第51話 オルタナ観光
宿屋の入口から外に出るとアーサーの関係者だとバレそうなので、私たちは空間魔法の【転移門】を使って外に出ることにした。
「それじゃあ近くの屋根の上に繋げるね」
移動系の空間魔法は私の得意分野なので、窓から見える大通りから外れた建物の上にゲートを設置する。
「私が先に行って様子を見てきます」
と、リドリーちゃんが先行してくれて、すぐにゲートの向こうから手招きされた。
「行きましょう」
「…………うん」
頬を赤く染めたアイリスに鎖を引かれて、私もゲートをくぐる。
なんだろう……この背徳的な感じ…………。
アイリスに鎖を引かれていると変な性癖に目覚めそうだ……。
ゲートをくぐった先は鱗みたいに板が張られた屋根の上で、私は足を滑らせて転がり落ちないように【血液操作】で軽く身体を浮かせながら着地した。
斜めになった屋根の上でバランスを取ってから景色を眺めると、オルタナの街には3階建ての建物ばかりだということがよくわかる。
中央にある砦の跡地を除けば、基本的に同じ高さの建築物しかなかった。
「建築法かなにかで建物の高さが制限されているのかな?」
私が疑問を零すと、アイリスが砦の城壁に設置されたバリスタを指差す。
「ワイバーンが飛んできた時のために射線を確保しているんじゃないかしら?」
なるほど……あのバリスタはワイバーン用だったのか……。
「……それくらい石ころで落とせばいいのに」
異世界のバーサーカーたちなら余裕だろう。
私がつい母様のやり方を思い出して大げさな設備に突っ込むと、リドリーちゃんから呆れた視線を向けられた。
「……言っておきますけど、ラウラ様のあれは普通じゃありませんからね?」
確かにうちの領でも石ころで落とすのは母様くらいだし、あれは一種の名人芸らしい。
まあ、普通に考えたら固定式の武器で狙ったほうが命中率は高いよね。
少し賢くなったところで私は眼帯の位置を微調整して両目が隠れていることを確認し、屋根から誰もいない路地裏に降りて大通りのほうへと足を向ける。
途中で路地裏の先に怪しげな店を見つけたので、ちょっと覗いてみようと方向転換すると、鎖が引かれて首輪が喉に食い込んだ。
「ぐえっ!?」
「ノエル、そっちはダメよ。まずは食事が先でしょう?」
やけに活き活きとしたアイリスに言われて、私は大人しく従う。
「はい、ご主人様」
「っ!?」
……なんか婚約者が『ゾクゾクゾク~ッ!』って擬音が似合いそうな恍惚とした表情を浮かべているんだけど……変な性癖に目覚めてないよね?
そんな感じでときどきアイリスに鎖を引かれながら大通りまで出ると、リドリーちゃんが鼻をスンスンさせて思案顔をした。
「むぅ……このあたりは食べ物の匂いがあまりしませんね。飲食店が少ないみたいです」
リス獣人のくせに犬みたいな探し方をするメイドさんである。
「北門のほうに行ってみたらどうかしら? あちらには屋台がたくさんあったし、冒険者を相手にした食堂も何軒か見かけたわ」
「流石はアイリス様! 食べ物のことになると抜け目がない!」
リドリーちゃんのヨイショにアイリスが頬を膨らませる。
「人を食いしん坊みたいに言うのはやめてもらえるかしら」
「……そういうところはちゃんと女の子なんですね?」
最近のアイリスは1食でオーク3頭分くらいのお肉を食べているが、乙女心なのか『食事にはそれほど興味ありません』みたいなスタンスを貫いている。
しかしアイリスはソワソワして北門のほうに行きたそうにしていたので、私は彼女の奴隷としてフォローしてあげた。
「それじゃあ街を見物しながら北門を目指そうか? 門まで行って美味しそうな食べ物屋さんがあったら、そこで昼食にする感じで」
「そうね! それがいいと思うわ!」
意気揚々と私の提案に乗ってくるアイリス。
リドリーちゃんも特に不満はなかったのか、あっさりと頷いてくれる。
「わかりました。それでは来た道を戻る感じで北門まで歩きますので……お願いですから坊ちゃまは大人しくしていてくださいね?」
「……なに言ってんの、リドリー……僕ほど大人しい子供は滅多にいないよ?」
「この街に入ってからの行動を思い返してみましょうかっ!?」
あれは周りが騒いでいただけで、私はけっこう大人しかったと思います。
「特に! 回復魔法を撒き散らすような真似は絶対にしないようにっ!」
……まあ、確かにそこのところはやりすぎた感じがあるから、変装を解いた今は自重しておきます。
「大丈夫よ、この子の手綱は私が握っておくから!」
犬を扱うように私の頭を撫でてくるアイリスに、私も従う姿勢を見せておく。
「わんっ!」
「っ!?」
ゾクゾクゾク~ッ!
北門を目指して街を歩き始めると、私はすぐに街の住人たちのおかしな点に気がついた。
アーサーをやっている時は、初めて見る街や、呪い捜しに夢中になって気づかなかったけれど……こうして冷静に道行く人々を観察してみると、彼らには共通する違和感がある……。
――なんでこの人たち……【体内魔素】を操っていないんだろう?
エストランド領では頭の天辺から足の爪先に至るまで、身体の中に流れる自分の魔素を完全統制しておくのが当たり前なのだが、この街の人たちはまったく管理していない。
その状態だと他人に体内魔素を操られて身体の中で魔法を爆発させられたり、精神系の魔法を掛けられ放題になってしまうのだが……そんな恐ろしい状態で平然と暮らしている彼らに私は戦慄を抱いた。
……もしかして田舎者は知らない新技術が開発された感じ?
私はもう慣れてしまったけれど、体内魔素を完全統制するのってそれなりに大変だし、楽をするためにもっと簡単な管理方法が編み出されていてもおかしくはない。
他人から体内魔素を操られそうになった時だけ発動する自動迎撃システムとか、私もちょっとだけ考えたことがあるのだ。
街の人たちはみんな当たり前に使っているのに、私たち田舎者だけその技術を使っていないことが少しだけ恥ずかしくなって、私は道行く人に訊ねることにする。
『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』と言うからね。
ちょうど優しそうなお姉さんが通りかかったので声をかけようとすると、
「あの、すみませ――ぐえっ!?」
容赦なく鎖が引っ張られる。
「ダメよ、ノエル、めっ!」
まるでペットの躾をするようにアイリスから怒られたので、私は体内魔素の管理について聞くことを諦めた。
「…………わんっ」
まあ、ちらほら従来の方法で体内魔素を管理している人もいるし、とりあえず慣れ親しんだ完全統制さえしておけば新技術は後回しにしても大丈夫だろう。
素直に指示に従った私の頭を、アイリスがワシャワシャ撫でてくれる。
「よしよし、良い子ね……お手!」
「わんっ!」
……違うよ?
美少女から犬みたいな扱いをされるのがクセになっているわけではないよ?
アイリスの鎖の引き方や撫で方が実に的確で、ちょっと気持ちいいとは思ったけれど……これはきっと私に流れる狼獣人の遺伝子が悪さをしているだけなのだ……。
「あの……通行人から凄い目で見られていますので……そういう高度なプレイはほどほどにしていただけますか?」
ふざけすぎたせいかリドリーちゃんが拳骨を構えたので、私とアイリスは素直にワンちゃんごっこを終わりにした。
「……あの拳から凄い圧力を感じるわね」
「……うん、確実に森で見た時よりも進化しているよ」
どうやらリドリーちゃんはまたひとつ強くなったらしい。
そんな風に道中を楽しみながら北門前の広場まで行くと、ちょうどお昼時になっていたせいか広場には美味しそうな食べ物の香りが漂っていた。
広場の外周にはいくつもの屋台が並んでいて、手作りの看板に売り物の名前が書かれている。
オーク肉の串焼き。
兎肉と野菜のスープ。
日替り謎肉のサンドイッチ。
他にも広場の外周にある店舗の中からも人々が飲み食いする喧騒が聞こえていて、どこで食事をしようか目移りしてしまった。
「お店で食べるのと屋台で食べるの、どちらにしましょうか?」
リドリーちゃんも悩んでいるのか意見を聞かれたが、私も迷っているのでアイリスに視線を向けると、彼女はきっぱり希望を言ってくれる。
「ここにある屋台を制覇しましょう!」
どうやらお嬢様は庶民の料理に興味津々らしい。
私とリドリーちゃんも特に不満はないので、意気揚々と屋台に向かうアイリスに従って食事を楽しむことにした。
「串焼きをちょうだい! 30本!」
「はいよっ! 先にお代をいただけるかい?」
アイリスの大量注文に、店主のおっさんが満面の笑みを浮かべる。
「リドリー、お金!」
「はいはい」
リドリーが空間収納から取り出した銀貨を渡すと、おっさんは焼けたオーク肉の串焼きをとりあえず1本ずつ渡してくれた。
「たくさん頼んでくれたから1本ずつおまけだ!」
「ありがとうございます」
サービスの串焼きを受け取ると、おっさんは屋台の横に置かれた簡素なベンチを親指で指差す。
「残りはまとめて焼いて持っていくから、それ食いながら待っててくれ!」
威勢のいい店主に言われたとおりベンチに腰掛けると、リドリーちゃんが近くの屋台から好物であるリコの実のジュースを買ってきて、私とアイリスにも木製のコップをひとつずつ渡してくれる。
「コップは後で返しますから、メアリーちゃんに食べさせないでくださいね?」
小声で注意を受けたので私は頷いて、さっそく焼き立ての串焼きへと齧り付いた。
「んっ!?」
――微妙!
思わず声に出しそうになった感想を私はグッと堪える。
「……35点と言ったところかしら…………」
アイリスも似たような感想だったのか、小声で串焼きの点数を評価していた。
辛辣な評価をする私たちへと、リドリーちゃんが声を潜めて注意してくる。
「エストランド領を基準に考えてはいけませんよ! あそこのお肉は特別に美味しいんですから!」
そっか……考えてみればうちは王都の貴族にも肉を輸出している生産者なんだから、街で食べる肉よりも美味しい肉を食べていても不思議ではないのか……。
特に母様は肉の味に並々ならぬこだわりを持っている人なので、私たちの舌は知らない間に肥えていたらしい。
「お待ち! 串焼き30本ね!」
屋台の店主が木皿に山積みにした串焼きを持ってきて、私とアイリスはアイコンタクトで会話する。
『……どうしようこれ?』
『メアリーにあげたらいいんじゃないかしら?』
『流石にそれはリドリーちゃんに怒られない?』
『それもそうね……』
微妙な串焼きの処理方法を模索するアイリスは、広場を見回してひとつの店で酒盛りをしている集団に目をつける。
「た、隊長! いくらなんでも飲み過ぎです! まだ我々の任務は終わっていないんですよ!?」
「うるへーっ! これが飲まずにいられりゅかっ! 王都れは今ごりょアイリス王女の葬儀が行われてりゅんりゃぞっ!!?」
「王女は生きているって言い張ってたじゃないですか!? 気をしっかり持ってくださいよ!」
「そうりゃともっ! アイリふ様は聖剣の担い手なんりゃっ! 私の主となる御方なんりゃから死ぬはずがないのりゃっ!!!」
「!? ぎゃあああああああああっ!??」
「うわっ!? やべぇっ! 隊長が抱き着き上戸になったぞ! 鯖折りされないように気をつけろっ!」
白いローブと白銀の鎧を纏った賑やかな集団。
彼らの中でも特に目立つ大きな【牛人族】の女騎士さんが、巨大なお胸の間で仲間のひとりを抱きしめてバキバキと骨を砕く音を立てている。
「隊長っ!? これ以上は死んでしまいますっ! たいちょおおおおおおおっ!?」
抱きしめられた男の人は幸せそうな顔をしながら悲鳴を上げていた。
「ちくしょうっ! 早くこいつを引っ剥がせ! クッソ羨ましい!」
「お前ら隊長に近づくんじゃねぇよ! 鯖折りされるから危ないつってんだろ!」
「だったらお前が下がれよ! 俺は仲間を救いに行く!」
……気持ちはわかるけれど、なんとも無謀な騎士たちだ。
女騎士さんのベアハッグは高威力で、常人が耐えられるものだとは思えない。
ここはひとつ紳士として再生能力の高い私が人柱になるべきだろう。
そして私が清らかな心で抱き着き上戸な巨乳女騎士さんのもとまで行こうとすると、
「ぐえええぇっ!!?」
ものすごい勢いで鎖が引っ張られた。
地面を引きずられて仰向けに倒れた私の顔を、無表情になったアイリスが見下ろしてくる。
「ノエル? あなたは今なにをしようとしていたのかしら?」
かつてなく重いプレッシャーに、私は冷や汗を垂らしながら弁明した。
「いや……あの人たちに串焼きをあげたらどうかと思って……」
「それならリドリーに届けてもらいましょう。酔っ払った騎士に子供が近づくのは危険よ?」
アイリスの正論を、リドリーちゃんも援護してくる。
「坊ちゃま? 今の行為は男としても紳士としても最低でしたよ? また同じことをしたら私が全力で拳を叩き込みますので、しっかり反省してください!」
「…………はい」
そして騎士たちへと串焼きを届けに行くリドリーちゃん。
朗らかに微妙な串焼きを押し付けるリドリーちゃんの手腕を見ながら、アイリスが神妙な面持ちで呟く。
「……アレをこちら側に引き入れるなら、なにか対策を考える必要があるわね…………このままだとノエルを連れ去られる気配がするわ……」
女騎士さんを見つめる彼女の蒼い瞳は、神気を帯びて淡く輝いていた。
…………まだ怒ってる?