第70話 商会設立
SIDE:ノエル
せっかく異世界転生したのだからチート能力を手に入れてみたいと思ったことは何度もある。
だから私は日夜【血液操作】のトレーニングを頑張ってきたし、少しでも強くなろうと試行錯誤を重ねてきた。
しかしこうして実際にチートと呼べるような能力を目にしてみると……その扱いには細心の注意が必要なことがよくわかった。
「……これって普通に使ったらマズいよね?」
黄金に埋め尽くされた床から金貨を一枚拾ってアイリスに訊ねると、彼女は青褪めた顔で私へと頷く。
「ええ……十枚や二十枚なら問題ないでしょうけれど……流石にこの量をそのまま市場に流したら大陸中の国と組織を敵に回すと思うわ……」
ですよね。
流石に経済音痴の私でも、この量の黄金が市場を混乱させることは容易に想像できた。
「どうしよっか……これ?」
こちらの世界でのお金の使い方に疎い私が訊ねると、アイリスは才女らしく素晴らしいアイデアを提案してくれる。
「最も簡単な解決方法はリドリーに預けることでしょうね……あの子の【収納魔法】ならいくらでも入るから」
「その手があったか!」
それじゃあこの大金は日頃から頑張っているリドリーちゃんへの臨時ボーナスということで。
根が小市民な彼女ならこれだけの大金を一度に使うこともないだろうし、収納魔法の肥やしにしてくれることは確実である。
しかし私が金貨の所有者をリドリーちゃんに決めたところで、アイリスがその計画の問題点を指摘してくれた。
「……だけどあの子がこれほどの金貨を素直に受け取るかしら? 最近のリドリーってお金への興味が薄いみたいなのよね……むしろお給料が増えることを避けてる節まであるというか……」
「ああ……うちの領に住んでると、ほとんどお金を使わないから…………」
ド田舎にあるエストランド領では物々交換が基本である。
それ故かリドリーちゃんの貯金はかなりの勢いで増えているらしく、最近の彼女は大金を持つことに恐怖を抱き始めているみたいだった。
所有する額が少なすぎても多すぎても不安になる。
庶民にとってのお金とは、そんな不思議な力を持った怪物なのだ。
「それじゃあどうやってこの大金を押し付けようか?」
「……あやつに押し付けることは確定なのじゃな?」
確認してくるシャルさんに、私は力強く肯定する。
「リドルリーナ様には何度も命を救ってもらっているからね。ちょっとした恩返しだよ」
もちろん悪意なんてものは微塵もない。
大金を押し付けられたリドリーちゃんがどんなリアクションをするのか想像するだけで自然と笑いが込み上げてくるけれど……これは命の恩人への純粋な感謝なのだ。
そんな私のピュアな心に共感したのか、アイリスも「ぷはっ!」と吹き出しながら同意してくれる。
「ぷっ、ふふっ……お、お腹いたい…………つまり王女様に個人資産を持たせるわけね?」
「そうそう、やっぱり王女様は大金持ちでないと!」
実を言うとアイリスの辣腕でリドリーちゃんが王族の仲間入りをしたことはまだ本人に伝えていなくて、私たちはいつ彼女に真実を伝えようかとタイミングを見計らっていた。
最初は肩書きだけの存在になると思っていたけれど……そこに莫大な資産を乗せたらどうなるだろうか?
そんな私の悪ノリにアイリスが具体的な計画を添えてくれる。
「それなら私が招いた商人に資金洗浄を任せるのはどうかしら? 王族ならば大金を動かしていても不思議ではないし、それなりの資産を持っていたほうが本物らしく見えると思うわ」
やってはいけないことだと理解していても、イタズラというのは思いついてしまったらやらずにはいられないもので……私とアイリスは金貨の海でとても悪い笑みを浮かべた。
「くっくっくっ……そちもワルよのぉ」
「ふふっ……あなたには負けるわよ」
イタズラを画策する子どもたちに、シャルさんが呆れた視線を向けてくる。
「……こやつらの悪戯は妾よりも性質が悪いのじゃ」
まあ、最悪トラブルになったらメアリーにリドルリーナ様の格好をさせて爆死したフリをしてもらえばいいし、ダメもとで王女様の秘密資産を構築してみよう。
いつか命の恩人であるリドリーちゃんに『お金持ちのプリンセス』という素敵な称号をプレゼントするために、私は全力を尽くす所存である。
ついでに商品の販売もしてもらえば健全な資金も調達できるだろうし、これぞ趣味と実益を兼ねた至高のイタズラと言えた。
待っててねリドリーちゃん。
私が婚活市場で使える最強の肩書きを用意してあげるから!
そして私とアイリスは二人の専属メイドを幸せにするために、リドリーちゃんの資産運用計画を勝手に煮詰めることにした。
ぷるっ…………。
天井からメアリーが呆れた視線を向けてきたが、主人命令でリドリーちゃんへの密告は禁止しておこう。
◆◆◆
SIDE:リドリー(?)
「――――くしゅっ!」
唐突に背筋を走った悪寒に、私はやはり修行のしすぎかと自分の体調が心配になりました。
クシャミをした隙に飛ばされた魔法を勘で避け、影から肝臓を抉ろうとしてくる短剣を裏拳で圧し折ります。
「……ここに来て動きの切れが増すか……流石は幹部連の愛弟子ね……」
近所の奥様がなにかを言っていますが、昨夜からほとんど不眠不休で戦っている私の頭は言葉の意味を理解できません。
考えてはいけないのです。
余計なことを考えれば動きは鈍り、次の攻撃に対処できなくなりますから。
特に手練れの集団と戦う時は頭を空っぽにして本能に従うのがベストだと、魂の奥底から誰かが教えてくれます。
力まず、逸らず、恐れず……風に舞う木の葉のように身体を軽く動かせば、決して相手の攻撃はこの身に届きません。
いえ、木の葉では重すぎます……理想は風そのものになることなのですが……。
そんな強い願望を抱いたところで、私の肉体は風そのものになりました。
決して避けられないように放たれた投擲武器による包囲攻撃が、空気と同化した私の身体をスリ抜けていきます。
「っ!? 精霊化?!」
「髪と虹彩の変色を確認っ! 魔導兵装の使用許可願いますっ!」
「まだ定命の領域にありながら肉体を変えるとは末恐ろしい……」
気がつくと私への攻撃の手が緩まっていて、その大きすぎる隙を見つけた私の心には不思議と怒りが湧いてきました。
日課としている【千本死合い】には強者しか参加できないはずなのに……どうしてあなたたちはそんなに未熟なのですか?
相手の力量が自分の全力をぶつけるに値しない寂しさが心に穴を空け、その奥底から湧き出してくる怒りが知識へと変換されていきます。
ああ……なるほど。
水流走法ってこの技を使うための練習なのですか。
そして周りを囲む未熟者たちに喝を入れるため、私は空気と同化させた身体を動かしました。
「――【雷躰走法】」
紫電と化した肉体は瞬く間に未熟者の間を駆け抜け、急所へと極限まで手加減した打撃を叩き込みます。
水と風。
そしてそこから生じる雷。
移動の基礎とも呼べる三大要素を掌握した私の身体は空気よりも軽くなり……そして次に感じた殺気に思わず口角が吊り上がりました。
雷光の速度で放たれた白刃を、私は嬉々として躱します。
「――この時を待っていたぞ、リドリー」
振り返るとそこには剣鬼がいました。
片手に自然体で剣を持ち、満面の笑みを浮かべる本物の武人。
その立ち振舞だけで伝わってくる強者の気配に、私は嬉しくなって問いかけます。
「……そなた、その技をどこで習った?」
私と同じ移動法を体得しているとは、なかなかどうして見どころのある武人です。
もしや星の数ほどいる弟子のひとりかと思って訊ねると、
「習ってなどいない。自力で編み出した」
彼女は更に嬉しくなる答えを口にしてくれました。
やはり好敵手というのはこうでないといけません。
「――喜き」
久しぶりに全力を出せそうな相手の出現に、私は拳を構えます。
そして愉快な遊び相手も剣を構え、
「さあ、マーサを超える【神魂の砕片】よ……その強さを私に見せてくれ!」
私たちは楽しい楽しい死闘に身を委ねました。
◆◆◆
SIDE:リドリー
気がつくと私は狂戦士と化したラウラ様と戦っておりました。
「いいぞっ! もっとだ! もっと魂を研ぎ澄ませっ!!!」
爛々と黄金の瞳を輝かせ、狂ったように笑いながら、剣の一振りで無数の斬撃を飛ばしてくるラウラ様。
その姿はアイリス様と戦っている時よりも嬉しそうで……私はそのハツラツとした笑顔にドン引きしました。
……なんで本気で殺しに来ているんですかね?
不思議と身体が絶好調なので、なんとか致命の攻撃だけは躱せていますが、お互い血塗れになって戦っている様子は何かの間違いとしか思えません。
いったい何をどう間違ったら仲の良い雇用主と本気で殺し合うことになるのでしょう?
いつの間にか私の左腕が斬り落とされていますし……そろそろ肉体も限界に近づいてきています。
しかしまるで悪夢のような現状に困惑しつつも、絶好調の身体は勝手に動きました。
「――【雷轟衝波】」
指を鳴らすと私の知らない技が炸裂し、こちらに迫ってきた無数の斬撃を撃ち落とします。
「ふはははははっ! 小手先の技では牽制にもならんかっ! ならばこいつはどうだっ――」
そして始まる大技と大技のぶつかり合いに、私はこれが白昼夢であることを確信しました。
……どうやら修行が厳しすぎて、戦ったまま幻覚を見ているみたいです。
脇腹を抉るラウラ様の剣先は激しい痛みを発生させているので、現実と夢がごちゃ混ぜになっているのでしょう。
修行をしているとよくあることです。
だいたいこういう時には死にそうになっていることがほとんどなので、私は使えそうな技を覚えながら坊ちゃまへと祈りました。
助けて坊ちゃまっ! ここから逃がしてっ!
こういう時に神様に祈ってはいけません。
なぜなら神様に祈ると『いや、もうちょっと!』とか『今いいところだから!』とか、謎の邪念が発生して逃げられなくなるからです。
ですが坊ちゃまに祈るとあら不思議――
『――リドリー、ちょっとこっち来て』
メアリーちゃんが届けてくれた福音に、私は即座に飛びつきました。
「坊ちゃまに呼ばれたので失礼します!」
「逃がすかっ!」
血塗れでマジキチスマイルを浮かべるラウラ様が追撃してきますが、私は追撃で斬り落とされた右手の中で水球と雷球を重ね合わせて、水蒸気爆発を起こします。
かつて坊ちゃまから教わった水の使い方は見事に機能して、
「ちっ……」
ラウラ様と私の間に白煙と爆風を発生させました。
すぐさま私はメアリーちゃんに用意してもらったゲートへと飛び込んで、血に酔った狂戦士から離れます。
エストランド領の方々は修行が楽しくなってくると本気で殺しにくるため、このような逃走手段を用意しておくことが生き残るためには必須でした。
なんとか安全地帯に転移した私は、そのまま地面へと倒れます。
「……ぐ、ぐふっ………………」
「アイリスーっ! 急患ーっ!」
両腕を失い、全身にいくつかの穴を空けた私が足元に倒れると、このような状況に慣れた坊ちゃまはすぐさまアイリス様を呼んでくれました。
いちおう坊ちゃまも回復魔法は得意なのですが、坊ちゃまは加減というものを知らないため、よほど危険な状態でなければアイリス様に回復してもらうのが一番です。
幸いアイリス様は近くにいたので、すぐに私の身体は女神の先祖返りという最高の術者によって癒やされました。
「あ、ありがとうございます、坊ちゃま、アイリス様……おかげで助かりました……」
あまりの疲労からうつ伏せに倒れたままお礼をすると、坊ちゃまとアイリス様は優しく私の背中を撫でてくださいます。
「お疲れ様、リドリー」
「大変だったわね」
まだまだお子様な二人ですが、誰よりも頼もしいご主人様たちに労われて、私の心は安堵で満たされます。
ああ……やっぱり私はずっとこの二人にお仕えしたい。
この場所こそが自分の居場所だと実感できます。
坊ちゃまとアイリス様。
このお二人にお仕えしていれば、私は平穏に生きられるのです。
緩くて優しい理想のご主人様に撫でられて、私はそんな確信を抱きました。
「ところでリドリー……ちょっとこの書類にサインしてほしいんだけど?」
「怪しい書類とかじゃないわよ? 私たちで商会を作ろうと思っているのだけど……子供が代表を務めるのもどうかと思うから、リドリーに名義を貸してほしいの」
修行から私を逃がすためサインするだけの仕事を用意してくださった優しいご主人様たちの頼みに応じて、私は疲れ果てた頭で魔法契約書へとサインと血判を押していきます。
これが普通の貴族の子供であればこのような書類には絶対サインしませんが、この二人が商売で失敗するイメージができませんし、契約書の詳しい内容は見なくても大丈夫でしょう。
「……追加のお給料はいりませんからね?」
お給料が増えると仕事も増えるため、すでに十分すぎる収入を得ている私が念押ししておくと、坊ちゃまたちはとてもいい笑顔で頷いてくれました。
「大丈夫だよ! この商会でリドリーに『お給料』が発生することは絶対にないから!」
「ええ、経営に関しても任せておいて! 必要なことは全てこちらでやっておくから!」
「……えげつないのじゃ」
最後にシャル様が何かを言っていたのが少し気になりましたが……修行で疲れ果てた私は早々にサインを済ませて眠りにつきます。
「「おやすみ、商会長」」
その日から、資産が雪崩の如く増えていくことを、この時の私はまだ知りませんでした。




