第58話 麗しの黒いシュワシュワ
SIDE:ノエル
オルタナの街が地平の向こうに隠れるところまで歩くと、ようやく街の人たちの歓声も聞こえなくなった。
最初はノリで始めた治療とお金配りだったが、噂が噂を呼んだのか、今朝方には街中の美人な女性が呪いが悪化したフリを始めてしまい……最終的にはギルベルトさんたちに頼まれて、なぜか治療フェスティバルまで開催することになってしまった。
いや、たぶんあれはみんなで叫びながら街を練り歩くのが楽しかったんだろうけれど……オルタナの人って基本的にパリピ気質なのかな?
あまりにもノリがいい街の人たちに、田舎者な私はドン引きである。
「いやー……酷い目に遭ったね!」
周囲に街の人がいないことを確認して私がフェスの感想を口にすると、となりを子鹿のような足取りで歩いていたリドルリーナちゃんがプンスカする。
「誰のせいだと思ってるんですかっ! ただでさえこっちは原因不明の筋肉痛に悩まされているのに……変な問題を増やさないでくださいよっ!」
昨日マーサさんと行った修行が原因なのか、リドリーちゃんはかつてないほどの筋肉痛に苦しんでいるらしく、おまけにリドルリーナの名前を広げてしまったことでお冠みたいだった。
早くも巨乳妖艶神秘魔女という存在は彼女の中で黒歴史となりつつあるのだろう。
「……だから止めたのに……流石に王族の名前を騙るのはマズいって…………」
「……あの時はカッコイイと思ったんです…………」
項垂れて頭を抱えるリドリーちゃんに、アイリスが優しく微笑む。
「安心なさい。リドルリーナ・エミル・ミストリアについては、私が問題ないように手を回してあげるから」
「っ!? アイリス様っ!?」
感動してアイリスのお腹に抱きつくリドリーちゃん。
私は婚約者が巨乳妖艶神秘魔女の頭を撫でながら、とても悪い顔をしているのを見てしまったが、面白そうなので黙っておくことにした。
……デコピンの仕返しですね、わかります。
私の視線に気づいてウィンクするアイリスに、私も黄金の鎧でこっそりサムズアップしておく。
彼女がどんなイタズラを仕込むのか楽しみにしておこう。
「あれ……? なんだか背筋まで寒くなってきました……筋肉痛といい、悪寒といい……もしかして夏風邪でも引いたのでしょうか?」
大丈夫だよリドリーちゃん。
それはただの悪寒だから。
喉元過ぎればなんとやらで、さっそく私たちが新しい悪だくみを企てていると、先頭を歩いていたマーサさんが振り返った。
「? なにやら邪悪な気配を感じたのですがぁ? 気のせいでしょうかぁ?」
「そう? 私はなにも感じなかったわよ?」
「それは間違いなく気のせいだよ」
爽やかな笑顔を浮かべる私たちを援護するように、人混みが嫌いで影の中にいたシャルさんが影から生首を覗かせて天然ボケを炸裂させる。
「ちょうど妾がこの辺りで邪神をグサーっとしたからな! その時の邪気が残っていたのじゃろう!」
「ああ、なるほどぉ」
続けてマーサさんは周囲を見渡して、私に【転移門】の使用を依頼してくる。
「それじゃあ街からも離れましたしぃ、帰りは空間魔法でエストランド領まで戻りましょうかぁ」
「! 賛成っ!」
その提案に私は飛びついた。
たった1日離れただけで早くも故郷が恋しくなってきたというのもあるけれど、なにより悪だくみの罰として【創世神の血】を飲むことをエストランド領に戻るまで禁止されているため、今は一刻も早く戻りたかった。
コーラへの情熱に突き動かされた私はメアリーに依頼して転移門を開いてもらい、エストランド領へと続くゲートをくぐる。
そして家の庭に降り立ったところで、私はすぐさま黄金の鎧を脱ぎ捨てて、メイドさんへと手の平を突き出した。
「リドリー! 例のモノをっ!」
変装を外していたリドリーちゃんは、呆れた顔をしながらも収納魔法に手を突っ込んでくれる。
「しょーがないですねー……」
そして差し出された瓶を受け取って、私は瞳を輝かせた。
「ふぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
瓶の中に入っているのは間違いなく夢にまで見たコーラだった。
常に気泡を発する禍々しい液体。
それは背徳と甘美が混然一体となった神の雫。
その黒い輝きはこの世に存在するどんな飲み物よりも私を魅了し、今すぐ飲んで血糖値を上げろと誘ってくる。
瓶に嵌められたコルクをキュポッと外せば、中から甘い香りが漂ってきて、私は今すぐ口を付けたい衝動を抑えて瓶をリドリーちゃんへと突き出した。
「冷やしてっ!」
生温いコーラなんてコーラに非ず!
鬼気迫る勢いのおねだりに、リドリーちゃんは苦笑して【創世神の血】を冷やしてくれる。
「もー……血にこだわるところだけは吸血鬼っぽいんですから……」
まあ、私ってば吸血鬼の中の吸血鬼だからね!
そして吸血鬼らしく血に飢えた私は、降り注ぐ真夏の太陽光を浴びながら、キンキンに冷えたコーラを喉へと流し込む。
「――っ! くっはあああああああああああああああっ!!!」
口の中に広がる鮮烈な甘さ。
鼻を抜けていく爽やかな芳香。
そして喉を焼く強炭酸の刺激に、私は魂が満たされ全身に力が漲ってくるのを感じた。
「これこれっ! これが飲みたかったんだよっ!」
満面の笑みを浮かべる私に、リドリーちゃんが嘆息する。
「……坊ちゃまはどんどん常識の範疇から外れていきますねー…………」
……吸血鬼が血を求めるのって普通じゃないの?
そんなやり取りをしているうちに家の中から私たちの帰宅に気付いた父様と母様が出てきて、父様が物凄い早足で私のところまで近づいてきた。
「ノエルっ! 街では問題を起こさなかったかいっ!?」
おかえりの挨拶も無しに失礼なことを訊いてくる父様に、私は半分コーラが残った瓶を掲げて堂々と宣言する。
「ええ! まったく問題ありませんでしたっ!」
その回答に、なぜかマーサさんとリドリーちゃんが盛大にズッコケた。
「………………本当に?」
父様からも疑いの目を向けられてしまったけれど、私はただ街で遊んでいただけだし、ちゃんとコーラは手に入ったのだから無問題である。
「嫌だなぁ、父様。僕は街に迷惑をかけるほど問題児ではありませんよ?」
なぜかフェスティバルを開催したり、光の柱を空に打ち上げちゃったりもしたけれど、この世界ではそれくらい日常茶飯事だろう。
……いや、正直に言うと私にも多少は悪さを働いた自覚はあるのだけれど……子供時代のかわいい悪戯は人生にほど良い刺激を与えてくれる麗しいものだと思うから、父様には少しくらい子供のおイタを許す心のゆとりを持って欲しいものである。
それこそ夕食前にコーラを盗み飲む子供を見守るように……。
そして初めてのおつかいを無事に終わらせた私は、ジト目を向ける家族の視線にさらされながら、黒いシュワシュワを最後の一滴までラッパ飲みする。
「ぷっはぁああああああああああっ! 甘露甘露っ!」
暑い夏の日に飲むキンキンに冷えたコーラは本当に最高で……たとえこのあと壮絶なお説教が待っていようとも、かわいい子供の悪戯を成功させた私は最高に満たされていた。
◆◆◆
SIDE:ラインハルト
エストランド領からイザベラが届けた報告を目にして、私は執務机から取り出した胃薬を口にした。
えっと……なんだこれ?
ちょっと情報量が多すぎて、どこから突っ込んだらいいのかわからない。
オルタナの領主が騎士たちに処されるのは50年に1度くらいあることだからまだいいとして……問題は邪術使いの暗躍とそれを解決した英雄たちのことである。
とりあえず私は最も気になることを執務室の入口に控えるイザベラに訊いてみることにした。
「……このリドルリーナ・エミル・ミストリアとは誰のことだ?」
報告書には私も知らない王族の名前が書かれていたのだから、これには王様もビックリだ。
ジト目を向ける私に質問に、イザベラはしれっと答える。
「ほら、あの人ですよ、あの人……200年くらい前に駆け落ちした王女の子供が見つかったじゃないですか」
そして差し出された書類に目を通すと、確かにそこには王族の末裔であることを証明する文章と、王の印が押されていた。
あー……うん。
お前にはアイリスになにかあった時のために王の認め印を渡していたからね……。
いちおう私は認知されている王族の名前くらいは丸暗記しているのだが……もしかしてこれは舐められているのだろうか?
私は私の執務机でリドルリーナ・エミル・ミストリアの身分証を勝手に作成し、引き出しから取り出したミストリア王家の玉印を勝手に押すイザベラに確認する。
「……ところでお前はなにをしているのかな?」
「はい? いつも通り陛下の代わりに書類仕事をしているだけですが? 今回の事件でリドルリーナ様の書類が紛失していることが判明しましたので、こうして代わりに新しいものを作成してあげているのです」
……どうしよう、ものすごく衛兵を呼びたい。
しかし家庭の事情で盲目的になった女性の扱いに精通している私は黙って書類ができあがるのを見守った。
ミストリア王家で生きてきたからわかるけれど、こうなった女性を止めようとするのは本当に危ないのだ。
特にイザベラの後ろには間違いなくアイリスの影があるから要注意である。
「陛下、こちらにサインをお願いします」
「…………………………うむ」
……ま、まあ、こうして目の前で作成するならまだ可愛げがあるほうだし……円滑な国家運営のためなら、時には清濁併せ呑むことも必要だろう。
他ならぬ愛娘のためだしな……。
いろいろとまともな判断を諦めた私は、とりあえずリドルリーナとかいう人の身分証にサインをしたあと、胃薬を過剰摂取してから報告書の続きへと目を通す。
そこには前回の報告書と同様にノエル坊からのメッセージが書かれていて……それに目を通した私は椅子から立ち上がり、窓から静かに北の空を眺めた。
『――ハルトおじさんへ。【創世神の血】を集める秘密結社を作りたいので、後ろ盾になってもらえると嬉しいです! ノエル』
うん、ほんと……これはどうしたらいいのだろう?
国王になってからというもの、こんなに困惑したのは初めてである。
そして娘の婚約者からの無邪気なメッセージを頭の中で反芻した私は、痛む胃袋を片手で押さえながら、遠い空へと呟いた。
「……あのね、ノエルくん……他ならぬ国王が全力で隠蔽するからいいけれど……こっそり創世神の血を集めるのは『国家反逆罪』だからね?」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これにて3章は完結です。
次回は4章を書き終えたらまた投稿させていただきます。
書籍化の執筆作業などもあるため少し遅くなるかもしれませんが、気長に見守っていただけましたら幸いです。