第8話 とある常識人の苦悩
パパス視点です。
SIDE:メルキオル
王の御前で3人の薬師に見守られる中、僕は【抗呪薬】の調合を終えた。
完成した薬を目の前の台に置くと、鼻息を荒くした人間の薬師たちが額に汗をかきながら薬の解析を始める。
おそらく彼らは僕の技を盗みたいのだろうが、この様子では望み薄だろう。
そうして頑張る薬師たちの姿を眺めていると薬の解析が終わった。
いつも通り結果は『問題なし』。
そもそもこの薬の調薬には魔法と錬金術の技も使用しているのだけど……魔力を見ることもせず、彼らは何をもって『問題なし』と判断を下したのだろう?
仮面の下で僕は静かに嘆息した。
薬師たちが王に頷くと、王は台に置かれた薬を飲み干し、それで今日の仕事は終了となる。
本当に非効率的で無意味な仕事だ。
ラインハルトの【魔眼】なら薬の真贋くらい見分けられるし、薬師よりも確実に混ぜ物の有無まで見通せるだろうに……。
僕がそんな愚痴を心の中で呟いていると、古い友人は人間たちへと短く命じた。
「下がれ」
今日もまた技を盗めなかった薬師たちが苦々しい顔をして部屋の外へと出て行くが……去り際に僕を睨みつけるのはやめてほしい。
レシピも渡して、あんなに分かり易く作ってあげているのに、理解できないほうが悪いのだ。
これで調薬を教わりにくる可愛げがあればまだマシなのだが、王宮薬師としてのプライドが邪魔をするのか、彼らは僕に教わることすら拒否してくるのだから、まったく救いようがない。
そうして扉が閉じて部屋にかけられた【音消し】の魔法陣が起動したところで、僕とラインハルトは二人揃って大きく嘆息した。
「……塩梅は?」
友人からの問いかけに、肩を竦めて答える。
「問題あり、だよ」
「だろうな」
再び嘆息したラインハルトは机の引き出しから蒸留酒を取り、二つのグラスへと酒を注いだ。
「酒類はお控え下さいと薬師に言われなかったかい?」
僕の軽口にラインハルトは苦笑した。
「お前とエリックに言われてないから問題ない」
エリックとは200年くらい前に生まれたかわいい長男の名前だ。
僕の跡を立派に継いでくれて、普段はこの王宮で筆頭薬師として働いているのだけれど、今は東部の戦線で人手が足りないとかで第一王女と戦場まで出張している。
その余波で引退した僕まで駆り出されているのだから、僕たちが暮らすミストリア王国は本当に人手不足なのだろう。
友人から手渡された酒で僕は唇を湿らせ、続けて自分がこの堅苦しい王宮に泊まり込んでいる原因について訊ねた。
「東の状況は?」
祖神と同じ銀髪碧眼の色を持つ男は、グラスを空にして首を横に振る。
「聞くな……まだ赤子を抱える母親を頼るほど、我が国は落ちぶれていないさ……」
かつて共に戦った仲なのだから、頼ればラウラはノエルを抱いたままでも戦場まで行きそうなものだが……流石にそれは父親としても止めてほしいから、友の気遣いに僕は話題を変えた。
「ところでアイリスちゃんの様子はどうだい? ノエルが生まれる半年前に生まれたんだから、そろそろ1歳になるころだろう?」
ミストリア王家の王族は神の血を引く半神だ。
それ故に彼らは生後1年を迎えると創世神によってもたらされた呪いに蝕まれ、身体の一部が腐り爛れるようになる。目の前にいる友の場合は左手首から先が、第一王女は右腕全体が呪われており、その呪いの広さによって神の血の濃さが決まる。
基本的には呪われる部位が広いほど強い王族が生まれるため、生後1年は彼らにとって重要な時期のはずなのだが……気心の知れた友人から何の報告もないことがどうしても気になった。
僕の質問に、ラインハルトは顔を曇らせる。
「……アイリスは【先祖返り】だった」
「っ!?」
左手を右手で握りしめて絞り出された友からの告白に、僕はこの話題を選んだことを後悔した。
普通の国なら、祖神に限りなく血が近い【先祖返り】が産まれたともなれば、国を挙げて喜ばれるものだが、ミストリア王国だけは事情が異なる。
祖神に限りなく血が近いということは、それだけ強力な創世神の呪いをその身に受けるということで……全身を呪いで蝕まれるミストリア王国の【先祖返り】の中に、十歳まで生き延びた子供はいない。
血が滲むほど呪われた左手を握り締める友の肩に触れ、僕は自分にできる精一杯の言葉をかける。
「もっと質のいい【抗呪薬】を作ってみせるよ……痛みを和らげる薬も用意する」
「……すまない」
きっとそれは気休めにしかならないだろう。
だけど同じ幼子を持つ父として、僕は少しでも友の力になりたいと願った。
◆◆◆
それから1カ月ほど城に滞在して、ようやく戦場から戻ってきた長男と交代して、僕は妻と赤子が待つ領地へと戻ってきた。
かれこれ4ヶ月ぶりの帰宅だから、ノエルには顔を忘れられてしまったかもしれない。
長い留守に文句を言うこともなく、領の入口まで駆けつけてきて抱きしめてくれる妻の優しさに癒やされて、僕は真っ先に子供の成長について確認した。
「ノエルの様子は?」
「……問題ない」
基本的にラウラは口数が少ない。
だから子供が死んでいなければ必ず『問題ない』と言うのだけれど、僕はその前にあった微妙な間が気になった。
奇しくもここ4ヶ月間ずっと聞いていた同じ台詞とそれは被り、一抹の不安が僕の心に湧き上がる。
「……なにかあったのかい?」
僕が肩を掴んで再び確認すると、ラウラは珍しく困ったように言い淀んだ。
「いや……ノエルは健康に育っているのだが……少し変わった子に育ってしまったというか……」
非常識の化身とまで謳われる妻に『変わった子』と評される息子は、いったい何をしたのだろう?
そもそも生後7ヶ月の子供にそこまで大きな変化はないと思うのだけれど……話を聞くほど心配になってきた僕は、家までの道を早足で歩く。
そしておよそ4ヶ月ぶりに見た我が家の前には、明らかに『おかしなもの』が浮かんでいた。
宙に浮かぶ火の玉と、その回りを飛び回る無数の血球。
「……あれは?」
謎の現象に僕が戸惑いの声を発すると、ラウラが端的に教えてくれる。
「ノエルだ」
うん……?
ちょっと落ち着こうか?
自分の目で見ても、僕は目の前の現実を上手く飲み込めない。
「えっと……僕の目が確かなら……息子が宙に浮いて燃えているように見えるのだけれど……?」
「ああ、最近のあいつはよく浮いて燃えている」
そっか……よく浮いて燃えているのか…………。
いやいやいや、ちょっと待とうか!?
なんで息子が宙に浮いて燃えているのに、家のみんなは冷静にそれを見守っているの?
混乱を極める僕に、ラウラはノエルが燃えている理由を教えてくれた。
「最初は私と同じで負けず嫌いだと思っていたのだが……どうやらあいつは太陽光を浴びることが好きなのだとわかってきた」
「……吸血鬼なのに?」
「うむ、変わった子だろう」
それはもう変わった子なんてレベルを超えていると思うのだけれど……うちの領では息子が燃えるのは日常の一部になっているらしい。
家の前を通った村人たちが「今日も坊っちゃんはよく燃えてるね~」とか呑気に会話しているくらいだし、生後7ヶ月の赤ん坊が大量の血球を操っていることや、宙に浮かんでいることは気にもされていない。
……どうしてこうなった?
うちの領の住民はラウラが率いていた冒険者クランの団員だから、非常識なことへの耐性は高いのだけれど……まさか炎上する息子を笑顔で見守られる日が来るとは思わなかった……。
非常識な住人たちに僕が頭を抱えるのをグッと我慢していると、家の中から新人侍女のリドリーさんが出てくる。
彼女は数少ない僕と同じ常識人だ。
ここの領に暮らす非常識な住民たちにリドリーさんが困惑していたことを僕は思い出し、ようやく仲間が現れたと胸を撫で下ろす。
だけどそんな僕の希望は、リドリーさんが次に見せた行動によって打ち砕かれた。
「はい、坊ちゃま! 日向ぼっこはもうおしまいですよ! それ以上やると黒焦げになるんですから、そろそろ休憩してください!」
「だっ!」
「『もうちょっと』じゃありません! 私が休憩と言ったら休憩するのです!」
なぜか赤子の言葉を理解するリドリーさんは素手で火の玉を掴み、炎上する僕の息子を軒先に用意されていた壺に突っ込んで消火する。
ジュッ……ブクブクブク……と、かわいい息子が血液の中に沈められる音がして、僕は今度こそ頭を抱えた。
「どうしたメル? 仕事疲れか?」
「いや、ちょっと現実を受け入れられなくて……」
4ヶ月前までリドリーさんは常識人のはずだったのに……少し見ない間に彼女はこの村の空気に染まってしまったらしい。
「最近のリドリーさんは、いつもあんな感じなのかい?」
遠い目になって僕が訊ねると、ラウラは微笑を浮かべて頷いた。
「あいつはよく働いてくれている。すでにノエルの命を8回も救ってくれているし、リドリーを雇ったことは大正解だった」
彼女を採用したことに胸を張る妻に、僕は仮面の下で表情を引きつらせる。
「そっか……僕の息子は8回も死にかけていたのか…………」
その言葉を聞いたラウラは、とてもいい笑顔で息子の成長を自慢した。
「ああ、ノエルは生粋のヤンチャ坊主だ! あの子が十歳まで生きられたら、それは間違いなく奇跡だろう!」
……我が友ラインハルトよ。
こんど王城に行ったとき、子育てについて相談してもいいかい?
友と同じ悩みを抱えたことに、僕は仮面の下で涙した。