第76話 商会と狂信者 後
SIDE:グランツ
恋に狂った信者たちを止めることなどできるはずもなく、私は酒場のカウンターでスナギツネみたいな顔をしてグラスを磨く店主にヤケクソで注文した。
「火酒をひとつ……」
「あ、ああ……」
すると店主はグラスを二つ用意して、なみなみと琥珀色の酒を注ぐ。
「すみません……支払いは私に付けてください」
「ああ……」
そして喉を焼く酒を店主といっしょにグイッとあおり、私はカウンターで頭を抱えた。
「……というか、どうするんだよこれ……エレナ殿がいるから魔物素材はともかく、神殿の許可もなく聖水を売るのは流石にマズいだろ……」
神殿騎士団が出てきて処刑される光景が脳裏を過るが、しかし店主が悪い妄想を否定する。
「それならおそらく問題はないと思うぞ?」
「……へ?」
そう言う店主の視線を追って横へと顔を向けると、カウンターの隅でひとりの男性神官が聖水の小瓶を恍惚とした表情で眺めていた。
「あの方は確か……アーサー殿の協力者の……」
「ハインリヒだ。あいつは最近、オルタナ神殿の神殿長に大抜擢されたらしい」
街を離れている間に起こったニュースに、私は素直な疑問を抱く。
「……彼はまだ新人だったはずでは?」
通常ではあり得ない人事だが、情報通な酒場の店主は肩をすくめた。
「古参の神官はことごとく民からの信頼を失っていたからな……神殿は少しでも人気取りがしたかったんだろう」
こちらの視線に気づいたハインリヒ殿は柔和な笑みを浮かべて会釈してくる。
それと同時に店主がカウンターの下から一枚の羊皮紙を取り出して、私の前へと静かに置いた。
「……これは?」
「ハインリヒから、免罪符だそうだ」
「免罪符……」
中身を確認してみると、そこには『商売の邪魔をする神官を斬り捨てることを許可する』旨がオルタナ神殿長の肩書きとともに記されており……再びハインリヒ殿へと視線を向けると、彼は怪しい光を瞳に宿して微笑んできた。
「――すべては使徒様のお導きのままに」
……この街の双月神殿はすでに【新月教団】の支配下にあるらしい。
あまりの侵食の速さに私が薄ら寒いものを感じて震えていると、店主が追加の火酒を空のグラスに注いでくれる。
「おごりだ」
「……ありがとうございます」
なみなみと注がれた酒を飲み干すが、これだけ飲んでもまったく酔うことができない。
そして私が追加の火酒を頼もうとしたところで、
「グランツっ!」
今度は酒場の入口からシェリルが駆け込んできた。
「あ…………」
一難去ってまた一難とはこのことだ。
わかりやすく怒りのオーラを発する彼女は、小さな顎をシャクって『ツラを貸せ』と私にジェスチャーしてくる。
大切な同僚からの呼び出しに、私は胃がキリキリと痛みはじめるのを感じた。
「まあ、頑張れよ……」
「はい……」
店主に見送られて店を出て、シェリルの気配を追って人気のない路地裏へと入る。
そこでは腕を組んで仁王立ちした想い人が立っており……彼女から発せられる殺気に私は複雑な気分になった。
「……なんであんたがアーサーと商売してるのよ?」
エストランド領での商売は極秘任務だったためシェリルにも黙って出ていたが、それがここに来て悪い方向に疑惑を生んでいるらしい。
これまで感じたことのない想い人からの『関心』に、私の脳裏にアイリス殿下の影が過ぎった。
なるほど……すべては殿下の思惑通りというわけか……。
ここでシェリルに殿下が存命していることを伝えれば、彼女は間違いなくエストランド領へと向かうだろう。
あの人外魔境に許可なく侵入して、果たして彼女は無事で返ってくることができるだろうか?
なにより私自身が精神や記憶の操作を受けている可能性がある今、殿下が暴走した時のストッパー役を守るためにも、シェリルに情報を伝えることはできなかった。
「…………」
「早く説明しなさいよっ!」
仕方なく同僚を守ることを選択した私は、これまた仕方なく『危険な男のフリ』を演じる。
「――お前に語ることはなにも無い」
「なっ!?」
「これからは別々に行動しよう。私にはやらなければならないことができた」
手短に別れを告げて路地裏から出ようとする私の背中に、シェリルの殺気が突き刺さる。
「まさか王国を裏切るつもり?」
「…………」
「なんとか言いなさいよっ! グランツっ!」
「…………」
「あんたはずっと変わらず仲間だって……信じてたのにっ!」
「…………」
余計な事を言うと彼女まで『アカイトビラ』になりそうなので、沈黙を貫く私の背中にシェリルは熱烈な感情を向けてきた。
「――許さない! そんなの絶対に許さないっ! 覚えておきなさいっ! あんたが本当に裏切るつもりなら、私があんたを殺すからっ!!!」
そして明るい大通りへと歩み出た私は、すべてがアドバイス通り『シェリルから追いかけられる展開』になったことに、アイリス殿下への尊敬の念を強めた。
「……こいつはすごいことになった!」
自分の恋には不器用なくせに、他人の恋には天才的なアドバイスができるのですね、殿下。
これまで数百年も変わらなかったシェリルとの関係性が、ものの数分で確実に変化したのだから、殿下の人を見る目は本物だろう。
夜道で殿下に教わった助言を心の中で繰り返し、私は酒場へと戻る。
『――いいこと? 愛と憎しみは表裏一体だと知りなさい』
『――まずは恨まれてでも風景の一部から脱却することが、シェリル攻略の糸口なの』
『――あなたしか見えなくなるほどシェリルの憎しみを積み上げて、そこで私が生きていることを教えれば……ほら、彼女の憎悪が反転して深い敬愛へと変わりそうでしょう?』
なにやら殿下のいいように使われている気もするが……密偵の仕事はただ主の命令を忠実に守るだけなのだ。
「仕方ない……これは本当に仕方ない……」
公私混同をしている気もするが、【神の眼】を持つ半神の命令に従うのは王国のため……。
そんな言い訳を内心で連ねた私は、北の空に向かって祈りを捧げる。
「……決して悪いことにはならないと信じていますよ、殿下…………」
◆◆◆
――それから三日後の現在。
リドルリーナ商会の拠点で美女たちに書類へのサインを強要されていた私は、乱暴に扉を開けて執務室へと侵入してきた女の姿に目を丸くした。
「……あ、あなたは…………」
手には固く握りしめた聖水の瓶。
乱れた金色の髪と、目の下にできた深いクマ。
初めて出会った時に見せた自信に満ちた姿は消え失せ、危うい気配を漂わせるその女は、私にエメラルドのような瞳を向けて狂気的に笑った。
「ああ……見つけた……ようやく見つけたぞ、密偵……」
かつて彼女に顔を見られたのはアイリス殿下の遺体を輸送する時のことだ。
私はセレス様とイザベラ様の影に隠れてまったく目立っていなかったはずだが、万が一を考えて行動するのが優秀な密偵というもの。
だからこそ私は彼女を監視することで顔を合わせないように気をつけ、顔を見られていないシェリルにアーサーの追跡を任せていた。
静止しようとする秘書たちを後から入室してきた聖騎士たちが止め、執務室の中央まで足を踏み入れた女は机に置かれた【刻死樹海】の魔物素材に気づいて、口の端が裂けそうなほど笑みを深くする。
「……そうか……あの御方は『そこ』にいらっしゃるのか…………」
狂喜する彼女の身体から溢れ出る聖なる光は、生まれつき神聖気を体内で生成する特殊能力を持った【神憑り】の証。
聖騎士として研ぎ澄まされたその肉体は鋼すらも容易に弾き、たとえ傷ついたとしても無限に湧き出る神聖気が即座に傷を癒やす。
その不死にも近い牛人族の恵体と、不屈の精神で真っ直ぐ目標へと猛進するイカれた戦いぶりから、付いた渾名は――【鈍牛】。
「ああっ! ああっ! なんと喜ばしいことかっ! 運命を司る【双月神】は我らを見捨てていなかった!」
信仰対象の居場所を突き止めた聖騎士は、天に向かって腕を広げ、奇跡を渇望する狂信者の如く切実に叫ぶ。
「――待っていてください、我が主よっ! 今! このエスメラルダがお迎えにあがりますっ!」
そして隠蔽対象の居場所を突き止められた私も、【新月教団】と【聖光騎士団】の戦争がはじまりそうな気配を察して心の中で絶叫した。
――だから『密偵は目立ってはいけない』と思いましたのにっ!!!