第60話 秘密基地を造ろう
SIDE:ノエル
トンテンカン。
トンテンカン。
トンテンカンカンカン。
森の中に佇む魔女の家で、私はリズミカルにトンカチを振るっていた。
暑い夏が過ぎ去って、季節は実りの秋。
森の中の景色はすっかり紅葉が目立つようになり、肉体労働をするにはちょうどいいくらいの涼しさになっている。
本来であればもっと早くに秘密基地の整備をしたかったのだが、今年の夏は完全に【創世神の血】に狂っていたため秋になるまで秘密基地計画が間延びしてしまっていた。
いや、ね……夏の言動は自分でもちょっとおかしいと思っていたんですよ?
なんかやたらとコーラが飲みたくて仕方がなかったし。
しかし安定して【創世神の血】が飲めるようになると、コーラに対する欲求が不思議なほどに収まってきて、そこらへんで私はようやく自分が血に飢えていたことを自覚した。
……まあ、私ってば吸血鬼だからね。
やっぱり血液には目が無いということなのだろう。
そのおかげと言うかなんと言うか、いちおう【創世神の血】を集めることは母様から許可を得ることができて、今ではリドリーちゃんの空間魔法の中に数年分の【血】をストックすることができている。
私が血に飢えて暴走するよりは、欲しい物を与えたほうが管理が楽だと判断されたのだろう。
子供の遊びで作った秘密結社【新月教団】は順調に動き出しているのだ。
そして秘密結社の活動で自分の飲み物を集めている以上、それに必要となる経費を自分で稼ぐことが今後の課題と言えた。
今のところはアイリスたちのボランティアとハルトおじさんの負担で血を集めてもらっているみたいだけど、これからも血を集めていくことを考えるならば、ちゃんと経費くらいは自分で出さなければダメだろう。
いくら婚約者の家との関係が良好だからといっても、甘えられるのは子供のうちだけなのだ。
そんなわけで現在の私は【創生神の血】の回収作業を【新月教団】の力だけで行うことを目標にしていた。
アイリスとは結婚する予定だからそのまま組織の管理は任せておくとして、他に必要なのは血を集める人員と、人員を雇う資金と、そして組織の本拠地となる秘密基地である。
……え? 秘密基地は必要なのかって?
いや、開発チートを行うならば絶対に必要だろう。
悪徳貴族に目をつけられないためにも情報の秘匿は大切だからね。
私とメアリーの転移魔法とリドリーちゃんの収納魔法を使えば輸送経路も完全に隠すことができるだろうし、あとは人目の無い場所に開発拠点を作れば完璧というわけだ。
幸いなことに血を集めてもらう人員はアイリスに心当たりがあるみたいなので、あとは私が売れる品物を作って、アイリスに手配してもらった商人さんに販売を丸投げするだけの簡単なお仕事である。
前世では田舎暮らしをするための資金調達に長い時間を費やしたけれど、優秀な頭脳を持つ今の身体なら頭の中に売れそうな商品のレシピが幾つもストックされているから、今の私にとって資金調達はスーパーイージーミッションだ。
それこそ時間さえあれば、いくらでも金貨を生み出すことができるだろう。
いやー、困っちゃうなー。
若くして美人な婚約者持ちの億万長者とか、リア充すぎて困っちゃうわー。
とはいえ、あまり稼ぎすぎても面倒ごとを呼び寄せるだけなので、お金稼ぎは必要最低限にするつもりだけどね。
「うふふふふふっ……」
そんな風に私がセレブになった未来を想像してトンカチを振るっていると、となりで見学していたアイリスが首を傾げた。
「……屋根の修理ってそんなに楽しいの?」
複数の巨乳美女をはべらせる下世話な妄想をしていた私は、即座にアホなイメージを霧散させる。
……いや、違うんだよアイリス?
セレブになったらハーレム遊びをしようとか思ってるわけじゃないから。
こういうのは妄想するのが楽しいんだから。
こちらの下心を見透かすように蒼い瞳で覗き込んでくるアイリスに、私は爽やかな笑顔を向ける。
「……トンカチを振っている時に急接近するのはやめようか? 普通に危ないから」
「それもそうね」
注意すると素直に同意し、私の顔の1センチ手前まで近づけていた顔を引いてくれるアイリス。
さらりと艷やかな銀髪を揺らした彼女は今日も人智を超越したような美しさを放っており、そのあまりの美貌に私はハーレム遊びが不可能であることを実感した。
うん……これは他の美少女を並べてもモブにしか見えないわ……。
美少女ゲームのヒロインってこんな感じなのかな?
オルタナの街から帰ってからというもの……やたらと修行を張り切るようになったアイリスは、強くなればなるほどその美貌を増していた。
なんでも彼女は聖光騎士団の隊長格よりも強くなりたいとかで、最近では母様でも苦戦するレベルの使い手に育ってきているらしい。
そんな彼女は私が見惚れたことに満足したのか、
「そんなに楽しいなら手伝ってもいいかしら?」
ご機嫌に笑って協力を申し出てくれる。
「もちろんだよ!」
かつて私がパワーアーマーでぶち破ったせいか納屋の屋根には大きな穴が空いているので、修理の手が多いのは普通に助かった。
「リドリー、アイリスにもトンカチを!」
予備の工具を収納してもらっているメイドさんに声を掛けると、魔女の家の庭にデッキチェアを出して寝転ぶメイドさんは珍しく覇気の無い返事をした。
「ん? あー……はい、メアリーちゃん。持って行ってあげてください」
そう言ってメアリーにトンカチを渡し、自分はデッキチェアの上に寝転んだまま、チクチクと裁縫作業に戻るリドリーちゃん。
「……ずいぶんダラけているわね?」
デッキチェアから動く様子がないリドリーちゃんに、トンカチを受け取ったアイリスがジト目を向けると、仕事をサボるメイドさんはとても嬉しそうに微笑んだ。
「最近はアイリス様がマーサ師匠やセレス師匠の相手までしてくれるおかげで、私への圧が減っていますからね! 休める時に休んでおくのが優秀な侍女というものなのです!」
修行のノルマが減ってご機嫌なサボリーちゃんは、怠惰の秋を満喫しているらしい。
だらしない駄メイドさんに、貴族のお姫様であるアイリスが軽く注意する。
「もー……他の人の前ではシャキッとしなさいよ?」
「は~い!」
まあ、田舎の貴族なんてこんなものである。
気安い主従関係に頬を緩ませたリドリーちゃんは、針とつながった糸を噛み切って制作していた人形を嬉しそうに掲げた。
「で~きたっ!」
完成した人形をデッキチェアの脇で見たシャルさんが、生首を傾げて素直な感想を述べる。
「誰かを呪い殺すのか?」
「失礼なっ!?」
裏表の無いシャルさんからの感想に、顔を赤くするリドリーちゃん。
「よく見てくださいよ、シャル様! これはどこからどう見ても可愛いお人形さんじゃないですか!」
そう言ってメイドさんが生首へと不気味な人形を突き出すと、シャルさんはそっと視線を逸らして気まずそうな顔をした。
「あー……うむ。お前さんはもう少し休んだほうがいいかもしれんな……」
「どういう意味ですか!?」
屋根の上からその光景を見ていた私とアイリスも、リドリーちゃんの感性を心配する。
「……あれって愛玩人形だったんだ」
「……私も修行のストレスを具現化させた呪物の類だと思っていたわ」
少し前から婚期が遅れていることに悩むリドリーちゃんが花嫁修業の一貫としてお裁縫を始めたのだが、その制作物を見た者たちからは総じて正気を疑われていた。
おそらく最近のリドリーちゃんが戦闘の修行から解放されていたのも、彼女のメンタルケアを考えてのことだろう。
しかし正気を失っていなかったとなると他の問題が出てくるわけで……私とアイリスは同時に森の木々の隙間へと目を向ける。
(……じー…………)
そこにはイザベラさんが監視用に付けた風の精霊が隠れていて、その蜃気楼みたいな身体の奥底からは激しい怒気が漂っていた。
つい先日、精霊の視覚をメアリーが映し出す『モニターモード』を私が開発したから、イザベラさんだけでなく他のメイドさんたちも今のやり取りを見ていたのだろう。
今のところ音声までは送信できないのだが、イザベラさんやセレスさんあたりは読唇術で会話を読み取ってしまうため、おそらく会話の内容も筒抜けである。
メアリーが【光魔法】を上手に使えるようになったから、細胞のひとつひとつに【光魔法】と【変色】を使わせれば液晶テレビみたいな映像技術を再現できると思ったのだが……どうやら技術の進歩には常に犠牲が伴うらしい。
「どうする? リドリーにも教えとく?」
私が本人にサボりがバレていることを知らせるか訊ねると、アイリスは少し考えてから首を横に振った。
「……いえ、今のあの子は幸せそうだし、もう少しだけ束の間の休息を満喫させてあげましょう」
デッキチェアの上で満足そうに人形を抱いて、収納から取り出したリコの実を齧るメイドさんは、アイリスが言う通り全力で今を楽しんでいた。
「あ~っ、美味し~っ! 修行が無い生活って最高です~っ!」
まあ、仕事は慣れてきたころが一番危ないと言うし、ここらでガツンと気合いを入れてもらったほうがリドリーちゃんのためだろう。
メアリーに頼めば精霊さんが送る映像をシャットアウトすることもできるけれど、すでに手遅れな気がしたので、私は心を鬼にして映像の出力を続けさせた。
◆◆◆
それから数時間後。
納屋の屋根の修理も終わり秘密基地の内装も整えた私たちは、魔女の家の前に並んで新たな拠点を眺めていた。
いや、魔女の家と呼ぶのはもうやめよう。
今日からこの家は我ら【新月教団】の秘密基地となったのだ。
私は影からイビルアイを飛ばして秘密基地の内部へと飛ばし、その視界をメアリーの『モニターモード』で仲間たちの前へと表示させる。
「どうかな? いちおうみんなの意見を反映させて、理想の秘密基地を作ってみたんだけど?」
メアリーが映し出す秘密基地の内装は、きっちり仲間たち全員の希望を反映していた。
一階部分の内装はアイリスの希望で神殿っぽい雰囲気にして、シンプルな家具と双月神関係の宗教画を飾っている。
地下室にはシャルさんの希望で魔女の家にあった人骨の家具を設置し、そこから納屋の下の拷問部屋まで続く道には、私の趣味で武器や防具の類を並べてみた。
そしてリドリーちゃんが希望した納屋には彼女が収納に入れていた不気味な人形が展示されており……見る者すべての正気を削る悍ましい空間を形成している。
それらの光景をメアリーの画面で見たリドリーちゃんは、遠い目をして素直な感想を零した。
「……なんだか怪しい新興宗教って感じですね」
正直な感想に、私は首を縦に振って同意する。
「……うん、入ったら二度と出てこれないやつ」
具体的に言うと森に迷い込んだ一般人を捉えては、地下室に連れ込んで『祝福』を与えてそうな感じ。
特に拷問部屋の空気を改善しようとリドリーちゃんが飾ったお花が、逆に狂気的な宗教観を加速させていた。
「……『神秘的』という意味では完璧な施設だと思うわ」
頑張ってアイリスがフォローしてくれるが、天然なシャルさんがトドメを刺す。
「フハハッ! 神は神でも邪神を祭ってそうな雰囲気だけどな!」
ですよね……。
本当は地下室の内装をしているあたりで気付いていました。
とはいえ、これなら普通の感性を持った人が不法侵入することもないだろうし、日本の便利グッズを開発する拠点としては悪くない出来栄えだろう。
「これが僕たちの秘密基地か……」
まあ、内装なんて気に入らなければ変更すればいいことだし、今は好き勝手に改造できる拠点ができたことを喜んでおこう。
これからはここを中心に遊んだり、田舎暮らしに必要な技術をみんなで修得していくのだ。
干し柿を作ったり、石窯をこさえてピザを焼いたり、焚き火で燻製肉を作ってみるのもアリだろう。
村では他人に気を使ってできなかったことも、この場所では自由にできるのだ。
いくらド田舎にあるエストランド領でも、洗濯物の横で焚き火なんかしたら怒られるからね。
自分たちの場所を作ったことで、遊びの幅が広がったことは確実だった。
仲間たちもそんな秘密基地が持つ可能性に気付いたのか、先ほどまでの微妙な反応が嘘のように瞳を輝かせる。
「ちょっとデザインはアレですけど……意外とこうゆうのってワクワクしますね!」
「ええ、自由にできる家があると妄想が膨らむわ……」
「……よいか主君、こやつが地下室の増設を始めたら要注意じゃ……ミストのやつも閉じ込める系の性癖を持っていたからな……」
そうだろう、そうだろう。
秘密基地を造るのって、そこで何をやるか考えるのが特に楽しいよね。
しかし達成感に浸りながら秘密基地を眺めていると、基地の左右から六本の足がニョキニョキと生えてきて……談笑する私たちの前で秘密基地がその巨体を持ち上げた。
「「「「……ええ…………」」」」
続けて基地はまるで生き物のように石造りの地下部分から土を払い落とし、2つの窓を尖らせて、玄関を大きく開いて咆哮する。
ゴアアアアアアアアアアアッ!
そして最後には地下通路とその先にある納屋まで地面から引っこ抜いて、完成したばかりの秘密基地は勢い良く森の奥へと走り出した。
「……足が生えましたね」
「……顔もできていたわ」
「……主君たちの魔力を見て逃げ出したのじゃ」
ふっ……これだから異世界は……!
ガシャガシャと力強く森の木々を薙ぎ倒しながら逃げて行く秘密基地の後ろ姿に、私は呆ける仲間たちへと慌てて指示を飛ばす。
「――か、確保ぉーーーっ!??」
そして私たち新月教団の秘密基地計画は、文字通りに『迷走』を開始した。