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合宿明けに、また合宿①

 日比谷先輩の発案で合宿が行われることになった。


 一次予選の映像審査の応募期限は今月の二十五日。通過を目指すなら時間がない。つまり詰め込み練習をするしかないという結論は、全員が共有していた。

『アカペラ甲子園』の一次予選は、本番と同じ一分三十秒分のパフォーマンスを動画にして提出するというものだ。

 合格したバンドは全国数ヶ所で行われる地区予選に進み、地区予選を勝ち抜いてやっとテレビで放映される本大会に出場することができる。

 一次予選の通過率は約五割だという。

 だが現在の俺たちは落選候補筆頭である。それこそ通過率が九割五分でも落ちるくらいに。

 これまでの大会へ応募された動画はYourtubeにアップロードされているのでそれを見ると、応募にあたって動画の形式にはほぼ制限がなさそうだ。過去のライブ映像を用いたものや、スタジオでの一発撮り、メンバーをそれぞれ別撮りして合わせたものと多種多様で、中にはミュージックビデオ風のもあったと以前の放送の中で聞いたことがある。

『アカペラ甲子園』に照準を合わせて活動していたバンドの中には、既に収録されたベストなパフォーマンスのものを編集し準備し終わっているバンドもあるだろう。実際、日比谷先輩がもう一つ参加しているというバンドの動画は先月の、募集が始まったその日に応募が完了したらしい。

 俺たちは今からそれをやる。

 それも組んで数日のバンドで、ブランク一年のベースと、初心者のボーカルを抱えてだ。

 不安しかない。

 そういうわけで明日の水曜日から五日間練習をして来週の月曜日には動画の撮影を行うという、過密スケジュールの合宿が敢行されることに。

 授業のある平日は基本サボり(マジで出ないといけないの以外)、バイトのシフトも後輩に急遽頼み込んで交代してもらった(焼肉を奢るという約束で)。

 そうまでする理由は憧れだ。

 アカペラ人にとって一番身近で、一番日の目を浴びる場所が『アカペラ甲子園』だから。

 それが最後とあっては背に腹は代えられない。

 遅くまで実習がある与田先輩は基本土日のみの参加となりそうだが、残りのメンバーは何も言わなかった。皆なんとかして予定を空けたに違いない。

 急な話だけど、やれるだけやるしかない。





 五月十八日、練習合宿初日。

 正午を過ぎると、メンバーはぞくぞくと合宿場所である俺の家にやってきた。

 場所はどうするって話になったとき、智誇の「康宏君は一軒家で一人暮らしをしています」という告げ口により、そのまま決定された。

 与田先輩が来るまでの三日間は女子三人と一つ屋根の下ということになる。

 これに関しては仕方がないんだ。数日間もどこか別の場所を借り続けるとお金がかかるし、って俺は誰に言い訳しているんだろう。

 家が近所の萌美は、「練習だけ来ますから」と最後まで渋っていたものの女子二人の説得と、そして今回の件に言い出しっぺの責任を感じたのか最終的に折れていた。

 先に来た萌美と智誇に、今朝必死で掃除した家の中を案内する。

 入ってすぐがリビング、トイレはキッチン前の扉。そんで洗面所と風呂がここ。着替えの入った鞄などは二階の和室に置いてくれ、広さ的に三人ここで寝てもらう事になると思う。俺は向かいの自分の部屋で寝るから。奥の扉は姉の部屋だから入るのはNG、などなど。

「やぁやぁお待たせしたね」

 他の二人が小さい鞄に最低限にものだけを詰めてきた中、一人クソデカキャリーケースの先輩。

 リビングでおもむろに中身を広げると中からは着替えやノートパソコンの他に、はちみつ、ルイボスティーのパックやら加湿器やらが出てきた。

 なんでそんな物を……。

「す、すごい気合入ってますね」

 たじろぐ智誇。

「おぉぅ……」

 萌美は食卓に座りながら目を丸くしてソレを眺めていた。

 玄関に女物の靴が三つ並んで、馴染みのない生活用品が散らばり、他人の匂いが充満して、一気に自分の家感が無くなったところで、

「さて、練習を始めようか」

 日比谷先輩は満面の笑顔を作った。



 練習は日が落ちるまで続いた。

 時刻でいうと十九時は過ぎた。

 初めに俺たちが動画審査に出す曲の楽譜は配られたものの、マジで一度しか通してない。晩御飯になるまでずっと基礎練に終始した。あぁ、喉がだるーい……。

 もともと俺は、基礎練が好きな方ではなかった。四部音符を打ち続けたり全音符で伸ばしたりと、淡々としたフレーズを繰り返すのが楽しくないからだ。

 だが今日はそんな雑念を抱く余裕はなかった。

 日比谷先輩はめっちゃ厳しい。

 各人の音域の確認に始まって、ロングトーンで発声の指導を受けながら一音ずつ音程を確認し、スタッカートやテヌートなどアーティキュレーションのニュアンスを統一して、えっと……それから、ようやく和音をハモる練習に入ったのだった。

 この時点で既に日は傾き始めていたのだが、そのあとも応募用の曲の一部を使い延々と基礎技術を磨いた。

 一向にムチを振るう手を緩めようとしない先輩に、俺たちは少しずつ考えを察していった。


——この人まさか、一日で基礎を詰め込もうとしてる!?——


「全員、発声がなってない!」

「「「「はいぃぃぃ」」」」

「康宏、『G2』あたりから下の音になると、入りの音程が安定しないし響きも薄くなってるよ。あと離れた音に飛ぶときにはやっぱり音程ズレやすくなるからしっかり着地するように。特に五度の変化だけはしっかりとれるようにね。あとコード感をもっと意識してほしいな」

「はい。すみません」

「智誇は裏声の時はもっと鼻腔を響かせよう。地声とつなげたときにかなり弱くなってしまうからね。マルカートの音の切り方が急すぎるかな、それじゃちょっと長いスタッカートだよ。もっと響きを丸くしよう」

「は、はい!」

「萌美、君は旋律を歌う時にしゃくりあげる癖があるみたいだ。他では良いけどアカペラでは意図的に制御してもらわないと、和音が綺麗に鳴らなくなるからね。それと繰り返しになるけど、基本的に音符の頭から音程のある声を出すことを意識してほしい。気を付けて」

「あぅ……わかりました」

 唯一、取り巻く空気が緩んだのは先輩がお花を摘みにいったときだった。

 三人揃って、穴があいた風船のように気を吐き出す。

「もう疲れたよぉ……」

「めっちゃしんどいやん……先輩高校の時もこんなんやったん?」

「いや違う。俺も誰だこの人って思ってる……」



 食卓を囲む俺たちの口数は少なかった。

 とはいえ決して気まずいわけではなく、純粋に疲労からだ。

 会話は最低限で、

「ちょっとお茶取ってや」

「ん」

 この程度である。

 とにかく喉に負担をかけたくなかった。

 だって明日もあるし。

 というか今日はまだ初日で、あと五日くらいあるわけですし。ずっと歌うし。

明日からはさすがに曲の練習に入るんだろうなとかぼんやりと考えていたところ、先輩はまた当たり前のように呟いた。

「スキャットの発音と口の開き方をまとめるのは、どうしようか」

 まだあるのか……。

 萌美も智誇も絶句してホワイトシチューを掬う手が止まる。

 室内には日比谷先輩がスプーンを進める音だけが聞こえていた。


 一番風呂は俺だそうだ。

「そりゃあ、家主である君が最初に入るべきじゃないかな」

「一番風呂は肌に良くないらしいしな、てことでヤスヒロ、頼んだで」

 智誇の一言は余計なことこの上ない。しかしまぁ、久しぶりに湯船を張った気がする。体から疲労が溶けていくようだ。意外といいもんだな。シャワーだけじゃなくて、たまには溜めてみようか。

 女子たちはリビングでテレビを見ているようで、スピーカーからの音に混じって時折笑い声が聞こえてくる。

 オンオフはっきりさせるのが日比谷流なのだそう。


 寝室はもちろん別々だ。押し入れから出してきた布団を敷いて三人を二階の和室に押し込む。そして俺は自室に引っ込むのだが、

「僕たちが魅力的だからって、夜這いはダメだよ? 通報するからね」

「入ってきたらどつくで」

 その言葉を最後に和室のふすまは閉められた。

 和室はもう俺ん家ではないらしい。治外法権だ。



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