猟師の才が無い人でした。
家族である私も、父の矢が的に当たったのを、一度か二度しか見たことがありません。獲物を狙うどころか、大きく避けるように空気を切り裂く矢には、父の性分が現れていたのかもしれません。
父は臆病のわりに、物事を誇張して伝える癖がありまして。
俺に任せておけ、と頼もしいことを口にしたと思えば、失敗の跡を残しながら恥ずかしそうに戻ってくる。優柔不断で、右の道を行こうか、左の道を行こうか、たったそれだけで迷い続けて、はっきりと言えば、あまり頼りにならない父親でした。我が家の大黒柱は、父より母だったのです。
村に住んでいた偏屈な老人から、お前の父親は情けないと言われたことがあります。ろくに仕事も出来ず、妻に頼ってばかりの軟弱者だと。
私は、父のことをみっともないとは思ってはいませんでした。
父は、私に自身の夢を語ったことがありました。植物学者になりたかったんだと、でも、誰かが父親の後を継がねばならなかったから、猟師になったんだと、そう悲しげに語りました。
父の家系が代々猟師でなくとも、父の夢は叶わなかったと思います。
ほら、大概の学者は、幼い頃から高度な教育を受けている貴族でしょう?納屋にあった古い植物図鑑を持った貧乏な少年と、最先端の書物と教師、そして資金がある少年。どちらの方が学者になれそうかと言えば、後者でしょうから。
それでも、独学とはいえ父の知識は確かでしたよ。村人が毒蛇に噛まれて死の淵を彷徨った時、薬草を使って村人の命を救ったことがあります。
そういう時の父は、普段の優柔不断さを見せません。いつもの頼りなさもどこかに吹き飛ぶのです。誰よりも、命を尊ぶ人でした。
ここまで聞けばわかると思いますが、私の幼少期は、幸せに満ちた物だったのです。優しく優秀な両親。雨風凌げて腹を満たせて、贅沢なことに友人も居る。これ以上の幸せはありません。今の私の様を見れば、考えられないでしょうがね。
いつまでも幸せの道は続いていると、私は盲信していました。途切れるなど、考えもしなかったのです。これは、愚かなことです。
永遠なんて物が存在しないことは、子供でも理解できるでしょう。
日常が壊れ始めたのは、十五年前の大飢饉の年です。
兵士さんの国はどうでしたか?あの年は、どの国も不作続きで、相当裕福な者以外、皆飢えていたと思うのですが。
私の村も飢えに苛まれていましたよ。そうです、それで村が滅んだのです。他の要因もありましたがね、飢えが主な理由と言っても差し支えないでしょう。
悪天候に異常な気温が続いて、畑にはほとんど作物が実りませんでした。森にも影響が出て、木々は腐り、花は枯れ、動物達は姿を消しました。
他の村から食料を買おうにも、私達の村には金がありません。もしも金があったとしても、どこも余裕がありませんから、食料を売る者は居なかったでしょう。
もはや私達に残されたのは、干からびて死ぬことのみ。それでも希望を捨ててはいけないと、残り少ない食料を分け合って、私達の村は懸命に生きようとしていたのです。
なかなか固い結束だったと自負しています。
食料の盗み食いどころか、分配に不満を漏らす者も居ませんでした。
凄いでしょう?閉鎖的で、切迫した状況で、誰一人として自分本意の考えを捨てていたのです。素晴らしい人達です。
そんな平和な村に、ケダモノがやって来ました。
人の姿をした害獣ですよ。奴らは、ろくに抵抗出来ない私達を蹂躙し、僅かな食料と、見目の良い若い女をさらって行ったのです。
あっという間の出来事でした。夜も更けて来た頃、突如やってきた十数名のケダモノ達は、笑いながら全てをぶち壊して行きました。
あの時の絶望感は、筆舌に尽くし難い。今まで想像していた幸せな未来が、たったの一晩でぐちゃぐちゃにされました。
母の胸に飛び込んで、泣き喚きたい気持ちでしたが、肝心の母の胸は血に染まり、冷たくなっていました。ケダモノの一人に、切り殺されたのです。
生きるための糧も、大切な家族も奪われた私達には、何も残されていません。
領主にケダモノの討伐を懇願するも、貧しい村人の願いは聞き入れてはもらえず、仇を討つことも叶いません。生きることすら、許されません。
父は私を奴隷商に売りに出しました。
ああ、勘違いしてはいけません。父は別に、金銭目的で私を売った訳ではないのですよ。
私は銅貨一枚と交換されました。これではパンの一つも買えやしない。それは、父も分かっていたはずですから。
父はなんとか私を生かそうとしてくれたのです。
奴隷商の仕事は人間の売買です。死体では売れない。飢饉で食料が少ないですから、商品とはいえまともな餌を与えられるとは思えませんが、村に留まるよりは生き延びられる可能性があると、父は言いました。
最後に見た父は、今にも折れてしまいそうなやけ痩けた細い姿で、繰り返し謝りながら、涙を流していました。
たった一枚の銅貨を握り締めて、何度も私の方を振り返って、去って行きました。
私は、その時から孤独の身となりました。ここまでが、私が九つの時のことです。
奴隷に堕ちた私は、売られてから三ヶ月ほど経って国に買い取られ、戦場の最前線に送られることになりました。
そうです、兵士さん達の国との戦争です。
随分と長いこと続いていたとお聞きしました。戦乱の世は辛いことも多かったでしょう。ようやく平和が訪れそうで、何よりです。
戦場に送られたと言っても、私達奴隷の役割は敵兵を殺すことではありませんでした。訓練を積んだ兵士相手に、粗削りの棍棒を支給されたとは言え、弱った奴隷が勝てる訳がありませんから。
奴隷に課せられたのは、肉壁としての役割。最前線で敵の矢を防ぎ、敵の刃を身体で受け止め、祖国のために命を捨てる役割でした。
逃げようにも、最前線ですから。前には敵兵、後ろには自国の兵、逃げようとすれば逃亡奴隷として殺されます。だから前に進むしかないのですが、当然、奴隷達は次々に殺されて行きます。
殺されて、殺されて、殺されて。食料などは与えられませんでした。傷を負っても、手当てされることもありませんでした。使い捨ての肉壁に、慈悲は与えられませんでした。
その戦場を、幼い私は鼠のように逃げ回って生き延びました。夜になると戦場の苛烈さは和らぎます。しかしそれも、張り積めた糸の上に過ぎないので、私は殺されないように死体に紛れて夜を過ごしました。
噎せ返るような濃い血の臭いと、腐り始めた死体に集る蝿は、まだ生きているはずの私にも纏わり付きました。
本当に自分は生きているのだろうか、もしかしたら、もう既に死んでいるのではないだろうか。
指先から腐り落ちて行くような感覚で、空になった胃袋から胃酸を吐き出しました。
それでもなんとか私は生きていました。未だ命を保っていましたが、ある日遂に、空腹と脚の負傷で倒れ、役立たずとなったのです。
前線は前へ前へと移動して行きましたが、私が連れられることはありません。土の上に伏せたまま、捨て置かれました。
何人かの兵士が私を踏みつけて行きましたが、指一本動かす気力もありません。
私の命は、風前の灯火でした。
このまま目を瞑ってしまえば、楽になれると思いました。
天の国で幸せに暮らしているはずの母に……もしかしたら、父も居るかもしれませんが、とにかく、もう一人ではなくなると思いました。
それでも私は、泣きながら地を這いました。死屍が累々と続く大地を、惨めに這いました。
父の願いを叶えたいと思ったのです。父は、私に生き延びて欲しいと、その一心で自分の子供を商人に売ることになりました。心優しい父は、相当苦しい想いをしたでしょう。
ほんの三ヶ月と少し生き延びた程度で、父の願いが叶えられるでしょうか?いいや、そんなはずがありません。あるはずがありません。父の覚悟を無駄にしてはいけません。
だから私は、餓えをなんとかしなければならないと、身の内を焼く渇きを、なんとかしなければならないと、生き延びねばならないと……それで、そのために、目の前の……
…………餓えと渇きを満たした私は、死体の傍らで、数日の間じっと座り込みました。
何か考えがあった訳ではありません。ただ呆然と、空を眺めていました。
そんな脱け殻のようになった私を、ある人が見付けました。それは、この国の騎士団長でした。
私の顔を覗き込んだ彼は部下に命じて、私を王宮に連れ帰り、風呂に入れ、傷の手当てをし、食事を与えてくれました。
一見、憐れな奴隷に慈悲をかけた聖人のような行動です。実際、そのお蔭で私の命は繋がりました。ですが、彼は別に善意で動いた訳ではないのです。
それから、私は王宮の地下牢で暮らしました。
上等な衣を着せられ、一日に三回、上等な食事が運ばれ、毎晩、決まった侍女がお湯で私の身体を拭きました。昼には決まった教師が私に上等な教育を施して、牢の外には、これまた決まった兵士が私の監視をしていましたが、彼は貴方のように私と言葉を交わすことを禁止されているようでした。
思いがけない展開が起こって、私は生き延びることが出来ました。どうやら、私の顔はこの国の王子とそっくりらしい。齢も近いとか。
そんな偶然があるはずがない?いいや、あるのです。あり得ないことは、あり得てしまうのですよ。
食事と教育、そして侍女が身体を拭きに来る時間以外、私の行動は制限されることはありません。いえ、厳密に言えば牢に入れられ自由を制限されてはいるのですが。
空いた時間は、読書に費やしました。余計なことを何も考えたくなくて、必死に文字と知識の世界に逃げました。
それでも、どうしても思考を止めることが出来なくて、私は自らのことを省みてしまいます。
私は、なんとしてでも生きたかった。父の願い、それを支えとして、生き延びるためにはどんな手段も取って来ました。
ですが、現実はどうでしょう?奴隷に堕ち、生きるために穢らわしい方法で餓えと渇きを満たし、牢に閉じ込められている。
これは、私は、果たして、生きているのだろうかと。
ずっとずっと考えて、何日、何ヵ月、何年と時が経って、私は自分が自分であるという自信を、失って行きました。
先程、故郷の光景を鮮明に思い出せると言いましたが、それは、そうなのですが……言葉選びが難しい。そうだ、絵画です。
あの頃の幸せな思い出は、まるで絵画の中の世界のようなのです。
確かに目の前にあって、いつでもこの目で見ることが出来るのに、現実味が無いのです。
ただ私は、壁にかかった絵画を眺めて、その世界に想いを馳せるだけ。自分がその中で暮らしていたという実感が、どうしても湧いて来ないのです。
私はずっとその絵画を眺めていますから、絵画の住民のことをよく知っています。ですが、人が絵画の中で暮らすことは出来ません。だから、もしかしたら、私が絵画の中で暮らしていたこの記憶は、偽りの物なのかもしれません。
そもそも、私は誰なのでしょうか。
平和な村で暮らす子供?家畜同然の奴隷?醜いケダモノ?だから、こんな檻の中に居るのでしょうか?
もう自分の名前も思い出せません。そもそも、私に名前はあったのでしょうか?家族は居たのでしょうか?あの絵画の住民のように、あの少年のように、優しい両親が居たのでしょうか?
最初から私は檻の中に居て、この幸せな記憶は全て私が絵画を眺めて作り出した幻覚かも。だとしたら私はなんなのでしょうか。狂っているのでしょうか。化け物でしょうか。だから、こんな目に遭っているのでしょうか。
私が何をしたというのか。分からない、分からないのです、全てが分からなくて、どうしようもなくて、私は、私は一体……
も、申し訳ありません、取り乱しました。
もし、絵画の中の少年が、幸せに暮らす少年が、本当に私だとしたら、もうこの世には居ません。
きっと奴隷となってしまった時に、あるいは、戦場でどんな手段を用いてでも生き延びることを決めた時、あるいは、牢の中で長い年月を過ごしていく過程で、あの平凡な少年は死んでしまって、残ったのは、脱け殻の私なのです。故人となった、私なのです。
随分と、真っ青ですね、兵士さん。
それはそうでしょう。もし、私のこの妄言が真実だとすれば、兵士さんの国が目の敵にしている我が国の王家の血は、絶えることはないのですから。
今頃、南西の森を抜けて国境を目指しているのではないでしょうか。友好国に向かうと、城が落ちた日に騎士団長が口にしていたので。
かなり焦っていた様子で、私に聞こえないようにする配慮も忘れていたようでした。もしかしたら、本当にこの国の王子は南西を目指しているかもしれませんよ。
どうしてその情報を伝えたのか、ですか…………ふふっ、ようやく口を開いてくれましたね。喜ばしい限りです。
そうですね……兵士さんの疑問はもっともです。
私が王子の手がかりを話したところで、私の話が真実だと証明される頃には、私の頭は切り落とされているでしょうし。
強いて、言うならば。
この理不尽な人生への、ささやかな反抗でしょうか。