まさかの新歓飲み会【前編】
次の週の水曜日。
大学というのは基本的に気が楽だ。
高校ほど授業も詰まっていないし、教科によっては数分遅刻しても許される。ゆるい。だから贅沢になるんだろうか、一限が心の底から嫌だ。
高校までは毎日この時間に登校してたなんてもう信じられない。
もちろん一限を回避する方向で履修登録をしたわけだが、必修科目の時限がクラスごとに指定されているせいで水曜日だけは逃れることができなかった。
ゆえに通勤ラッシュのクソ満員電車に押し込まれる羽目になり、片道一時間半の通学路を恨みながら電車に揺られる。雨の日なんかは最悪なんだろうな。
通常授業が始まってから、徐々にそれぞれの居場所が定まってきたのか、当初の祭りのような空気感は少し沈静化し始めていた。かくいう俺もアカペラサークルの新歓以降は二件の食事会にしか参加していない。
商業学基礎の講義が始まってから十数分が経過した頃に、五十嵐を含む数人が前の扉から教室に入ってきた。
五十嵐はそのまま俺の右隣に腰を下ろしうんざりした様子で呟く。
「ま~た遅延しやがったよ」
関東首都圏の電車は、毎朝どこかしら遅延しているといっても過言ではない。
人身事故はなくても、既にすし詰め状態の車両に体を無理やり押し込んだりするせいで発着が遅れるのだ。
遅延に巻き込まれた学生は駅員から遅延証明をもらい講師に提出するのだが、その証明を貰いに人がまた列を作るので非常にめんどくさい。
「何線だったっけ?」
「今日は中央線だなぁ……」
あぁ……。
東京の真ん中を運行する中央線だが、平日の朝晩は時刻通りにいっている方が珍しいイメージだ。俺の路線も結構な頻度で遅延はするが、今のところ被害に遭ってはいない。
中央線ヘビーユーザーのはずの五十嵐も疲れたようで、席についてすぐに眠りに落ちていた。
一限に続いて二限も必修科目の講義が続く、隙間の休憩時間。
五十嵐も少し回復してきたのか、いつもの調子であれこれ言い始めた。
五十嵐を放っておくとどんな導入からでも魔法のように女の子の話に収束するということが、ここ数週間の付き合いでわかってきた。
一度「誰々がかわいい」なんて言い出すとしばらく戻ってこないので、適度なタイミングで話題を変えるようにしている。ほら、今も「前の方に座っていた茶髪ボブの子が良い素材してるんだよ」とか熱心に語ってる。
ブラウザを開くと昨晩見ていた定食屋の求人ページが目に入ったので、
「五十嵐はバイトとか考えてる?」
「え、いや、俺はしばらくはやらねぇかな。サークルに専念しようと思って」
「へぇ、結局どこに入るのか決まったんだな?」
「まぁな、『キッカーズ』っていうフットサルサークルと、学祭実行委員と、『岳』ってボルダリングサークルと、料理サークルの『クックマン』に入るかな」
「え、それ全部入んの?」
五十嵐は当然のような顔をして肯定した。活力がすごいわ、漲ってる。
「ヤスヒロはどうすんだよ」
「俺はアカペラサークルの『レタス』に入るよ。他はとりあえずいいかな」
「まぁそうか。あ、アカペラサークルっていやぁ去年のミス慶豊がいるらしいじゃん。もしかしてそれ狙いだったりしてな?」
「なわけあるか。そりゃチャンスがあればいいとは思うけどさ」
「じゃあ運良くお近づきになれたら俺に紹介してくれよ」
「なれたらな」
てか、結局女の話に持っていかれてんな。恐るべし五十嵐。
「いやそもそもさ、入るサークルを女の子で選んだりしなくねぇか」
するだろ。と五十嵐は事もなげに言う。
するのかよ。
よくよく思い返すとこいつが挙げていたのは女子の比率が高いサークルばかりな気がしてきた。いや、そうだわ。
「こんだけ人がいっぱいいる大学なんだから、自分から動かないとさ。まず知り合いにもなれなかったら何も起きねーじゃん、きっかけは作らないとだろ」
あれ、なんか似たようなこと最近聞いたな……。
江藤先輩か。
もしかしてイケてる大学生は女の子のことを第一に考えるもんなのか?
俺も兼部して出会いを広げた方がいいのだろうか。
でもアカペラは女子多いしそれで充分だったりするのか、う~ん……。
頭を悩ませていると、五十嵐は遮るように、
「つか、今度の土曜日開いてるか? 山ちゃんと新歓の時のメンツで遊んだり飯でもいこうって話してんだけど」
テニサーの新歓で知り合った女の子達との食事会を持ち掛けてきた。
誘いは嬉しいけどなぁ。今度の土曜日は、空いてないし、空けらんないわ。その日だけはな。行きたいんだけどサァ。俺はそのアカペラサークルの新歓ライブに行くっていう大事な予定があってな、すまん。会長さんや先輩にも絶対に行くと言ったんだ。というか既に入会もした。午前中だけだと言われても、念のため開けておきたいぐらいなんでナァ。
やってしまった。
新歓ライブ行きますと超乗り気で言っていたのに、あとからバイトの面接を入れてしまった。ダブルブッキングだ。電話で「面接、今週の土曜日でいい?」と聞かれて二つ返事で頷いてしまった俺が全部悪い。どうして思い出せなかったんだ……。
まだ雇われてもいないのに、「すみません、やっぱり土曜日はやめてもらえませんか」なんて不採用にしてくれと言っているようなものだから、言えるわけもなく……。
やらかしたことを正直に伝えると、会長からは大量の『w』が返ってきた。夜の飲み会だけの参加オッケーだというので、それは是が非でも行く、行きます。
面接を終えて一度帰宅し、すばやく着替えて新横浜へ向かう。電車が乗換案内通りに運行すれば到着は十八時十分だ。飲み会が始まって少し経ったくらいになるだろうか。
途中参加になるのは気が引けるし、どのテンションで入っていけばいいのか難しさがあるが、駅まで江藤先輩が出迎えに来てくれるらしくてそれはもうすごくありがたかった。
改札を出て先輩を探していると、横から声がかかる。
「おう、アヴィーロ。面接被ったらしいなぁ」
俺が挨拶と共に無念ぶりを伝えると、先輩は愉快そうに笑ってくれた。
新横浜駅から少し歩いて、通り沿いの背が高いビルの五階に連れられた。どうやらサークル行きつけの居酒屋の一つらしい。
店内は見通しが良くそれなりに広いものの、大宴会場というよりは座敷やテーブルに小グループを作るようなタイプだ。
会長など、ところどころに見たことがある顔がいらっしゃるが、席もまばらで新歓の飲み会にしては人数が少ないように感じる。
「あれ、今日はこれで全員ですか?」
「いや、新歓ライブ組が押してまだ合流してねぇんだよな。もうすぐ来ると思うけど。今いるのはそれ以外のメンバーと、アヴィーロと同じ飲み会から参加の新入生」
なるほど。
既にどの席も話に小さな花を咲かせていたが、よく見ると佇まいで誰が新入生かわかる気がする。いかにも気を遣ってる感が出ているから。
席の間を抜けて江藤先輩に誘導された座敷には先客がおり、奥の方に一組の男女が向かい合って座っていた。
先輩と思われる男性の言葉に合わせて、薄黄緑色のパーカーを着た女の子は手をたたいて笑っていた。
凄い色の服だな。
二人は俺たちに気付くと小さく歓迎の言葉を口にする。
挨拶を返しながら、促されるままに男性の隣に座ると江藤先輩もそのまま左隣に落ち着き、俺は二人の間に挟まる形となった。
向かいはボブヘアーの女の子一人。
なんで?
「どうも、市原健太郎、文学部の四年です。よろしく~」
やっぱり先輩か。
人数が揃っていないからか内容は簡素だった。
あと四年生が新歓に来ているのは珍しい気がする。
「俺は三年の江藤です。法学部です。そしてこいつが商学部一年のアヴィーロです」
次は俺の番だと構えていたら、江藤先輩はついでに俺の事も紹介した。
「よろしくアヴィーロ君」
「あ、Avieloさん? よろしくお願いします」
二人にそのまま受け入れられ、俺のターンは終了の雰囲気。
本名はまぁいいか。インパクトはあるし、名付け親の江藤先輩からアヴィーロを定着させたい的なパトスを感じる。
よろしくお願いします、とだけ言っておいた。
「いっちーさん、良い声でしょこいつ」
「めっちゃ思ったわそれ」
最近は褒めてもらえることが多かったけど、アカペラ人に言ってもらえるとなお嬉しい。
右前の女の子は、自分に人差し指を指し『次私ですよね』と確認をして、
「神楽萌美です。私も商学部、一年です、よろしくお願いします」
ん?
その名前には聞き覚えがあった。
ふとよぎる青い汗の匂い。
いやまさか。いやでも神楽なんて珍しい苗字で、同姓同名がいるとは思えない。
神楽萌美さんの顔を凝視する。
ぱっちり二重の大きな目、主張が控えめな鼻、薄い唇の隙間から綺麗に並んだ白い歯が覗いている。
脳裏をかすめる人物とは、見た目も雰囲気も大きく違っている気がした。
やっぱり別人か?
だがあれから五年程経った。女の子は高校からの数年で変わるというし、どうにか確かめなければと思った。
「え、神楽さん、日吉までは何線ですか?」
食い入るように質問を飛ばす俺を、先輩たちは「いくねぇ」と茶化す。羞恥心が熱を帯びるけども、今はそれどころじゃない。
中学の頃から住所が変わっていなければ、彼女の最寄り駅もJR常磐線の金町だ。なら俺と同じルートを通っているはずで、常磐線を明治神宮前で乗り換えてのメトロ副都心線が料金も安く早い。だが人によっては別ルートを通る可能性もあるか……。というか、この辺りの路線は別の会社が車両を融通する『相互直通運転』が多くて呼称が無駄にややこしいんだよな。俺もこの一か月でちゃんと伝えるのに苦労して、最後は「常磐線です」とだけ言うようになった。
ほら、目の前の神楽萌美さんも、なんて言うか悩んでいる様子。
聞き方を間違えたか?
もう最寄り駅を直接聞けばよかったかもしれない……。
いやダメだろ、初対面でそれは。キモいと思われるって。
「えと、日吉からは東急東横線で、そのあとはメトロ千代田線です」
東急東横線は途中からメトロ副都心線になるし、メトロ千代田線は綾瀬から北は常磐線になるから、要は俺と同じ通学路である。
やっぱり……。
ほぼ間違いない。彼女、『神楽萌美』は元カノだ。
萌美の方は俺には気付いていない様子だが。
俺も成長して雰囲気が変わったのか、ただ忘れられているだけか。
血管の脈圧が一つギアを上げた。
いやいい。気付いてないならそれで。俺と萌美は綺麗な終わり方をしていない。お互い認識してしまえばむしろ話しづらい。
それに萌美がレタスに入らないなら関係ないはず。というかこいつが慶豊に入れたのは意外でしかない。ノーマークだった。
俺としてはこの話題は流してほしいところだったが、コミュ力が高い江藤先輩に望まない形で拾い上げられてしまった。
「へぇ、萌美ちゃん東横と千代田線なんだ。アヴィーロと一緒じゃん」
よく憶えてるなぁぁぁ、江藤先輩。
え、そうなんだ、と目をぱちくりさせる萌美。
「Avieloさん、何駅なの?」
ぼかそうか?
いやダメだ、江藤先輩には言ってる。なんで隠したって余計にほじくられるかもしれない。
だったら隠さない方がマシか。
「一応、金町です」
「え、ほんとに? 私もだよすごい偶然!」
すごいね~偶然だね~。
こいつは間違いなく俺の知っている萌美で、沿線に引っ越したりもしていない。もう現住所その他まではっきりと分かる。
偶然の一致に沸く先輩たちは「運命じゃね」「同じ学校だったりするんじゃね」と囃し立てる。そうです同中、クラスメイトでしたよ。市原先輩大正解。
「あれ、アヴィーロ君ってあだ名? 本名なに?」
何か引っかかったようで目を細めながら聞いてくる萌美。
先輩たちはソレが本名だと思っていた天然ぶりに笑ってる中、俺はいよいよ名探偵に指名された犯人の気分だ。
「ニックネームですね。本名は藤元康宏です」
「ゔぇっ……」
彼女の顔が一瞬曇る。
さすがに気付いたらしい。
唇を舐めたあと「そうなんだー」とだけ言ってジュースを飲んで、その後は萌美も何も言わなかった。その代わりに含みのある視線を飛ばし合う。
——なんでここにいるの——
——こっちのセリフだ——
俺たちの沈黙を見て、江藤先輩はこれ以上話が広がらないと判断したのか話題を変えてくれた。
先輩たちに些細な変化を気取られないよう、俺も萌美も全力で乗っかる。
「ほんと、やっぱり家系は疲れたときに食べたくなりますよね!」
「すごい! 私もその『ラー博』ってところ、行ってみたいですぅ」
数分ほどラーメンの話をしていると、店の出入口からいかにも大学生らしい人がぞろぞろと入店してきた。ライブ組が到着したらしい。
助かった。
これでちょっと薄まる。
そう安堵したのも束の間、希望はむしろ信じられない形で裏切られることになった。
「お~い、真穂こっちだぞ」
江藤先輩が手を振り上げて呼び込むと、背の高くて髪が明るい女性が呼応した。
真穂?
隣の一回り小さい女の子の肩を捕まえて、そのまま引き連れやってくる。
その二人の顔を認識して、マッッッジで心臓止まるかと思った。
なんたって、
——元カノが元カノを連れてきてんだから——
そんなのあるか普通!?
念のため目をこすってみるが、間違いようがない。
元カノが二人、『日比谷真穂』と『柏山智誇』がそこにいた。
空いた口が塞がらない俺を他所に、日比谷先輩は江藤先輩に得物を紹介する。
智誇は捕食者に捕まった小動物のようにしおらしい。そんな猫被りの笑顔は初めて見た。
「洋一、有望株だよ。インカレなんだけど、経験者らしくてね」
でしょうねぇ!
高校のアカペラ部一緒だし、なんならバンドも組んでたし!
日比谷先輩に続いて智誇も空いている向かい側に腰を下ろす。小さく頭を下げて挨拶をかわすと、そこで初めて俺の顔を見たんだろうなぁ、智誇はコンマ数秒硬直し、日比谷先輩は目だけで二度見して、おどけるような表情をした。
滲む感情は楽の類。
サークルの新歓でたまたま元カレと再会したわ、笑う。帰ったらSNSに投稿しよ。ぐらいに思ってる顔だ。
そりゃあんたらはおもしろいで済むだろうよ。いいよな、畜生。
俺は未だに信じられん。信じたくもない。逃げ出そうにも両隣を先輩に挟まれていて動けない。クソ、嵌められた。