第9話 三歳児の日常(早朝)
熱中できることがあると月日が流れるのは早いもので……血液操作や日光耐性の訓練を行っているうちに、気がつけば私は3歳になっていた。
え? 赤ん坊が初めて歩いたりしゃべったりするイベントはどうしたのかって?
いや……生後半年から空を飛んでいたせいで薄い反応しかもらえなかったんだよ……。
ハイハイしても、歩いても「わー、すごーい(棒読み)」で終わり。
リドリーちゃんなんて私とツーカーの仲になりすぎて、初めて「りどりー」って呼んでも気づかなかったレベルだからね。
そんな回想をベッドの中でしていると、新人期間を卒業したメイドさんが、私の部屋の扉をノックしてから返事も待たずに入室してくる。
「坊ちゃま~! 朝ですよ~! 起きてくださ~いっ!」
いつものように起こしにきたリドリーちゃんの声に反応し、私はベッドから筋肉を使わずに立ち上がった。
全身に流れる血液を完璧に制御し、身体を内側から操れば吸血鬼は筋肉が無くても動くことができるのだ。
3年間ずっと血液操作の練習を続けた私は、ついに体内に流れる血液のコントロールまでできるようになっていた。
腕を身体の前で組み、直立不動の姿勢で起き上がった私はリドリーちゃんへと挨拶する。
「おはようリドリー、今日もかわいいね」
「……坊ちゃまは普通に起きることもできないのですか?」
「吸血鬼にとってはこれが普通だよ?」
前世の映画で見た吸血鬼はだいたいこんな感じだった。
紳士的で、女性に甘くて、物理法則を無視した動きをするのが私の吸血鬼に対するイメージである。
「嘘です! ご当主様は普通に起きていました!」
「まったく……父様は吸血鬼としての自覚が足りないんだから……こんど吸血鬼らしい動きを教えてあげなくちゃ」
「やめてください! メルキオル様まで非常識になったらこの領は終わりですっ!」
「あははっ、リドリーは大げさだなぁ」
3歳になって滑舌が良くなったことで、私は父と母の呼び方を改めた。
パパンは父様、ママンは母様だ。
やはり吸血鬼たるもの吸血鬼らしい言動は大切だろうと、私はなるべく吸血鬼らしく見えるように心がけている。
そしてリドリーちゃんへの挨拶を終えた私は窓際まで近づいて、朝日を遮っているカーテンを思いっきり開いた。
――シャッ!
――プスプス。
これまで日が出ているうちは延々と日光耐性の訓練を続けていたおかげで、ついに私の身体は太陽光を浴びても炎上しなくなった。
まだ針で突き刺されたような痛みがあったり、身体から煙が出たりはするけれど、着実に私の耐性は上がっているらしい。
最近の悩みは太陽光で燃えなくなったせいか、耐性訓練の効率が落ちていることで……このあいだ教会の司祭とかに神聖魔法を撃ち込んでもらいたいと両親におねだりしたら、父様に頭を抱えられてしまった。
母様は賛成してくれたんだけど、子供に神聖魔法を撃つのは聖職者的にNGみたいなので、今後は効率の良い耐性訓練の方法を探すことが現在の課題である。
「あー……今日もいい天気! 田舎の朝日って最高だよね!」
「……坊ちゃまはそろそろ、ご自分の非常識っぷりを自覚してください」
太陽光を愛する吸血鬼がそんなにおかしいのか、苦言を呈してくるメイドさんに私は首を傾げる。
「そんなに変かな? 母様よりは普通だと思うけれど?」
「ラウラ様を基準にしてはいけませんっ!」
そして今日も、私の素敵な一日が始まった。
◆◆◆
リドリーちゃんに起こされた私は軽く身だしなみを整えてから1階へと降り、両親がいるリビングへと案内された。
私が生まれたこの家は二階建てで地下室まであり、二階には私と両親の寝室、一階にはリビングなどの共用スペースや使用人用の部屋がある。地下室には食料保管庫と父様の研究室があって、土地が狭い日本とは違って全体的に広々とした造りになっている。
リビングに入ると、すでに父様がテーブルの奥に着席していて、相変わらず仮面とローブを付けた姿で新聞みたいなものを読んでいた。
「おはようございます、父様」
私の挨拶に顔を上げた父様は、新聞を置いて挨拶を返してくれる。
「おはよう、ノエル」
うむ、今日も父様は実に紳士的だ。
朝ご飯がくるまでまだ時間がありそうなので、少し父様と雑談することにする。
私はこの超然とした雰囲気を持つ吸血鬼の父親が大好きだった。
「なにを読んでいたのですか?」
「最新の学会誌だよ。二ヶ月に一度、魔法学園が発行してるんだ」
そう言って父様が差し出してきた誌面に軽く目を通してみる。
『人工氷魔石の生成に成功! 今後の課題となる低コスト化』
『魔導工学界の重鎮プリメラーナ師、またまた研究室を爆発させる!』
『航海病の研究チーム始動、求められる海路の安全性』
「なにか面白い内容はあったかい?」
誌面をマジマジと眺める私に父様が訊いてくるが、私は誌面に載っている内容よりも植物紙のほうに興味を持った。
「この紙の作り方が気になります」
私の優秀な頭脳が言っている。
これは前世で見たのと同じ植物紙に見えるが、おそらく作り方が違っていると。
父様は少し硬直したあと、この紙の作り方を教えてくれた。
「そっちか……たしか土に近い状態になるまで腐敗させた植物を土魔法で固めて作っていたはずだよ?」
「ああ、それで厚さが均一にならないのですね」
手にした紙は薄い部分と厚い部分が点在しており、紙としてかなり使いにくそうだった。
納得した私の頭を父様は優しく撫でてくれる。
「植物紙の問題点がよくわかったね……ノエルは紙作りに興味があるのかい?」
父様からの質問に、私は元気よく答える。
「いいえ、まったく!」
「ええ……」
前世の知識で質のいい植物紙を作れば大儲けできるのかもしれないが、自分でやるのは面倒くさい。
そこで一計を案じた私は、パチッ、と指を鳴らし、リドリーちゃんに合図した。
「だけど厚さが均一な植物紙の作り方は思いつきました!」
そしてリドリーちゃんが用意してくれた羊皮紙に、私は朝食用に並べられていた血液でイラストと文字を描いていく。
あっと言う間に紙の作り方を形にして、私はそれを父様へと提出した。
「これなら魔法が使えない人でも紙を作れますよ!」
「ええ…………」
紙漉きの方法を描いたイラストに父様が硬直してしまったが、これでそのうち質のいい植物紙が手に入るようになるだろう。
そんな画策をする私の頭が、後ろからペシッと叩かれる。
振り返るとそこには料理を持った母様がいて、母様は私が空にした血液のグラスを指さして軽く怒った。
「こら! 朝食で遊ぶな! 今すぐ血液をグラスに戻せ!」
我が家において母様の言うことは絶対。
「はーい」
私は父様が読んでいる血文字を宙に浮かべると「ああ!? 待って!」と懇願する父様に心の中で謝りながら血液をグラスに戻した。
すまない父様……最高権力者には逆らえないのだ……。
植物紙を作るのはまた今度にしよう。
そして父様の斜め前の席に私が腰掛けると、テーブルに母様の手料理がドンっと置かれ、朝から脂っこい湯気を立てる厚切りのステーキ肉に、私は向かいの席に座った母様へと意見する。
「あのね母様……普通の人は新鮮な野菜とか果物も食べないと、航海病になっちゃうんだよ?」
朝食のメニューは厚切りステーキだけ。
うちのシェフは超肉食なのだ。
「? 私は肉しか食べないが、病気になったことなんてないぞ?」
あなたは普通の人じゃないから。
リドリーちゃんから非常識だと言われることが多い私でも、母様が異常なことくらいはわかるのだ。
だって母様の食事量、母様の体積よりも多いんだもの……。
テーブルに積み上げられたステーキの山に、私はこの世の不思議を実感した。
これだけ全部食べて、食べ終わった後でもスリムなままなのだから、まさしく母様の胃袋はファンタジーである。
太陽光に強い吸血鬼と宇宙の胃袋を持つ母親。
どちらの超常度が高いかと問われたら、私は間違いなく後者を選ぶ。
細い身体に大量の肉が吸い込まれていく光景はインパクトが抜群だし。
そんな風に私がテーブルに並べられるオーク肉に唖然としていると、となりから父様が声を掛けてきた。
「……どうして野菜や果物を食べないと航海病になるんだい?」
父様に学術的な追求をされながら、母様に「もっと肉を食え」とお世話される。
それが3歳になった私の日常で、私はこの生活がとても気に入っていた。
人間嫌いな私が吸血鬼と狼獣人の息子として生まれたのは幸運だったのかもしれない。
贅沢を言うならこれでかわいい妹でもいてくれたら最高なんだけど……流石にそれは高望みしすぎだろう。
いや、父様と母様は毎晩イチャイチャしてるから、あり得ないとは言い切れないけど。
声がね……聞こえるんですよ……。
普段は凛々しい母様のめちゃくちゃかわいい声が……。
ちなみに私の両親は不老種とかいう年を取らない種族で、若々しく見えても実際は300歳を超えているらしい。
最初はひとりっ子だと思っていた私にも兄と姉がいて、100年以上も昔に生まれた彼らはとっくに独り立ちしているのだとか。
そうしてこの世の不思議に思いを馳せつつ、リア充な父様に航海病のことを説明していると、話が一段落したところで父様が「そう言えば」と話題を変える。
「ノエル、ハルトおじさんのことを覚えているかい?」
ハルトおじさんというのは父様の友人で、ときどきうちの領まで遊びに来る銀髪碧眼のイケオジだ。
「うん、お菓子のおじさんでしょう?」
なんでもハルトおじさんは王都ではそれなりに偉い貴族とかで、遊びに来る時にはいつも貴重なお菓子を持ってきてくれるから、私は彼のことを『お菓子のおじさん』と呼んでいた。
「坊ちゃま……ハルト様をお菓子のおじさんと呼ぶのはやめたほうが……」
私がこの呼び方をするといつも王都育ちのリドリーちゃんが青褪めるが、どうしてお菓子のおじさんと呼んではダメなのだろうか?
蒼月神と同じ銀髪碧眼ってことはそれなりの高位貴族なのだろうけれど、ハルトさん本人もこの呼ばれ方を気に入っているから問題ないと思う。
ちなみに私は王都の貴族関係とか『クソどうでもいい』と思っているので、ハルトさんの身分については詮索しないことにしていた。
観光で行くことくらいはあるかもしれないけれど、私は田舎に骨を埋める気でいるのだから、王都の貴族関係について知る必要もないだろう。
うちのような最底辺の騎士爵家は、ほとんど平民と変わらないって母様も言ってたし。
「おじさんがどうかしたの?」
私が訊ねると父様はナイフとフォークを置いて、真面目な雰囲気で語り出した。
「聞いたことがあると思うけど、ハルトのところには病気の子供がいてね……明日からうちの領で療養することになったんだ」
「ああ、うん、前に言ってたね……」
父様はわかりやすく病気と表現していたけれど、実際は違ったはずだ。
確かハルトさんのところの娘さんは【先祖返り】とかいう特殊な子供で、祖神の血が濃く流れる王族や高位貴族には、稀にそういう子供が現れるらしい。
蒼月神ミストリアは創世神の心臓に呪われているから、先祖返りの子供はその呪いまで色濃く受け継いで、全身の肉という肉が腐ってしまうのだとか。
だからその子が抱えているものは病気ではなく『創世神の呪い』なのだ。
私がハルトさんの娘さんの症状を思い出していると、父様は私の肩に手を置いて真剣な声を出す。
「病気が感染ることはないから安心していい。そしてできればノエルには彼女と仲良くしてほしいんだけど……友達になることはできそうかい?」
わざわざ父様がこんなことを言ってくるということは、その子の見た目はよほど痛々しいことになっているのだろう。
アレルギーみたいなものは大人になれば治ることが多いと知っている私は素直に頷くことができた。
「仲良くできるよ! めっちゃできる!」
むしろ仲良くする以外の選択肢なんて無いだろう。
ハルトおじさんの娘さんなら絶対に美人さんだし、むしろ積極的に仲良くなりに行こうとすら思っていた。
美人の幼馴染とか憧れるしね。
私の返事に満足したのか、父様は肩から手を離して食事に戻る。
「ノエルがいい子で良かったよ。それじゃあ明日の朝、いっしょに挨拶に行こう」
そして私の田舎暮らしに、新たな出会いとなるイベントが追加された。