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第68話  専属侍女の嗜み





SIDE:リドリー



「ぜぇっ……ぜぇっ…………せやぁああああああああああっ!!!」



 師匠たちから与えられたおしおきはとてつもなく厳しいものでした。


 仕事の手が空いた師匠たちやエストランド領の住人たちが、暇を見つけては私のところへとやってきて、心地良い汗を掻いて帰っていきます。


 私に与えられた役目は、ただひたすらに戦い続けることだけ。


 修行のノルマを増やされないよう一心不乱に拳を振るいます。


 本当に危なくなった時は影に潜んだメアリーちゃんが助けてくれたから生き残れたものの、それがなかったら私は十回以上も死んでいたでしょう。


 たとえ骨が折れようが、手足が斬り落とされようが、すぐに回復魔法やポーションで傷を治されて、次の戦いへと強制参加させられます。


 休憩できるのは軽食とトイレの時間のみ。


 先ほどトイレに行った時なんて真っ赤な血尿が出ましたが、それを言ってもマーサ師匠は嬉しそうに笑うだけでした。



『大丈夫よぉ、しばらくは大のほうも真っ黒だからぁ……あっはっはっはっはっ!』



 そんなことで爆笑できる師匠に、私はストレス発散も兼ねて渾身の右ストレートを叩き込みます。



「甘いっ!」



 しかし疲れのせいで鈍くなった拳はマーサ師匠の【仙理闘法】で受け流されて、気付いた時には私の身体は宙に浮かんで背中から大地に叩きつけられました。



「ぐはぁっ!??」



 私の拳の威力を利用されたせいか投げ技の衝撃で大地が砕け、内臓が激しく揺さぶられて口から大量の血液が吹き出します。



「……ご、ごふっ……げぼっ……げぼぁああっ…………」



 技の衝撃でいくつかの内臓が潰れてピクピク痙攣する私に、マーサ師匠がエプロンのポケットから取り出したポーションを飲ませてくれました。


 ……これで次回のトイレも血尿は確定でしょう。


 内臓の中に溢れた血液はポーションを飲んでも消えないのです。



「立ちなさい、リドリー! たった半日死闘を続けただけでバテるようでは王都の侍女たちに笑われてしまいますよぉ!」


「……はいっ!」



 師匠からの激励に私は震える足で立ち上がり、口の中に残った奥歯の欠片と血液を吐き出します。


 王都の侍女たちもこんな修業をやっているのかは謎ですが……今の私はそんな疑問を抱く暇があったらひとつでも呼吸をしたくて、深く考えている余裕がありませんでした。


 余計なことを考えていたら死んでしまうのが、きっと侍女にとっての日常なのです。



「さあ、もう一本ですぅ!」


「はいっ!」



 戦い過ぎておかしくなってきた頭を振るって、私は再び拳を構えます。


 そして本気を出したマーサ師匠の【鬼怪闘法】をギリギリ躱したところで、私とマーサ師匠は【刻死樹海】の方角から発せられた極大の魔力反応に気づいて、互いに地面を蹴って距離を取りました。



「……今のは坊ちゃまでしょうかぁ?」


「……これほどの魔力は他に考えられないかと」



 赤ん坊の頃から血液を操ってばかりいたせいか、もともと坊ちゃまはエストランド領の中でも魔力量が飛び抜けて多いほうでしたが、定期的に【創世神の血】を飲むようになってからは、ちょっと意味がわからないくらいの魔力オバケになっています。


 本人は頭がアレなので気づいていない様子ですが、坊ちゃまは日に日に進化を続けているのです。


 主に非常識な方向へ。


 北西の空を眺めて私とマーサ師匠が遠い目になっていると、私たちと同様に魔力反応を感知したのか、家の中からメルキオル様が飛び出してきます。



「やっぱり放っておけない! ノエルが世界を滅ぼす前にどうにかしなければっ!」



 常識的な使命感に駆られて【刻死樹海】がある方向に疾走しようとするメルキオル様。


 自分の息子が『世界を滅ぼす』とは親馬鹿なのか、実際にその危険があるのか、ちょっとよくわかりません。


 しかしそんな常識人の前に、



「おっと! ノエルのことは放っておく約束だろう? 森に行くと言うなら私を倒してからにしてもらおうか!」



 尻尾を振って今か今かと修行の順番待ちをしていた非常識の化身が回り込みました。



「ラウラ……君は子供のことを放任しすぎだよ……」


「そう言うお前は過保護すぎるぞ……」



 教育方針の違いによって睨み合う父親と母親。


 これが普通の夫婦ならば微笑ましい光景なのですが、エストランド家の頂点に君臨する二人の喧嘩ともなると、それだけでちょっとした天変地異が起こります。


 ラウラ様を中心に渦巻く大気。


 メルキオル様から広がる闇と、そこから這い出してくる巨大な影。


 やがて睨み合うだけで空間を歪ませ始めた二人を見て、私はマーサ師匠に訊ねました。



「……あれは止めたほうがいいのでしょうか?」



 冷や汗を流しながら確認すると、マーサ師匠は肩を竦めます。



「まだ武器は出してないから放置しても大丈夫ですぅ。それにどうせメルキオル様は妻を殴れませんからぁ」


「ああ……」



 ……最初から勝敗は決まっているのですね?


 どうやら坊ちゃまの行動を抑制する機能は完全に機能不全を起こしているみたいです。


 私の監視から逃れた坊ちゃまが変なことをしてなければいいのですが……。


 先ほどから何度も強烈な魔力波を感知しているのでとっても心配です。


 そんな心配をマーサ師匠も抱いたのか、喧嘩する夫婦を見張る師匠は渋々と私に指示をくれました。



「う~ん、ちょうど修業がいいところなのですがぁ……坊ちゃまの様子を確かめてきてくれますかぁ? 10分間だけ休憩をあげますのでぇ」


「はいっ!」



 降って湧いた休憩に元気よく返事をする私に、マーサ師匠が釘を刺してきます。



「10分だけですよぉ? もしもそれを超えたらぁ……『逃げた』と見なして修業のノルマをさらに増やしますからねぇ?」


「必ず10分以内に帰還しますっ!」



 せっかく50回くらい死にかけたのに、また100回プラスされるなんて冗談ではありません。


 その約束だけは絶対に死守しようと心に刻み、私は貴重な休憩時間を無駄にするまいとメアリーちゃんに開けてもらったゲートの中へと飛び込みます。


 そしてゴリアテちゃんの頂上へと転移したところで、私は収納魔法から取り出した果実とお水を素早く口に放り込みました。


 サボっているわけではありません。


 これは厳しい修業を生き残るために必要な生存戦略なのです。


 限られた休憩時間を有効活用し、私はすぐに坊ちゃまを探すために動きます。


 もともと魔女の家だった頂上部分には坊ちゃまの姿が見当たらなかったため、なんとなく窓の外へと目を向けると、夕焼け空の下に見覚えの無い城下街ができておりました。



「たった半日でどうしてこんなことに……」



 ……もしかして私は修行のしすぎで白昼夢でも見ているのでしょうか?


 試しに先ほど見た時には無かったはずの扉を開けてみると、扉の中は真っ赤な血液に満たされていて……血の中からギョロッと無数の目玉が現れます。



「……メアリーちゃん。それはやめてもらえますか? とっても心臓に悪いので」



 寝ぼけて麻痺とか石化の状態異常を重ね掛けしようとしてくる魔眼の視線を私は気合いで跳ね返しました。



 ……ぷるっ。



 扉の中のメアリーちゃんは軽く謝るとすぐに内側から扉を閉めてしまいます。


 どうやら休憩中だったみたいです。


 寝起きのメアリーちゃんは機嫌が悪いみたいなので、この城の扉は下手に開けないほうがいいでしょう。


 そんな注意事項を胸に刻んで、私は坊ちゃま探しを再開します。


 残された時間は9分弱。


 早く坊ちゃまを見つけなければ、私の生存確率が下がってしまいます。



「――坊ちゃまはどちらに?」



 すぐに影の中にいる戦友へと声を掛けると、ともに修行を生き延びてきた私のメアリーちゃんが、ぷるっ、と北の方角を指し示してくれました。



「ありがとうございます!」



 優秀なメアリーちゃんならば坊ちゃまのところに直通でゲートを繋げることもできるはずですが、この場所に転移させられたということは、道中で秘密基地の現状を観察しておいたほうがいいということでしょう。


 城の中を見るのは時間的に余裕が無いので、私は迷わず窓から飛び降りて、眼下に広がる城下街へと身を投じました。


 凄まじい勢いで地面が近づき、お腹の下がヒュンッとしますが、この程度の高さならば水流走法を使わなくても着地できます。


 こういう時に魔法を使って楽をすると実戦で魔法を使えなくなった時に死んでしまいますから、私は足、膝、腰、肩、腕と全身を使って落下の勢いを殺して、純粋な体術のみでの着地を成功させました。


 日常の中にも鍛錬を盛り込んでおかないと侍女は生き残ることができないのです。


 くるりと前転して起き上がり、服に付いた埃を払いながら、私は坊ちゃまが作った街並みを観察します。


 舗装された立派な大通りの両側には十階以上の高さを持つ建物が整然と並んでおり、街の中央にある城から離れるほど建物は徐々に低くなっていました。


 そして街中にはチラホラと私が制作したお人形さんが歩いていて……その愛らしい姿を目にした私は思わず近くにいるお人形さんを捕獲しました。


 モキュッ?


 相変わらずお人形さんは鋭い拳打を放ってきますが、マーサ師匠のそれに比べればかわいいものです。



「はいはい、大人しくしましょうね~…………あまり暴れると手足を引き千切りますよ?」


 ……モ、モキュッ!?



 軽く殺気を放つと従順になるお人形さんがかわいい。


 羊さんをイメージして作ったこのお人形さんは特にお気に入りなのです。


 坊ちゃまに自慢したら「……シュブ=ニグラス?」と意味不明な感想を言われましたが、大人の感性をお子様な坊ちゃまが理解するには10年早かったということでしょう。



「今からあなたは私のものにします。これからいっしょに修行を頑張りましょうね?」


 モッ……!??



 制作者の言うことは絶対ですから、この子たちに拒否権はありません。


 辛い修行を乗り越えるためには可愛い癒やしが必要なのです。


 もともとこの人形は私の所持品でしたし、あと二、三体捕獲しても坊ちゃまなら許してくれるでしょう。


 自分の制作物が動く素敵な光景に、私はしばし人形狩りに夢中になって、すぐに本来の目的を思い出しました。



「いけない……早く坊ちゃまを探さないと!」



 まだお人形さんは四体ほどしか捕獲できていませんが、捕まえた子は影の中にいる戦友メアリーちゃんに任せて、私は街の観察と坊ちゃま探しに戻ります。


 お人形ハントは時間のある時に改めて行うことにしましょう。


 本来の目的を思い出した私は閑散とした街中を全力で駆け抜けます。


 身体強化した足で石畳を砕き、壁を駆けて屋根の上を跳んで行くと、やがて街並みの向こうに深い渓谷が見えてきました。


 先ほどの魔力波の原因はこれでしょうか?


 まだ周囲に極大魔法を使用した形跡が残っています。


 住宅街の向こうに現れたのは巨大な大地の裂け目。


 そのフチへと近づいて穴の中を覗き込むと、断崖絶壁になっている奈落の底には血の海が広がっていました。


 真っ赤な海面には無数の目玉が泳いでおり、狂気に満ちた光景を創り出しています。



「ああ、メアリーちゃん……お家を造ってもらったんですね?」



 私が事の次第を察すると、超巨大なメアリーちゃんが奈落の底で震えます。



 ぶるんっ! ぶるんっ!


「よかったですね、大きなお家が貰えて……ところで坊ちゃまたちがどこにいるかわかりますか?」



 現実逃避のために訊ねると、奈落の底から真っ赤で巨大な手がせり上がって来て、その指先が奈落の北西を指差しました。



 ぶるんっ!



 そちらに視線を向けると、示された場所では確かに坊ちゃまがなにかの作業をしています。


 慌てて地面を蹴って奈落を飛び越え、空中で何度か跳躍して坊ちゃまのところに着地すると、そこではエストランド領の問題児集団が川の流れを変えているところでした。


 ドボボボボッ、と豪快な音を立てて、奈落に落ちていく川の水。


 だけど谷が深すぎるせいで水が底に着く前に霧へと変わっています。



「……なにやってんですか?」



 私が声を掛けると、護岸工事に夢中になっていた坊ちゃまは振り返り、



「あ! リドリー! ちょうどいいところに!」



 そして泥だらけの姿で私の前まで駆け寄って、子供らしい笑顔でおねだりしてきました。



「ちょっとメアリーのために湖を造ってたんだけどさ……この分だと水が貯まるまで数ヶ月くらいかかりそうなんだ……そんなに待たせるのも可哀想だし、チャチャッとリドリーの精霊魔法で雨を降らせてくれないかな?」



 ただの侍女に『雨を降らせろ』とはとんだ無茶振りですが……なんとなくできそうな気がしたので私は普段からお世話になっているメアリーちゃんのために頷きました。



「局所的に豪雨を降らせる感じでいいですか?」



 こういう機会に好感度を稼いでおけば、今後も死にそうな時に助けてくれるはずです。



「バッチリだよ!」



 最近は日に日に精霊さんとの相性が上がっているので、豪雨くらいなら降らせてくれるでしょう。


 坊ちゃまからの指令を受けた私は、西に聳え立つ竜巣山脈の向こうから雨雲を運んできてもらうよう精霊さんにお願いします。


 特に仲の良い水と風の精霊さんにお願いすると、彼らは張り切って雨雲を引っ張ってきてくれて、すぐに奈落の範囲だけにドシャ降りの雨が注がれました。



「……あの子、修業で殴られすぎたのね……常識と非常識の境を見失っているわ……」


「……うむ、あれは死線を超えすぎて頭のネジが吹っ飛んだやつの顔なのじゃ…………」



 なにやら背後でアイリス様とシャル様が囁いていますが、私はそろそろ約束の10分が近づいているので帰らなければなりません。


 ですが最後に念のため、最低限の注意だけはしておきます。



「いいですか坊ちゃま? いくら私の目がないからって、あまりハメを外してはいけませんからね? 秘密基地もこれ以上範囲を広げないように!」


「はーい!」



 私が釘を差すと、元気良く返事をしてくれる坊ちゃま。


 坊ちゃまも少しは大人しくなりましたね……。


 大地を割ったりするくらいなら私もときどきやっているので、これはまだ常識の範囲内でしょう。


 街を造ったのは少し度が過ぎていますが、森の中なら人様の迷惑にはならないので良しとしておきます。


 そして侍女として完璧な仕事を果たした私は、メアリーちゃんのゲートを潜って修業の地へと戻りました。


 私が時間を厳守したことに満足そうなマーサ師匠のとなりには、深刻な顔をしたメルキオル様も立っていて、心配する御当主様に私は坊ちゃまの様子を報告します。



「ご安心ください、メルキオル様。坊ちゃまは普通に遊んでいただけでした」



 ちょっと普通ではないところもありましたが、御当主様の精神衛生のために伏せておきます。


 私の報告を聞いたメルキオル様は、積乱雲が渦巻く北西の空を指差しました。



「……それじゃあどうしてリドリーさんは嵐を呼んだのかな?」



 特に隠すことでもないので、私は堂々と背筋を伸ばして答えます。



「坊ちゃまのお世話をするために必要だったからです」


「……ああっ……どんどん非常識が深刻化していく…………」



 その返答を聞いたメルキオル様にはなぜか頭を抱えられましたが、マーサ師匠とラウラ様は私のことを褒めてくださいました。



「また一流の侍女に近づきましたねぇ!」


「うむ! よくやった!」



 ちなみに褒められはしても、修業のノルマはまったく減りませんでした……。





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思わず『シュブ=ニグラス』を検索掛けてしまったぜ……。そして、その外見は魅力値(APP)が低い方ナンダロウナー(遠い眼 そしてパパンはノエルに常識を求める前に、ノエルの非常識がラウラ様とマーサ師匠(…
人形に対するとんでもない横暴で笑ってしまった。 リドリーちゃんは8話の時点でも非常識に適応してたし根はそのままに感じる。良き。
リドリーちゃんもうだいぶ人のこと言えない感じですね…
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