本大会に向けて
「大して上手くないんやでソイツ。テキトーなこと言いよってムカつくわほんまぁぁぁ」
練習終わりのある日の夜、スマホのスピーカーから智誇の怒声が音割れしていた。
今日は、某SNSで「あいつら(俺たちのこと)が本大会にいったのは実力じゃない」的な事を呟かれていたようで智誇は怒っていて、俺はその愚痴に付き合わされている。
「喉に龍殻散詰めたろかほんまに」
俺は笑い声で相槌を打つ。
智誇は、というより関西の人は、愚痴に共感してほしいというか言って笑ってスッキリしたいらしい。引っ越してしばらくしてから、俺はそう気が付いた。
彼らは昨日食べた飯の話のテンションで最近のムカついた話をして、そして笑いあう。
暗い空気にはならずカラっとしているのが、始めは違和感だった。
「つかどうやってお前の耳に入ったんだよそれ。他人から聞いた?」
「いや、そいつの裏垢」
「なんでフォローしてんだ。どんな仲なんだよ」
「新歓の頃に修文院のアカペラサークルで一緒になって、その流れやな。私が慶豊いってからはあんま会うこともないんやけどさ。あ、でも心理の講義だけは教室一緒になるかな」
「その人は甲子園出場してた?」
「投稿見てる感じしてたっぽいな。でも地区で落ちてるとかやと思うわ。うちからはどこも本大会出てないし。インカレとかしてるなら話は別やけど、せん言うてたし多分してない」
出演バンドの一覧に修文院大学の文字はなかった。
本選に出ないということは、どこかで落ちているということになる。
「ていうかなんで私らの実力知ってんねん、いつ見てんって話じゃない?」
「まぁ確かに。噂とか回ってんのかなぁ?」
アカペラ人である以上、どこが予選通過したとか、そういう話にはどうしたってなる。たぶんレタス以外のサークルも同じだろう。
「あいつらコネやぞ、実力ちゃうぞ、みたいに言われてんのかなぁ。テレビ局にコネなんかないわって話やん。なんか嫌やなぁ、変なこと言われてたら」
他のバンドに演奏を聞かれる機会なんてほぼなかった。特に俺たちは結成数か月だ。
あるとしたら地区予選の控室か、あるいは練習のときか……。
「レタスの人らはどうなんかな。もしサークルメンバーにそう思われてたら嫌やねんけど」
「そういう投稿に記憶はないけどな」
「ヤスヒロは誰かの裏垢フォローしてる?」
「いや、たぶんしてない」
「じゃあわからんやん。そういう文句は表では言わんやろ」
たしかにそうかもしれない。
「智誇はフォローしてないのか?」
「してないなぁ。大学入ってからはしてない。私そういう女女してるの嫌いやし」
「あぁ、そうだな。あれ、でもその愚痴ってたやつは裏垢フォローしてない?」
「これは知らんとフォロバしてもうてんて、そうなったら勝手にフォロー切られへんやんか」
笑いながら、俺は片隅で考えていた。
実際レタスの人達からはどう思われてるんだろう、と。
一覧に修文院大学が無かったように、慶豊大学の文字も一つしかなかった。
レタスのバンドもまた、俺達以外は全部落ちている。
相浦先輩の二年生バンドも、日比谷先輩のもう一つのバンドも、サークル内で本命だと言われていた市原さんの四年生バンドも。
何か言われていてもおかしくはないと思ってしまう。
俺たちが地区予選を通過したことは、もうレタスのみんなにも伝わっているだろう。
予想でしかないのはあれからまだ全体会に参加していないからだ。
もちろん耳が早い江藤先輩や会長から個々人でお祝いのラインが来ることはあったが、他の人はどうかわからない。
全員が選考の結果に納得しているだろうか。
より歴の長い自分たちが落ち、組んで間もない一年だらけのバンドが通過したという結果に。
実力もわかる距離にいるだけ、なおさら。
だけど今は、見られ方を気にしている余裕もない。
「まぁでも、俺はそれより新曲とテストがヤバくて、それどころじゃないわ」
「あー。まぁ。そうやなぁ……」
発表当日の時点で、甲子園の日までは一か月を切っていた。『アンコール』の練習も継続しないとなのに、日比谷先輩が数日前におろしてきた曲、スピッツの『楓』は難易度も上がっている。
その上七月下旬といえば前期テスト期間であり、収録日の日は狙ったかのようにテスト週間真っ只中。
ヤバいどころじゃない。
テスト当日は追試の申請を出すとして、アカペラの練習だけでなくレポート課題の消化やテスト勉強も同時に進めなければならないなんて。
動画審査の時と違って今度は合宿で詰め込むという事もできない。
技術も時間もカツカツだった。
生活、勉強、練習。それ以外はことごとくが削り取られていた。
バイト、第二回の同期食事会、サークルの全体会まで。
萌美、五十嵐の三人で飯に行く予定も当然流れた。
「テストほんまにヤバいわぁ。今になって授業いっぱいとったの響いてる最悪やぁ」
嘆く智誇の後ろからセミの鳴き声が聞こえてくる。
今日も壁ドンを食らったらしく、そうなると智誇は通話のために公園に出る。
自分の家で通話しているだけなのに隣人に怒られるというのは、傍から聞く分には笑い話だが本人はストレスだろう。
「あと三週間だし、頑張ろう。念願のアカペラ甲子園だしさ」
「せやなぁ……」
あと三週間……、もう、三週間。
夜練の後、晩飯は九時半とかになっていた。
練習前にあまりガッツリ食べてしまうと歌いづらくなるので、終わるまでは軽食で済ませている。
「なんかこの時間にご飯食べてると太りそうな気がしますね、ほんまに」
「智誇よ、マジで太るぞ。経験済みだ」
「その分歌うから大丈夫じゃねぇ?」
この日は英輔さんと、俺や智誇の一人暮らし(自炊めんどい)組の三人で定食チェーン店に来ていた。
「今日は奢るぜ」
いつも英輔さんはそう言ってくれるのだが、今回はちょっと。明日からも平日にはほぼ夜練が入るという似たような日々が待っていて、その度に奢ってもらうことになりそうで申し訳ない。それを伝えると「それもそうだな」と納得してらっしゃった。最終的には、本番が終わってから焼肉を奢ってもらうことでまとまった。
萌美は家族が待っているから、日比谷先輩は忙しいからということで帰っていった。
「今日の日比谷先輩、珍しく疲れてる感じでしたね」
「まぁな。本大会が決まってから急ピッチで新譜おろしたわけだしな。昨日も練習の後に楽譜修正してたっぽいし、あいつでも疲れんだろ」
少し化粧の濃かった先輩を思い出す。
「三日で新譜用意したのすごくないですか? 真穂先輩」
「無理したんだろうぜ。時間もねぇし」
「そうですねぇ……」
智誇がしみじみと呟く。
実際、俺が三日で選曲と採譜をやることになっても無理だし吐くだろうな。
先輩は「未完成でごめん」と言っていたけど、渡せる状態になっているだけで凄い。
ただ、
「もし今のクオリティで本番を迎えたらと思うとぞっとしますよね」
まだ数日ではあるけど。
「絶対嫌やなぁ。出場が決まって二日くらいはただテンション上がってたけど、楽譜貰ってから大学の授業落ち着いて聞かれへんもん。そわそわするわ」
「休みたくなるよな、ヤバすぎて」
今日のスペイン語の内容なんて全く覚えてない。
なんなら練習に時間を使えばよかったかもしれない。
「お前ら、講義だったら自主休講にもできるんじゃねぇ? 俺は実習だからマジで休めねぇよ」
英輔さんは首をがっくり落として嘆く。
「今は何の実習なんですか?」
「ハイブリッド車の整備だな、って前にも言ったっけか?」
「いや、どうでしたっけ。でも大変そうですね」
「体力的にな、ちょっと今日便所で寝そうになったわ」
英輔さんも体は疲れるようだった。
言わないけど、心労もあるだろうな。
「トイレからずっと帰ってこなかったら、日比谷先輩に殺されますよ」
「男子便所まで殺りに来そうだよなアイツなら」
「さすがに真穂先輩もそんなことしないでしょ~」
揃って軽口を叩いた。
少しだけ、気が楽になる。
笑いが一息ついたところで、
「明日の練習何時でしたっけ?」
智誇が先に返事をよこす。
「明日も夜練じゃなかった?」
そうだった。
明日は土曜日だが、俺の都合で夜練になったんだった。
頑張ろう。
「じゃあこの会も、また明日だな」
「ですね」
こうしてまた一日が終わっていく。
明日もきっと、同じように。
「先輩、なんか大変そうですね」
遅めの昼ご飯のお客さんも捌けきって一息付くと、謎に茅野に労われた。
シフトが一緒になるのは久しぶりだった。高校の期末テストがつい昨日終わったらしい。
それで今日からバイトとは、なにが彼を働かせるのか。
「なんで?」
「だって先輩、近く通ったらブンブン歌ってるんすもん」
無意識に練習してたらしい。
ヤバいな気を付けよう、人がいるときは特に。
茅野は「え、気付いてなかったんすか。ヤバいっすね」なんて軽く引いて見せた後、俺の反応でマジなやつだとみるや、一転して冗談めかした。
「あ、アカペラの決勝頑張ってくださいね。俺絶対放送見ますんで。牧原先輩にも言っといたんですけど応援してますって言ってましたよ」
「おう、がんばるわ」
下手なところは見せたくないよなぁ……。
茅野の期待の眼差しがまぶしい。
それこそ火傷しそうなぐらいに。
「英輔、シンバルの余韻をもう少し大事にしよう。智誇はあとでスキャットの発音のニュアンスを僕と合わせようか、ズレが気になるからね」
「萌美、十五小節の三拍目からのピッチが安定してないよ。周りの声をよく聞くんだ」
日比谷先輩の指導は日を追うごとに厳しいものとなっていった。
女性陣の楽譜にはメロディラインが曲の中で入れ替わるボーカルリレーが加わっており、特にアカペラ歴の浅い萌美は声質の切り替えに苦労している。
俺のベースラインは『アンコール』よりも音程の昇降が多くて、音程が出だしからハマらないことを何度も指摘されている。
さらには一人ずつ階段のように和音を積んでいく、ベルトーンが難しい。
後ろで束ねた髪の根元がピンクの角のように見えてくるが当然それを茶化せる雰囲気じゃない。
今日は萌美の喉の調子が悪く、昨晩に家族で辛いものを食べにいったと自供すれば、喉に負担のかかる事をするなと怒られていた。
少しずつ本領を見せてきた夏の暑さも焦燥に加担しているのかもしれない。
先輩に限らず、皆の表情にも焦りの色が滲んでいる。
間に合うのだろうか、と。
ひたすらに声を合わせ、聞こえ方の確認、修正を繰り返す。
皆が揃う時間は貴重だった。だから個人の仕上がりは個人練にほぼ委ねられている。
合唱して摘まみ上げた課題点を持ち帰り、自分の責任で仕上げてくる。
集まれる時間は合唱に使う。
雑談と休憩の時間は減った。
今日の三時間で取った休憩も給水時間だけだ。
時間が足りないのは事実なので誰も文句は言わない。
だけど疲労は勝手に蓄積する。
噴き出す汗が肌着にまばらな影を作った。
教室はエアコンが効いているはずなのに、体から熱が抜けない。
首元へ垂れる汗を拭った日比谷先輩が「じゃあもう一度」と言いかけて、机に置いたスマホが振動した。
着信だ……。
皆の注目が集まる。
日比谷先輩が電話しに行くなら、さすがにその間は休むしかない。
そんな言い訳と期待を含んだ目をして。
しかし日比谷先輩は着信相手を確認すると画面をワンタッチ、そのまま元に戻した。
「ごめんごめん。じゃあもう一回Bのところから始めよう」
はぁ、休憩、十秒か……。
大粒の雨が列車内にまで入り込み、ストレス値が跳ね上がる火曜日。
夏本番のザーザー降りの雨が窓や車体を叩く音が、イヤホンを貫通して鼓膜に響く。
どうしてだか大学という機関は、大雨警報では休講にしてくれないようだ。
警報の意味を知らないのか。
溜息をついて、イヤホンの音量を上げる。
ふと外した目線の先、一つ後方のドア前に萌美を見つけた。
普段ならだからといって干渉したりしないのだが、どうしてか今日は話しかけたくなった。
寄っていっても気付かないので、右肩を叩くと萌美はゆっくり振り向き、
「おぉぅ、フジモトか……。あー、びっくりした」
ぶら下がっていたイヤホンを外し、ポケットにしまい込む。
「なに聞いてた?」
「あー、今やってる曲。音程とか覚え込まなきゃって。時間ないし」
雨音がうるさいのでつい大きい声が出ている。
「俺も同じことしてるわ」
だよねー、と萌美は力なく笑った。
「ねぇ、間に合うかな? 私、今回コーラスもやることになってさ、すっごい不安」
「ごめんね。足引っ張って」
バンドのことなんだから、足を引っ張るとかそういうことじゃないと思うけど。
存外萌美は責任を感じているらしかった。
「いや俺も全然だぞ。まぁ、間に合わせるしかないよな……」
「うん……」
かすかな同意が返ってくる。
アカペラの話は気が重くなるので適当に話題を変えてみる。
「そういえば、テストの振替申請した? 本大会の日の」
「あ、まだしてない。来週までだよね、あぶな……。私ヤバいなぁ」
両手で頬を抑える萌美。
図らずも留年の危機を救ってしまったらしい。
「というかテスト勉強どう? 進んでる?」
「んー、まぁぼちぼち。萌美は?」
「私さぁ、テストもやばいの。ほんと。どうしよう……。微積とか全然分かんない」
逸らしたつもりだったのに結局ヤバい話にいきついてしまうという。
「まぁ大学になってからめっちゃレベル上がったよな」
「それ以前なの。高校の数学からもう全然ダメで、数学嫌いだから文系の学部入ったのに、数学必修なんて最悪。聞いてないよ。アカペラの練習もしなきゃなのに、間に合う気がしない。他の授業のレポートもあるのに、ヤバい誰か助けてほしいほんとに」
積み重なった不安は濁流となって堰を切った。
今月末まではずっとこのプレッシャーと戦わなければならない。
それまで萌美のメンタルがもってくれればいいけど。
俺も他人事ではない。
状況は同じなんだから。
早く曲の完成度が上がって勉強も進んで、もう大丈夫だってところまでいけば、精神的に少し余裕が生まれる。
だから早く、早く。
結果を急ぐ心が不安にスポットを当てる。
この日の練習も、満足な手応えは得られなかった。
本大会までついに十日ほどとなった金曜日。
今日は朝からどっちつかずの曇天が続いていた。日が沈みだしても変わらず蒸し暑い空気が滞留している。
平日の夜練は、空のガソリンタンクで無理やりエンジンを動かすような感覚になる。
今日の練習も残り一時間というところで、日比谷先輩が休憩を宣言した。
水を飲みに英輔さんとスタジオのロビーへ出る。女性陣はブースに残ったままだ。コーラスで話すことがあるらしい。
曲の完成度は着実に高まっていた。
だがまだ不十分だ。
安定感が足りない。
表現力が足りない。
統一感が足りない……。
前に進めば進むほど課題点はより細かいものになっていき、それを乗り越えるのに多大な労力を消費する。
努力に対して達成感を得られない、酸欠のような閉塞感があった。
全国へ放映される、大勢に見られるのが決まっているから、地区予選に向けた練習とは全く心持ちが違う。
喜や楽もあまりない。
刻々と減る残り時間と頑張っても生まれてこない自信は、大学受験の直前のようだった。
「いやぁ、疲れるねぇ。ずっとこれやってると息が詰まっちまうなぁ」
「仕方ないですよ、時間ないですし。二曲もやらないとですし……」
二人して座椅子にへたり込み、水をあおる。
英輔さんもここしばらくは難しい顔をすることが増えていた。学校と連日の練習で、古川先輩とも会えていないらしい。
ふと雨のにおいがする。
窓の外が一瞬光り、少し遅れて地鳴りのような音が続く。外は黒い雲を透かした灰色に染まりだす。
天気が崩れてきた。
背筋を震わす、嫌な感じだ。
廊下を急いだ足音が響いた。
「どうしよう。もえちゃんが、先輩が……」
声を震わせ狼狽える智誇。動揺が伝染する。
何かあったと察し急いで13号室へ戻ると、中には座り込み泣きじゃくる萌美とそれをものすごい剣幕で睨みつける日比谷先輩の姿が。
萌美のえずく声が耳をつく。
「なにがあったんですか」
「おい、真穂何があったか言えよ」
英輔さんが追及するとようやく先輩は口を開いた。
「萌美が甲子園に出るのをやめるとか無責任なことを言いだすから」
明確な怒気がこもっていた。
萌美はタオルで顔を隠したまま反論する。
「グス……違うもん。もう嫌だっていっただけです」
火に油だった。
先輩は見下ろす格好のまま目を吊り上げる。
「なにが違うんだ! それが無責任だって言ってるんじゃないか!」
「だって先輩が話も聞いてくれないから!」
再びヒートアップする二人。
俺たちの制止は届かない。
「私ばっかりあれがダメだ、これがダメだって言うんだ。私ばっかり」
「君だけじゃないし、君ができていないからだよ。他になんて言えばいいんだ! だったらそのまま本番を迎えて恥をかくといい!」
「だいたい先輩はいっつも無理やり予定決めて。振り回して。いいですよね先輩はそれでうまくいくんですから」
「それは今関係ないじゃないか。それが子供だって言ってるんだ」
「どーせ私のせいで負けるし私のせいでみんな恥をかきます。全部私が悪いんですよ」
いよいよ自棄になり、萌美はため込んできた鬱憤を爆発させた。
「アカペラなんてやらなきゃよかった。大会にも出なきゃよかった!」
ゴッと鈍い音がした。
突然、日比谷先輩は萌美の胸倉を掴み、頭突きを食らわせたのだ。
俺たちは慌てて日比谷先輩を引っぺがす。
もがく先輩を三人がかりでなんとか抑え込んだ。
萌美は額を庇いうずくまっていたが、歯を食いしばり先輩を睨むと、
「分からず屋! 全否定婆!」
「おい!!」
鞄を掴み上げて出て行ってしまった。
跡には投げ捨てられたタオルと飲みかけのペットボトルが残された。
智誇が後を追いかける。
部屋には一転して静寂が流れた。
呆然と立ち尽くすしかなかった。
先輩に「もう離してよ」と言われて、我に返る。
欠落した冷たい空洞が胸の内に広がっていく。
喪失感で何も考えられなかった。
「ごめん。今日はもう、帰ろうか」
何も言えないでいると、落ち着きを取り戻した先輩がそう告げた。
当然、練習が続けられるはずもなかった。
結局、最後まで日比谷先輩はごめんと繰り返すばかりで他には何も言わなかった。
だから事のいきさつは全て智誇から聞いた。
涙目でうなだれる智誇を慰めるのには少し時間がかかったが、おかげで俺も平静を取り戻すことができた。
休憩になってすぐ、日比谷先輩は萌美のミスを指摘した。いつものことだが、そのミスが毎回で言われている箇所で、「いつになったら」と先輩の言い方もきつくなっていたらしい。いつもは素直に従っている萌美だが今日は意見をした。先輩も始めは冷静に説明をしていたものの、やがて説教のようにまくしたて、萌美が逆上し言い合いになった、と。
なだめるので手いっぱいだった智誇は、二人が何を言い争っていたかまでは覚えていなかった。
何が原因だったんだろうな、実際のところ。
先輩は、「『甲子園に出るのをやめる』と言ったからだ」と言い、しかし萌美はそれを否定していた。
あの感じだと萌美は勢いで似たようなことを言ったような気がするけど……。
真偽や責任の所在なんかより、これからどうするかを考えなければならない。
解散した後、渋谷駅の改札に残って智誇と英輔さんと話し合った。
日比谷先輩は、自分から関係を修復しようとしなそうだ、というのが俺と英輔さんの共通の見解だった。
合わない人間は切るし、非がないと言い出したら譲らない。
彼女はそういうタイプだ。
萌美の方はどうだろうな。意見を求められたけど中学の頃しか知らないのでろくなことは言えなかった。
俺との例で言うと、フェードアウトもあり得るのか。
一時のいざこざで終わればいいけど。
最悪なのはこのまま空中分解することだ。
そして時間で解決するのを待つ余裕はない。
「このまま終わるのは絶対ちゃう! 絶対嫌やで私」
俺だってそうだ。
「ここまで頑張ってきたやんか」
震えた声で訴える智誇の言葉が、頭の中を反響する。
アカペラ甲子園の本番はすぐそこまで近づいている。
このまま棄権なんてありえない。
一刻も早く二人を和解に導かなくてはならない。
英輔さんは「こんなときは元カレの出番だろ」と言った。
そうかもしれない。
そうであってほしいと、思った。
二人を繋ぎとめる。その役割は俺に託された。




