第84話 聖光騎士団VS新月教団 ⑤
SIDE:アイリス
双月に照らされた大地の上で、私はエスメラルダと激しく刃を交えていた。
ここはメアリーに頼んで用意してもらった決戦場。
ゴリアテから離れた樹海に新しく結界を張ってもらったから、周囲を気にせず力を解放することができる。
義母様に習った剣技と、生まれ持った【半神】の身体能力と、神聖気による自己強化。
それらが合わさった私の剣は一振りで【刻死樹海】の木々を薙ぎ倒し、森を斬り開いて戦場の面積をさらに広げた。
「――ハアアアアアアっ!!!」
裂帛の気合いを込めた一撃で、牛人族の巨体が吹き飛び、粉塵が舞い上がる。
しかし私はその手応えに顔を顰めた。
「流石は蒼月神の先祖返り、末恐ろしい子供だ……」
……まだ足りない。
エスメラルダにはまだ届かない。
手応えの通り、粉塵を払いながら悠然と歩み寄ってくる女騎士からは、積み重ねた経験がもたらす絶対的な余裕が感じ取れた。
神聖気で強化されたエスメラルダの肉体は鋼鉄よりも固く、たとえ細かい傷をつけてもすぐに再生してしまう。
「なんて厄介な……」
おまけにメアリーで捕らえようにも、彼女の力はノエルの神聖気耐性すら突破してくるのだから、私たちとの相性が悪すぎた。
なんとか勝機を見出すために、私は再び剣を構えて斬りかかる。
鋼を貫く刺突。
山をも崩す薙ぎ払い。
大地を両断する唐竹割り。
しかし義母様から教わった超人的な戦闘術で全力を出しても、
「――甘いっ!」
エスメラルダが斧を振るえば、三〇〇年以上の戦闘経験を宿した技がカウンター気味に向かってきて、私は咄嗟に手にするシャルティアでガードした。
「くっ!?」
重い一撃に吹き飛ばされて地面の上で身体が弾み、私は全身に纏ったメアリーに衝撃を和らげてもらいながら体勢を整える。
「武器に救われたな。普通の剣なら折れていたところだ」
戦斧を片手に悠然と歩いてくるエスメラルダの足取りには一部の隙もなくて……彼女が義母様と同じ領域にいることがよくわかった。
「そろそろ諦めたらどうだアイリス? もう私に敵わないことは理解しているのだろう?」
……確かに彼女の言う通り、今の私では本気を出した義母様クラスの戦士には敵わない。
今の私には戦闘経験が圧倒的に足りていない。
あと十年早く生まれていればと悔しさが湧いてくるが……しかしその場合はノエルと出会えていなかったかもしれないから、私は無意味な思考を捨てて再びエスメラルダへと斬りかかった。
神聖気使い同士の衝突で夜の大地にいくつもの聖なる柱が立ち上がる。
「うむ……いいな! 主殿も素晴らしかったが、お前もすごく良い!」
私がメアリーの力を借りて必死で立ち回る中でもエスメラルダは余裕を崩すこと無く、戦いの最中に戯言まで語ってきた。
「どうだ? 私と共に聖光騎士団に仕えないか? 今なら副長の座を用意してやるぞ?」
「っ……黙りなさいっ!!」
エスメラルダからの勧誘で、私は神託で見せられた悪夢の記憶を思い出す。
数年前まで見ていた女神の神託。
悪夢の中で邪神に敗れてノエルたちを失った私は、聖光騎士団とともに邪神への復讐を果たしていたのだ。
……かつての私はそれが避けられぬ運命なのではないかと恐れていたけれど……街でエスメラルダと出会ったことで、私はすべての真実を知ることができた。
ミストリア王家に伝わる魔眼は――過去視の魔眼。
【星霜眼】や【追憶の瞳】とも呼ばれるこの眼は、ノエルのように女神の血が薄いと『自分の過去』しか見ることができないけれど……【先祖返り】である私には『他者』や『物』の過去まで見通すことができる。
街で会った時に恋敵だと思って全力で見たエスメラルダの過去には――私の悪夢を描いた黒幕の存在がはっきりと刻まれていた。
聖光騎士団の纏め役【星詠の巫女】。
世間一般では聖女のように崇められている神官だったはずだが……彼女は呼び名の由来になった未来視の力を利用して自分に都合の良い運命を引き寄せようとしていたのだろう。
その忌まわしい策略が瓦解したのは、おそらく義母様とノエルの金眼があったから。
本来であれば薄くミストリア王家の血を引くメルキオル義父様の影響を受けて、蒼い両目を持って生まれてくるはずだったノエルに、ラウラ義母様の血が入ったことで【星詠の巫女】の計画は大きく瓦解していた。
シャルも金眼を持ってはいるけれど……たぶん彼女は関係ないから除外しておく。
私の幸せを願ってくれる義母様とノエルの温かさが、巫女の謀略を狂わせて、私に絡みついた運命の冷たい糸を引き裂いてくれたのだ。
だからこの戦いは、大切な人を守る戦いであると同時に、巫女への復讐でもあった。
今も微かな気配を滲ませる【神格者】の気配に、私は女騎士の瞳へと怒りをぶつける。
「人の心も、未来も縛り付けるような組織なんて絶対にゴメンよっ! あなたが描いた最低な悪夢は、ぜんぶ私が潰してやるっ!」
「? ……なにを言っているんだ??」
メアリーの結界で囲んだことで巫女との繋がりは切れているみたいだけど、それでもエスメラルダの心臓と両目には、他人の思考を歪める【巫女】の異質な神聖気が濃密に宿っていた。
結界の外へと出てしまえば、彼女は再び操り人形にされてしまうはずだ。
試しに聖騎士たちの目玉をメアリーに奪ってもらっても洗脳を解くことができなくて、その根幹となる力が心臓に植え付けられているとわかったのは最近のこと。
呪いではなく神聖気でこんな洗脳をやってのける巫女の性根は本当に腐っているのだろう。
浄化や聖水で解けない洗脳なんて性質が悪いことこの上ない。
聖光騎士団が吸血鬼と仲が悪いことは有名だが、その理由も神聖気でダメージを受ける吸血鬼を巫女が洗脳できないからだとすれば、そんな組織に入ろうなどとは欠片も思えなかった。
なにより……エスメラルダを助けるためにも、この戦いだけは絶対に負けられない……。
数百年もの長い年月を巫女に利用されてきた彼女の運命に、私は悪夢の中の自分を重ねていた。
あの奈落の底よりも深い絶望の奥底に、彼女はずっと閉じ込められているのだ。
それを想像するだけで、私の心は張り裂けそうになった。
「……待っててね、エスメラルダ……すぐに解放してあげるから…………」
小さく呟いて、牽制の斬撃を放って彼女から距離を取った私は、覚悟を決めて眼をつぶる。
できればこの力は使いたくなかったけれど……彼女を救うためには少し無理をする必要があると私は戦いの中で確信していた。
それは義母様にもリドリーにもできないこと。
ノエルと私だけにしかできないこと。
【半神】として生まれ持った本能が言っている。
彼女に植え付けられた神聖気を払うためには、それを越える神聖気が必要となる。
巫女の異質な力と、エスメラルダの純粋な力。
それらを越えるためには今の私の力とノエルの力を合わせても足りなくて……だから私はずっと避けていた新たな力を手に入れることにした。
そして『自分自身』に対して過去視の力を最大限に発動させた私の頭に、一瞬で膨大な量の魂の記憶が流れ込んでくる。
その記憶を読み解いた私は、
「――あはっ!」
嬉しさのあまり思わず笑ってしまった。
「どうした? 恋人を取られるのが悔しくて気でも触れたか?」
エスメラルダが茶化してくるが、賭けに勝った私は溢れ出てくる涙を拭って、可哀想な女の子へと語りかけた。
「私ね……ずっと自分の過去を視るのが怖かったの……」
やっぱりエスメラルダと私は似ているのだろう。
彼女もきっと、泣けない自分の過去を思い出すことを恐れているのだから。
「……自分の過去だと?」
そこでようやく彼女は私の思惑に気づいたのか、子供を相手に緩めていた気を引き締めるのがわかった。
警戒して戦斧を構えるエスメラルダに、
「ええ、だって……前世の私がノエル以外の人とキスをしていたら……そんなの心が苦しくなって死んでしまうでしょう?」
私は樹海に漂う膨大な【燐気】を操って応えた。
「っ!? 死の記憶かっ!?」
ミストリア王家に伝わる魔眼は、過去視の魔眼。
だからこの力を持つ者は、自分の前世を見通して【燐気】を操れるようになる。
私の前世は寂れた農村に生まれた女の子だった。
恋を知らず、愛も知らず、満腹になることもなく。
一〇歳を迎える前に飢えて死んでしまった小さな女の子だった。
どうりでエストランド領の居心地がいいわけだ……。
だってあそこの領地なら、愛情たっぷりの素敵な旦那様と家族に囲まれて、毎日お腹いっぱいになるまでご飯を食べることができるのだもの。
そんな幸せな居場所を守るためにも、私は新たに得た力で周囲の燐気を集めて、ようやく本気になった女騎士へと警告する。
「……うっかり殺されないように気をつけてね、エスメラルダ。ここから先は手加減できないから」
自身満々に告げると、彼女は戦士の顔付きで笑った。
「ずいぶん舐められたものだな……付け焼き刃の力で私に勝てるとでも?」
……洗脳のせいで鈍くなっているのかしら?
それとも彼もまだ子供だから油断しているのかしら?
「そうね、私だけならあなたに勝てなかったでしょう――」
確かに彼女の言う通り、私は燐気の使い方を知らないし、なんなら神聖気以外の扱い方に関してもまだ習っていない。
「――だけど私の後ろには【聖剣の担い手】が付いているのよ?」
しかし彼女を救うために必要な力は……すべて彼が揃えてくれたのだ。
双月教の救世主伝説にある『新たな月』という言葉を思い出しながら、私は夜空を見上げて漆黒の月へと願う。
それは彼が手配してくれた闇の塊。
もしも私が危なくなった時、影の中からだけでなく空からも助けに入れるように、準備してくれていた心強い仲間。
そのままエスメラルダに襲いかかったら彼女の耐性を貫く神聖気で焼き殺されてしまうけれど、双月が浮かぶ夜空に地上の光は届かない。
深い闇が支配する月夜は吸血鬼たちの世界なのだから。
そして私は遥か上空にいるノエルの筆頭眷属へと助力を求めた。
「メアリー、モード【夜魔の饗宴】――」
続けてメアリーに使用してもらう魔法陣の種類も選択する。
複製創造から抽出したその魔法陣には、確か彼がふざけてこんな名前を付けていた。
「――【創世の砕片】」
集めた燐気を夜空へと送れば、遠くで見守ってくれているノエルがその制御を手伝ってくれて、私たちは協力して真球状の特大魔法陣を完成させる。
【創世神の血】からノエルが吸収し、眷属であるゴリアテに顕現したその力は――世界を創造した奇跡の欠片。
そしてそれを反転させて使用すれば、この世で最も純粋で強力な神聖気を創造することができる。
漆黒の月は溢れ出る神聖気で激しく輝き、メアリーの血のような身体を透過することで、聖なる光はその色を変えた。
「っ!? 赤い月だとっ!?」
第三の月の出現に驚くエスメラルダ。
夜空に浮かぶのは真紅の月。
私の救世主が創造した神話の光。
毎日ノエルに血を吸ってもらっていたおかげか、彼が創った神聖気は私の身体によく馴染んだ。
さらに天からイビルアイたちが照射してくれる神聖気の光線が降ってくると、あまりにも膨大なエネルギーの奔流に私の身体は浮かび上がって、影から飛び出してきたメアリーが飛行制御用の魔法陣を新たに展開してくれた。
ぷるっ!
……これはノエルが血液操作で飛ぶ時に使ってるやつね……未来視の金眼持ちというのは本当に神憑っているみたい……。
何度かいっしょに飛んで遊ばせてもらったことがあるから、使い方はすぐに把握することができた。
さらにメアリーはその身体で飛行用の補助具まで用意してくれる。
まるで鮮血のような翼が私の背中に広がって、赤く染まる世界の中でエスメラルダはこちらを見上げて好戦的に笑った。
「ハハッ! やはり聖戦はこうでないとなっ!!」
どこか恍惚として語る彼女に、
「聖戦なんて大げさなものじゃないわ――」
私はシャルティアを真横に構えて、淡々とその言葉を否定する。
「――これはひとりの男を奪い合う、醜い女の戦いよ」
ノエルといっしょにいたい私と。
ノエルを連れ去りたいエスメラルダと。
聖剣の担い手を配下にして、この世のすべてを手に入れたい星詠の巫女。
そんな醜い女たちの戦いの中で、ただひとり私の手にある聖剣だけが、修羅場を前に純真無垢な輝きを放っていた。
「…………………………巻き込まれたのじゃ………………」