第78話 危ない聖騎士さん
SIDE:ノエル
水路の設置を終えた二時間後。
いちど家に戻って夕食を取り、アイリスが食後の満腹感によってウトウトしはじめたところで、私はなかなか帰ってこないシャルさんの回収に向かうことにした。
夕食が終わるまでには帰ってくると思っていたのだが、どうやらガチ寝しているらしい。
無駄にプライドの高いシャルさんはメアリーに頼んで家まで送ってもらうことを嫌うため、森で迷子になったり昼寝したまま帰ってこないシャルさんを迎えに行くのは私の仕事だった。
「やれやれ……これじゃあ【放浪剣】というより【徘徊剣】だよ……」
私はメアリーが用意してくれた外套を羽織り、おばあちゃんを探すために家を出る。
いちおう金髪美女のお迎えなのでアイリスに嫉妬されないようこっそり裏庭から出ると、そこではリドリーちゃんが物々しい装備をした村人たちに囲まれて修行しているところだった。
「――一班から三班は撹乱に集中っ! 四班と五班で急所を狙えっ!」
「――大技来るぞっ! 防御陣形っ!」
「――行けっ! 行けっ! ぶっ殺せっ! 殺すつもりじゃないとこっちが殺られるぞっ!」
まるで町内会の定例行事のように、抜群の連携を発揮する村人たち。
「――私は死なないっ! 私は生きるっ! たとえ未来でどんな試練が待っていようともっ!」
血まみれになりながらも瞳に力を宿し、意気軒昂に叫ぶリドリーちゃん。
……あの感じならまだ大丈夫そうかな。
本当にヤバくなったら笑い出すから、この分なら明日の朝までは放っておいても死なないだろう。
専属メイドさんの状態を把握して、私はメアリーが作ってくれたゲートをくぐり秘密基地へと転移する。
ちょうどメアリーがシャルさんの落下地点にゲートを開いてくれたおかげで、徘徊剣の捜索作業はスムーズに進んだ。
「むにゃぁ…………」
地面に空いた人形の穴から響いてくる寝息に、私は腰に手を当てて声を張った。
「ちょっとシャル! いつまで寝てるつもり!? もう夕食の時間すぎちゃったよ!」
「ふがっ……!?」
そこそこ時間を置いたことで十分な睡眠が取れたのか、あっさり目を覚ますシャルさん。
これで寝足りないとまったく起きないのだから困った愛剣である。
「ぬおっ!? これは一体どういうことじゃっ!? 真っ暗なうえに、まったく動けんっ!!?」
土の中で混乱する金髪美女の後頭部に、私は優しく状況を教えてあげた。
「そりゃあ地面に深くめり込んでいるんだから動けるわけないよ……というか、どうやったらそんな芸当ができるの?」
普通は地面でバウンドすると思うのだが……相変わらずシャルさんの生態は謎である。
「まあ、たとえ人の姿をしていようとも妾に貫けぬものはないからな! ……ところで本格的に身動きがとれないのじゃが……ちょっと引っ張り上げてはくれまいか?」
「もー……シャルは手がかかるんだから……」
今もリドリーちゃんに手を焼かせまくっている自分のことは棚上げにして、私は【血液操作】でロープを作って地面の底からシャルさんを引っ張り上げる。
地面にシャルさんの身体が引っかかって軽く喧嘩になったものの、最終的にはシャルさんが剣に変身することで無事に引っこ抜くことができた。
「……最初から剣の姿になればよかったね?」
「うむ、しかし酷い目にあった……目が覚めたら土の中にいるとは……新手の超常現象か?」
アイリスがポイってしたことは……黙っておくことにしよう。
「ああ、うん……世の中って不思議なことがたくさん起こるから……」
そして私が立ち上がって家に帰ろうとすると、背後から女性の声が聞こえてきた。
「……なんと……神々しい……っ!!!」
振り返ると、そこにはかつてオルタナの街で見かけた女騎士さんがいて……彼女は今にも跪いて祈りそうな表情を私に向けていた。
「あっ……やべっ!?」
慌てて顔を触って確認するが、そこには何も着いておらず、私は自分の失敗を悟る。
ちゃんと着けろって言われてたのに……眼帯するの忘れてたっ!
最近の悪癖は軽く注意されたくらいでは直らなかったらしく、私の眼を見た女騎士さんが両手を広げてにじり寄ってきた。
「……あるじさま……あなた様こそっ……我が主様だっ!」
ああ……これはアカンやつだ…………。
女騎士さんの目が完全にイっちゃってる……。
ただの一般人ならよかったのに……この人ぜったい宗教関係者だよっ!?
シャルさんをも超える巨乳美人に詰め寄られるというのは男としては嬉しいものがあったが……しかし完全にこれはアウトだった。
「さあ、主様っ! 私とともに参りましょうっ! 私があなたを王都までご案内いたしますっ!」
「あ、いえ……僕は田舎がいいというか…………」
「心配する必要などまったくございませんっ! あなた様には栄光の未来が待っているのですからっ!!」
「……い、いや、栄光とか欠片も興味がないというか…………」
「さあっ! さあっ!! このエスメラルダとともに参りましょうっ!!!」
まったく人の話を聞いてくれる気配の無い女騎士さんに、私はかつて母様に聞かされた言葉を思い出す。
『いいかノエル? お前の目は決して家族以外には見せるな……宗教に狂った人間というやつは、怒り狂った真龍よりも恐ろしいからな?』
そうだね母様……120%の笑顔で寄ってくる他人って本当に怖いんだね……。
しかしまだ焦る時間じゃない。
私には鍛え上げた複数の逃走能力があるのだから、ここで捕まる気は毛ほどもなかった。
今こそこの女騎士さんに転生リードというやつを見せつけてやろう。
フハハハハッ!
残念だったな女騎士め!
真の吸血鬼は逃げ足が早いのだよっ!
そして私はさっそく影の中へと潜ろうとして、
「……ん?」
自分の足元が光り輝いていることに気がついた。
「んんんんっ!?!?」
頑張って影の中に逃げようとしても、光が邪魔してそもそも影ができない。
その光の源流を辿っていくとそこには女騎士さんがいて……真顔になった彼女はハイライトの消えた目を私へと向けていた。
「……どうして逃げようとするのですか?」
あひぇ……。
この人……ヤバい人だ……。
エストランド領の中でも逃げ足が早いことで有名な私が逃げられないということは、少なくとも彼女の実力が母様やリドリーちゃんと同レベル以上であることは間違いなかった。
通常の転移魔法で逃げようと試みても、足元から昇ってくる神聖気が邪魔をして、術式を上手く組むことができない。
あれ……これもしかして本気で詰んだ?
強制的に王都へとドナドナされていく自分の姿を想像して、私は手にする愛剣へと相談する。
「……シャル、どうにかして逃げる方法ってないかな?」
切羽詰まって冷や汗を流す私の質問を、しかしシャルさんは無慈悲に切り捨てた。
「いや、こいつはどうしようもないじゃろ。逃げようにも主君があまりに雑魚すぎる」
この正直者っ!?
愛剣から突き放された私は頭脳を高速回転させて、女騎士さんから逃れる術を考えた。
メアリーは……運悪く近場の個体が寝ぼけていて当てにできない。
影が無いということはストックしてある血液やパワーアーマーも使えないし、ここは今あるものでどうにかするしかないだろう。
そして女騎士さんの足が踏み出されるまでのわずかな時間で、私の優秀な頭脳は最も勝率の高い作戦を捻り出した。
「ゴリアテっ!」
ボアッ!
影から眷属を呼び出せないなら、すでに出現している眷属の力を借りればいい。
さあ、今こそ活躍する時だゴリアテよ!
その無駄に育った質量の力を見せてやれっ!
私が戦闘指示を念話で飛ばすと、ゴリアテは城の一部を手の形に変えて、女騎士さんを捕らえようとする。
ボアアアアアアアアッ!
ゴリアテの咆哮によって私の鼓膜が、パンッ、と爆ぜたが、しかし戦闘慣れした女騎士さんは平然と背中から巨大な両手斧を取り出して、迫りくるゴリアテの腕に斬撃を放った。
「シッ!」
腕ごと縦にぶった斬られるゴリアテ……。
まあ、そうなるよね……これくらいだったら母様でもやってくるもの……。
だけどまだ私の策略は終わっていない。
ボアアッ!
空中で斬り刻まれたゴリアテの腕からは小さなモコモコが大量に飛び出してきて、そいつらは器用に瓦礫を蹴って女騎士さんへと全方位攻撃を仕掛けた。
フハハハハハッ!
これぞ我が真の奥の手――【魔児奇魑爆弾】!
アイリスでも苦戦した人形たちの物量攻撃を食らうがいいっ!!
モキュ!
モキュッ!!
モキュキュ~~~ッ!!!
と、千を超える精鋭部隊が捨て身の特攻をかまし、リドリーちゃんの得意としている【鬼怪闘法】で女騎士さんをタコ殴りにしようとする。
そしてたとえ母様だろうとボコボコにできる可能性を秘めた奥の手は――しかし次に女騎士さんが放った一言によって雲散霧消した。
「――【光よ】」
それは簡略化した聖句の詠唱。
軽い浄化を願う時に用いる聖なる言葉が女騎士さんを中心に極光を発生させ、殴りかかったリドリードールとゴリアテの半分を消滅させる。
「ふぁっ!??」
そのあまりにも理不尽な光景を目にした私は、心の底に残っていた微かな余裕まで失った。
ヤバイッ……ヤバイヤバイヤバイッ!?
この人いま『呪いを浄化できないはずがない』という盲信だけで、眷属たちが持つ神聖気耐性を貫通しやがった!?
ゴリアテもリドリードールも元は【呪物】系の魔物だから、私が与えている神聖気耐性を失えば軽い浄化でも消されてしまう。
さらに言えば、今の浄化の対象が『呪い』だったからよかったものの、もしも『吸血鬼』を対象にされたら私の耐性すらも貫通される恐れがあった。
身に纏う神聖気の量はアイリスのほうが上だけど……この人は神聖気の扱いが上手すぎるっ!
そう……この女騎士さんはまさしく吸血鬼の……――。
――天敵。
そんな言葉が頭に浮かんだ時には、もう私の前まで女騎士さんが迫っていた。
2メートルを超える巨体が月明かりの中で影を作り、怪しい魔力を帯びた緑色の瞳が私を凝視してくる。
「なにも恐れることなどございません、我が主よ」
淡々と無感情に囁かれたその言葉は生まれてはじめて感じるほど怖くて、全身に鳥肌が立った。
続けてこちらに伸びてくる腕を私には避ける術がもう無くて、
あ……終わった…………。
と、私はスローライフの終焉を覚悟する。
そして大きな手が私の未来を押しつぶそうとした時――眩い銀色の光が私と女騎士さんの間に割って入った。
「――【閃光雷神脚】っ!」
電光を纏ったアイリスの蹴りが女騎士さんの顔を捉え、牛人族の巨体を数十メートルも吹っ飛ばす。
そして飛び蹴りから器用に空中で体勢を整えたアイリスは、超高密度の神聖気で強烈な光源を生み出して、新たに発生した女騎士さんの影へと向けて叫んだ。
「メアリーっ!」
ぷるっ!
勢いよく影から伸び出たメアリーは女騎士さんの吹き飛ぶ先に赤い輪っかを作り、その中に広げた【転移門】で私の天敵をどこかへと飛ばす。
ほんの一瞬で危機から脱した私は全身に冷や汗をかいて、肺の中から空気を吐き出した。
「……た、助かったぁ!」
シャルさんを落とし、必要もないのに肩で息をして、地面にへたり込む私へとアイリスが駆け寄ってくる。
「ノエル!」
彼女は私の前でしゃがみ込むと、なぜか申し訳なさそうな顔をして謝罪してきた。
「怖い思いをさせてごめんなさい! だけどこれしか勝ち筋を思いつかなかったの!」
その正直な告白に、私は彼女の暗躍を察した。
「もしかして……奇襲のタイミングをうかがってた?」
……さてはメアリーもグルだったな?
ジト目を向ける私に、アイリスはかわいくウィンクする。
「私たちがあなたから目を離すわけないでしょう?」
「……君ってやつは…………」
なんとも抜け目ない婚約者だが、今はその愛情が頼もしい。
そのまま彼女は私の頬へとキスをして、地面に転がるシャルさんを掴んで再び立ち上がった。
「ノエルは他の侵入者を生け捕りにしてくれる?」
「あ、はい」
キスひとつで婚約者の言いなりになる私は、きっと素晴らしい夫になるだろう。
そして去り際に振り返ったアイリスは、戦女神のように美しく微笑む。
「――安心して。あなたは必ず、私が守るから」
月光を纏い、剣を手にして颯爽と転移門をくぐる婚約者の背中に、キュン、と胸がときめいた。
「……かっこいい…………」
……しかしこれは複雑な気分だ。
フィアンセに惚れ直したのはいいけれど……ひとりの男として、私は守られるだけなのが純粋に悔しかった。