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新歓合宿一日目A

 レタスの一同が宿泊する美音壮は和様式の建物で、瓦造り二階建ての本館とは少し離れたところに音楽ホールを所有していた。

 アカペラサークルの合宿にはおあつらえ向きというわけだ。


 バスは正午に到着し、荷物をそれぞれの部屋に運び込むとすぐに昼食となった。

 一部屋三、四人で、男子が一階、女子が二階と分けられている。ただ、「どうせ夜は食堂などに集まって遊ぶのであんまり意味はない」そうだ。

 食後少し自室で休んだあと、各人チームごとに割り当てられた場所に向かう。

 我らがCチームは食堂。

 おそらく練習場所の中で一番の当たりだ。広いし。

 Cチームの代表者である会長の仕切りで改めて顔合わせの自己紹介をする。

 メンバーは全部で七人。新入生は俺、萌美、清水さんの三人だ。なんと全員商学部。

 あとの四人は上級生なのだが、幸か不幸かうち三人が一度は関わったことがある人たちだった。

 四年生の市原さんに、三年の芹沢瑞樹会長、体験会のときに一緒だった二年の古川先輩。

 唯一初めましてなのが経済学部二年の相浦和歌先輩。

 シャープなお顔にモデル体型の美人さんである。

 肩まで伸びる金髪は脱色したのだろうが、艶があり毛先までよく手入れされている。

「会長権限で食堂を抑えました。イェーイ。感謝してよね」

 そういって胸を張ると、会長が楽譜を手渡していく。

 曲名は『マリーゴールド』

 あぁそうそう、あいみょんだ。

 そんなに時間は経っていないのになぜか懐かしい。学校でも昼休みにはよく流れていたし、智誇がカラオケに行くたびに歌うもんだからいつの間にか歌詞も完璧に覚えてしまっていた。

「私この曲好きです〜」と萌美。

「良いアレンジのやつだ、去年も新歓でやってたやつですよね?」と相浦先輩。頷く会長。

「お、これやんのかよ」と市原さん。

 ベースパートの楽譜はそこまで低い部分もなく、曲調的に激しい動きもない。アカペラ入門用のアレンジって感じ。

「神楽さんと清水さんはアカペラ初心者だったね、五線譜は読める?」

 会長の質問に「よめます!」と勢いの良い返事をする萌美、コクリと頷く清水さん。

 しかし二人は、渡された楽譜に目を落とすとそのまま固まった。全身からわからん光線が放出されている。

 まぁ初見だとぎょっとするかもなぁ。

 アカペラの楽譜は基本的には中学の音楽で習う音符の読み方と変わらないが、全パートが並んで表示されているスコアスタイルで、歌詞にローマ字が振ってあったり、五線譜内に収まるよう少し音部記号をズラして書いてあったりと少し独特だ。慣れればなんてことないのだが。

 あれ、思ってたのと違う、なにこれ、って思っていそうだ。

 萌美はよくわからないことがわかったものの、勢いよく頷いてしまった手前やっぱり読めませんと言えずに、目で訴えるしかなくなっているようだった。

 清水さんは難しい顔で楽譜を睨んでいる。

 そんな二人の様子をみた市原さんは笑いながらフォローすると、畳に自分の楽譜を広げて、説明をはじめた。

 パートは音域の高い順に1st、2nd、3rd、4th、5th、ベース、あとはボイスパーカッションと続く。

 通常はメロディを歌うリードボーカルパートがあるものだが、「新歓用の楽譜ということもあってメロディを散らせたので、明示してない」らしい。

「ボイスパーカッションはこの音符の丸の代わりにバツとか付いてて見方が違うんだけど、二人とも歌だったよね。じゃあまぁいいかな。吹奏楽とかだと配る楽譜に載ってるのは自分のパートの分だけだったりするみたいなんだけど、アカペラはスコア譜のまま渡すことがほとんどかな」

「この歌詞のところにかいてある『hoo』とか『dan』とかはスキャットってやつです。スキャットって『フゥ〜』とか『ドゥードゥッ』みたいなやつね、大体はそれっぽくローマ字読みしてくれたら大丈夫。逆に歌詞のところはメロディか字ハモだから」

「字ハモってあれね、2ndのサビのところみたいな、普通にメロディのハモりとかのことね」

 歌詞と音階をなぞって会長が補足する。

 二人は赤べこみたいに小刻みに頷く。その様子をみて市原さんは続ける。

「あとはパート次第なんだけどね、4thはト音記号の下に数字の『8』が付いてんじゃん? この一オクターブ下がってここが『ド』になります。まぁ他のパートやる分には関係ないかな、二人はどのパートが良いとか希望ある?」

 ありません。大丈夫です。

 二人が答える。

 市原さんは問題の4thを相浦先輩に任せると、萌美と清水さんに1st、2ndを割り当てた。

「瑞樹はボイパやるって言ってたっけ?」

「はい。いいですか?」

「おう。つか、これの曲でこのメンバーなら、俺が5thやるしかないじゃん、音域的に」

「あ、バレました?」

 したり顔で会長が笑う。体験会の時は会長はコーラスをやってた気がするんだけど、今回はボイパらしい。

 3rdには古川先輩、ベースは俺で即席バンドにしてはスマートにパート割りが決まった。あるいはそうなるように編成してあるのかもしれない。

 市原さんが数年前に収録したというデモをスピーカーで流してもらって、鼻歌を交えながらそれぞれが楽譜を読み込んでいると、萌美が挙手をする。

「はい。市原先輩、この上に書いてあるDとかAってなんですか?」

「それはコードだね。書いてない楽譜がほとんどだけど、俺がアレンジして作った楽譜には一応書くようにしてんだよね。例えばこのDだったら、この小節は『レ』『ファ♯』『ラ』の和音で進んでますよってこと。神楽さんのパートだとラ担当ってことになるかな」

 萌美の眉がハの字に下がる。

「え、私それ見ただけじゃ分かんないです」

「まぁ練習のときの目印に書いてるだけだし、基本は自分のパートだけ追えてれば大丈夫だから」

「わかりました。じゃあ大丈夫です! 頑張ります!」

 今度は転じて、満面の笑み。ほんと感情がそのまま表情に出るタイプだよな。


 各自譜読みをしてから、市原さんの呼びかけで合わせをしてみることに。とりあえずイントロの六小節だけ。

 しかしまぁ、最初の一小節目から綺麗な和音にはなっていない。

 というより和音の前に声が重なっていなかった。

 まぁそりゃそうな話で、初合わせときは声が混じるように発声の仕方を揃えるところから始まる。初心者とか関係なく。

 あれ、何か微妙……。とまぁ狐につままれたような様子の萌美と清水さんをみて、市原さんは予定調和の笑みを浮かべた。

「いい反応ありがとう。音程合ってるはずなのにあんまりハモってないなぁと思ったでしょ? これがアカペラなんだよ」

 曲の前に声出しをしなかったのは、これを強調したかったかららしい。

 普通は毎回やるもんな。

「そうなんですね、私もなんかちょっと違うなって思いました」

 なにやら腑に落ちた様子の萌美。

「声の響かせ方を揃えないとね、バラバラに歌ってる感じになるんだよね。今みたいに。楽器で音だすと簡単に結構共鳴するんだけど」

 市原さんは相浦先輩に一音目を伸ばさせると、自身の声を少しずつ変化させて寄せていく。やがて綺麗な五度のハモりが食堂に響いた。

 清水さんはおぉ、と感嘆を漏らし萌美はぱちぱちと手をたたく。

 その後も市原さんによる基礎発声講座が続いた。

 口の形、喉の開き方、口の中や鼻腔の響き方を整えていく。

 段々と様になっていく和音に笑顔がこぼれ始める二人。

 仕上げに全員で声を重ねる。豊かなDコード。初日にしては十分な出来だ。あとはこれを曲の中でできるか。

 もう一度曲の最初から合わせると、さっきのとは違うカラフルな和音を感じられた。基礎練の成果がバッチリ出ている。

 イントロを過ぎてAメロに入っても、曲の流れは続いた。

「あれ、終わりじゃないの?」そんな心の声が漏れ出ている萌美は一瞬歌うのを止めてしまったが、楽譜を追いかけて自信なさげに周りに合わせていた。

 古川先輩も「あれぇ」と言ったきり戻ってこない。

 戸惑うメンバーを見て、先輩方はにやけている。ドッキリみたいに反応を楽しんでいる様だった(一名巻き添えを食っているけど)。

 清水さんも踏ん張っていたが、Bメロのタイミングをズラしてあわあわとし始め、ボーカルを置いてけぼりにしたコーラスもやがて笑いに変わり、曲は空中分解をして終了した。



 練習は一度二手に分かれる事に。

 コーラス組は台所の近くに固まり、俺たちメロディ&リズム組はその対角に陣取る。

 高校の頃はセクションに分けて練習することはあまりなかったように思う。ただこうする方がお互いのパートの理解を深め、各パートの役割をきっちり確認できるというのもわかる。俺たちは曲を成立させるのが役割だ。

 ボイパの会長とベースの俺に加えて、リードを担当する人がコーラスの練習が進むにつれて交代でやってきていた。

「ベースとパーカッションとメロディだけでも音楽っぽくなるんですね」

 少し打ち解け始めたのか清水さんも口数が増えていた。

 彼女はBメロのリード担当。

 こちら側の確認はコーラス組より早く終わるので、向こうがあれやこれやしている間はわりに喋って時間を潰していた。

「だねぇ。まぁほとんどベースがコード感決めてるからね。ベースがしっかりしていたら曲がガッチリするし、逆ならまぁボロボロになるね」

「そうなんですね。責任重大、頑張ってね。良い声の康宏君」

 添えられた上目に、素でかわいいと思ってしまった。

 俺は照れを隠すように息を吸い、お腹に力入れて深く喉を鳴らす。

「ありがとう」

 わざとらしく良い声を出すと、清水さんは柔らかく笑った。

 朝よりずいぶん距離が近づいた気がする。

「あ、それとね、さっきからみんな『ド』って言ったり、『C』っていったりするのはなんでかな?」

 今度はなんと清水さんから質問が。

 これはなんとかちゃんと答えたいところ。

「あー、それね。『ド』『レ』『ミ』『ファ』『ソ』『ラ』『シ』で七音あるけど、なんか『ラ』から順番に『A』『B』『C』のアルファベットで表現するんだよ。で、『C3』って言った時の3は、オクターブを意味してて、ちょうど楽譜のこの真ん中の『ド』が『C3』かな」

 俺のざっくりした説明で清水さんは納得してくれたらしい。俺の真似か、彼女なりの良い声で「ありがとう」と返してくれた。

 慣れると面白い子なのかもしれない。

 ふと振り向くと会長は両手で親指を立てた。

 保護者ですか、あなたは。


 清水さんに代わって、サビのリードは萌美だった。

 萌美の歌をしっかりと聞くのは久しぶりで、そういえば結構うまかったんだったと中学の頃のことを思い出す。

 サビを抜けると、会長は手を叩いて曲を区切り、一言。

「萌美ちゃん歌うまいね~。ヤスヒロ君もそうおもわない?」

「あ、そうですね、上手いんだなと思いました」

 本心だが、あれこれと気を遣って言葉を選んだ結果淡白な言い方になってしまった。

 当然ながら萌美にも刺さった様子はない。「ありがとー」という最低限の反応と仮面の笑顔が返ってくる。

「このパートだけでやってみてどう? 意外とちゃんと歌えるでしょ?」

 会長は、今度は萌美に話を振る。

「そうですね。こんな形で歌ったのは初めてですけど。いけますね」

「だよね。ベースのヤスヒロ君がしっかり支えてくれてるからなぁ。経験者なんだってさ」

 俺も一応頷く。

「あー、そうなんですね……すごい、あはは」

 終了。

 会長は目だけを動かして俺と萌美を交互に見ると、怪訝そうに眉をひそめた。

 その後も会長は時間の限り話題を出してはお互いあまり関わろうとしない新入生二人に話を振り分けてくれていたが、残念ながら悉く空振りに終わり最後は肩を落としていた。

「私話すの下手なのかなぁ……」

 すみません会長。

 俺とそいつは、誰を挟んでもこうなります。




 ようやく市原さんから再度集合がかかった。

 Cチーム全員で、もう一度最初から、一番サビの終わりまで合わせていく。

 大学生って学習速いなぁ、というのが感想。

 小一時間ほどで曲のテイをなしている。もちろん音符のアタック感や切り方など細かい部分は揃ってはいないけれども、しっかりと声は重なっている。

 初心者の二人の声も溶け込んだ和音の中でつられることなく、自分の音を取れるようになっていてアカペラを楽しみ始めているように見えた。

 合間の休憩時間。

 俺は会長の真似をして、隣で壁にもたれ畳に足を伸ばしてみる。

「お疲れさまです」

「お、ヤスヒロ君もお疲れさま」

「会長ボイパも出来るんですね」

「できるって言ってもお遊びだけどね。最近、暇なときに練習しててさ」

「なるほど。隙間時間に練習したくなるのは僕もわかります」

「でしょ。といってもドラムの音色だけで、喉ベースは無理なんだけどね」

 会長は唇を大きく動かしバスドラ、タム、スネアなど一式鳴らして見せた。

「すごくそれっぽいです」

「ぽいでしょ。でもベースはこうなっちゃう」

 今度はうなるように喉を鳴らす。だけど全然音量が出ていない。

 近くで胡坐をかいて座っていた市原さんは俺たちのやりとりを聞いていたようで、

「女子は声の低さには限界があるからな、ベースはしゃーないよ」

「ですよねー。ちなみにヤスヒロ君は、下の音はどこまで出るの?」

「えっとちゃんと使えるのは『D#2』くらいまでですかね」

 俺は適当に喉を鳴らして出た音から、一音ずつ音程を下げていく。やがて最後にはホラーで聞くようなガラガラとした音だけになって、そこで終了。

「それだけ低いところになってくると、そば鳴りしそうなもんなのにやるなぁ、俺は『F2』くらいまでだわ」

 市原さんの言うそば鳴りというのはたぶん、さっきでいう終盤の、ガラガラとしただけのほとんど音程を持たない声になっていることを指す、と思う。エッジボイスとも言うらしい。

 声帯の振動音だけがぶつぶつと鳴り、響きをもっていないので上パートと合わせてもうまくハモりにならない。アカペラではなかなか使えない声だ。

 俺は低いところまで響きのある声を出せることがウリだと思っているので、四年生に褒めてもらえると自信になる。

「アヴィーロだもんな」

 会長は親指を立てて見せる。市原さんも乗っかって、

「ヘキサの曲やりたいってなったらベースで声掛けようかな」

 と冗談ながら、お誘いのようなことを言ってもらえた。

 嬉しい。組んでもらえるなら是非ともやりたい。

 動きのあるベースラインは今の実力じゃキツイだろうけど。

「いっちーさん、じゃあ紅一点の女のポジションは私がやります」

 相浦先輩が会話に滑り込んできて、キラキラとエフェクトが出そうな目で市原さんを見つめる。

 それが敬意か好意かはわからないけど、あれだけうまくて知識もあって楽譜も作れたらそりゃあ尊敬を集めるよなって思った。

 市原さんは笑いながら、

「あら、なんかメンバー集まってきたな。じゃあアヴィーロ君、学祭までに探しといてよ。あとの三人。髭と角刈りと高音男子」

「そこはオリジナルに忠実なんですね」


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