第89話 オルタナの新領主
新章スタートです。
SIDE:しがない中年貴族
私の名はタルボット。
ラインハルト国王陛下からオルタナの統治を任された子爵です。
この土地に来てから早三年。
就任した当初は夜空に上がった赤い月の情報を封殺しろとか無茶振りされて東奔西走したものですが……その時の頑張りがあったおかげでオルタナの騎士たちから認められて、今では地味だけど事務仕事が得意な代官としてこの地に定住することを許されています。
いや、ほんと……受け入れてもらえてよかった……。
最初は悪さをするのではないかと監視されていたみたいだけれど……この地に流れる膨大な資金の着服とか考えず、真面目に働いてきたのは大正解だった……。
『もしもお前さんが悪さをしたら、馬に繋いで四肢を引き裂こうと思っていたんだ』と、オルタナ要塞で働く騎士様に言われた冗談を、私は決して忘れないだろう。
おそらくあの目は本気だったから……。
そして今日もここ三年で学んだ処世術を活かしてエストランド領方面で起こった地揺れや魔力波の隠蔽工作を行っていると、
――トントン。
「は~い?」
代官用の執務室の扉をノックしてオルタナの騎士様が入室してきました。
「タルの旦那、エストランド領から手紙が届いてるぜ?」
「ああ、ありがとうございます。ドノバン卿」
騎士たちのまとめ役であるドノバン卿にお礼を言ってエストランド領からの手紙を受け取ると、私はすぐにペーパーナイフを走らせて封を切ります。
彼はエストランド領から届いた手紙の内容が気になってソワソワしている様子ですから、ここは目の前で中身を確認してあげたほうが良好な関係を築けるでしょう。
私の実質的な上司であるメルキオル様はできる御方ですから、本当に重要な指示は手紙で送ったりしないため、ここは騎士たちから信頼を得るために利用させてもらいます。
「ほうっ! これはこれはっ!」
いきなり手紙を見せるのも不用心だと思われそうなので、あえてドノバン卿から見えないようにして大げさに感嘆の声をあげます。
「なんだ!? なにが書かれていたんだ!?」
憧れの戦士たちが住む土地の情報に、すぐさまドノバン卿は食いついてきて、私は焦らすことなく手紙の内容を教えてあげました。
「どうやらエストランド領で一〇歳を迎える子供が現れたみたいですよ? この手紙はパーティーへの招待状でした」
「っ!? なんだって!?」
子供が生まれて一〇年が経ったところで祝祭を開くのはミストリア王国の恒例行事ですから、きっとエストランド領でも盛大にお祝いが開催されるのでしょう。
おそらく私が呼ばれたのはオルタナの街に定着したことで正式に代官として認められ、新しいお子様との顔合わせが行われるのかもしれません。
「不老種の子供ですか……いやぁ、実におめでたいことですねぇ」
あの家は秘密主義な吸血鬼の家系のせいか、誰の子供が無事に成長したのかまでは書かれていませんでしたが、それでもエストランド家を神と崇めるドノバン卿は喜び勇んで執務室の外へと飛び出して行きました。
「こ、こうしちゃいられねぇっ! それならオルタナの街でも盛大に祭りをやらねえとっ!」
……手紙の内容を教えたのは少し失敗だったかもしれませんが、経済が活性化するのは悪いことではありませんので、要塞の食料庫を開放する準備を整えておきましょう。
「ふぅ…………」
そして勢いよく執務室の扉が閉められたのを確認した私は、あらかじめ仕込んでおいた『条件』に従って、自分の身体を遺伝子から組み替えます。
視界に映っていた『スーツを押し上げる小太りのお腹』が『侍女の衣装に包まれた豊かな双丘』へと変化して、私の口から女の声が出ました。
「……ようやくこの時が来ましたか」
ミストリア王国に潜ませていた分体を消費してしまったのは痛いですが、一〇歳になった子供には教育者を付けるのが我ら吸血鬼の習わし……。
あの土地に生まれた特殊な子供のことを、私はずっと狙っていたのです。
潜伏を終えて正体を現した私は、ひとつ大きく伸びをしてから部屋の隅にある闇へと話しかけます。
「あー……確かメアリーとか言いましたか? ちょっと伝言を頼まれてくれません?」
こちらは【神古紀】から侍女として働いているのです。
生まれて百年も経ってないような眷属に遅れを取るほど軟弱な鍛え方はしていません。
自前の白髪をクルクルしながら私の監視者に視線を向けると、影の中から慎重に赤い人型がせり上がってきました。
「……はじめまして、と言ったほうがよろしいのでしょうか?」
こちらを警戒して【魔眼】や【狂乱の声】を発する新米に、私は全てを跳ね除けながら微笑みを返します。
「いやですね、かれこれ四年以上も顔を突き合わせているのですから、そこは顔見知りとして扱ってくださいよ」
あ、いえ……エストランド領でこの子に捕まった行商人のひとりも私でしたから……かれこれ六年以上になるのでしょうか?
とにかく私がタルボットになる前から監視網を張り巡らせていたことを告げると、ずっと欺かれていたことに苦々しい顔をしたメアリーちゃんは、赤い体表から魔眼を引っ込めて呟きました。
「驚きました……【吸血鬼】の中には日光を克服した個体もいるのですね?」
「ええ、あなたの主人と同じようにね?」
しれっ、と情報操作を試みる新種のスライムに、私は『全て』を把握していることを教えてあげます。
正確に言えば私は日光を克服しているわけではないのですが、相手に誤情報を与えるのは職業上のクセのようなものですから、あえて訂正することはしませんでした。
私が格上であることを悟った賢い幼子は、こちらに最大限の警戒を向けながら、赤いスカートを摘まんでお辞儀します。
「かしこまりました……伝言をお預かりいたします」
ふむ、上位者に無駄に逆らわない点は好感が持てます。
これ以上ウダウダ言うようなら軽くボコそうと思っていましたが、この子はその気配を敏感に察知したのでしょう。
エストランド領にいる弟子の教育に満足した私は、優秀な孫弟子へと指示を与えます。
「――【先見】のラウラとメルキオルに伝えてください。近々お子さんの教育のことで話し合いに行く、と」
主に教育者の選定について、彼らとはじっくり話し合わなければなりません。
メルキオルは私の部下ではないけれど、【公爵級】からの命令は無視できないはずです。
なによりあの青二才は我らが主から与えられた『救世剣の捜索』という依頼を達成しておきながら報告せずに隠しているのですから、今こそその弱みを攻めて攻めて攻めまくる時でした。
「……お名前をいただいても?」
きっちりこちらの情報を引き出そうとしてくる孫弟子に、私は快く名乗ってあげます。
「――ルガットです。あなたも侍女の端くれならば、【転変】のルガットの名前くらいは覚えておきましょうね?」
偉大なる吸血鬼の始祖のひとり――【鮮血皇女】様の筆頭眷属である私こそ、世界最高の侍女なのですから。
そして大人しく影へと消えていく孫弟子ちゃんを見送って、私は北の空へと視線を移します。
メアリーという眷属の潜在能力を目の当たりにして、私は特殊な年若い吸血鬼への評価を大きく上方修正していました。
「エストランド家のノエル……私の弟子になったら何から仕込みましょう?」
まずはやる気が出るように同年代の美少女にでも化けてあげようかしら?
あの特殊な子供のことはメルキオルを除けばこの国にいる吸血鬼たちの中でも私しかその情報を知りません。
というか、そうなるように私が情報操作をしてきました。
生まれてすぐ日光を克服する異常な成長速度に、金と蒼の神眼持ち。
おまけに創世神の呪いに対する完全耐性持ちだなんて……少し考えただけでも彼が今後の裏世界で大きな権力を持つことは容易に想像できます。
それこそあの子供の存在を知られれば、上位の吸血鬼たちがこぞって彼を配下にしようと動き出すことでしょう。
血みどろの吸血鬼社会の中で自らの派閥の力を高めるために……。
「仲間も才能豊かな者たちが揃っているみたいですし……他の公爵どもに見つかる前に手を打ててよかった……」
最も警戒するべきはメルキオルの寄り親であるバイロンですが、なによりも家族を大切にするメルキオルは、他の吸血鬼たちに次男のことを伝えていないのです。
勧誘レースを独走している現状に、私はニマニマしながら策を練りあげます。
頭の回転が早いメルキオルならば私に弱みを握られたことを理解しているはずですから、あとはそれを上手く交渉材料にすれば、私の派閥に才能豊かな吸血鬼の子供を迎えることができるでしょう。
「クフフフフッ……」
新たな弟子を取るなんて何百年ぶりだったかしら?
皇女様の筆頭眷属を騙る他の公爵たちを出し抜けそうなことに、自然と笑いが溢れてきます。
異界の落とし子――ノエル・エストランド。
私たち吸血鬼の世界にその名が広まったとき、どのような波乱が巻き起こるのか……主人に似て戦いを好む私は楽しみで仕方がありませんでした。