閑話 リドリーの新業務 ②
SIDE:リドリー
秋が過ぎて雪が降りはじめた今日このごろ。
地獄の修行を終えて穏やかな日常を取り戻した私は、坊ちゃまから与えられた新しい仕事をこなすためにゴリアテちゃんの地下貯水池へとやってきました。
どこからともなく湧いてくる聖水で満たされたこの場所は、騎士の皆様が集めた【創世神の血】の一時保管庫として使われていて、そこに集められた【血】を定期的に回収するのが私の新しいお仕事です。
以前はセレスさんやイザベラさんから似たような怪しい仕事をやらされていましたが、新しいこの仕事には危険も犯罪臭もないので私としては大歓迎でした。
「はぁ…………」
まあ、唯一の懸念点をあげるとするならば……仕事の報酬として坊ちゃまが「ここにある聖水、ぜんぶリドリーにあげるね!」とか言っていることですが……近くの大部屋にある大量の金貨も、売るだけで人生一万回くらい遊んで暮らせそうな聖水も、ぜんぶ坊ちゃまの物なので私には関係ありません。
そして私が巨万の富から現実逃避しながら神聖結界をくぐり抜け、聖水のプールの中心に作られた舞台に足を踏み入れると、結界の片隅でアイリス様とエスメラルダさんがしゃがんでコソコソしていました。
……結界の点検でもしているのでしょうか?
と、私は気配を消して二人の会話に耳を傾けます。
「……組織内の情報操作は上手くいっているかしら?」
「……おそらくハンクとアーウィンあたりは彼が本物の【担い手】だと気づいているだろうが……やつらは協力者にしてしまったほうがやりやすいだろう」
「……偽の噂を流させて誰が本物なのかわからなくするのね?」
「……うむ、敵を騙すにはまず味方からと言うからな。世にいる【神格者】どもはどのような力を持っているかわからないから、主を守るためにも万全を期すべきだ」
……なにやら二人は怪しい会話をしていたので、私は聞かなかったことにして仕事を終わらせることにしました。
この結界の中は呪詛の密度が濃いとかで、坊ちゃまと私とアイリス様とエスメラルダさんしか入れないため、内緒話をするのにちょうどよかったのでしょう。
私が空間収納に物を回収すると結界内の呪詛が一気に薄まって、それに気づいた二人が、ハッ、として振り返ります。
「……血の回収に来ただけですので、お構いなく~」
そそくさと私が立ち去ろうとすると、しかし二人は高速で動いてエスメラルダさんが私の肩を、アイリス様が私の足へと抱き着いてきました。
「まあ待て、リドルリーナ」
ボインッ、と巨大なお胸が押し付けられて、私は悲しい気持ちになります。
「……その名前で呼ぶのやめてください」
古傷まで抉られて私はエスメラルダさんを引き剥がそうとしますが、牛人族の恵体を持つ女騎士さんは、少し力を込めたくらいではビクともしません。
アイリス様が【創世神の血】を回収するために雇ったエスメラルダさんは、元聖光騎士団・隊長という異色の経歴を持った強者でした。
……なんでそんな人を子供の遊びで雇っているんですかね?
地獄の修行のおかげで純粋な腕力には自信のあった私がさらなる自己鍛錬の必要性について考えていると、足に抱き着いてきたアイリス様が上目遣いでかわいい顔を作っておねだりモードになります。
「あのねリドリー……私、どうしてもあなたにお願いしたいことがあって……」
女神の【先祖返り】が全力で行うおねだりは抜群の破壊力を持っていて……【仙理闘法】で二人を投げ飛ばそうと思っていた私の行動が中断させられました。
「…………聞きましょう」
仕方なく子供のおねだりに耳を傾けると、アイリス様は小動物みたいに私のお腹に顔を擦りつけ、全力で甘えながら猫なで声を出してきます。
「アイリスぅ……ノエルのためにもっと血を回収したいんだけどぉ……邪術使いを倒すためにはエスメラルダだけだと戦力が足りないのぉ……」
「自分で戦えばいいじゃないですか」
おそらくアリアさんから教わった『おねだり』を発動するアイリス様ですが、それは大人の女性が男性に対してやるから効果的なのであって、私には効果がいまひとつでした。
「むぅ……私の力はエスメラルダと性質が似ているから、安全に『狩り』をするためには別系統の力を持った強者が必要なのよ!」
プクッ、とほっぺたを膨らませるアイリス様がかわいくて、私は仕事の依頼を断ったことに若干の罪悪感を抱きます。
しかし邪術使いから【創世神の血】を回収するということは以前にオルタナで対峙したロドリゲスさんみたいな方々と戦うということで……邪神とかが湧き出てきそうな気配を賢い小動物獣人である私は敏感に察知していました。
すみません、アイリス様。
「私は強者ではなく、か弱い女の子ですから、そのような人たちとは怖くて戦えないのです」
そしてヌルリと二人の拘束から抜け出して歩き去ろうとする私へと、今度はエスメラルダさんが声をかけてきます。
「ところで、ここに我ら牛人族に伝わる【秘伝の薬】があるのだが……」
その言葉には女の子なら決して抗えない魅力的な響きがあって……私の意識は即座に巨大な胸の谷間から取り出された薬瓶に引き寄せられました。
「……何人くらいボコせばいいのですか?」
アイリス様もエスメラルダさんの体をよじ登って薬瓶を手に入れようとしていますが、その秘薬は私の物です。
戦士の顔で笑ったエスメラルダさんが薬瓶を胸の中へと戻し、私に向けて人差し指を立ててきます。
「邪術使いひとりにつき一本、邪神なら三本でどうだ?」
アイリス様がエスメラルダさんの谷間に手を突っ込んで薬瓶を探りますが、あまりにも谷間が深すぎるせいで見つからなかったらしく、この世の不思議に困惑していました。
「……え? これって新手の空間収納?」
つまりは秘薬を手に入れるためには、邪術使いか邪神を狩るしかないということ……。
「ちなみに、この秘薬は継続して飲まないと効果が薄い」
なるほど……狩り尽くせばいいんですね?
そして悪の殲滅を心に誓った私はエスメラルダさんの前まで歩みよって、ガシッ、と熱い握手を交わします。
「今日から共に戦いましょうっ! 他ならぬ世界平和のためにっ!」
邪術使いと邪神は世界の害悪ですから、この世に生きる者として駆逐するのは当然の責務でした。
そんな私の正義の心に感化されたのか、エスメラルダさんは胸の谷間から薬瓶を取り出して再び握手をしてくださいます。
「うむ! 命がけの任務になると思うが……よろしく頼むぞ、総帥!」
平和の象徴である小瓶を空間収納へと大切に仕舞いながら、私はその呼称に首を傾げます。
「…………総帥?」
私と同じようにエスメラルダさんも首を傾げて、
「ん?【新月教団】のトップはリドルリーナ・エミル・ミストリアだと聞いていたのだが……これも情報操作の一環だったのか、アイリス?」
コソコソと地下室から逃げ出そうとするアイリス様の姿に、私は自分に与えられた新業務が血の回収だけではなかったことを察しました。
「なるほど……それなら破格の報酬が与えられるのも納得です……」
新月教団のトップならば、組織の敷地内を流れる聖水が所有物となるのは道理でした。
そして新たな子供のイタズラに気づいた私は、怒りで世界が朱く染まるのを感じながら、扉をくぐろうとしているアイリス様を捕獲対象として定めます。
私の視線を感じたイタズラっ子は涙目で振り返って言い訳をしました。
「ちがうの……強くて謎めいたリドルリーナ様には、偉そうな肩書きがあったほうがそれっぽいと思っただけなの……」
……どうやらキツめの粛清が必要みたいですね?