閑話 暗黒騎士と隠し子
SIDE:とある軽薄な暗黒騎士
邪悪な怪物に捕らえられ、苦痛と絶望に満ちた拷問の日々を覚悟していた俺は、柔らかく清潔なシーツの上で目を覚ました。
黒い天井と壁に囲まれた超豪華な個室には大きなテラス付きのガラス窓があり、俺がベッドから起き上がったのに合わせて面倒見のいい人形たちがカーテンを開けてくれる。
差し込む朝日に目を細めて窓の外を眺めれば、見事な雲海の下に整然と並ぶ城下街と、遠くで水面を輝かせる巨大湖が見えて、その美しい光景に思わず俺は感嘆の息を漏らした。
モキュッ!
そうしているうちに人形たちがタライに温めた聖水を用意してくれて、その贅沢すぎるお湯で顔を洗うと、神聖気と相性の良い肉体が活性化して清々しい気分になる。
「ありがとう」
自然にお礼を言ってテラスに出された丸テーブルの椅子に腰掛けると、人形たちが樹海で集めた木の実や騎士団が持ち込んだ黒パンやチーズを並べてくれて、背後で淹れられるお茶の香りに和みながら、俺は何度目になるかわからない呟きを零した。
「………………思ってたのと違う」
――二ヶ月前。
心臓を貫かれてメアリー様に治療された俺は、城の地下にある拷問場へと連れて行かれた。
そこには死んだと思っていた仲間たちも捕らえられていて、誰もがその後に待ち構えている地獄に恐怖していたのだが……俺たちに与えられたのは一枚の羊皮紙だった。
きっと奴隷契約がかわいく思えるような魔法による縛りを強制されるのだろうと恐る恐るその内容に目を通して見ると……『雇用契約書』と書かれたその羊皮紙には信じがたい労働条件が記載されていた。
まず俺たちが求められた仕事は【創世神の血】の回収。
まあ、これは特に問題ない。
かなり特殊な仕事ではあるが、もともと聖光騎士団でその任務はこなしていた俺たちにとっては簡単ではないが慣れた仕事だった。
しかし問題はそれ以外の契約内容で……俺たちが求められたのは週に四日ほど【創世神の血】の探索活動をすることだけで、それ以外は特になにも求められなかった。
むしろ報酬に関する条件のほうが細かく記されていたことに目を疑ったくらいだ……。
給料は月に金貨五枚。
能力や組織への貢献度に応じて昇給あり。
半年に一度ボーナスを支給。
通常の休日に加えて年に20日の有給申請が可能。
負傷時の療養費は組織が負担。
長期休暇が欲しい時は応相談……などなど。
メアリー様から説明されたその待遇はあまりにも俺たちに優しすぎて、もしや羊皮紙の裏側にヤバい契約が隠されているのではないかと魔法使い連中が血眼になって邪悪な点を探したのだが……けっきょく優良な内容以外は見つけることができなかった。
……いや、正確に言えば、契約書の最後に『新月教団を裏切らないこと』と真面目な条件が記されていたのだが、あれほどの恐怖を与えられて歯向かおうとする者など誰ひとりいないだろう。
そして書類にサインをするべきなのかと悩んでいたら、今度は『聖剣を見つけたぞ!』と嬉し涙を流す隊長が合流してきて、そこから【聖剣の担い手】であるアイリス様を紹介してもらったあと……俺たちは彼女に洗脳を解除してもらった。
あの時の解放感と感謝の気持ちは永遠に忘れないだろう。
なぜなら拷問場で眼玉を交換される恐怖を忘れるわけがないのだから。
まあ、それも交換が終わってしまえば恐いのは見た目だけなのだと理解できたけれど……。
最初のひとりが眼玉を抉られた時には『やっぱりか!』と思ったものだが、しかし自分の眼玉を交換されてわかったことは、禍々しい見た目に反してこの邪悪な眼玉は『共生』という考えしか持っていないということだった。
おそらく主人の気質に影響を受けているのか、俺たちに移植されたイビルアイと呼ばれる眼球には、仲間を支配しようとする意思が欠片もなかったのだ。
最初こそ勝手にグルグルすることもあったが頼めばちゃんと普通の眼玉のフリをしてくれるし、今では危険を察知した時だけそちらに視線を向けてくれる頼もしいパートナーになっている。
というかこの眼玉……超便利なんだよ……。
純粋に感知能力が高いし、魔法の発動をサポートしてくれるし、アーウィンも『老眼が治った!』と喜んでたし……。
「仕事が減って……給料増えて……おまけに生活水準が神になった……」
朝食を楽しみながらここ二ヶ月の生活を振り返り、俺は休日である今日の過ごし方を決める。
「……修行しよ」
成り行きで雇われることになった組織だが、最近は少しでも新月教団の役に立てるように、休日を自己鍛錬に使うのが当たり前になっていた。
◆◆◆
自室からランニングすること三〇分。
人形たちが用意してくれた弁当を持って湖まで走ると、そこではすでに他の班員たちが修行をはじめていた。
俺たちが暗黒騎士として就職した【新月教団】では班ごとにシフトを組むことになっているため今日は仲間たちも休日のはずなのだが、どうやら俺と同じく彼らも自分の強さに不安を抱いているらしい。
「よっす」
適当に挨拶しながら素振りに参加すると、すでに地面に大きな染みができるほど汗だくになっているハンクが「うむ……」と軽く頷いた。
班員たちが勢揃いして満足気な班長の横で、水を飲んで小休止していたバーンズが呆れた視線を俺へと向けてくる。
「また今日も走ってきたのか? 部屋は自由に使えんだから、もっと近くの場所を借りればいいんじゃねえか?」
走り込みが嫌いな盾持ちに、俺は嘆息してから反論した。
「そんなんだからお前はすぐにバテるんだよ……筋肉ばかり膨らませてないでもっと走れ!」
「ぐぬっ……」
図星を突かれて「……俺も城に引っ越すか?」と悩むバーンズの向こうでは、他の仲間たちが輪を作って、その中で真剣を構えるウェイドと黒髪の子供を見守っていた。
「……誰だあれ?」
見知らぬ子供のことを俺が訊ねると、バーンズが肩を竦めて教えてくれる。
「お前が来る五分くらい前に混ざってきたんだ。いっしょに修行をしたいんだとさ」
「あんな子供が騎士の修行を?」
……エストランド領の子供だろうか?
真剣を片手にウェイドと対峙するその子の立ち姿は、なかなか様になっていた。
両目を眼帯で隠す不思議な子供の様子を俺が訝しんでいると、背後で素振りを止めたハンクが小声で注意してくる。
「念のため対応には気をつけてくれ……【総帥】といっしょにいるところを見たことがある」
「っ!?」
総帥という言葉を聞いて恐怖の記憶が蘇りそうになったが、俺はガツンと近くの壁に頭を叩きつけて一ヶ月前に魂へと刻み込まれたトラウマを消去した。
突然の奇行を目にしても似たような心の傷を抱えているハンクが気にすることはない。
なぜならそのメアリー様をも越える『絶望』を指す言葉を口にしてしまった相棒もまた、悲鳴を上げて激しく壁に頭を叩きつけているのだから……。
「ぬああああああああああっ!?!?!?」
……それでなるべく子供を見ないようにしていたのか。
おそらくハンクの中では少年の姿が、存在を思い出しただけで発狂しそうになる新月教団のトップと繋がっているのだろう。
と、俺が納得したところで、剣を抜いたウェイドが子供へと合図する。
「さあ、どこからでもかかっておいでノエルくん! 騎士のお兄さんが胸を貸してあげよう!」
キラキラした笑顔でかっこつける見習いに、
「よろしくお願いします!」
ノエルと呼ばれた少年は礼儀正しく一礼してから剣を構える。
「おっ!?」
その洗練された構えにメリッシュが感嘆の声を上げると同時、子供は一足で間合いを詰めて強烈な剣撃をウェイドへと放った。
「うわっ!!?」
重い初撃に油断していたウェイドは姿勢を崩し、次々と繰り出される少年の剣技に防戦一方となる。
攻撃と回避に重きを置いて防御を捨て去ったその剣術は、俺たち騎士が振るうものとはまったく違っていた。
そして苦し紛れにウェイドが振った横薙ぎが空を切って、少年の剣が騎士の喉元へと突きつけられる。
「そこまでっ!」
審判役をしていたアーウィンが静止すると、少年は素直に剣を引いてウェイドへと一礼した。
「ありがとうございました!」
その武人として鍛えられた子供の姿に、なんだか俺は嬉しくなる。
「やるな少年っ!」
「素晴らしい腕前ですねっ!」
同時に興奮したメリッシュも少年へと駆け寄ってきたが、剣術マニアなこいつが喜ぶのも無理はなかった。
見習いとはいえ聖騎士として認められたウェイドの剣術の腕前は一般的な騎士よりも上にある。
油断していたとはいえウェイドを圧倒してみせたこの少年は、それだけ厳しい修行を積んできたということなのだから、武人として仲間意識が芽生えるのは当然だった。
「ちょ、ちょっと待った! 今のは盾を持ってなかったら、もう一回!」
「ハハッ! 情けねえぞウェイド! 本物の戦場では待ったもクソもねえんだから、お前も男なら剣だけで勝ってみせやがれ!」
他の面々も少年の周りに集まってきて、次々と新たな模擬戦が組まれていく。
メリッシュ、俺、バーンズ、本気になったウェイドで三周してみたが、少年の実力は俺たちと拮抗していて勝ったり負けたりが続き、気がつけば俺たちはノエル少年とすっかり打ち解けていた。
「――え? なんで休みの日も修行しているのかって?」
模擬戦の合間に訊かれた少年からの質問に、メリッシュとバーンズがここでの生活の欠点を零す。
「休日と言われても遊びに行く場所がないんですよね……」
「住む場所は腐るほどあるが……この街には酒場も娼館もねえからな……」
俺たちの言葉を聞いてウェイドと立ち会おうとしていた少年は不思議そうに首を傾げた。
「? メアリーの【転移門】で遊びに行けばいいじゃないですか……【血】を回収する時には使っているのでしょう?」
あの怪物を知っているらしい少年の素朴な疑問に、俺たちは声を揃えて突っ込む。
「「そんな恐れ多いことができるかっ!!!」」
……メアリー様の力を便利に使おうとするなんて……この子はいったい何者なんだ?
そして四周目となる模擬戦が開始され、どんどん動きがよくなっていく少年の剣に再びウェイドの剣が弾き飛ばされる。
「くっそ~~~っ! エストランド領の子とはいえ、子供に剣で負けるなんて~~~っ!!」
全敗した結果を本気で悔しがるウェイドに、少年は朗らかに笑った。
「ウェイドさんの剣は真面目すぎるんですよ。『遊びがない剣ほどわかりやすい』って母様も言ってました!」
どうやら母親から剣を教わっているらしい子供のアドバイスをウェイドが真剣に聞き、メリッシュも四周目のお誘いをして少年との模擬戦が繰り返される。
「……気づいたか? あの坊主、さっきから汗ひとつかいてないぞ?」
「……ああ……つーか呼吸すらしてないな……」
バーンズと俺が短い時間で気付いた少年の異常性に冷や汗を流していると、目新しい剣術に興奮したメリッシュが大人気なく本気を出して、ザシュッ、と小さな右腕が宙を舞った。
「「「あっ!?」」」
ボトリと地面に落ちる子供の腕に空気が凍りつく。
固まる俺たちの横をアンデッドみたいな顔をして土嚢を背負った元副長たちが走り抜け、その後をムチと拷問器具を持った人形たちが追っていった。
「アホたれっ!! 子供の腕を飛ばす騎士がおるかっ!!!」
「ぎゃっ!?」
アーウィンの飛び蹴りがメリッシュを吹き飛ばしたことで俺たちも我に返り、切断された片腕を眺める少年の元へと走り寄る。
「ちょっ!? 止血っ! 止血っ!」
「ハンクっ! お前も治療を手伝ってくれっ!」
「安心しろ坊主っ! すぐにこいつらが腕を繋ぐからっ!」
そして矢継ぎ早に俺たちが声をかけると、しかし少年は切り落とされた腕に恐怖することもなく平然と返事した。
「あ、いえ、自分で治せるのでご心配なく」
「「「…………は?」」」
まさかの反応に唖然とする俺たちの前で、小さな腕が物理法則に逆らって浮かび上がり、飛び散った血液が時間を巻き戻すかのように少年の切断された腕へと戻っていく。
最後に腕の切断面がくっついて、コキッ、コキッ、と音を鳴らして骨の位置が微調整されると、少年の右腕は元通りになった。
「あはは! 一本取られちゃいました!」
まるでそれが当たり前のように笑う少年の姿に、悪寒と冷や汗が止まらない。
よく晴れた青空を見て、そこに太陽があることを確認したのは俺だけではないだろう。
この子の種族……【吸血鬼】だよな?
そんな共通の疑問を解消するために、
「……ふ、ふむ、ずいぶん切られることに慣れているようじゃが……ノエル君は誰から剣術を習っているのかね?」
優しい爺様の顔をしてアーウィンが訊ねると、少年はハッキリ師匠の名前を口にする。
「はい! ラウラ母様から教わっています!」
その名前を聞いた瞬間、俺たちは再び時間が止まったように固まった。
……ラウラって……あの【閃剣】のラウラ?
半神級の中でも最上位の実力を持つと言われる邪神殺しの英雄のこと?
つまりそのラウラ・エストランドを母様と呼ぶこの子はエストランド家の子供ということで……アーサー・エストランドの下に四人目の隠し子がいた事実に、俺たちはみんな仲良く顔色を青くする。
「……ハ、ハハッ……どうりで洗練された剣を使うわけです…………」
英雄の子供の腕を切り落としてしまったメリッシュに関しては、青を通り越して土気色にまで顔色を失っていた。
そして湖を背に自分の腕を切断したメリッシュの剣を真似して素振りする少年を前に固まっていると、俺たちの後ろで、シュタッ、と軽い足音がして、かわいい女の子の声がする。
「もうっ! また坊ちゃまは勝手に修行して! 騎士の皆さんに迷惑をかけちゃダメでしょう!?」
普段の俺なら若い女の子の声がすれば、すぐに振り返ってお茶に誘うのだが……その声を聞いた俺たちは本能に従って勢いよく頭を地面へと叩きつけた。
――ガンッ!
と、歴戦の騎士たちが一瞬で土下座の姿勢になって、あとはその御方の怒りを決して買うことがないように震えながら凶悪な嵐が通り過ぎるのを待つ。
「くっ……こんなにたくさん未婚の男性がいるのにっ……坊ちゃまのせいで普通の女の子として見てもらえないじゃないですかっ!」
「……それはほとんどリドリーのせいじゃないかな?」
その親しげなやり取りに、俺たちは少年が遥か高みにいる存在だということを確信した。
というか総帥から『坊ちゃま』などと呼ばれているのだから、彼女の身内なのは間違いないだろう。
そして俺たちが数々の無礼を思い出して震えを激しくしていると、ノエル様が軽やかな足取りで歩み寄ってきて、たまたま先頭にいた俺の肩へと小さな手が置かれる。
「今日は修行に混ぜてくれてありがとうございました。メアリーには僕のほうから使用許可を出しておきますので、今後は好きに【転移門】を使ってください」
ぷるっ!
そして地面から現れた赤いゲートをくぐって、エストランド領の景色の中へと消えていく少年。
その三歩後ろには自然と総帥が侍っていて……それを目にした俺はいよいよ新月教団の権力構造がわからなくなった。
最凶生物だと思っていたメアリー様の上には【聖剣の担い手】であるアイリス様がいて、さらにアイリス様の上には最強生物の総帥がいて……しかしその総帥は侍女みたいな服を着てアイリス様と謎多きエストランド家の隠し子に仕えている。
「……いったい誰が一番偉いんだ?」
まるでデタラメな組織の構造に戸惑っていると、総帥たちの姿が消えて地面から顔を上げたアーウィンが困惑する俺へと助言をくれた。
「そう深刻に悩むでない。あえて上下関係を複雑化させて誰が頂点なのかわからなくすることは裏社会の組織ではよくあることじゃ」
その言葉を引き継いで、出血する額に治癒魔法をかけたハンクが少年の消えた場所へと熱い視線を送った。
「うむ。私たちはただ、あの少年も仕えるべき存在だと把握しておけばいい……人格的にも優れた少年のようだから、彼の素性を無理に詮索する必要はないだろう」
下手に藪を突くとなにが飛び出すかわからないから、と言外に伝えてくる相棒に、消されるかもしれないと覚悟していたメリッシュが震える喉からため息を零す。
「ふぅ……腕を切り落としてもまったく気にしない上位存在とは……我々は大当たりを引いたのかもしれませんね……」
強者を斬るのが大好きな馬鹿へと俺たちは怒りの視線を向けるが、
「「「あ……」」」
いつの間にかメリッシュの背後に現れていた大きな影に場の空気が張り詰めた。
「へぇ……誰が誰の腕を切り落としたって?」
そこには漆黒の兜の奥から紫色に光る瞳を爛々と輝かせる隊長がいて……。
「……あ、あれはちょっとした事故で…………」
涙目になった馬鹿へと巨大な戦斧が振り上げられる。
「そうか、ならばこれから起こることも……ただの事故だよな?」
「っ!?」
逃げるメリッシュ。
大地を爆散させながら追いかける隊長。
それから数十回ほど『事故』が起こるまで続けられた特別訓練によって、メリッシュは少しだけまともになった。