第52話 ざわめくオルタナ
SIDE:マーサ
挨拶をするために領主の館を訪れた私は、玄関先で土下座して出迎えた領主のハゲ頭を容赦なく踏みつけました。
「おいコラ! この街の管理はてめぇに任せるって言ったよなぁ!」
「ひっ、ひぃいいいいいいいいいいっ!? ま、誠に申し訳ございませんでしたぁああああああっ!?」
開口一番に謝罪の言葉が出てくるということは、私がここまで『挨拶』に来た理由をこの男も把握しているということでしょう。
お仕置きのために私は領主のハゲ頭をグリグリと踏みにじり、彼が大切にしている毛根を死滅させていきます。
「邪術使いをのさばらせるとはてめぇの目は節穴かぁ? うちの坊ちゃまが気づいたから良かったものの……やつらを放置したらどれだけ民に被害が広がると思ってんだぁ!」
「申し訳ございませんっ! 申し訳ございませんっ!!」
オルタナの街はもともと北から飛来するワイバーンを迎え撃つための砦でしたが、ラウラ様がエストランド領に住み着いてからはその役目を終えました。
しかし砦にはすでに騎士たちを相手にして商売をする住人が定住していたため、彼らの仕事を奪わないようにとメルキオル様が魔法で新しい外壁を建てて、オルタナを冒険者の街へと造り変えたのです。
そしてそこまで面倒を見てしまったせいで、必然的にオルタナの街はエストランド領の一部となってしまいました。
領地に街が含まれていると爵位が男爵以上に上がってしまうため、表向きは王都から派遣されたハゲ子爵の領地ということになっていますが、実際のところこの男は代官でしかありません。
私たちが街に来ると騒ぎが起こってしまうこともあって、街の管理は代官に任せているのです。
男爵以上にはなりたくないというラウラ様とメルキオル様の我儘に振り回されているこのハゲには少しだけ同情しますが、しかしその対価としてたっぷり甘い汁を吸わせているので、管理不足をやらかしたハゲにはキツ~いお仕置きが必要でした。
「念の為に確認しておくけどよぉ……てめぇはロドリゲスとかいうクソと取り引きなんざしてねぇよなぁ?」
「っ!? そ、それはっ……!?」
言い淀むハゲに私の頭が急速に沸騰します。
「はぁ?! したのかぁ? 邪術使いと取り引きしちゃったのかぁ!?」
「……っ!? そ、そのようなことはっ!!!」
ああ……これはアウトですね。
完璧に嘘の匂いがします。
ハゲ頭から足を上げた私は、ホッと嘆息した『元』領主の手の平を、骨が軽く折れる程度の勢いで踏みつけました。
「いぎゃあああああああああああっ!?」
この程度で悲鳴をあげるとは情けない男です。
リドリーちゃんでも骨が砕けた程度では平然としているのに。
ぐりぐりと手の平を踏みつけながら、私は男の身体にもう1度同じ質問をします。
「『はい』か『いいえ』でちゃんと答えろよハゲぇ……てめぇは邪術使いと取り引きしたのかぁ?」
「っ!? っ!!? こ、これには深いわけがっ!!」
『はい』か『いいえ』で答えなかったので、今度は反対の手を踏み砕きました。
「ひぎゃああああああああああああああっ!??」
元領主の悲鳴を聞きつけて、砦の中から騎士たちが出てきます。
「だ、誰か助けろぉっ!? 賊に襲われているからっ! 私を助けろぉっ!!?」
糞尿を垂れ流した元領主が必死で騎士たちに助けを求めますが、彼らはハゲに冷ややかな目を向けるだけで、誰も剣を抜こうとはしません。
「マーサ様、よろしければお手伝いしましょうか?」
それどころか『尋問』の手助けを買って出てくれる騎士たちに、元領主の男が青褪めました。
「な、なにを言っているのだ貴様はっ!?? 私はこの街の領主だぞ!? 最高権力者の命令が聞けないのかっ!!?」
その後も必死に私を討てと喚き散らすハゲに、額に青筋を浮かべた不老種の騎士が冷たく言います。
「いいかハゲ? たとえ領主だろうが国王だろうが……この街でエストランドの住人を討てというやつは『クソ以下』だと決まっているんだ」
「!??」
……ワイバーンとの戦いで不老種になった歴戦の騎士たちがこんな感じなので、オルタナはエストランド領から抜くことができなくなっていたりします…………。
彼らは狂信的と言っていいほどエストランド領に感謝の念を抱いてくれているので……私は心の中で元領主の冥福を祈りました。
命を取るつもりまではなかったのですが……これはもう無理でしょう。
そして殺気を漲らせた騎士たちに運ばれていく元領主を見送ってから、私は残った騎士たちに気合いを入れた声で指示を出します。
「冒険者ギルドと連携し、双月神殿とロドリゲスを制圧します! 相手は邪術使いですからありったけの聖水を用意するように!」
「「「ハッ!」」」
嬉々として最敬礼する騎士たち。
いちおう私はラウラ様から『騎士団長』の地位を押し付けられているので、スムーズに仕事が進んでいきます。
そしてひと通り大掃除の手配を終えたあと。
「……しかし困りましたねぇ」
私はアイリス様から預かった国王陛下の手紙を懐から取り出して、騎士たちに聞こえないように嘆息しました。
……受け取る相手がいなくなってしまった場合は……どうしたらいいのでしょう?
◆◆◆
SIDE:ギルベルト
冒険者ギルドのホールは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「とにかく戦力を集めろっ! この街にいる冒険者をありったけだ!」
「クソッ! 聖水が少ねぇっ! 浄化魔法を使えるやつはいねぇか!?」
「聖光騎士団との繋ぎはどうした!? この街には【鈍牛】が来てるんだろ!?」
俺は勝手に指揮を取り始める高位冒険者たちの号令を聞きながら、ギルドマスターとしてやるべきことを考える。
邪術使いが潜伏しているとわかったこのタイミングで聖光騎士団の主力のひとりがこの街を訪れていたのは幸運だった。
いや……もしかするとそれすらもアーサー様は計算に入れていたのかもしれないが、たとえ【鈍牛】のエスメラルダの力を借りたとしても……今少し戦力に不安があった。
邪術使いとの戦いは常に命がけだ。
特に今回のような【創世神の呪骸】の一部を扱う高位の邪術使いとの戦いともなれば、ギルドの規定では【半神】級の戦力が2人以上は必要とされている。
アーサー様に助力を頼めばそれで済む話かもしれないが、邪術使いの潜伏を早期に暴き、やつらが仕込んだ『低級聖水』という卑劣な罠まで看破してくださったあの御方に、これ以上頼るのは俺たちのプライドが許さなかった。
『この魔法契約書は貴殿たちに預ける。そして俺様にできるのはここまでだ……なぜならこの街を守るのは、他ならぬ貴殿たちの仕事だからな!』
あの御言葉を聞いたとき、俺は頭を棍棒で殴られたような気分だった。
本来であれば俺たちが気付いて対処しなければならなかった問題。
それに気付くことができず、危うくオルタナを邪術使いの手に渡すところだった。
不甲斐ない自分に怒りを覚え、同時に名誉挽回するチャンスまでいただけたのに……ここで奮い立たなかったら男じゃないだろう。
「知れば知るほど危うい状況でしたね……」
アーサー様の間者であるハインリヒ氏にいただいた情報と、呪いを解かれた女たちから集めた情報に目を通しながらエレナが青白い顔で呟く。
「ああ……今ここで気づかなかったらと思うと寒気がする……」
低級聖水で操られている者の役割。
ロドリゲスと領主の繋がり。
そして街の各所で見つかった魔法陣によって、少しずつ俺にも事件の全容が見えてきた。
「この街を生贄に邪神を顕現させようとはっ……相変わらず邪術使いどもはイカれてやがるっ!」
呪いを解かれた被害者たちの証言によれば、低級聖水で操られた美しい女たちは邪神を呼び寄せるための儀式を行わされていたらしい。
自らを生贄に、街の各所に施された魔法陣に祈りを捧げ、影の世界から現世へと邪神を引っ張り出すための儀式を行っていたのだ。
今のところ儀式は不発に終わっているみたいだが、一歩間違えればオルタナの街が邪神の餌になっていたことを知り、自ずと握りしめた拳に力が入る。
そして何も知らなかった自分の無能さに拳から血を流していると、ギルドの地下へと続く階段からハインリヒ氏が上がってきて、俺たちにゲラルトから絞り出した情報を教えてくれた。
「……どうやら儀式はすでに2回ほど行われているようだ。状況は一刻を争う。戦力が集まり次第すぐにでも行動を起こしたほうがいいだろう」
ハインリヒ氏はアーサー様を信奉する間者で、ひとりで神殿に潜入して情報を集めていたらしい。
あの御方の情報源を疑っていた身としては恥じ入るばかりだ。
彼がタイミング良く現れたことで、俺たちはこうして事件の全容を把握することができたのだから、これもまたアーサー様の助力なのだろう。
まったくどこまで先を読んでいるのか……。
「ギル! こんな時に泣いてんじゃないわよ!」
感動の涙を流すエレナに言われて俺は否定する。
「泣いてねぇよ! これは目に特大のゴミが入っただけだ!」
ああ、くそっ……なんてすげぇ男だ!
行動のひとつひとつが偉大すぎて前が見えねえっ!
もしかしたらすでに2回行われたという儀式が不発に終わったのも、あの御方が関わっているのではないかという確信にも近い予感のせいで、俺は心底アーサー様に心酔してしまったらしい。
そんな御方が俺に土下寝までして下さったという事実がさらに心を溶かす。
英雄なんてもんはよぉ……普通は驕り高ぶってふんぞり返っているものだろう?
それが民のためにあそこまで謙虚になれるなんて……そんなの惚れちまうだろっ!
しかし今はまだ泣いている場合じゃない。
アーサー様から託されたオルタナの平和を守るためには、戦力がまだ足りていないのだ。
街に被害を出さないように戦うためには、少なくとも【半神】に匹敵するような戦力をあと1人分は確保しなければならなかった。
オルタナの街にそんな強者がいるのかは不明だが、エストランド領を頼らずにこの街の住人から戦力を集めるのが筋ってものだろう。
考えられるのはオルタナの騎士団だが……しかし領主がロドリゲスと繋がっている以上、情報を渡していいのかすらわからない。
そして俺が自分の無能さに頭を悩ませていると、ギルドの正面入口から三人の騎士が入ってくるのが目に留まる。
すでに領主が敵と繋がっていることを知る冒険者たちが殺気立つが、騎士たちは涼しい顔でそれを受け流し、俺の前まで来て右手を胸に当てる敬礼をした。
「『騎士団長』の命により来ました! 我々は冒険者ギルドとの共闘を希望します!」
「っ!?」
その言葉の意味はオルタナに住んで長い者なら誰でも知っている。
オルタナの騎士団には団長がいない。
その席は常に空席で、彼女が『オルタナの騎士』として動く時にだけ使われる称号だからだ。
「……騎士団長が動いたのか?」
震える声で訊ねる俺に、騎士たちは恍惚とした笑みを浮かべて答える。
「はい! 騎士団長及び、その弟子『リドルリーナ・エミル・ミストリア様』、そして我らオルタナ騎士団も参戦させていただきます!」
ちくしょう……涙が止まらねえぜ……。
『俺様にできるのはここまでだ』ってそういうことかよ……確かにアーサー様の仲間がなにもしないとは言ってねえし……オルタナの騎士団長はこの街の戦力だけどよぉ……。
どうやらあの御方は思った以上に面倒見がいいらしい。
足りてなかった戦力が追加され、むしろ過剰戦力になりつつある現状に俺は苦笑した。
「な、泣いてないでなんとか言いなさいよっ、ギルっ!」
号泣するエレナに背中を叩かれて、俺はこちらを見守る冒険者たちへと拳を振り上げる。
「おうっ! 気合いを入れろ野郎どもっ! オルタナの冒険者の力を騎士団の連中に見せる時がきたっ!」
ホールの中を裂帛の気合いが満たす。
なにからなにまで世話になってしまって情けないが、せめて過保護なあの御方の気遣いを無駄にしないよう、完膚なきまでに邪術使いどもを叩き潰そう。
そして俺たちはオルタナの騎士と協力し、この街でかつてない規模の大事件に立ち向かうことになった。
◆◆◆
SIDE:ノエル
屋台の料理をひと通り食べてみたけれど、やはりエストランド領で食べる料理に比べると、どれも味が今ひとつというのが正直な感想だった。
リドリーちゃんによればイザベラさんは宮廷料理人レベルで料理上手らしいので、うちの田舎はかなり食事のクオリティが高いのだろう。
地元の良いところが知れて嬉しいような、舌が肥えすぎていると知って恐ろしいような……なんとも微妙な心境である。
屋台料理を食べるだけで私は満腹になったけれど、アイリスとリドリーちゃんはまだ食べたりないみたいなので、私たちは宿屋に戻って保管しているお肉を焼いて食べることにした。
屋台をゆっくり回っていたせいで既に午後3時くらいになってしまったが、この2人なら問題なく夕食も食べられるだろう。
鍋猫亭に戻るとさっそくアイリスが厨房を借りてメアリーから受け取ったお肉を調理してくれる。
「リドリーは5枚でいいかしら? もっといる?」
「……できれば8枚でお願いします」
そんなやり取りをしたあとカウンターでお肉の焼ける香ばしい匂いを嗅ぎながら、リドリーちゃんは頭を抱えた。
「くっ……確実に以前よりも食べる量が増えている……これではまた私の女の子らしさが低下してしまいますっ!」
どうも彼女は食事量が増えたことを気にしているらしい。
「いいんじゃない? たくさん食べる女の子って素敵だと思うよ?」
「適当な慰めはやめてくださいっ!」
とか言いつつ、アイリスが運んできたステーキを次々と口に運んでいくリドリーちゃん。
「アイリス様はいいんですよっ! 自分で料理ができるからっ! ですが人様に作ってもらうことしかできない私の場合は……このままだと料理好きな男性としかお付き合いができなくなってしまいますっ!」
「リッツさんみたいな?」
私が聞くと、リドリーちゃんは獲物を狩るような瞳でリッツさんを見る。
カウンターで夕食の下準備をしていたリッツさんは、リドリーちゃんの視線を受けてビクッとした。
「……す、すまんが俺は既に結婚している」
「ほらっ! 料理が好きな男はだいたい結婚しているんですよっ! これは乙女の危機ですっ! どうにかして【鬼怪闘法】の修行を中断しないとっ! せめて私の結婚が決まるまではっ!」
そして12枚目のステーキをリドリーちゃんが飲み込んだところで、宿屋の扉が開いてやけに上機嫌なマーサさんが顔を出した。
「リドリーちゃんっ♪ 突然ですが修行の時間ですよぉっ♪」
「ぶふ~っ!!?」
ちょうどジュースを飲んでいたリドリーちゃんが口からそれを吹き出し、目の前にいたアイリスが空間魔法でガードする。
「ちょっと! 私のステーキにかかったじゃないっ!」
「修行ってどういうことですかっ――」
自分が食べていたステーキに毒霧攻撃を受けたアイリスは、突然の修行に反対しようとするリドリーちゃんの口へと肉を突っ込んだ。
「――もがっ!?」
続けてアイリスは領主の館から帰還したマーサさんに声をかける。
「おかえりなさい。無事に手紙は届けられたかしら?」
その質問にマーサさんは悲しそうな顔をした。
あれ……この様子だと、もしかして…………。
「申し訳ございませんアイリス様ぁ……」
「え……?」
「実はこの街の領主が病気で急死したらしくてぇ……現状では領主が存在しないせいで渡すことができなかったんですぅ……」
「「!!?」」
そんなことってある!??
マーサさんの手からアイリスへと返される手紙。
「数週間もすればすぐに新しい領主が派遣されてくると思いますのでぇ……それまで預かっておいてもらえると助かりますぅ」
念願の【創世神の血】を回収するために、最も大切な部分が機能不全を起こしたことを知り、私とアイリスは顔を見合わせて硬直した。
そんな間にもマーサさんはモガモガしているリドリーちゃんを引きずって、意気揚々と修業に旅立っていく。
「さあさあっ! 張り切って行きましょうかリドリーちゃんっ! 私が知る限り『命がけの実戦』に勝る修行はありませんからぁ!」
「!? もがっ!??」
「ちょうど良く邪術使いも見つかりましたしぃ……リドリーちゃんも1度くらいは格上と死合ってみませんとぉ♪」
「もっ!!? もがあああああああああ~~~っ!??」
そして涙目になったメイドさんがドナドナされていくのを見送って、私とアイリスはリッツさんに聞かれないように声を潜めて密談した。
「……どうしよう? 数週間も経ったら例のモノもどうなるかわからないよね?」
「……ええ、困ったわ……領主がいないとなると……これはもう私たちで回収するしかないかしら?」
……どうやらここに来て盤石と思われていた【創世神の血】回収作戦は、急な変更が必要になったらしい…………。