第59話 王家の密偵と稀代の英雄
SIDE:王家の密偵
私の名はグランツ。
ミストリア王家に仕えるダークエルフの密偵である。
忠誠を捧げていたアイリス殿下が儚くこの世を去ってから早二ヶ月。
殿下の側仕えとしてオルタナに控えていながら、けっきょく何もできなかった私と相棒のシェリルは使命感に燃えていた。
「行くわよグランツ! 今日こそ【新月教団】の尻尾を掴むの!」
かつて隠れ家として使用していた商店は聖光騎士団に所在がバレてしまったため、新しく借りた壁が薄い集合住宅から私とシェリルは街へと繰り出す。
シェリルは最近のオルタナによく現れるアーサー・エストランドを探しに。
そして私はセレス様からの指令を守るため【鈍牛】のエスメラルダを見張りに。
ミストリア王国に現れた新たな脅威――【新月教団】。
半神級の戦力を擁する強大な組織でありながら、オルタナに現れるまでまったく我ら密偵に存在を悟らせなかった恐るべき秘密結社。
初めてその存在が認知され、ファントムと呼ばれる戦士の活躍が広まった時、ミストリア王国の暗部は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
国家を転覆させかねない戦力が秘密裏に動いていたのだから当然である。
さらにはファントムが現れてからというもの、ミストリア王国の各地に封印された【創生神の血】が何者かに盗み出される事件が頻発しているため、上層部の危機感はかつてないほど高まっていた。
あのセレス様とイザベラ様が施した封印結界を解除できるという点だけでも、【新月教団】が強大な力を有していることは間違いない。
やつらは現在のミストリア王国にとって、最大の脅威と言っても過言ではないのだ。
現状で【新月教団】について判明していることは、恐るべき強さを持つファントムと呼ばれる戦士が所属していることと、彼らが【創生神の血】を集めていること、そしてアーサー・エストランドが何か情報を知っているらしいということだけ。
ここでエストランド家に情報提供を求めることができれば話が早いのだが……あそこの家は政治的にとても微妙な立場にある家なので、我々は聞きに行くことができないでいた。
「……やっぱり他の勢力が国内で力を持っているのって厄介よね」
同じことを考えていたのか、苦々しい顔でエストランド家のことを問題視する相棒に、私は短く同意する。
「ああ、特に吸血鬼の派閥は秘密が多すぎる」
エストランド家は国王陛下との友誼でミストリア王国に籍を置いているが、派閥としてはミストリア王国ではなく【鮮血皇女】の派閥に所属している。
彼らはミストリア王国と【鮮血皇女】を繋ぐ親善大使であり、裏社会で大きな力を持つ吸血鬼たちがミストリア王国を荒らさないように若き日の国王陛下が苦労して友好を結んだ相手がメルキオル・エストランドだった。
戦乱が絶えないこの中央大陸でミストリア王国がそれなりの平和を保っていられるのも、陛下とメルキオル氏の友好関係が吸血鬼たちの抑えになっているからである。
そんな事情があってエストランド家に介入できないせいで、我々はこうして謎の組織の対応に苦慮しているわけだ。
「それじゃあ【鈍牛】のほうは任せたわ!」
大通りの交差点で遠くからアーサー・エストランドを称える喝采の声が聞こえたため、シェリルがそちらの方角へと走って行く。
神出鬼没のアーサーは街中の至る所に出たり消えたりするため、毎日オルタナを走り回っているシェリルは少し痩せてきていた。
「その場で待ってなさいよ! アーサー・エストランドぉおおおおおおっ!」
密偵らしからぬ怒りに満ちた慟哭を聞きながら、私は聖光騎士団が借宿にしている建物へと向かう。
現在はシェリルと恋人という設定で潜伏しているため、帰りに彼女のために甘い物でも買っていったほうが恋人っぽいだろう。
男が嫌いな彼女からは腐った生ゴミを見るような目を向けられるだろうが、最近は近隣住民からシェリルがアーサーに惚れてしまって捨てられそうになっている男と私が認識されてきているため、お隣さんの生温い視線を払拭するためにも仲良しアピールは必須だった。
くっ……なんだか密偵らしさが薄れてきているな……。
私としては密偵らしく、ミステリアスで仕事ができる男を目指しているのだが、アーサーが現れるようになってからというもの、オルタナは少しずつおかしな方向へと突き進んでいた。
雰囲気が軽くなったというか……フワフワになったというか……。
これまで街に流れていた重苦しい空気が払拭されたのは良いことだと思うが、あまりに軽くなりすぎて裏社会を生きる密偵としては馴染めない。
「「「アーサーッ! アーサーッ! アーサーッ!」」」
……ほら、今も街の反対側にいたはずのアーサーが私の進行方向に現れて、顔色の悪い住人を癒やして看板を掲げている。
『これでもう大丈夫だ! 季節の変わり目は風邪を引きやすいから注意するのだぞ!』
そんな文字を掲げる彼も風邪を引いているらしく、周りを取り囲む住民たちから心配されていた。
「アーサー様もお大事にしてください!」
「お願いですから先にご自身を癒やして!」
「あなたが倒れてしまったら心が張り裂けます!」
特に呪いを解いた美女たちから熱い視線を送られているアーサーは、そこまで言われても自分を癒やさずに別の看板を取り出した。
『すまんな……俺様を癒やす魔力があるなら、先に民を癒やしたいのだ……』
その文字を読んだ女たちは頬を赤く染めて胸を押さえる。
「っ……!? そこまで私たちのことをっ!」
慈悲深い黄金の騎士に、感涙するオルタナの住民たち。
もうすぐ広場にアーサーの黄金像が立つらしいし、この街はもう彼の街になりつつある。
国内で吸血鬼の派閥が影響力を増していることに私が遠い目をしていると、進行方向の反対側から怒りに満ちたシェリルの声が聞こえてきた。
「アーサー・エストランドぉおおおおおおおおおっ!」
振り返るとそこには鬼のような形相をした相棒が全力疾走をしており、それを見たアーサーがまた別の看板を取り出す。
『むっ!? いかん! またシェリルちゃんが来た!』
彼女の姿を見て路地裏へと走り出すアーサー。
『それでは皆の者、さらばだ!』
その背中に住民たちは穏やかに手を振って、
「くそっ! また逃げられた!」
後からやってきたシェリルに対応した。
「今日も精が出るねえ、シェリルちゃん」
「ほんとシェリルはアーサー様のことが大好きよねー」
膝に手をつき肩で息をする相棒に、おばちゃんと若い女性が声をかける。
生温い視線を向けられたシェリルは目を血走らせて怒った。
「そんなんじゃないわよっ! 私はあいつを捕まえなくちゃいけないのっ! この国の安全を守るためにっ!」
「はいはい、わかったわかった」
「いるのよねー、こういう好意を素直に表現できない子」
「だからそんなんじゃないってば!」
そう叫んで頭を、ムキーッ、と掻き毟るシェリルは、オルタナでちょっとした有名人になっていた。
アーサー・エストランドが大好きすぎて、常に街中を走り回っている【追っかけのシェリル】。
……密偵は目立つ行動を避けなければいけないのだが、アーサーと関わり出してからというもの、シェリルは完全に我を見失っていた。
あれでもいちおう王家の密偵の中では出世頭だったのに……どうしてああなった?
ここは私がしっかりしなければ……。
相棒の醜態にそう決意を新たにし、私はアーサーから逃げるように足を早めた。
……密偵として培われた自慢の直感が、彼と関わると自分もああなると告げている。
だから私は極力アーサーに近づかないようにしていた。
まあ、私の役割はエスメラルダを監視することだし、アーサーのほうはシェリルに任せておくことにしよう。
決して仕事から逃げているわけではないのだ。
そして【鈍牛】のエスメラルダが拠点としている建物から少し離れた建物の屋上に上がった私は、望遠鏡を取り出して聖光騎士団の様子を覗き込んだ。
『救世主ファントム勧誘作戦』
そこでは大きな木の板にそんな文字を書いて壁に掲げた部屋で、目の下に大きなクマを作ったエスメラルダが聖騎士たちに檄を飛ばしていた。
集音の魔法を使えば声を聞くこともできるが、それをすると監視が露見する可能性が高まるため、単純な読唇術で会話の内容を読み解いていく。
「いいか、お前らっ! ファントムの情報はアーサー・エストランドからもたらされたものだっ! つまりアーサーを捕まえればファントムの情報も手に入る! 聖剣の担い手である彼女を我が騎士団に迎え入れるためにも、まずはアーサー・エストランドを捕まえるのだ!」
「ですが隊長! やつは神出鬼没すぎて追いつくことすらできません!」
「ええいっ! そんな弱音を言ってるヒマがあったらシェリルを見習ってアーサーを追いかけろ! 今の我々にはあれくらいの情熱と泥臭さが必要だ! くそっ……ロドリゲスが残した【血】の封印に時間をとられなければ、もっと早く彼と接触できたのに……」
……ここにもアーサーの魔手が伸びていることがよくわかった。
冒険者ギルドの前でアーサー・エストランドがファントムについて語ってからというもの、それを耳にした街の者たちがアーサーとファントムの関係性を口々に噂している。
最初は宿敵だと囁かれ、そのうち仲間なのではないかという憶測が流れ、現在ではなぜか『運命に恋路を引き裂かれた元恋人』という説が定着していた。
アーサーの仲間に婚約者の少女とリドルリーナ・エミル・ミストリアとかいう謎の王族がいることから、三角関係やドロドロの四角関係を描くのが最近の歌劇の主流である。
いや、相手はいちおう【創生神の血】を集めている国家反逆罪級の犯罪組織なのだが……ファントムがロドリゲスにトドメを差してオルタナに張られた影の結界を切り裂いたせいか、この街では【新月教団】を肯定的に捉える者が少なからず存在していた。
そういった歌劇の文化に詳しいオルタナの住民によれば、ファントムはアーサーとは違う道筋で世界平和を目指す闇の英雄なのだとか。
エスメラルダもその口なのか、街で売られているファントムの絵姿を壁に貼り付けて時々熱心に祈っている。
「このエスメラルダはわかっていますよ、アイリス殿下……あなた様が【創生神の血】を集めるのには深い理由があるのでしょう……その聖なる任務を確実に成し遂げるためにも、あなた様は私とともに来るべきなのです……」
……あの女はどういうわけかファントムの正体をアイリス殿下だと思い込んでいるみたいだが、殿下は確実に他界されているので、その姿は酷く狂信的に見えた。
「聖剣の担い手は最強の騎士団とともにあるべきです……」
ファントムを、そして【新月教団】の尻尾を掴むために、街中の有力者たちがアーサー・エストランドの背中を追っている。
アーサー自体も謎に包まれた存在だが、きっとその鎧の下に隠された真実に辿り着いた者だけが、世界の深淵を覗き込むことができるのだろう。
まるで光と闇そのもののように、常に隣り合って語られるファントムとアーサーの英雄譚がどこへと向かうのか……そして私もまたひとりの密偵として、その物語に関わらなければいけないのだと直感が告げていた。
おそらく彼らの物語は世界の命運を左右するものになるだろう。
街では道化師のような言動をしているアーサーだが、その内側に抱える闇がどれだけ深いのか、私はそれを知るのが怖くて彼との接触を避けていたのだ。
「…………ん?」
そして恐ろしい未来の妄想に揺れる心を落ち着かせていると、どこからともなく見覚えのある精霊が風に乗せて一通の手紙を運んできた。
「……これはイザベラ様の…………」
蝶のような形に折られた植物紙を開くと、そこにはミストリア王国で使われている国王の認め印と暗号文が記されていて、その勅命を解読した私は生唾を飲み込んだ。
『――エストランド家の御子息様が商売を始めたがっている。後日、グランツは商人としてエストランド領を訪れるように。なお、この任務で得た情報はその一切を秘匿すること』
要約するとそんな内容になる手紙を握りしめた手が微かに震えている。
エストランド家の子息ということはアーサーで間違いないだろう。
すべての鍵を握る彼に近づけることは密偵として喜ばしいことだが、なぜかこの手紙を読んでから悪い予感が止まらない。
稀代の英雄、アーサー・エストランド。
これから彼と商売を始めることで、どのような深淵を覗き見ることになるのか……この時の私はそれがただひたすらに怖くてたまらなかった。