第49話 あの人は今
SIDE:ノエル
ギルベルトさんとの面会は大成功に終わった。
なんだか頭を下げられてばかりだったけれど、最終的には【創世神の血】の摘発を全て押し付けることができたのだから、これは間違いなく大成功だろう。
「あとは全て我々にお任せください! 必ずや神殿の悪事を暴いてみせましょう!」
できる男の顔で胸に手を当てるギルベルトさんがかっこいい。
ダメ元で丸投げしてみたけれど……まさかここまで上手く行くとは思わなかったよ……。
「ええ! これより先はオルタナの住人が解決すべき問題です! エストランド家の皆様に頼ってばかりではいられませんっ!」
続けてエレナさんも頼もしい声を上げてくれて、私たちはギルドマスタールームからお見送りを受ける。
こんなにトントン拍子で事が進むなんて……もしかしたら私には交渉の才能があるのかもしれない。
そして新たな自分の可能性に気付いた私が廊下に出ると、そこには回復魔法を掛けた女性たちが涙を流して左右に並んでいて、私に向かって祈りのポーズを捧げていた。
……すみません……お金配りはもうやってないんです……。
ここで再びお金を配ってしまうと完全にロックオンされそうなので、私は毅然とした態度で女性たちの間を抜けて行く。
しかしここまでサービスしてくれたオルタナの住人に何も言わないのは失礼だと思ったので、列を抜けたところで肩越しに女性たちを振り返って、私はできる限りの見返りを提示した。
「……俺様に呪いを癒してほしい時は気軽に言うといい。それくらいでよければ何時でも力になろう」
「「「っ!!?」」」
これ以上チップが貰えないことを悟ったのか、涙を流しながら女性たちが平伏する。
なんかギルベルトさんとエレナさんまで平伏しているけれど……やはりオルタナの住人は腰が低すぎると思います。
ちょっと敬われすぎて疲れてきたよ……。
私と同じ意見だったのか、冒険者ギルドの3階から1階へと降りる途中に、マーサさんとリドリーちゃんも嘆息した。
「……なんだか今日は精神的に疲れましたぁ……ギルドを出たら宿に向かって休憩しませんかぁ?」
「……マーサさんに賛成です……私は早くこの仮装を引っ剥がしたいです…………」
早くも巨乳妖艶神秘魔女の変装が恥ずかしくなってしまったのか、項垂れるリドリーちゃんをアイリスがからかう。
「あら? もうやめてしまうの? せっかく面白くなってきたところだったのに」
「面白くなんてありませんっ!! もう少しで私は重罪人になるところだったんですから!?」
……私がうっかりネタで考えた王族ネームを出してしまったせいで、リドリーちゃんは王族の名を騙る犯罪者になるところだったからね。
アイリスが上手いことフォローしてくれたから事なきを得たと思うけれど……あれは本当に危なかった。
貴族や王族の名前を騙ることがヤバいことくらいは私も知っているのだ。
「ごめんねリドリー……僕がうっかり口を滑らせたばっかりに……」
「いえ……これに関しては深夜のノリで変な設定を考えた私も悪かったです……」
あの時のリドリーちゃんはノリノリだったからね……。
反省しながら階段を降りる私たちに、アイリスが自信たっぷりに宣言する。
「安心なさい。エミル・ミストリアを名乗ったくらいで、私の専属侍女が罰せられることなんて絶対に無いから」
「……そんなこと言ってると、ハルト様が泣きますよ?」
リドリーちゃんの言う通りだが、権力で揉み消す気まんまんな婚約者様がとても心強い。
まあ、なにはともあれ。
無事に【創世神の血】を回収する目処は立ったのだから、今は初めてのおつかいクエストをクリアした達成感に酔いしれておこう。
そして雑談しながら1階まで降りた私たちは、再び平伏してくる冒険者さんたちに見送られ、冒険者ギルドのホールを入口へと向けて横切っていく。
しかし正面入口から外に出ようとしたところで、外から三人の白いローブに身を包んだ男たちが入ってきて、私たちの前に立ちはだかった。
「おおっ! あなたが高位回復魔法を使うという聖騎士ですか!」
真ん中に立つ太った男が汗と涎を飛ばしながら近づいてきて、唾を避けるために仰け反った私へと、矢継ぎ早に言葉を並べてくる。
「いやぁ、ここでお会いできて良かった! 私は双月神殿にて司祭を務めるゲラルトと申します! 実はこの街で回復魔法を施す者にはいろいろと細かい決まりがありましてな! あなたのように無差別に民を救いたいという気持ちも良くわかるのですが……街の秩序を守るためにはどうしてもルールが必要になるのです!」
「はあ……?」
唾を避けることに必死だった私が適当に返事をすると、太った司祭は恵比須顔で頷いて更に言葉を重ねてくる。
「ですからそのあたりの細かいルールを説明するためにも、1度私たちとともに双月神殿までお越しいただきたい…………ああ、紹介が遅れましたが、私の背後にいる2人は神殿騎士団に所属するドミニクとハインリヒです」
紹介に合わせて軽く頭を下げたドミニクさんは身長2メートルを超えるマッチョマンで、ハインリヒさんのほうは細マッチョの強面だった。
「このドミニクは我が騎士団で一番の力自慢でしてな……ハインリヒのほうも元【金朱】の凄腕冒険者という心強い経歴の持ち主なのですよ!」
なぜかニコニコと部下の経歴を自慢してくる司祭さん。
コーラを得るために必要な面会を終えたことで完全に気が抜けていた私は、ついロールプレイを忘れて、彼らへとしょーもない軽口を叩いた。
「『ハインリヒ』さんですか……なんとも地下室で眠ってそうな名前ですね」
◆◆◆
SIDE:ハインリヒ
北部辺境域を無事に抜け出してから早1年。
オルタナの街で神官になろうとした私は、この街の神殿を訪れたことを後悔していた。
偉大なる使徒様に祝福をいただいたおかげか、神官の適正試験で神聖属性の才能に目覚めているとわかった時には喜んだものだが……しかしこの街の神殿は腐りきっていた。
酒と女に溺れる聖職者たち。
回復魔法の対価に莫大な金銭を要求し、支払いができない者は身売りさせることすらある。
数少ないまともな神官は閑職に追いやられ、違法な手段を使ってでも神殿の収益を増やせる者だけが出世していく。
冒険者としての腕っぷしを認められ、神殿騎士団に配属された私に回復魔法を教えてくれた直属の上司は、幸いまともな聖騎士だったが、彼はよくこんなことを口にしていた。
「――いいか? ロドリゲスにだけは絶対に近づくな……あいつが神殿長になってから、この街の双月神殿はおかしくなったんだ……」
大司祭ロドリゲス。
神官の中には回復魔法を利用して金を稼ぐことに奔走する連中も少なくないが、こいつはその典型らしい。
オルタナで幅を利かせる大商会と手を組んでいるせいで領主でも迂闊に手を出すことができず、数年前に先任の神殿長が急死してから、金の力で新たな神殿長に成りあがったのだとか。
やつに関する黒い噂は絶えず、私の上司だった聖騎士も気がつくと姿を消していた。
どこかの神殿に飛ばされたのか、それともこの世から消されたのか。
私は腐敗した神殿から逃げ出すことも考えたが、双月神様への深い信仰が潜伏を選ばせた。
逃げ出すにしても神殿の悪事の証拠を掴み、それを領主か冒険者ギルドに渡してからだ。
私のような下っ端の告発など簡単に握りつぶされて終わりかもしれないが、敬愛する神々に恥じることがないように、できる限りのことはやっておきたい。
そんな覚悟を決めた私は金に汚い元冒険者を演じて、ロドリゲス派閥の神官の護衛任務を希望し、神殿騎士になって一年が経過したころゲラルトという司祭の下に配属された。
「――ほう、元【金朱】の冒険者か。少しは使えそうなやつがきたな」
醜い脂肪を腹に乗せたそいつは、とにかく金に汚いクソ野郎だった。
聖水や回復魔法の対価に多額の金銭を要求し、相手が払えなければ身売りをさせるか、高利貸しのように借金を背負わせる。
挙句の果てには『低級聖水』とかいう怪し気な代物を若い女に売りさばく商売を始めて、一度でもそれを使った者は、たびたびゲラルトの元に顔を出すようになった。
依存性が強いのか、それとももっとヤバい薬品なのか……。
低級聖水は確かに見た目こそ鈍く光る聖水のように見えたが、中身がまともな物でないことは明白だった。
そして着実にゲラルトの悪事の証拠が集まり、ロドリゲスが行っている大商人や領主まで巻き込んだ商売の情報も集まってきたころ。
私はやたらと機嫌の悪いゲラルトに呼び出された。
「クソッ! クソッ! 街で高位の回復魔法を連発しているバカがいる! なんなんだあいつはっ!? あんなことをされたら我々の計画が台無しではないかっ!!? もう少しで永遠の栄光が手に入るというのにっ!!?」
怒りに任せて自室の調度品を叩き割り、激しく唾を飛ばすゲラルトは、金をもらえれば何でもするドミニクと私に向かって指示を出す。
「あの聖騎士を捕らえに行くぞ! 神殿に引き込んでしまえば後はどうとでもなる!」
ドミニクが暗い笑みを浮かべた様子を見るに、かなり金をもらえる仕事なのだろう。
おそらくは口封じだが……問題はその聖騎士とやらを私がどうするかだった。
見捨てて物言わぬ骸になってもらえば、私はロドリゲスの派閥へと更に深く潜ることができるかもしれない……。
ゲラルトの護衛の任についてから手にした情報だけでも、ロドリゲスが裏でかなりヤバいことをしている確信を私は持っており……たとえここで犠牲を出してでも潜入を続けたほうが、結果として多くの人命を救えそうだった。
名も知らぬ聖騎士よ……すまないがこの街のために命を捧げてくれ……。
私と同じ神に仕える者ならば、民の平穏のための礎となるのは本望だろう。
そんな身勝手な考えに激しい罪悪感を抱えながら、私は心を殺してゲラルトの後を付いていく。
腹の脂肪をタプタプ揺らしたやつはオルタナの冒険者ギルドへと向かい、その正面入口が見えるところで歩みを止めた。
「いいか!? 標的は黄金の鎧を纏った聖騎士だ! やつが出てきたらお前らは行く手を塞げ! 私が説得しても聞かないようなら、力づくでも神殿に連れて行くぞ!」
いつもより激しく唾を飛ばすゲラルト。
こいつは冒険者たちに蛇蝎の如く嫌われているから、ギルドから出てきたところを狙うつもりらしい。
先日見つけた裏帳簿を見る限り、ゲラルトは解呪の対価に幾人もの冒険者を身売りさせていたから、ギルドの中にこいつが入れば無事では出られないだろう。
そして夏の暑さと、となりで大量の汗をかくゲラルトの悪臭に耐えながら標的を待っていると、やがて冒険者ギルドのホールが騒がしくなって、痺れを切らしたゲラルトが走り出す。
…………おい、ギルドから出てきたところを狙うんじゃなかったのか?
凄腕の冒険者が揃うオルタナのギルドで冒険者たちを敵に回したら、私とドミニクだけでは護衛できないのだが……よほど焦っているのかゲラルトは自ら敵地の中へと飛び込んで行った。
無能な上司に頭を抱えたくなったが、ここでやつを見捨てるとこれまでの全ての苦労が水泡に帰してしまうため、仕方なく私は顔を青褪めさせたドミニクといっしょにゲラルトを追いかける。
私がこれまで集めた情報があればゲラルトの犯罪を証明することはできるが、その裏にいるロドリゲスまでは届かないため、やつはまだ必要だった。
ギルドの中に駆け込むと、そこではゲラルトが黄金の聖騎士に向かって汗と唾を飛ばしながら喚いており、なぜか平伏している冒険者たちからの冷たい視線が私たちへと突き刺さる。
「ですからそのあたりの細かいルールを説明するためにも、1度私たちとともに双月神殿までお越しいただきたい…………ああ、紹介が遅れましたが、私の背後にいる2人は神殿騎士団に所属するドミニクとハインリヒです」
夏の暑さも忘れるほどの殺気に満たされたギルドの中で、ゲラルトだけが空気を読めずに黄金騎士へと間抜けな脅迫を行う。
「このドミニクは我が双月神殿騎士団で一番の力自慢でしてな……ハインリヒのほうも元【金朱】の凄腕冒険者という心強い経歴の持ち主なのですよ」
さらに圧を増した冒険者たちからの殺気に、ドミニクの顔色が青から土気色まで悪化した。
そして私がゲラルトを締め落としてでも逃げ帰ることを考え始めたころ、黄金騎士がどこか聞き覚えのある声で私に向かって話しかけ……
「『ハインリヒ』さんですか……なんとも地下室で眠ってそうな名前ですね」
私は即座にドミニクの腹へと渾身の膝蹴りを叩き込んだ。
「――おらぁっ!!!」
「――がっ!??」
頭が高いんだよ!
てめぇはっ!
この御方より高いところに頭を置くんじゃねえっ!!
無駄に頑丈なウドの大木は、2、3発膝を入れてやるとようやく気を失った。
「なっ!?? なにをやっているのだハインリヒっ!? まさか貴様っ、この私を裏切るつもりか!??」
続けて私は短い足で後ずさるクソ虫にも近づいて、使徒様を脅迫した虫へと正義の膝を叩き込む。
「――ぷぎゃっ!??」
腹の脂肪が邪魔をして一発では沈められなかったが、私はクソ虫が気を失うまで何度でも膝蹴りを繰り返した。
「――膝っ! 膝っ! 膝ああああああああああぁっ!!!」
やがて吐物を撒き散らして白目を剥いた虫を、唖然とする冒険者たちの前に放り投げ、私は使徒様の斜め前で膝を突く。
「大変失礼いたしました……このゴミは私が始末しておきますので、どうか貴方様は気にせず聖務をお続けください」
「……お、おう…………」
短く聖騎士のフリをされ、足早に去っていく使徒様。
できればお話をして、かつて助けていただいた感謝の気持ちをお伝えしたかったが……私には使徒様に危害を加えようとした神殿を粛正するという聖務ができてしまったため、涙を呑んでその偉大な背中を見送った。
やがて使徒様とそのお連れ様が姿を消し、静寂に包まれた冒険者ギルドで、私は立ち上がって床に転がるクソ虫を踏みつける。
ここから先は運任せになるが、使徒様が付いているならば大丈夫だろう。
「――ギルドマスターと面会させてくれ! 私は神殿が行ってきた悪事を、神の名の下に告発する!」
唐突な私の宣言に目を丸くする冒険者たち。
そして一拍置いたあと、ギルドホールは割れんばかりの歓声に包まれた。