第74話 聖水浴と英才教育
SIDE:ノエル
アリアさんから守るため、気絶したグランツさんをメアリーにオルタナの街まで送ってもらった三日後。
今日も地獄へとドナドナされていくリドリーちゃんを見送った私たちは、メアリーから『聖水がさっそく売り切れた』という嬉しい報告を受け取って、ゴリアテの地下で追加分の聖水の準備に取りかかることにした。
余裕をもって200本も持たせたのにたった三日で売り切れるとは、本当にオルタナの街は聖職者不足らしい。
黒い石材で囲まれたゴリアテの地下道を歩きながら、私は生首を抱えてとなりを歩く婚約者をベタ褒めする。
「いや~、流石はアイリス! 黄金の代わりになるものとして、真っ先に聖水を閃くなんて天才だよ!」
素晴らしいアイデアを称賛すると、普段はクールな婚約者が謙遜して頬を赤く染めた。
「偶然よ。ちょっと作り方を教わったことがあって、力の消費が大きいことを覚えていたから」
イチャイチャする私たちに、シャルさんが呆れた視線を向けてくる。
「……こやつらには世界の陰陽バランスというものを教えてやらんといかんな……ミストの【先祖返り】が本気で作った聖水を創世神の力で量産するとか頭がおかしいのじゃ……」
保護者面をするシャルさんの呟きから、私は気になった言葉を確認する。
「陰陽バランスってなに?」
「……はて? なんじゃったか??」
「無駄よ、ノエル。シャルは常に反射で話しているだけだから」
「うむ! 剣とは反射で振るうものじゃからな!」
「「それっぽい……」」
相変わらずシャルさんの頭は空っぽみたいなので、そのうちセレスさんにでも聞いてみよう。
いま大切なのは聖水が複製するのにちょうどいいアイテムだということなのだ。
黄金を【複製創造】するのは色々と問題があるけれど、聖水ならばアーサーが作ったという名目で商品化できる。
最初はそんな軽い気持ちではじめた大量生産だったが、アイリスが生産に高魔力を必要とする聖水を作成してくれたことで、聖水は同時にゴリアテの魔力供給過多問題を解決する切り札にもなりそうだった。
賢い私は昨日のうちに巨大な地下貯水池を用意しておいたから、これでしばらくはゴリアテの魔力を気にしなくていいだろう。
しかし朝の散歩がてら地下道を歩いて貯水池のある大部屋までやってきた私は……その部屋の壁がミシミシと膨らんでいることに秒で遠い目になった。
「……これはなんというか……」
「……爆ぜそうね」
「……うむ、今にも決壊しそうなのじゃ」
ひび割れた各所からピュー、ピューと聖水を吐き出す壁面に私たちは後ずさり、
「「「あっ!!?」」」
そして次の瞬間には壁が壊れて大量の水が地下道を埋め尽くす。
ドシャア……。
気分は殺人的なウォータースライダーといったところだろうか。
とっさにアイリスを抱きしめてメアリーの膜でガードしたけれど何度も壁や床に身体がぶつかり、最終的に私たちは地上への開口部まで押し流された。
これまで体験した罠の中で最も出来がよかったよ……。
城下街の中心部に近いあたりに流されたのか、リドリーちゃんが設置した豪雨は降っておらず、ちょうど台風の目みたいになった空を貫く巨大城が仰向けになった視界に映る。
「地上から見るとこんな感じだったんだ……」
こうして眺めると改めて思うけれど……リドリーちゃんの魔法は人間技じゃないな……。
城を中心に渦を巻く黒い雲。
降り注ぐ陽光と細かい水滴が作る光のプリズム。
超巨大な人工物と大自然が織りなす光景というのは、ただそこにあるだけで圧倒される存在感があった。
しばしその絶景に見惚れた私は、続けてアイリスたちの安否を確認する。
「……怪我はない?」
「もう一回やりたい!」
「めちゃくちゃ気持ちよかったのじゃ!」
むしろ楽しかったのかアイリスとシャルさんは私の腕の中で瞳を輝かせていた。
アンコールについては後で考えるとして、二人とも無事みたいなので今度はやらかした新入りに説明を求める。
「……ゴリアテ? 破裂しそうなら教えてって言ったよね?」
流石に怒って声をかけると、
…………ボ、ボアッ!??
少し遅れて慌てた様子の思念が返ってきた。
「……もしかして寝てた?」
……ボア…………。
どうやら手がかからないどころかお世話までしてくれるメアリーとは違って、ゴリアテはめちゃくちゃ手がかかるタイプらしい。
ま、まあ、寝てたならしょうがないか……。
城に睡眠が必要なのかどうかは不明だけど、オネショみたいなものを叱責するのは気が引ける。
しかし私たちが城内にいないことでメアリーが天高く赤い巨大拳骨を掲げていたので、そちらを振り下ろすことは止めないことにした。
ぶるんっ!
ボアッ!?
そして巻き起こる超巨大な拳骨に超巨大な城の三分の一が破壊される一大スペクタクル。
発生した衝撃波と音をゴリアテの周りに【光学迷彩】を張るメアリーが抑え、ときどき飛んでくる瓦礫を私の影にいるメアリーが弾いてくれる。
よく見ておくんだよゴリアテ……完璧な学習というのはこういうことなのだ。
少し前に私たちを巻き込みそうになったメアリーはもう後輩の上手な躾け方を編み出したらしく、ゴリアテの魔力消費を促すために【幻想体】を大きく削っている点まで完璧だった。
大きく頭頂部を凹ませたゴリアテに、私は主人として教育をする。
「次からは気をつけるんだよ?」
……ボ、ボアアァ…………。
ぶるんっ! ぶるんっ!
うむ、ちゃんと反省はしているようなのであとの後輩指導はメアリーに任せておくとして、私は聖水貯水池の問題点について考えるとしよう。
いちおう貯水量には余裕を持って高さ100m、奥行きと横幅が5km×5kmの超巨大プールを用意しておいたのだが、その程度では一晩で一杯になってしまうらしい。
「なんでこう量が多くなるかな……アイリスが作った聖水には高密度の神聖気が籠もっていたのに……ちょっと【複製創造】は魔法として壊れすぎじゃない?」
神々の恩寵である『神聖気』を人工的に魔力から創ろうとしたら、とんでもない魔力量が必要になりそうなのに……。
むしろ黄金よりもコストがかかりそうな物質の創造で、なぜか量が増えていることに疑問を覚える私に、シャルさんがまた呆れ顔で突っ込みをくれる。
「あのな主君……お前さんがゴリアテに使わせとるのは『世界を創る魔法』の一部なのじゃ……そんなもんで『水』なんて基本的な物質を作ったら大変なことになるに決まっとるじゃろ……」
「ああ!」
なるほど……そう言われると得心がいった。
足元に溜まる聖水を両手で掬った私は邪魔な眼帯を外し、その根源に潜む神秘の術式を眺めながらズレていた感覚を修正する。
「これ海とか作るための魔法なのか!」
そりゃあ生成される物質の規模がでかくなるわけである。
そんでもって大量に創る『水』は生成までの過程が効率化されていて、あまり量を創る必要がない『黄金』のほうは生成までの効率が悪いと考えれば、なんとなくだが【複製創造】が持つ魔法のクセを掴めた気がした。
あとわからないところがあるとすれば……。
「ねえシャル」
「なんじゃ?」
「この魔法で魔力から『神聖気』を創るための効率ってどれくらいかわかる? あとはそれさえわかれば上手く制御できそうなんだけど?」
シャルさんの頭の中は空っぽだけど、しかしそれ故に世界を真っ直ぐに見つめて真理まで最短距離で到達できている感じがする。
そんな愛剣の感覚を信じて訊ねると、彼女は期待通りにシンプルな答えを教えてくれた。
「うん? 神聖気はもともと『創世神の力そのもの』なのじゃから……その術式を使って逆算すれば簡単に変換できるのではないか?」
「へー……神聖気ってそういうものなんだ……『世界を創った力』みたいな? ざっくり『神々の力』くらいにしか思ってなかったけど……それならだいたい計算が合うかも……」
そして新たな発見とともに聖水量産計画を頭の中で練り込む私に、シャルさんを抱えるアイリスが乾いた声で呟いた。
「……『世紀の発見』まで量産されている…………」
◆◆◆
正午を過ぎて大破したゴリアテの修復が終わったころ。
脳内で秘密基地に設置する新たな水路の設計を完成させた私は、謁見の間の手前に【空中庭園】を作成していた。
せっかく雲海が見える高さまでゴリアテが成長したのだから頂上に近いところに庭園があったほうが素敵だし、この庭園の真ん中にでっかい噴水を造って大量の聖水を流す計画を立てたのだ。
貯めるのが難しいなら流し続けておけばいいというわけである。
ちょうど水を溜めてる湖もあることだしね。
ゴリアテコアと接続させたメアリーに城と城下街の立体像を作成してもらい、私は細かい水路を通す位置を血液操作で指示していく。
「ここから始まって……こう行って、中腹のあたりで合流して……最終的に外周部の湖まで流す感じで……わかった?」
……ボ、ボア…………。
100を超える血流で指示を出したのは流石に細かすぎたのかゴリアテからは困惑した思念が返ってきたけれど、わからないところはメアリーが覚えているだろうからフォローをお願いしておこう。
「メアリー、現場監督よろしくね?」
ぷるっ!
そして無事に【聖水路】の発注を完了させたところで、
「それで……シャルはなにをしているの? 生首のフリ?」
私は新設した空中庭園の噴水でシャルさんが浮かんでいるのを発見した。
ぷかー、と金糸のような髪を広げて水面を漂う生首。
「いや、わりと聖水を浴びるのが気持ち良くてな。こうしているとさっぱりするのじゃ!」
そんなシャルさんへと噴水の縁に浅く腰かけたアイリスが聖水に触れ、その言葉に同意する。
「私もシャルも神聖気との相性がいいから、聖水のそばにいると居心地がいいみたい」
「うむ、お前さんもそんなところにおらず、服を脱いで水に入ったらどうじゃ? 中はもっと快適じゃぞ?」
出会ったばかりのころはギスギスしていたけれど、最近の二人は仲良くなったものである。
気安くアイリスにも水浴びを勧めるシャルさんを私が微笑ましく思っていると、誘われたアイリスは赤面してそれを断った。
「……そんな恥ずかしいマネしないわよ!『淑女たる者、200歳になるまで殿方に裸を見せてはいけない』って、あのいつもふざけた格好をしているアリアですら言ってたんだから!」
そこらへんの淑女教育はちゃんとしてるんだ……。
アリアさんはどういう教育をアイリスに与えているのだろう?
普段はサキュバスみたいな言動をさせているくせに、裸を見せることへの羞恥心はちゃんと持っているなんて……。
「あ……いや、そういうことか……」
そしてこちらにチラチラと羞恥の視線を向けるアイリスを見て、私はかつてないほどの戦慄を覚えた。
アイリスがまだ子供だから気づいていなかったけれど、頬を赤く染める絶世の美少女の姿に恐るべき将来性を垣間見てしまった。
間違いない……。
これ……おそらく初夜のための教育だ……。
私とアイリスが夫婦としてより仲良くなれるように、アリアさんは完璧な花嫁修業を施しているのだ。
想像してみてほしい。
もしも普段はクールで大人っぽい美少女が、初めての夜に羞恥心で真っ赤になりながら『赤ちゃんが欲しい』と迫ってきたら…………それだけで夫側の準備は完璧に整うよね?
いわゆるギャップ萌えというやつである。
おまけに彼女の場合は『正しい子どもの作り方を教える』という薄い本のようなイベントまで発生するのだから、大人になったアイリスの攻撃力が天元突破することは確実だった。
「なるほどなぁ……」
男の準備が原因で初夜に失敗する夫婦は多いと聞くし、子供をつくることが大事な貴族社会においては実に的確な教育だろう。
すみません、アリアさん……先日のこともあって少しあなたのことを疑ってました……。
そしてやんごとなき事情で立っていられなくなった私も噴水の端に腰かけて、素敵な教育を施してくれているサキュバス様に感謝していると、
「…………くかー……」
噴水に浸かるシャルさんが寝息を立てはじめ、彼女の首から下が生えてきた。
「「あ……」」
これまで必死でアイリスの前では身体を出さないようにしていたくせに、仲良くなった途端あっさりそのダイナマイトボディを披露した愛剣の姿に、私の視線は釘付けになる。
うむ……相変わらず見事な曲線美だ。
しかしこう開けっぴろげだとまったくエロスを感じないな!
水の上で大の字になって浮かぶシャルさんには、芸術的な美しさはあっても欠片の性欲も抱かなかった。
やはり大切なのは羞恥心か……。
そんな真理を私が再確認したところで、シャルさんの膨らみを見て頬を膨らませたアイリスが、金髪美女の足首をガシッと掴む。
「んが?」
「…………」
「……ごっ?! がっ!? ぐがっ!??」
そのまま段差を無視してズルズルと天空庭園の端までシャルさんを引きずったアイリスは、
「せいっ!」
まるで生ゴミを捨てるようにポイッと美女の裸体を雲の下へと放り投げた。
……まあ、シャルさんならこの程度では起きないだろう。
やがて遥か下からズドーンと小さな衝突音が響いてきて、同時に南の空を覆っていた【光学迷彩結界】が砕け散る。
ん? シャルさん……なんかした?
まあ、メアリーがすぐに結界を張り直してくれたから問題ないけれど。
そしてほっぺを膨らませたまま私のとなりに座ったアイリスは、胸元を隠して、上目遣いで顔を真っ赤にしながら可愛く唇を尖らせた。
「……わ、私は見せないからね?」
なるほどなぁ……。
「……これがガチのサキュバスによる英才教育か…………」