第56話 オルタナ事変 裏
SIDE:ノエル
マーサさんにドナドナされていくリドリーちゃんを見送ったあと。
私は鍋猫亭の大部屋で新たな変装スタイルの出来を見てニマニマしていた。
夢中になっている間にいつの間にか外が暗くなっていたので、宿に備え付けられたランタンに火をつけて、メアリーから借りたイビルアイでファッションチェックする。
メアリーに預かってもらっていた外套と小手。
リッツさんに用意してもらった冒険者の服。
【夜陰の外套】が持つ【認識阻害】の効果で顔が隠されて、付けっぱなしの首輪とそこから伸びる鎖が無駄にかっこいいメッセージ性を宿している。
「うんうん、良い感じに怪盗っぽい!」
こいつのアバターネームは『ファントム』にしようと心を躍らせる私に、ベッドに腰掛けるアイリスが呆れた視線を向けてきた。
「……まさか自分で盗みに行くつもり? わざわざノエルがそんな危険を冒さなくても、メアリーに頼めば盗ってきてくれると思うけれど?」
……ですよね?
「……これはただの遊びだよ、遊び」
イザベラさんに教えてもらった完璧なコーラ回収作戦が領主の急死によって無に帰したことで、私とアイリスは【創世神の血】を確実に手に入れるため、こっそり盗み出す方向性で作戦を立て直していた。
前の作戦よりも非合法な作戦になるけれど、アイリスの権力で窃盗の揉み消しくらいはどうとでもなるらしい。
すでにメアリーはコーラの近くに潜伏しているため、あとは摘発作戦が落ち着いたころにブツを盗んでもらうだけの簡単な作戦である。
つまりファントムの変装はまったく必要ないのだが……しかし窃盗作戦となれば怪盗に憧れるのが男心というものなので、私はさらなるかっこよさを求めてイビルアイの前でポージングを繰り返した。
「うーん……もう一味足りない気がするんだけど……なにが不足しているんだろう?」
そんな疑問を抱く私に、アイリスがアドバイスしてくれる。
「黒ばかりで差し色が足りないんじゃないかしら?」
「! それだぁ!」
流石は貴族のお姫様である。
首輪と鎖も使い古されて黒ずんでいるし、ここはひとつ明るい差し色を入れたほうが全体のバランスが引き締まるだろう。
そして私が加える色を赤にしようか青にしようかと悩んでいると、近くにあった影からメアリーに乗ったシャルさんが飛び出してきた。
「主君~~~っ!! 妾を置いて行くとは酷いのじゃ~~~っ!!?」
「おっと!?」
胸元に飛び込んできたシャルさんを慌ててキャッチすると、彼女は涙を流して捲し立てる。
「どうして置いてった!? どうして置いてったのじゃあ! 生首のままでも持っていけば良かったじゃろうがっ!??」
「……いや、生首持って街に来たら蛮族になっちゃうし」
「! 確かにっ!」
納得したシャルさんが泣き止んだところで、アイリスが生首を持ち上げた。
「ちょっとシャル? あなたまた邪気で穢れているわよ?」
そしてアイリスに神聖気を流されて、恍惚とするシャルさん。
「ふわぁああああああああ~んっ!??」
強制的に変身させられたシャルさんの金色が差し色にちょうど良さそうだったので、私はアイリスから剣を受け取って素朴な疑問を口にする。
「シャルはまたどこで邪気なんてもらってきたの?」
「うん? ここに来る途中で邪神を見つけたから、気晴らしにグサーッとやっておいたのじゃ!」
「へー……」
……邪神ってそこらへんでエンカウントするもの?
まあ、シャルさんの話は半分で聞いておいたほうがいいだろう。
なんてったって脳ミソ空っぽだし。
「ちゃんとトドメは刺したのかしら?」
心がピュアなアイリスが邪神の存在を信じて訊ねると、シャルさんは快活に笑った。
「それがなかなか頑丈なやつでな! 深手は負わせたのじゃが逃げられて、今はメアリーが後を追っているのじゃ!」
「そう……それはちょっと心配ね」
邪神らしきものとそれを追って行ったメアリーのことは私も気になった。
「イビルアイで覗いてみようか?」
メアリーがいるなら視界を借りて様子を見ることができるので、私が提案するとアイリスは神妙な面持ちで頷いた。
「ええ、お願いできるかしら」
そして自分の影にいるメアリーから、邪神を追いかけて行ったとかいうメアリーに視界を繫げてもらって、私はかわいい眷属が無事かどうかを確かめる。
視界を借りた先では奇抜なローブを纏った人たちがピカピカ光輝く魔法陣の上に乗り、かっこいい骨のアクセサリーをジャラジャラさせて騒いでいた。
なんだろうこの人たち……異世界のパリピ?
送信されてきた謎の映像をしばらく見守っていると、やがてパリピたちは懐から見覚えのある液体を取り出して、一息にそれを飲み干してしまう。
その光景を見て私は思わず絶叫した。
「――僕のコーラがっ!?!?!?」
パリピに一気飲みされてるっ!?
まさかの事態に居ても立ってもいられず、私は慌ててメアリーにコーラがある場所へのゲートを開いてもらう。
【創世神の血】は私にしか飲めないんじゃなかったの!??
普通にそこらへんの人も飲んでんじゃんっ!?
「ちょっとノエルっ!??」
アイリスが慌てて止めようとしてきたが、パワーアーマーに身を包んだ私は彼女よりも素早くゲートをくぐって【創世神の血】のもとに駆けつけた。
転移した部屋の奥にあったアバンギャルドな巨像の前には幾つもの小瓶が並んでおり、その中には私が恋い焦がれたシュワシュワが入っている。
「ふぉおおおおおっ! コーラだあああああああああっ!!」
「ん? なんじゃここは!? クソ神の像があるではないか!?」
そんな風に瓶から漂う甘い香りに陶然としていると、
「血だっ! もっと創世神様の血を飲めばあんな獣人なんてぇえええええっ!!?」
背後から騒々しい足音が聞こえてきた。
聞き捨てならないその言葉に、私は殺気を漲らせながら振り返る。
「そこをどけぇええええええっ!? もっと血を飲ませろぉおおおおおおおおっ!?」
振り返った先には紫色をしたバケモノがいて、私のコーラを奪おうとするそいつは巨大な腕を振り上げた。
『――主君っ! 妾を抜くのじゃ!』
脳裏に響いたシャルさんの声に従って、私は放浪剣シャルティアを抜き放つ。
「せいっ!」
そしてシャルさんが持つ剣術付与能力の助けを借りて、母様やアイリスの動きを参考に放った剣撃は見事にバケモノを両断した。
「……あっ…………」
……なぜか周囲に【燐気】が満ちていたせいでオルタナの上空まで斬撃が届いちゃった気配があるんだけど……これって権力で揉み消せるよね?
おまけに背後の像が燃えてる気配がするんだけど……こっちも権力で揉み消せるよね?
「っ!? その剣はっ!!?」
やっちまった感触に冷や汗を流していると、見覚えのある女騎士さんや大勢の人たちが集まってきて、私はその中のひとりと目があった。
三角帽子に大きなお乳。
やたらと見覚えのある仮面と外套を纏ったその女の子はこちらにジト目を向けており、あまりにも雄弁なその視線に私は慌てて逃走した。
血液操作で【創世神の血】を回収し、影の世界に飛び込んでから、ゲートを開いてアイリスが待つ宿へと帰還する。
『ナニヤッテルンデスカ、ボッチャマ…………ナグリマスヨ?』
あの目は絶対そう言ってたよ……。
「ノエル!? 怪我はない!?」
帰還すると同時に膝を突いた私をアイリスが心配してくれたが、怪我はこれからできるかもしれないから大丈夫とは言えなかった。
なぜなら私の未来には確実な鉄拳制裁が待っているのだから。
「……リドリーにバレちゃった」
震えて作戦の大失敗を報告する私に、アイリスは優しく微笑む。
「……私が共犯だったことは秘密にしておいてね?」
「……夫婦って苦しみを分かち合うものじゃないかな?」
夫婦という言葉にアイリスは少し迷ったが、すぐにリドリーちゃんへの恐怖が勝ったらしく、顔を青白くして視線を逸らした。
「……今回の失敗はあなたの独断先行が原因でしょう?」
「………………はい」
まったくその通りでございます。
せっかく考えてもらった秘密作戦をコーラへの欲望で水泡に変えた私は、婚約者の秘密を墓場まで持っていくことを心に誓う。
そして私が死刑執行を待つ罪人の気分でファントムの変装を片付けていると、階下から騒がしい足音が近づいてきて、すぐに私たちがいる大部屋の扉が開かれた。
「――説明を聞かせてもらいましょうか?」
そこには鬼神がいた。
いや、見た目は巨乳妖艶神秘魔女さんなんだけど……彼女の背後に見えるオーラは完全に鬼神のそれだった。
「違うんだよリドリー……これには深い訳があって…………」
強大なオーラに気圧されて勝手に口から零れ出す言い訳に、仮面を外したリドリーちゃんが満面の笑みを浮かべる。
「べつに言い訳をするのは構いませんが、嘘を吐くのはやめたほうがいいですよ?」
そう言ってデコピンを構えるリドリーちゃん。
一瞬で私の前まで移動した彼女は私のオデコにそれをセットして、嘘を吐かないほうがいい理由を教えてくれた。
「なぜなら今の私はやたらと絶好調でして……手加減なしでデコピンしたら、坊ちゃまの上半身が完全にこの世から消えますので…………絶対に嘘は吐かないでください」
……怒っているんですね……わかります…………。
あまりの恐怖にアイリスが逃走を試みたが、目にも留まらぬ速さで放たれたリドリーちゃんの指弾がアイリスの後頭部を捉える。
「ぎゃっ!??」
強さに定評のある婚約者が床ペロする姿を見せられて、私は自分が完全に詰んでいることを悟った。
「ねえリドリー……全部、まるっと、つまびらかに話すから……まずは額からデコピンを外してくれないかな?」
「駄目です」
ギチィ……ッ!
と空間を軋ませるデコピンが超怖い……。
そして全ての計画と経緯をリドリーちゃんに話した私は、頭蓋骨が割れないギリギリのデコピンを3発ほど打ち込まれたあと、せっかく回収した【創世神の血】を没収された。
「まったく! また坊ちゃまは危ないことをしてっ! こんど私に内緒で悪巧みしたら、本気で拳骨しますからねっ!」
「「………………すみませんでした…………」」
タンコブタワーを作って土下寝する悪ガキ2人は、素直に反省する。
「……秘密にできなくてごめんね……アイリス……」
「……いいのよ……夫婦は苦しみを分かち合うものだもの……」
ほんと……悪巧みはほどほどにしようと思います。
リドリーちゃんの拳骨なんて食らったら確実な死が待っているから……。
「2人とも、ちゃんと反省していますか?」
「「…………はい……」」
そんな荒ぶる鬼神が仁王立ちする部屋で、シャルさんだけが幸せそうに輝いていた。
「初めてまともに使われた気がするのじゃっ!」