第73話 貴族の商い
SIDE:ノエル
リドルリーナ様の紹介を終えたアイリスが空いた玉座に腰掛けて、グランツさんとの商談が本格的にはじまった。
シャルさんが発する光が眩しいのか、鋭い眼差しを上へと向けるグランツさんに、私は改めて自己紹介をする。
「初めまして、グランツ殿――」
ファントムの口調に関しては少し迷ったが、王女様の配下らしく厳かな感じで続けた。
「――我が名はファントム。闇から生まれ、闇に生き――リドルリーナ総帥に仕える者だ」
「ぷはっ!?」
リドリーちゃんを崇め奉ることがツボにハマっているのか、となりでアイリスが吹き出したが、厳格な従者であるファントムは構わずに商談を進めた。
「それではさっそくだが、貴殿が売る物を見てもらおう」
役になりきった私は偉そうに指を鳴らし、影の中に放り込んでいた魔物の素材を謁見の間の隅に出す。
「……す、凄まじい量ですね…………」
弱い魔物の素材ではあるがメアリーが森で狩ったご飯の毛皮や骨をくれるので、最終的に積み重なった素材は小高い山を作った。
「これでもまだほんの一部だ。在庫はこの部屋を埋め尽くすほどにある」
「っ!?」
あまりの量に呆れたのか絶句するグランツさん。
そりゃあこんなに安い素材を出されても困るよね。
RPGで素材をまとめ売りされる商人さんの気持ちがここに来てわかったよ。
しかしこちらも在庫処分に悩んでいるので、この素材の買い取り交渉だけは最優先で処理したかった。
森で遊んでいると自分たちが狩る分も含めて魔物の素材が洗濯物よりも早く溜まっていくのだ。
眷属からもらったものを捨てたり返したりするのも申し訳ないし、これまではリドリーちゃんの収納魔法に詰め込んでもらっていたけれど、ここらで一気に放出してしまいたい。
いい加減、リドリーちゃんからも苦情が来てたんだよね。
初手からの強気な商談に、アイリスへと困惑の視線を送るグランツさん。
「……こ、これを売るというのは……その……いろいろと問題があるのですが……」
そんなヘルプの眼差しをアイリスは悪役令嬢の如く無慈悲に切り捨てた。
「売りなさい」
「……ハハッ!」
やはりこちらの世界では貴族の権力は絶対なのか、グランツさんはその場に片膝を突いて貴族が王族に行う格式張った礼をする。
うむ、どうやらリドルリーナ様の威光は十分に示せているようだ。
そうしてイザベラさんから習ったマナー講座を私が懐かしく思っていると、アイリスがわずかな殺気をグランツさんへと飛ばした。
「……気をつけなさい?」
「……し、失礼いたしました!」
今の礼は手首の角度が甘かったからね。
グランツさんはもう少し礼儀作法の練習を頑張ったほうがいいだろう。
まあ、いきなり謎の王族の前に連れてこられたのだから、動揺するのも無理はないけれど。
権力で安物の素材を押し付けられたうえ、マナーで怒られるかわいそうなダークエルフさんに、私は心の中で合掌した。
……すまないグランツさん。
お詫びに売却した魔物素材の利益はあなたの好きにしていいから。
影から取り出した羊皮紙に血文字でその旨を記した私は、契約書の書式が間違っていないかアイリスに確認を取る。
「この条件でどうだろうか?」
「……利益は折半にしておきましょう」
すまないグランツさん。
アイリスの財布の紐は硬いようだ。
「………………せっぱん?」
階段の下で絶望の表情を浮かべる商人さんに、私は内心で慌てて次なる商談を持ちかける。
大丈夫だから!
こっちは絶対にお金になるから!
そして罪悪感に駆られた私は、続けてアイリスといっしょに考えた『ちゃんとした商売の種』をグランツさんへと発表した。
「次の売り物だが……アーサー」
こちらの商売はアーサーの知名度を活かしたものにする予定なので、ちょうどよく同席させていた黄金の鎧に売り物を見せるように指示を出す。
『おう!』
念話を通して私の要望をキャッチしたメアリーは、セリフの書かれた看板を掲げたあと、鎧の影から小さな瓶を取り出した。
シャルさんほどではないが神聖な輝きを放つ小瓶を、アーサーは階段を下りてグランツさんへと手渡す。
「この輝き……【聖水】ですか!? それも最上級品ではありませんか!?」
ひと目で鑑定するあたり、彼の商人としての実力は確からしい。
『いい出来だろう? 俺様の力作だ!』
新たな看板とともに胸を張る黄金騎士に、グランツさんが尊敬の眼差しを向ける。
「……それで貴方は魔力を枯らして…………」
いや……本当はアイリスが水に神聖気を込めて作ったものをゴリアテの【複製創造】で増やした量産品なのだが……アーサーの名前で売り出したほうが宣伝効果が高そうなので、我々はこれをマネー・ロンダリングに使う主力商品に据えていた。
堂々と胸を張ったアーサーがグランツさんへと親指を立てる。
『売り値は買い手が無理せず出せる額で構わん! オルタナの街で売ってくれ!』
アイリスによるとオルタナの街は深刻な聖職者不足らしいからね。
値段は『お気持ち』でけっこうです。
偽造した金貨を商会の売り上げとして紛れ込ませるために設定した『曖昧な金額』だったけれど……こうして黄金騎士が売るところを見ると、神々しさが半端ない。
アーサー、マジ聖人。
そして私はマジ悪人。
いやー……聖水を【複製創造】して売るのはゴリアテに溜まる魔力を消費することもできて最高のアイデアだと思ったんだけど……悪いことしている感じが半端ないわ……。
特にアイリスが作った【聖水】で資金洗浄するってところが……なんかこう……そこはかとない犯罪臭を持っているというか……いや、これ以上はやめておこう。
穢れた心がもたらす思考を切り替えた私は、美少女が作った聖水を大切そうに抱えるグランツさんへと意見を求める。
「どうだろう? 貴殿の目から見て、それはオルタナの街で売れると思うだろうか?」
「……それはもう……飛ぶように売れるかと」
子供だけで考えたアイデアでは少し不安があったけれど、商人の目から見ても聖水が売れるのは間違いないらしい。
はじめて考えた商売が上手くいきそうなことに、私は内心で胸を撫で下ろした。
「ならば街に戻り次第、販売を開始してほしい。商会の名前は【リドルリーナ商会】。運営方法はグランツ殿に任せるが、商会長はあくまでリドルリーナ様だ」
「…………ハッ!」
肯定の返事はしてくれたものの、どことなく不満がありそうなグランツさんに、私はちゃんとWinWinな関係になれるように条件を追加する。
大丈夫、大丈夫。
商会長がリドルリーナ様ってところは譲れないけれど、グランツさんにもしっかり儲けさせてあげるから!
たとえアイリスに紹介してもらった商人さんでも、タダでこき使うようなマネはしませんとも!
「もちろんグランツ殿の報酬に関しても期待してくれていい。我らの商会に力を貸してくれるなら、聖水の売り上げはすべて貴殿に――」
「――折半にしておきましょう」
私の気前良い宣言を食い気味で阻止してくるアイリス。
「………………せっぱん…………」
……すまないグランツさん。
どうやら我が婚約者の財布の紐は鋼鉄製らしい。
◆◆◆
SIDE:グランツ
商売に関する詳細な条件をまとめ、いくつかの書類にサインし終えると、あたりはすっかり暗くなっていた。
「ご苦労、グランツ殿。たいした持て成しもできなくて悪いが、今夜はゆっくり休むといい」
「宿まで案内するわ」
濃密な魔力に当てられて疲労困憊になった私は、ファントムが操る魔法によってアイリス殿下とともにエストランド領へと送られる。
……これほどの長距離を容易く空間魔法で繋げるとは……ファントムの実力は私の想像の範疇を優に超えているらしい。
まあ、今日はもう驚き疲れたからこの程度では驚かないが……あれは確実に神話の世界の住人だな……。
なんかもうリドルリーナ嬢の身分とかどうでもよくなってきた……。
田舎道を宿屋へと案内してくださるアイリス殿下に、私は青ざめた顔で確認する。
「先ほどの商談内容ですが……本当に実行するおつもりですか?」
訊きながら私の脳裏に悪夢のような商談内容が蘇る。
山の如く積み重なった【刻死樹海】に住まう魔物の素材。
教皇ですら創り出せない貴重な聖水。
そんなものを売り出したら巨万の富を得ることは容易いだろうが、代わりに悪目立ちすることは確実だった。
そんな意味を含んだ質問に、
「売りなさい」
アイリス殿下は決意を秘めた声音で命令を繰り返す。
「……ですが殿下、ひとつ大きな問題が」
歩みを止めて真剣な顔を作った私に、先導していた殿下も立ち止まって振り返った。
「命令を覆す気は無いけれど……いちおう聞きましょう」
これは新米商人でもわかることだが、儲けをすべて『折半』するということはつまり、
「……このままだと私は国内でも指折りの大商人になってしまうのですが?」
これで私が普通の商人ならば小躍りして喜ぶところなのだが、しかし密偵という本業を持つ私にとって、この商売が抱える問題は大きすぎた。
――密偵は目立ってはいけないのだ。
これまで積み上げてきた密偵としての立場を危うくするほどの大商売。
しかしそんな私の事情を把握しつつも、アイリス殿下は妖しく微笑む。
「――大丈夫よ。シェリルの好みは『危険な香りのする男』だから」
「…………」
そして夜道で蒼い瞳を輝かせる恐ろしい王女を前に、街にいる同僚の好みが『ミステリアスな男』だと思っていた私は殿下の説得を諦めた。
……ちょっとそれ、詳しく聞かせていただいてもよろしいでしょうか?
◆◆◆
SIDE:リドリー
心地よい眠りから目を覚ますと、全身が凄まじい筋肉痛になっていました。
「うぐっ……」
もはや慣れっこになった痛みに顔をしかめつつ、私は横たわるソファから身体を起こします。
どうやら眠っている間に運ばれたらしく、座って周囲を確認すると、そこはゴリアテちゃんの頂上にある魔女の家でした。
「おはよう、リドリー」
近くのソファで生首と本を読んでいた坊ちゃまに挨拶をされて、私はそちらに向かって姿勢を正します。
「おはようございます、坊ちゃま……先ほどはありがとうございました」
危険な修行から逃がしてもらったお礼をすると、坊ちゃまは朗らかに微笑みます。
「従者に無理をさせないのも主人の務めだからね。またいつでも頼ってよ」
「お前さんは少し頑張りすぎるところがあるからな、今後も主君との繋がりを上手く使って休むのじゃぞ?」
「坊ちゃま……シャル様……」
ああ……私はなんと素晴らしいご主人様に仕えているのでしょう……。
優しく、将来有望で、いちおう美形。
もはや完璧としか思えない素敵なご主人様に私が目元を潤ませていると、メアリーちゃんの空間魔法が開いて、そこからアイリス様が入ってきました。
「ただいま……あら? リドリーも起きたのね」
「……も?」
まるで私以外にも寝ていた者がいるかのような話ぶりに首を傾げると、手にした本を閉じた坊ちゃまが状況を説明してくれます。
「さっきまでアイリスが呼んだ商人さんと会ってたんだよ。リドリーは修行中だったから知らないだろうけど、母様が案内しちゃって大変だったんだ」
ラウラ様が案内したということは【忘却薬】が使われたのでしょう。
「それはなんと言いますか……ついてない商人さんですね……」
「フハハッ! あの男は目ん玉までふっ飛んでいたからな!」
悪趣味な思い出し笑いをするシャル様に、私は商人さんのその後が心配になりました。
「後遺症とかは残らなかったんですか?」
よくある症状の有無を確認すると、アイリス様が坊ちゃまの横に座りながら商人さんの状態を教えてくれます。
「少しだけメアリーに対するトラウマが残っているみたいだけど、身体のほうは健康よ。今はもう宿屋でゆっくり休んでいるわ」
「へぇ……メアリーちゃんがやらかすなんて珍しい――」
基本的に精神的な後遺症は自分を殺しかけた相手がトリガーになることが多いため、ラウラ様とマーサさん以外の名前が上がったことを私は意外に思い……
「――ちょっと待ってください! いま『宿屋で休んでいる』って言いましたか!?」
続けてようやく覚醒した頭で、今度は坊ちゃまとアイリス様がやらかしている可能性に気づきました。
「? すごくお疲れみたいだったから、アイリスに案内してもらったけど?」
「ええ、ちゃんとアリアにもサービスするように言っておいたわよ?」
「なんじゃリドリー? それがどうかしたのか?」
しまった……このお子様たちはまだアリアさんの本性を知らないんだった……。
アイリス様とシャル様はそこらへんピュアなので、私は坊ちゃまだけにわかるようにハンドサインを送ります。
「あ、いえ……ちょっと注文したい品物があったので、私も商談に行こうかと……」
こっそり『商人』『危険』『救助』と送ったサインを読み取ってくれたのか、勘の良い坊ちゃまは上手いこと話を合わせてくれました。
「……それじゃあアイリスとシャルは先に帰って夕食に少し遅れることを伝えておいてくれる? 僕はリドリーを送りながら帰るから」
そう言ってアイリス様に生首を預ける坊ちゃま。
「うむ」
「わかったわ」
そしてメアリーちゃんが開いたゲートを通って二人が家に帰ったのを見送ってから、坊ちゃまは宿屋の前へと通じるゲートを開きました。
「……グランツさんが危ないってどういうこと!?」
慌てて聞いてくる坊ちゃまに、私は村の大人しか知らない真実を伝えます。
「アリアさんは真正のサキュバスなんですよっ! そのグランツさんという方が子供を作れる男性ならば、まず間違いなく喰われますっ!!!」
「ええっ!?」
そしてゲートをくぐった私と坊ちゃまは宿屋の一階に設置された酒場へと駆け込んで……そこで二階の個室から響く叫び声を聞きました。
「――ま、待ってくれっ!? 私には心に決めた想い人が――」
「――安心しなさい♪ それなら寝ている間に終わらせてあげるから♪」
「――ちょっ、待っ!? ぎゃっ――」
慌てて雷魔法の波動を検知した個室へと駆け込むと、そこには半裸で気絶させられたダークエルフと妖しく這い寄るサキュバスがいて……
「ふへへへへ♪」
今にも一線を超えそうなダメ師匠の延髄に、
「――せいっ!」
私も雷を纏わせた手刀を振り下ろしました。
「んぎゃっ!?」
気絶させたサキュバスはそのままに、見事なシックスパックを見せるダークエルフさんを回収します。
「メアリーちゃん! この方を丁重に街まで送り届けて! そこにいるサキュバスが目覚める前に!」
ぷるっ!
そして赤い触手に服を着せてもらって部屋を出ると、まだ八歳児のくせに大人の情事に理解のある坊ちゃまは、いろいろと察して遠い目をしていました。
「もしかしてなんだけどさ……うちの領に大人の男がほとんどいないのって……」
子供からの的を射た推察に、私は神妙な面持ちで頷きます。
「……弱い男は【百色】のアリアに食べられるからです」
もちろん性的な意味で。
あのひと女子供には無害ですけど……男性には有害でしかありませんから……。
「……これはまた【忘却薬】案件かな?」
連続して強力な魔法薬の使用を検討する坊ちゃまに、私は気絶したグランツさんの顔を思い出して首を横に振ります。
「その必要はないかと」
きっと一瞬でも『良い夢』を見たのでしょう。
想い人がいるとかなんとか言っておいて、これだから男は……。
「まあ、大半の男にとってサキュバスに襲われるとか、ご褒美でしかないからね」
「……坊ちゃまはそんな男になってはいけませんよ?」
専属の従者として忠告すると、坊ちゃまは爽やかな笑顔を向けてきます。
「もちろん……僕はアイリス一筋だよ?」
……なんですか今の『間』は?
そして宿屋を後にした坊ちゃまは、メアリーちゃんに搬送されるダークエルフさんの幸せそうな顔を見て「それにしても……」と肩を竦めました。
「商談相手に綺麗な女性をあてがうなんて、僕も一端の貴族らしくなっちゃったな……」
「……坊ちゃまはそういうの、どこで覚えてくるんですか?」