第83話 聖光騎士団VS新月教団 ④
SIDE:とある軽薄な治癒師
闇に満たされた回廊はどこまでも終わりなく続き、小一時間ほど走ったところで壁に現れる赤い数字が三十を切った。
『のこり28』
俺たちは襲撃してくる怪物たちを撃退しながら、先へ先へとひたすらに走り続ける。
最初は姿を透明にする能力を持った敵に戸惑いもしたが、移動することでやつらの隠蔽能力にズレが生じることがわかったのは不幸中の幸いだった。
怪物が動くことで空間が歪んで見えるため、注意していれば捕まることはない。
動かずに待ち伏せをされると厄介なのだが、どういうわけか怪物たちは俺たちを追いかけることに固執しているらしく、メリッシュがその意味を理解して苦々しく呟いた。
「なるほど、『おいかけっこ』ですか……どうやら我々は遊ばれているみたいですね……」
「けっ……人間様をオモチャにするとは趣味の悪いやつらだぜ!」
他の者よりも重装備なバーンズが汗を流しながら悪態をついて、恐怖から頻繁に後ろを振り返っていたウェイドが震える声で叫んだ。
「ま、またアレが来ましたっ! 触手のバケモノですっ!」
少しだけ視線を背後に送って確認すると、そこには三〇分ほど前から執拗に俺たちを追いかけ続ける触手の塊がいた。
そいつは執念深い性格をしているのか、途中からは透明になる魔法が解除されたことにも構わず、俺たちのことをずっと追いかけ続けている。
いちおう獣を模しているのか動きは四足動物っぽいのだが、体中に生えた触手と感情を感じない目玉と角が、まともな生物ではないことを如実に現していた。
怪物が伸ばしてくる触手をバーンズが防ぎ、メリッシュが素早く斬り捨てる。
「ああっ! くそっ! いくら追い払ってもキリがねえっ!」
「触手が少なくなると逃げ、再生したら戻ってくる……趣味だけでなく性格まで悪いようです……」
そして怪物の触手が半分になったあたりで、前を走るハンクが大声を上げた。
「水だっ!」
後ろへと向けていた意識を前に戻すと通路の先から大量の水流が押し寄せてきており、俺たちは咄嗟に進路を変えて脇道へと入る。
ハンク、俺、ウェイド、メリッシュと角を曲がり……しかし最後尾にいたバーンズがそこで足を止めた。
「――逃げ回るのはもうウンザリだ……後は任せたぜっ!」
そう言って盾を放り投げて、追ってきた触手のバケモノに組み付くバーンズ。
そのまま戦友と怪物は鉄砲水に飲み込まれて、俺たちは身を呈して時間を稼いでくれた仲間のために死ぬ気で走った。
「……くっ!?」
長年に渡り相棒としてつるんでいたメリッシュが食いしばった口元から血を流していたが、血を利用されないようすぐに拭って前を向く。
しばらく走り続けると後ろに迫っていた水の勢いが徐々に弱まっていき、やがて水位が膝のあたりまで低くなったところでハンクが足を止めた。
「階段がある……下りる前に少し休もう」
通路の先には確かに階段があり、さらなる深部へと俺たちを誘うために口を開けていた。
ハンクと俺とウェイドは互いに背中合わせで立ち、周囲を警戒しながら息を整える。
しかしメリッシュだけは近くの扉に刻まれた血文字へと殺気を向けていた。
『のこり13♪』
まるでバーンズの死を嘲笑うかのようなその文字に、メリッシュは剣を抜く。
キンッ、と金属を裂く音とともに扉が真っ二つに斬れて、
「ああ……これだから剣が効かないバケモノは…………」
扉の向こうにあった赤い壁から赤い手が伸びてきて、音も無くメリッシュが引きずり込まれた。
「「っ!??」」
そしてちょうどその方向へと視線を向けていた俺とウェイドは見てしまった。
赤い壁の表面に浮かぶ数十の邪眼。
そのすべての視線がこちらへと向けられており、悪魔の群れに品定めされているような重圧に、見習いが盾と剣を落として恐怖に飲まれた。
「うっ……うわああああああああああああああっ!??」
「ウェイドっ!?」
悲鳴をあげて階段を駆け下りていくウェイドとハンクに気を取られ、ほんの一瞬だけ赤い壁から視線を逸らすと、次に見た時にはそこには何も無かった。
廊下には真っ二つに両断された扉が転がり、その向こうにはただ暗闇で満たされた小部屋があるだけ……。
「なんだ今のは……」
度を越えた恐怖が見せる幻覚か、それとも悪夢よりも酷い現実か。
眼玉が浮かぶ赤い壁はメリッシュもろとも消えてしまっていた。
しかし仲間を探す余裕など今の俺たちにはない。
小部屋の暗闇からまたあれが這い出してくるのではないかと恐れ、俺は背中に嫌な汗を流しながら踵を返す。
転げ落ちるように階段を下りてハンクたちの後を追いかけると、しかし辿りついたのは雲の上にある塔の先端だった。
「…………は?」
急に見えた青空に頭が混乱する。
俺たちは地上から下へ下へと階段を下りていたはずなのに……どうして建物の頂上に出るんだ?
振り返ってもそこには下りてきたはずの上り階段はなく、代わりに下り階段が現れていた。
感覚が狂わされている?
いや、空間そのものが捻じ曲げられているのか?
円柱状の塔の先端部からは12本の柱に切り取られた青空と雲海が見えて、そのうちの一角からウェイドとハンクが遠くの空を眺めて固まっていた。
「おい! なに止まってんだ!」
確かに常識を越えた光景ではあるが、相手が人智を越えた存在だとわかった瞬間から、この程度の超常は覚悟していたはずだ。
仲間たちの犠牲を無駄にする行動に俺が語気を荒げると、ウェイドが震える手で雲の上を指差した。
「?」
目を凝らして見ると、真っ白な雲海に小さな点が浮かんでいて、
「っ!?」
無数に浮かぶその点が『人の形』をしていることに気がついて、俺も二人と同様に固まった。
さらに300近い小さな点は雲の上で微かに動いていて……仲間が死ぬことすら許されず生け捕りにされている現実にウェイドが嘔吐する。
「……じ、邪神だ……ここにいるのは本物の邪神なんだ…………」
兜を脱ぎ捨てたウェイドが頭皮に爪を立てて掻き毟る。
見習いの狂乱した行動を止めることもできずに俺が固まっていると、一陣の強い風が吹いて雲の下で振り続ける雨が巻き上がった。
その水滴が青空全体に広がると、仲間たちの身体を掴んでいたナニカの透明な膜が剥がれ落ちて、真っ白な雲海に巨大な赤い触手が現れる。
俺たちがいる塔よりも太い触手は雲の下から数百本も伸びて、仲間たちの身体を捕らえていた。
「……い、いやだっ!? あんなのに捕まりたくないっ!!」
泣きながらウェイドがこちらへと振り返り、
「……あ…………」
そして塔の外をよじ登ってきたバケモノに身体を掴まれて、絶望に表情を失った。
俺たちが助ける間もなくウェイドの姿は雲の中へと消え、塔の柱に赤い文字が現れる。
『のこり2』
その文字が意味することは、俺とハンク以外はみんな捕まってしまったということ。
ろくな情報も得られず全滅する現実に心が折れそうになる。
気がつけば俺たちがいる塔の周りは翼を持ったバケモノに囲まれていて、その頭部に描かれた不気味な笑顔を目にした俺は、咄嗟に剣を抜いて塔から飛び降りた。
「マイクっ!?」
背後で俺の名を叫んだハンクが慌てて後を追ってくる。
雲の上まで伸びる塔から飛び降りるなんて自殺行為だが、俺の直感が今はこうするべきだと告げていた。
きっと愛しのエスメラルダ隊長ならこうすると思ったからだろう。
飛びかかってくる怪物を切りつけて追い払い、雲の下まで突き抜ける。
そのまま豪雨の中を自然落下していくと、やがて地上に並ぶ建物の屋根が近付いてきて、俺は全身の神聖気を活性化させて真下へと聖なる魔力を全力でぶつけた。
屋根が吹き飛んだ爆風で少しだけ落下の勢いが抑えられ、建物の中へと突入する。
「ぐっ!?」
いつの間にか【暗視】の魔法が切れていたらしく、着地のタイミングを見誤って片足を痛めてしまったが、どうにか俺は怪物の包囲を抜けることができた。
すぐにハンクも近くに降り立つ音がして、俺とは違って闇の中でも上手く着地したらしい相棒が駆け寄ってくる。
「……大丈夫か?」
すかさずハンクが治癒魔法を発動して、骨が見えていた俺の足を治してくれた。
「ハハッ……これじゃあどっちが治癒師だかわからないな……」
「まったく……無茶をして……」
起き上がって嘆息する相棒のとなりに並び立つと、少しは心に勇気が湧いてきた。
視界が真っ暗なままでは何もできないので、俺は敵に発見されることも構わず手の平から光球を出して周囲を照らす。
光によって現れたのは太い石柱に支えられた巨大な部屋で、
「……こいつを持ち帰ったら向こう数千年は遊んで暮らせそうだな…………」
足元にはどこまでも続く黄金の海が広がっていた。
横も縦も光が奥まで届かないほど広いが……窓が無いところを見るに地下空間だろうか?
どうやら敵の宝物庫へと迷い込んだらしい光景に、俺は少しだけ希望を抱く。
……もしかしたらここに聖剣が埋もれているんじゃないか?
それを手にしたハンクといっしょに隊長と合流し、王都へと凱旋する未来を妄想するが、しかしその淡い希望はすぐに石柱に現れた血文字によって掻き消された。
『……驚きました……まさか主の手前まで到達する者が現れるとは……侵入者の転移は後輩に任せていましたが……ランダム転移というのも考えものですね……』
先ほどまでとは違って流暢な文章を描く血文字に、俺は剣を構えて光球の明かりが届かない暗がりへと叫ぶ。
「姿を現せっ! この臆病者がっ!!」
どうにか黒幕を引きずり出そうと挑発すると、血文字は困ったように蠢いた。
『? 私なら最初から姿を現しているではありませんか? ほら、今もあなたの目の前に――』
そして空中に浮かび上がった血文字は、集合して膨れ上がり、人型を取って黄金の上に着地してみせた。
ぷるっ!
最終的にリス獣人のような女の姿に変わった赤いナニカは、体表に無数の眼球を浮かび上がらせ、顔の真ん中に乱杭歯が並ぶ邪悪な切れ目を出現させる。
「――血文字などで対応して申し訳ございません。いちおう『口』は手に入れていたのですが……ご覧の通りかわいくありませんので、使用を控えていたのです」
「っ!?」
そいつが声を発しただけで魂を削るような痛みが全身を駆け抜け……俺は思わず金貨で埋め尽くされた床に膝を突いた。
そんな様子を観察しながら、異形は淡々と続ける。
「ああ……この声には精神を乱す効果があるのですか……やはり主の前では使えませんね……」
ただそこに存在するだけで狂気を振りまく人外に、俺は全身を震わせながら誰何した。
「……な、なんなんだ貴様は!?」
長年世界を旅してきたが、こんな邪悪な生物など見たことも聞いたこともない。
恐怖に満ちた問いかけに、しかしその異形は顎に手を当ててゆっくりと考察をはじめる。
「……主が『ひとりずつ捕獲するように』と指示を出したのは不思議でしたが……つまり私たちにこれを体験させたかったわけですか……相変わらず底の見えない御方です……」
そしてとても嬉しそうに、ぷるっ、と全身を震わせた異形は、全身に浮かぶ眼玉を俺たちのほうへと向けてきた。
「がっ!!?」
視線を向けられただけで神聖気の守りを突き抜けて複数の状態異常が発生し、俺とハンクは剣を杖のようにして、どうにか倒れることだけは避けた。
おそらくこいつの前で倒れたら、二度と起き上がることはできないだろう。
必死で邪視へと抵抗する俺たちの様子も気にせず、
「皆様のことは少し調べさせていただきました」
異形は淡々と精神を削る声で語りかけてくる。
「【星詠の巫女】――もとい、金月神に憧れた愚かな錬金術師……女神の血から複製された【未来視の偽神眼】……そしてその操り人形となった聖騎士たち……」
その言葉を聞き逃すなどあり得ないはずなのに……どういうわけか俺には異形が放つ言葉の意味をまったく理解することができなかった。
「な、なにを言っている!?」
激しい頭痛と戦いながら叫ぶと、異形は首を傾げて言葉を続ける。
「……その洗脳も厄介ですが……未来視の金眼が持つ【運命操作】という権能こそ最も警戒すべき脅威なのですね……私が万全の防衛体制を構築しても、誘導をすり抜けて手駒をここまで送ってくるのですから……」
そして両手を大きく開いた赤い異形は、鼻血を流す俺へと笑いかけた。
「――まあ、片目とはいえ『本物』を持つ主のほうが、数段上みたいですけれど」
理解不能な忌々しい音波を垂れ流すバケモノに、胸の奥で急激に殺意が膨れ上がる。
「あああああああああああああっ!!?」
全身の穴という穴から血が吹き出すのも構わず、俺は無理に状態異常を突破して剣を振るおうとするが、異形はただ空中に見慣れた文字を浮かべてみせた。
『のこり1』
その意味を理解して混乱した意識の隙間を縫うように、背後から突き出された剣が俺の心臓を貫く。
「――がっ!!?」
激しい痛みに振り返ると、そこでは眼玉をキョロキョロさせたハンクが見たこともないほど嬉しそうに笑っていて、
「……糞ったれのバケモノが…………」
俺は正面へと視線を戻して悪態を吐いた。
「ああ、そう言えばまだ名乗っていませんでしたね……」
それを聞いた異形は、ポンッ、と手を叩き、
「はじめまして聖騎士様――」
体表の眼球を爛々と輝かせて、貴族令嬢も顔負けのカーテシーを披露する。
「――私はメアリー。至高を目指し、全能を求め、影から主に奉仕する者」
そしてあまりにも傲慢な自己紹介を終えると、メアリーと名乗った異形は手の平に軽々と【完全治癒】の神聖魔法を宿してみせて、
「皆様とは末永い付き合いになりそうですから、どうかお見知りおきを」
決して楽には死なせない、というその邪悪な宣告に……俺の心は完璧に圧し折られた…………。