第54話 オルタナ事変 ②
SIDE:リドリー
「こちらです! リドルリーナ様!」
オルタナの騎士に先導されて、私たちは闇が沸き上がったお屋敷へと向かっていました。
地元の方によれば、その場所はオルタナで最大規模の商会を経営する大商人さんのお屋敷らしく、闇に覆われて暗くなった高級住宅街の中を武装した30人ほどの戦士たちが走ります。
先ほど知り合ったエスメラルダさんが『邪神がいるなら体内魔素を操れないやつは足手まといになる』と声高に主張したせいで、ほとんどの戦士たちは神殿の制圧のほうに向かってしまいました。
……他の人たちに前衛を任せてヒット&アウェイで安全に戦おうと思っていた私の目論見は早くも崩れ去ったようです…………。
やがて見えてきた目的のお屋敷には敷地を囲う壁に沿って魔法障壁が張られていて、大きな魔法陣が浮かぶ正門前で部隊は停止しました。
数人の騎士と冒険者が障壁に向かって攻撃をしますが、【衝撃転移】の魔法が練り込まれた障壁はビクともしません。
「くそっ!? 空間障壁だ! 攻撃が飛ばされちまうっ!」
「魔術師を呼べ! この障壁は普通の攻撃では破れないぞ!」
流石は歴戦の勇士たちといったところでしょうか。
彼らはすぐに障壁の特性を見抜いて……続けて魔術師みたいな恰好をした私へと視線を向けました……。
「リドルリーナ様っ!」
「お願いします! 御力をお貸しくださいっ!」
ギルベルトさんとエレナさんから懇願されて、私は仕方なく前に出ます。
「……くくっ……任せておくがいい…………」
気持ちはヤケっぱちでした。
もうどうにでもなれっ、と私は魔法陣が浮かぶ正門の前に立ち、腰を落として右手に力を貯め込みます。
「……リドルリーナ様?」
ギルベルトさんがその行動に首を傾げましたが、私は構わず【鬼怪闘法】で生み出した力を魔法陣の核へと叩き込みました。
「――【破城正拳】っ!」
パリンッ! と、安物の陶器のように心地よく障壁が砕け散り、勢い余って振り抜いてしまった拳が、お屋敷の正門を消し飛ばします。
「「「殴ったっ?!?」」」
背後から戦士たちの困惑する声が聞こえてきましたが……私もまさかこれで砕けるとは思いませんでした。
もしかして戦士たちの攻撃で壊れかけていたのでしょうか?
予想以上に障壁が脆かったせいで、消し飛んだ門の向こう側が大変なことになっています。
「くっ……くくっ……やりすぎたか…………」
リドルリーナのフリをしたまま乾いた笑いが零れました。
私の拳の衝撃をまともに受けてしまったのか、バラバラになった人の頭とか手足とか内臓とかが散乱しています……。
これは殺ってしまったかと私が冷や汗を流していると、
「う~……うう~……」
近くに転がっていた生首がシャル様みたいに口を開いて、その光景に私は胸を撫でおろしました。
なんだ……アンデッドでしたか。
それならまったく問題ありません。
うめく死体の頭をパキャッと踏み潰して、エスメラルダさんが私の左側に並びます。
「見事だリド! 流石は我が隊の副長だな!」
……この人の中では私はもう聖光騎士団に入隊しているみたいです。
続けてマーサさんが私の右側に立って、破城正拳の採点をしました。
「う~ん……威力は申し分ないんだけどぉ……75点ってところかしらぁ。勢い余ってお屋敷まで破壊しちゃうのはどうかと思うわぁ……」
「え……?」
マーサさんが評価を言い終わると同時、バキバキと激しい音を立てて、正面にあったお屋敷が潰れます。
当たり所が悪かったのか、正面だけでなく連鎖的に左右のお屋敷部分も倒壊していき、あっという間に3階建ての豪邸はペチャンコになってしまいました。
「……これだとロドリゲスを掘り起こすのが大変そうですぅ」
困ったわぁ……と頬に手を当てるマーサさん。
「すげぇっ! こんなすげぇ拳は初めて見たぜっ!」
「たった一発で全てを片付けるなんてっ……流石ですリドルリーナ様っ!」
キラキラオーラで私の目を潰しにくるギルベルトさんとエレナさん。
……もしかしてこれで終わりってことでいいんでしょうか?
しかし私が期待しそうになったところで、胸元のメアリーちゃんが震えて情報を教えてくれました。
ぷるっ! ぷるるっ!
……ああ、地下室があるんですね。
それでロドリゲスたちはそっちにいると……。
「クハハハハッ! まったく、張り切りすぎだぞリド! 今後はちゃんと隊長の獲物も残しておくようにな!」
倒壊したお屋敷を見て上機嫌に笑うエスメラルダさんに、私はメアリーちゃんからの情報をそのまま伝えます。
「くくっ……まだ終わってない……あそこに地下への入口がある……」
「「「!?」」」
私が指さした方を見て驚愕の表情を浮かべる戦士たち。
「本当だ! 瓦礫の中に地下への階段が見える……」
「なんて観察眼だ……」
「これが英雄の仲間か……」
……なんかメアリーちゃんの功績が私の功績にされている気がしますが……キラキラオーラを増幅させるのはやめてもらえませんかね?
その場にいるのがいたたまれなくなって、私はさっさと終わらせてしまおうと更にヤケっぱちになって地下への階段に足を進めます。
「お待ちくださいリドルリーナ様! 御身になにかあっては大変ですので、ここは私が先に!」
騎士のひとりが私を気遣って先行しようとしますが、その足取りが危なっかしいので私は彼の裾を引っ張って止めました。
「待て」
「? どうされました?」
まったく気づいてないようなので、私は魔法で光球を出して彼の足元を照らしてあげます。
「っ!??」
そこには黒く染められた一本の紐が階段の影に設置されていて、騎士を下がらせてその紐へと【指弾】を飛ばすと、壁から強酸が吹き出してきました。
「うわっ!??」
シュウシュウと音を立てて床と壁を溶かす強酸に騎士と冒険者たちが後ずさりましたが、この手の罠に関する知識はイザベラ師匠とセレス師匠から嫌というほど叩きこまれてきているので、私は冷静に強酸を空間魔法の中に収納します。
その様子を見たエスメラルダさんが私の背中をバシバシ叩きました。
「すごいなリド! お前はそんなこともできるのか! よしっ、給料アップだ!」
勝手にお給料まで払おうとしてくる女騎士を、流石にマーサさんが止めました。
「……リドちゃんは好きなだけ欲しい金額を言ってくださいねぇ?」
どうやらマーサさんは引き抜きを警戒しているみたいですが、私がお金で引き抜かれることはあり得ないから大丈夫です。
エストランド領で暮らしていると自分のお金を使う機会がありませんから、私は収納魔法に放り込んである自分の貯金額をまったく知らないのです。
……というか、どんどん増え続けるお給料の額から計算すると恐ろしいことになりそうなので、お金のことは気にしないことにしていました。
「くくっ……給料を増やす必要はない……我は今の待遇に満足している…………」
「っ! ……リドちゃんっ!」
「ハハッ! 金にも靡かないとは……ますますお前が欲しくなった!」
普通に断っただけなのに、嬉しそうにするマーサさんとエスメラルダさん。
さらにはギルベルトさんが涙を流して不穏な言葉を呟きます。
「……これが真の王族か…………生きて帰れたらギルドのやつらにリドルリーナ様の英雄譚を語らなくては……」
やめてくださいっ!?
その名前がラインハルト様の耳に入ったらどうするんですかっ!
高まり続ける偽名の名声に、背中を冷や汗でビッショリさせた私は、彼らから逃げるように地下への道を急ぎます。
その道中には無数の罠が仕掛けられていましたが、坊ちゃまから教わった収納魔法の便利な使い方を駆使すれば、毒も油も邪気ですらも丸ごと収納できるので、私は強引に先へ先へと進み続けました。
「……す、全ての罠を看破したうえで無効化している!?」
「見たか今の!? 飛び出してきた鋼鉄製の槍をデコピンで圧し折ったぞ!?」
「こ、これが本物の英雄かっ!」
……いつの間にか英雄の仲間から英雄にランクアップさせられていますが…………私は、ただの、侍女ですっ!
そしてガムシャラに進み続けた私は、石像に化けていたガーゴイルを拳で粉砕して、ついに奥から濃密な【燐気】を放つ扉の前に立ちました。
「どうやらここから先が本丸みたいだな!」
「気合いを入れてください皆様ぁ! 油断すると死にますよぉ!」
「「「応っ!」」」
エスメラルダさんの強烈な前下蹴りが扉を吹き飛ばすと、その先には地下牢のような空間があり、牢の中には大量の死体が折り重なっていました。
軽く数百人分はありそうな死体の山に、歴戦の勇士たちも流石に顔を顰めます。
「ひでぇことしやがる……こいつらオルタナの住人か?」
冒険者が零した言葉に、騎士のひとりが頷きました。
「新しい死体の顔に見覚えがある……ここにいるのはおそらく犯罪奴隷にされた者たちだ。神殿の伝手で仕事を与えられていると聞いていたが……最悪の職場だな」
そんな会話をしている間にも、死体は次々と立ち上がり、牢の中から私たちへと手を伸ばしてきます。
まるで助けを求めるようなその姿に、私は自分がどうしてこんな場所にいるのか、本気で疑問に思いました。
……なにかが大きく間違っている気がします。
私はただ坊ちゃまと街に遊びに来ただけなのに……どこをどう間違えたらこんな地獄みたいな場所に迷い込むのでしょう?
「うっ、うげぇえええええっ!?」
「お、おい!? 大丈夫か?」
「す……すまねえ……アンデッドの中に俺の子と同じくらいの青年がいて……つい重ねちまったんだ……」
おまけに魔女の家を片付けたばかりのせいで、こんな場所でも平然としていられて……それが余計に私の乙女らしさを低下させます。
「心をやられた者は無理せず引くようにぃ。邪術使いと戦う時に心を乱すとぉ、すぐに殺されてしまいますからぁ」
マーサさんが指示を出し、2名ほどの冒険者が悔しそうに引き返していきました。
「リドは問題ないか?」
エスメラルダさんから質問された私は返答に困りました。
「くっ……くくっ…………」
ここで『キャーッ』とか泣き叫べない自分が憎い……。
それができれば邪神との戦いからも逃げられるのですが……特に怖くもないのに悲鳴を上げられるほど、私はお芝居が上手ではありませんでした。
「うむ! 大丈夫そうだな!」
乙女心のほうのダメージは考慮されないらしく、私の無駄に図太い精神を見抜いたエスメラルダさんが戦斧を掲げます。
『――聖なる光よ、彼の者に安らぎを与え給え』
死者を送る聖句を唱えたエスメラルダさんが戦斧の石突きで床を叩くと、聖光の波動が広がって、檻の中の死者たちが浄化されて青白い炎で燃えていきます。
「「「おおっ!!」」」
神聖魔法を使うエスメラルダさんに見惚れてどよめく戦士たち。
まるで聖女みたいな輝きを帯びるエスメラルダさんの姿に、私は軽く嫉妬を抱きました。
アイリス様もそうですけど……神聖魔法を使える女ってズルいですよね……。
魔法を使う時の美しさは神聖魔法がダントツです。
実際、彼女を見る男たちの頬は赤く染まっていました。
「チッ!」
乙女らしさが足りないと思っていたエスメラルダさんに裏切られ、なんだか無性に悲しくなった私は完全に吹っ切れて牢獄エリアの奥にある扉を蹴り開けます。
「リドルリーナ様!?」
エレナさんが先走る私を止めようとしてきましたが、巨大なお乳と神聖魔法の組み合わせは心を苦しくするので、私は荒い足音を立てて扉の先へと進みました。
邪神が出るなら出やがれってんですよ!
乳房の大きな女が持て囃される世界なんて滅んでしまえばいいのですっ!
そんな憤りとともにくぐった扉の先はまるでセレスさんの図書館のような広大な地下空間になっており、中央から届く魔法光に照らされたその空間には、人体で作られた奇妙なオブジェが並んでいました。
うわぁ……こういうのシャル様が好きそう。
そんな感想を抱きつつ、私が普通にオブジェの間を歩いて行くと……
「……な、なんだ……これはっ…………」
「……くそっ! くそっ! ……邪術使いどもめ! い、命を玩びやがって……!」
「……げぇっ! げぇええええっ!? ゲホッ、ゲホッ!」
……また3名ほどの戦士たちが離脱しましたが……私がこういうの平気なのは畜産農家で働いているからに違いありません。
解体場にいけばオークの手足とかよく束ねられていますし、いわゆる職業病というやつでしょう。
そして必死で現実逃避しながら地下空間の中央へと歩みを進めると、そこには人の皮で作られたローブを纏った5人の男たちがいて、彼らは光り輝く魔法陣を囲んで怪し気な儀式を行っていました。
「――ロドリゲスっ!」
その内のひとりをギルベルトさんが睨みつけると、骨ばった白髪の老人が魔法陣から顔を上げ、こちらへと狂気に染まった瞳を向けてきます。
「思ったよりも早かったではないか、オルタナの戦士諸君っ! しかしあと一歩遅かったな! 我々の儀式はもう完成した!」
その言葉に合わせてバチバチと魔法陣から紫色の雷が迸ります。
「っ!? やつらを止めろっ!」
「……だからリドルリーナ様は先を急いでっ!?」
ギルベルトさんとエレナさんが慌てて冒険者たちに指示を出しましたが、魔法陣から強烈な魔力が吹き出してきて、私たちは吹き飛ばされないように耐えることしかできませんでした。
「――さあっ! 我らとともに邪神様の顕現を見届けるがいいっ! そして貴様らは栄えある最初の贄となるのだっ!!」
唾を飛ばす老人が両手を左右に広げると、さらに噴出する魔力が濃度を増して、魔法陣の中央から何かが這い出してきます。
血液のように赤黒い巨大な身体。
災害級の魔力を帯びた触手と、体表に浮かぶ無数の眼球。
この世のどんな生物よりも禍々しく見る者すべてに死を予感させるその姿に、召喚者の老人は恍惚とした笑みを浮かべます。
「おおっ! なんと美しいお姿かっ! ようこそいらっしゃいました邪神様っ! 今こそ既存の世界を破壊し、我らとともに新たな時代の支配者となりましょうっ!!!」
そして老人に手を差し伸べられた邪神様は、私のほうへと無数の目を向けて、困ったように震えました。
……………………ぷるっ。
……なにやってんですかっ、メアリーちゃんっ!??