第88話 実りすぎの秋
SIDE:ノエル
女騎士さんたちの襲撃から一ヵ月後。
気合いを入れすぎたせいで暴走してしまった赤い月の魔法陣も無事に停止させ、まともな条件で正式雇用した騎士さんたちにコーラの回収作業を割り振った私は、家の裏庭で家族とともにささやかな祝宴を開いていた。
炭火で焼かれる香ばしい魔物肉の香りが漂う中、酒杯を片手に持った母様が、テーブルの主役席に座るアイリスへと祝福の言葉を贈る。
「――おめでとう!」
その言葉に続いて、私たちも彼女を祝福した。
「おめでとう、アイリス!」
「おめでとうございます! アイリス様!」
「ん、おめでとー」
「おめでとうございますぅ!」
「よくわからんがめでたいのじゃ!」
私、リドリーちゃん、セレスさん、マーサさん、シャルさんと順々に祝いの言葉を口にすると、アイリスは立ち上がって優雅にカーテシーする。
後ろに控えるイザベラさんが無音で椅子を引いたりしていて、黒いドレスで着飾ったアイリスは本物のお姫様みたいだった。
「――エストランド家の皆様、このたびは我が家のために素敵な祝宴を開いていただき、誠にありがとうございます。この場にいない父と母と妹弟に代わってお礼申し上げます」
ちょっぴり貴族らしい挨拶を返したアイリスは、すぐにジュースのコップを掲げて母様へと目配せする。
愛娘同然の美少女から促されて、母様は高々と酒杯を掲げた。
「それでは新しい命の誕生を祈って――乾杯っ!」
「「「乾杯っ!」」」
どうして我々がこのような祝宴を開いているのかと言えば、それはアイリスのお母さんが妊娠したという嬉しい知らせが王都から届いたからだ。
どうやら婚約者の両親は、うちの両親と同じようにまだラブラブらしい。
よく晴れた秋の空に葡萄酒や血液の雫が舞い、私たちはコップの中身を一気に飲み干す。
「――ぷっはぁ!」
この日のために用意された地竜の血液は格別の味がして、吸血鬼として生まれ持った味覚がすぐにおかわりを求めてきた。
創世神の血もいいけれど、我が家の特産品も負けず劣らずに美味である。
「はい、坊ちゃま」
私とツーカーの中になっているリドリーちゃんがすぐに主人の要求を察してくれて、出荷用のボトルに入れられた竜の血をコップへと注いでくれる。
「ありがとう」
そして和やかな雰囲気の中でみんなが席について、秋の収穫祭も兼ねた豪華な食事をはじめたところで、私はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「ところで母様、不老種って百年に一度くらいしか子供を産まないのでは?」
「それは私もすごく気になっていました!」
私の問いにアイリスも便乗してきて、母様へと熱い視線が注がれる。
我が家の特産品である地竜肉をモリモリ食べていた母様はステーキの塊をゴクリと飲み込むと、美しい黄金の瞳を輝かせて普段よりテンション高めに笑った。
「うむ、不老種も所詮は生物だからな! 強い危機感を抱くとすぐに子を作ることがあるのだ!」
へぇ……そんな危機感を抱くことがあるなんて、やっぱり偉い人ってのは大変なんだな……。
ド田舎なエストランド領にいるとわからないけれど、この国もちょくちょく戦争とかしているみたいだし、王都のほうではたくさん面倒事があるのだろう。
つい最近も赤い月の隠蔽でお世話になったハルトおじさんに、私は心の中でエールを送った。
頑張れおじさん! この国の未来はあなたの双肩にかかっている!
そんな都会の人の苦労など気にした様子もなく、母様は自分のお腹を撫でて家の中へと視線を向ける。
「やはり子供たちに好き勝手させたのは正解だったな……ノエルが暴れてくれたおかげで私の妊期も早まりそうだ……」
……どうやら母様は子供を利用して父様へと圧力をかけていたらしい。
愛されすぎて家の中で寝込む父様に、私は遠い目になって合掌した。
母様が私たちを放置しているのはこれが理由だったのか……。
優しい父様の親心を利用して新たな子を成そうとは……母様も策士である。
そうして実母の所業に震撼していると、なぜか私の膝に乗ったシャルさんが慌てて警告してくる。
「主君っ! 主君っ! 今のはかなりヤバいのじゃっ!」
シャルさんが言う通り……母様の話を聞いたアイリスは粘着質な反応を示していた。
「………………危機感で子供が…………」
その呟きに私は強い危機感を抱いた。
しかし危ういオーラを放つ婚約者と私の間に、すかさずリドリーちゃんがカットインしてくれる。
「はいはい、アイリス様! ラウラ様の言うことを真に受けてはいけませんよ? この人はときどき常人には理解できない冗談を言うんですから!」
そしてフォークを逆手に構えてドロドロした視線を私に向けてくるアイリスに、リドリーちゃんが、ポフッ、とチョップを入れると、
――ズガンッ!!!
その凄まじい威力に少女の頭が地面へとめり込んだ。
「ああっ!? すみませんっ!! またやってしまいましたっ!?」
最近のリドリーちゃんは修行のやりすぎで力加減がぶっ壊れているのだ。
「……いよいよこやつは神の領域に片足突っ込んどるのじゃ…………」
その力強さにはシャルさんもドン引きらしい。
急いで地面からアイリスを引っこ抜いて椅子に座らせるリドリーちゃん。
土まみれになったアイリスに私が浄化をかけて綺麗にしてあげると、彼女は頭を押さえてかわいく小首を傾げた。
「……あれ? いま何の話をしていたかしら? とても大切なことを聞いた気がするのだけれど??」
……記憶って本当に叩いて消えるんだ。
メイドとしてはダメダメな行為だが、しかしアイリスから危険な記憶を消し去ったのはグッジョブなので、私はリドリーちゃんの失敗をなかったことにする方向で話題を捻じ曲げる。
「……リドリーの修行が無事に終わってよかったね、って話をしていたんだよ?」
その話題に自分のお腹を撫でてニマニマしていた母様が食いついた。
「そう言えば……せっかくリドリーも定命の壁を越えたのだから、そちらもいっしょにお祝いしておくか……」
「え…………」
母様の発言に、アイリスの頭を撫でていたリドリーちゃんの手が止まる。
「……私って不老種になっていたんですか?」
唖然とするメイドさんの問いに、新しい乾杯用の飲み物を用意しながら先輩メイドたちが呆れた様子で頷いた。
「あれだけ死にかければ当然よぉ……もともとアレはそのための訓練だしぃ……」
「……まさか気づいてなかったの? 不老種というか、バカみたいな神聖気の治療も受けているせいでリドリーはさらに上の領域まで到達している……」
この一ヶ月、ずっと地獄の修行をしてきたリドリーちゃんは、遂に母様にすら勝ち越せるほどの実力を手に入れていた。
「……弟子が【神格者】になるなんて……世の中なにが起こるかわからないものです……」
最後のイザベラさんの呟きは小さすぎて聞こえなかったけれど、とにかくリドリーちゃんは私たちと同じ不老の存在へと進化したらしい。
「そ、そんなっ……!? 私はまだ常識の範囲内にいると思っていたのに……っ!?」
唐突な進化宣言を受けて地面に崩れ落ちるリドリーちゃん。
「……真正の阿呆なのじゃ」
鈍すぎるメイドさんに呆れる生首さん。
その頭上で師匠たちは嬉々として酒杯を打ち鳴らす。
「愛弟子の大きな成長に!」
「「「乾杯っ!!!」」」
と再びコップが高々と掲げられ……そこで私の頭に素晴らしいアイデアが点灯した。
「それじゃあこれは僕からのお祝いね!」
影から取り出した書類を地面のメイドさんに手渡すと、彼女は首を傾げながらそれに目を通す。
「……なんですかこれ?『資本金:金貨82万枚』とか書いてありますけど?」
「前に言ったでしょ? リドルリーナ商会の権利書だよ」
「ああ……坊ちゃまとアイリス様が私の名義を使って立ち上げたとかいう……」
さらにリドリーちゃんが事態を飲み込む前に、空気を呼んだアイリスも新たな羊皮紙を差し出す。
「それじゃあ私からはこれを」
「……なんですか? このやけに立派な書類は?」
その豪華な装いの書類には『リドルリーナ・エミル・ミストリアをミストリア王国の正式な王族として認める』という旨の文章が記されていて、
「前に言ったでしょう? リドリーが王族を名乗っても問題ないようにしてあげるって」
「ああ……それで私を正式な王族に…………」
それから二つの書類の内容を10秒くらいかけて咀嚼したリドリーちゃんは、ゆらりと立ち上がって全身から赤黒い怒りのオーラを噴出させた。
わあ……すごい……エストランド領を中心にしてハリケーンみたいな雷雲が発生してる……。
プレゼントをもらえたことがよほど嬉しかったのか、今のリドリーちゃんに拳骨されたら塵も残さずこの世から消滅しそうだった。
「……坊ちゃまぁ……アイリス様ぁ…………あとでちょっと……ツラ貸してもらっていいですかぁ……」
師匠のマーサさんを真似してヤンキーみたいなことを言うリドリーちゃん。
赤黒いオーラの中から真紅に染まった瞳をギラつかせるメイドさんに、私たちは声を揃えて快い返事をする。
「「喜んで!」」
まるで獣耳を角のように尖らせたリドリーちゃんからのお誘いに、私とアイリスはパーティーが終わったら全力で逃げることを心に決めた。
◆◆◆
そして翌朝。
ボロ雑巾を越えるレベルでボコボコにされた私は、ゴリアテを囲む湖の様子を見に来ていた。
いやー……昨夜の鬼ごっこは本当に酷かった……。
昨日のパーティーが終わったあと。
私とアイリスは激怒した専属メイドから逃げるため、速攻でゴリアテの最深部へと転移したのだが……私が閉じた空間を笑顔のリドリーちゃんが素手で軽々とこじ開けてきて……そこから先は阿鼻叫喚の地獄がはじまった。
眷属や新しく雇用した騎士さんたちをけしかけて、どうにか逃げようとする私とアイリス。
森羅万象を粉砕しながら追ってくるリドリーちゃん。
追いかけっこを期待していたはずが、追われる側になって逃げ惑う眷属たち。
……鬼神の如き戦いっぷりとはまさしくあのことである。
もはや実力至上主義の【新月教団】において、彼女が総帥であることに文句を言う仲間はひとりたりともいないだろう。
嬉々として戦いに参加してくれたあの女騎士さんですら、五分ともたずに殴り飛ばされてしまったのだから……。
ちなみに王族の身分を用意したアイリスの罪は勝手に資産を爆増させた私の罪よりも重かったらしく、彼女は頭にできた特大のタンコブを冷やすために今もベッドでダウンしている。
ぶっちゃけリドリーちゃんを激怒させたことは女騎士さんの襲撃を越える大ピンチだったよ……。
「……次やったらマジ殴りですからね?」
「……あい」
今も私の背後で監視の目を光らせる専属メイドさんに睨まれて、私は腫れ上がった唇から弱々しい声を絞り出す。
おかしいな……吸血鬼の私はどんな傷でも数秒で回復できるはずなのに……どうしてリドリーちゃんに殴られた傷は治らないの?
「気合いです」
私の疑問を察して告げてくる超人メイドさんに冷や汗が流れた。
……どうやら彼女の存在は、完全にこの世の法則を越えはじめたらしい。
おそらくリドリーちゃんの怒りが収まらないと再生能力が機能しないため、私は彼女の気を晴らすために全力でヨイショする。
「それにしてもリドリーの魔法は本当に凄いね……おかげで湖が満杯になったよ」
つい先日まで続いていた嵐が嘘のように静かになった湖面には、大きく育ったゴリアテの姿がくっきり映っていた。
いちおうこれまでも見た目だけは満杯になっていたのだが、あれは突貫工事で作った谷が崩れないように、メアリーに湖底で膨らんでもらって谷全体に水圧をかけていたのだ。
それもリドリーちゃんが一ヶ月かけてドバドバと豪雨を注いでくれたため、今ではカサ増しの必要がない見事な巨大湖が完成していた。
「まあ……これも修行の成果ってやつですかね!」
褒められるのに弱いリドリーちゃんはコロッと機嫌を直し、それに伴って私の傷も一瞬で治る。
まったく……チョロいメイドさんである。
「ん?」
心を読んでくるメイドさんが拳を構えたので、
「せいせいせい!」
と、私は慌てて謎の声を発しながら後退した。
余計なことを考えるとまたお仕置きされそうなので、三歩下がった私は気持ちを切り替えるために、湖の景色とゴリアテの姿を楽しむことにする。
私の眼前にあるのは、有名な観光名所のように美しい絶景。
連日の豪雨で空気中のホコリが流されて、漆黒の巨城を囲む水面はキラキラと輝いていた。
ゴリアテが巨大化をはじめた時にはどうなることかと思ったけれど……ここまで大きくなると魔王城が自然物に見えてくるから不思議である。
湖の向こうで頭を雲の上に出すゴリアテは、遠くから見ると完全に大きさと形状が富士山だった。
まあ、『富士山』っていうよりは『不死山』って感じだけど、これはこれで世界遺産級の貫禄があって悪くないんじゃないかな?
「今年の秋は実り多い季節になったねぇ……」
眷属がたくさん増えたうえに、ゴリアテもリドリーちゃんも大きく育ったし、コーラを回収する騎士さんたちとも契約を交わすことができた。
おまけにアイリスのお母さんが妊娠して、風光明媚な観光名所まで手に入れたのだから、今年の秋の収穫は大豊作と言えるだろう。
育ちまくった眷属を前に私がしみじみ言うと、リドリーちゃんが、ビシッ、とツッコミを入れてくる。
「いくらなんでも実りすぎですよっ!?」
その手加減されたツッコミで彼女の機嫌がすっかり直ったことを確信して、私は専属メイドさんと微笑み合った。
たとえ喧嘩をしてもすぐに仲直りできるのが私とリドリーちゃんの長所だろう。
「リドリー、いつもの!」
「はいはい」
こちらが日向ぼっこをしたい気持ちになったのを察して、リドリーちゃんがデッキチェアを取り出してくれる。
そこに寝そべって湖を眺めれば、いよいよ観光地にいるような気がして、私はかつて憧れた田舎の土地を手に入れたことにニマニマした。
こういう観光名所の近くにある別荘地に住むの……夢だったんだよね……。
ちょっと湖の上にハーピーが飛んだりしているけれど、十分に許容範囲内だ。
日本の別荘地は高い管理料を取られるため前世では購入を諦めていたのだが、ここならタダで住めるから完璧である。
「……このあたりに家でも建てようかな?」
ボアッ!?
私の呟きにゴリアテがショックを受けたので、『秘密基地とマイホームは別物だよ』とフォローしておく。
「……家の建設はまた今度にしてください……今年はもうお腹いっぱいです…………」
……死んだ魚の目をしたリドリーちゃんにも拒否されてしまったから、マイホーム建造計画の実行は当分先になるだろう。
しかしプライベートな観光名所を手に入れた気持ちの高ぶりは何かをしなければ収まりそうになかったため、私は誰にも迷惑をかけないDIYで気分を紛らわせることにする。
「メアリー、これくらいの岩を持ってきてくれる?」
ぷるっ!
両手を大きく広げて二メートルくらいの岩を所望すると、メアリーはすぐに石碑としてちょうど良さそうな形の岩を持ってきてくれた。
それを血液操作と土魔法を駆使して成形し、表面を滑らかに整えたりして地面に設置していると、リドリーちゃんが恐る恐る確認してくる。
「……今度は何をするつもりですか?」
……そんなに警戒しなくても大丈夫だよ?
「せっかくだから、この湖にも名前を付けようと思って」
やはり観光名所にはそれっぽい名前が必要だろう。
「……それで湖をモンスターにするんですか?」
主人を全力で疑ってくるメイドさんに、私は苦笑しながらその可能性を否定した。
「今回は血を与えたりしないから、ゴリアテみたいなことにはならないっての」
「…………本当に?」
まったくリドリーちゃんは心配しすぎである。
そもそもこの湖の下半分はメアリーなんだから、すでにモンスターみたいなものだし……。
ジト目を向けてくるメイドさんから視線を逸らし、私は腕組みして石碑と向き合う。
「ううむ……どんな名前にしようかな?」
流石に巨大湖の名前を付けるのは初めてなので、前世で覚えた湖の名称を思い出してみる。
えっと……確か富士五湖の名前は……本栖湖……精進湖……山中――
「――あっ!」
と、そこまで思い出したところで、私は素晴らしい名前を閃いた。
すぐに土魔法で石碑を削り、出来上がった文字列を眺めて満足する。
「うん! 会心の出来!」
「? これはなんて書いてあるんですか?」
日本語を読めないリドリーちゃんが後ろから覗き込んできたので、私は石碑に刻んだ漢字を翻訳してあげることにする。
眷属のみんなも聞いておいてね?
今日からここが君たちの本拠地となるのだから。
秘密基地の名前は『不死山』。
秘密結社の名前は『新月教団』。
そしてこの『名状しがたき巨大湖』の名前は、
「――【夜魔中湖】だよ」
水面から、シュパッ、と伸びた赤い触手が、空飛ぶハーピーを静かに湖底へと引きずりこんだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
これにて四章完結です。
次章はいくつか閑話を書いてから始める予定です。