第48話 ギルマスとの対談
SIDE:ノエル
この街の住人の腰があまりにも低いものだから、さらなる低みを目指して土下寝を実行したらリドリーちゃんに怒られた。
「今のは二度とやらないでください! 恥ずかしいから二度とっ!」
……いちおう君にインスパイアされて土下寝を選択したのだが……余計なことを言うと殴られそうなので、部屋の隅で正座させられた黄金騎士は大人しく頷いた。
「……うむ、心得た」
説教を終えた私がソファへと戻ると、ちょうど反対側の隅っこでサブマスターのエレナさんから説教を受けていたギルベルトさんも戻ってくる。
ちなみにサブマスターのエレナさんは先ほど私が廊下で回復魔法をかけたギルド職員さんだった。
……チップをケチって銀貨にしてしまったことで心象を悪くしていないか心配である。
そして私はエレナさんの顔色を窺いながらソファへと戻り、お茶菓子として出されたクッキーへと手を伸ばす。
ううむ……流石は街のクッキーだ。
呪いを味付けに使っているとは斬新な調理法である。
呪いって基本的に甘い味がするからね。
この程度の呪いなら摂取したところでまったく問題ないし、どんな味がするのか楽しみである。
そして斬新なクッキーをしげしげ眺めていると、今度はそのエレナさんがいきなり土下座した。
「申し訳ございませんでしたっ! このお茶とお菓子に呪物を混ぜたこと、正式に謝罪させていただきます!」
「はあっ!?」
エレナさんの告白に驚愕するギルベルトさん。
……もしかして貴族相手に呪い入りのクッキーを出すのって作法的にアウトだったの?
「どういうことか説明してもらえるかしら?」
軽く殺気を漂わせるアイリスが訊ねると、再びギルベルトさんも土下座した。
「申し訳ございませんでしたっ! 俺の監督責任です!」
「い、いえ! ギルドマスターはまったく関係ありませんっ! 全ては私の失態です!」
口々に謝罪してくるギルベルトさんとエレナさん。
しかし呪物入りのクッキーを出されたことで、私はオルタナのトレンドを正確に把握した。
間違いない……。
――この街には今、呪いブームが来ているのだ!
日本でも白いタイ焼きとかタピオカミルクティーのブームがあったように、この街の若い女性の間では『呪い味』がブームなのだろう。
私が創世神の血や呪いの味に夢中になっているように、この街の女性たちも呪いが持つ味の魅力に気付いてしまったらしい。
そりゃあ毎日呪いを口にしていたら、ちょっと呪われたくらいでいちいち解呪なんてするわけないよね?
吸血鬼の私は呪いを消化できるから気にしたことはなかったけれど、一般人は呪いが蓄積していくみたいだから管理が大変そうである。
まあ、甘味が貴重な世界だから、そこまでしてでも甘い物を口にしたい気持ちはよくわかる。
私もコーラを求めて東奔西走しているからね。
おそらく若い女性のエレナさんは良かれと思って呪いのお菓子を出したけれど、流石に貴族相手に呪いのお菓子を出すのはマズかったのだろう。
「……すみません! すみません! あ、頭ではダメだとわかっていたのですが……自分の意思ではどうにもできなくてっ……誠に申し訳ございませんでしたっ!」
顔を真っ青にして謝罪を繰り返すエレナさん。
彼女はきっとブームとかに弱いタイプなのだろう。
いくら自分が美味しいと思った物でもTPOって大事だからね。
まあ、これが正式な貴族相手なら流行りものをお茶請けに出すというのは問題だったかもしれないが、こちとら騎士爵の次男坊という微妙な立場だから問題ない。
いちおう貴族の末席としてカウントされているみたいだが、私の心は平民なのだ。
むしろ呪いのクッキーを食べてみたい私は、殺気を振りまくアイリスをなだめにかかる。
「まあまあ、アイリちゃん。食べ物に呪いが含まれている程度、気にすることでもないだろう?」
「……その呼ばれ方、嫌いよ」
アイリスはブレないなぁ……。
しかし彼女の殺気は収まったので、私は本音をぶちまけた。
「なにより呪いが含まれたクッキーとか、どんな味がするのか楽しみではないか!」
そして私はフェイスガードの隙間から、手にした呪いのクッキーを口の中へと放り込む。
「「「あっ!?」」」
エレナさんとギルベルトさんとリドリーちゃんが驚愕の声を上げたが、堅苦しい貴族の礼儀作法に興味がない私は、構わず流行りのクッキーを口にした。
ふむふむ、なんというかこれは…………微妙……。
元のクッキーがチーズ味ということもあるが、あまりにも呪いの甘みが薄すぎて、むしろチーズクッキーの味を中途半端な呪いの甘味が邪魔している。
まあ、こういう味の感想は正直に伝えたほうがいいだろう。
「フハハハハハッ! 呪いの味が薄いな! もっと濃くした物はないのか!?」
もったいない精神を発揮して私がクッキーを食べ続けると、エレナさんは安堵したのか泣き崩れた。
「……ありがとうございますっ! ありがとうございますっ! この御恩は一生をかけてでもお返し致しますっ!」
……やっぱり金貨のほうがよかったですよね?
これまで何度も感じてきたチップへの圧力に、私はリドリーちゃんへと手を向ける。
しかしお財布を握る巨乳妖艶神秘魔女さんのガードはとても硬く、黄金騎士の腕はペシッと叩き落された。
すまないエレナさん……追加のチップは難しいようだ。
「……う、うむ、恩返しなんてする必要はないぞ! 俺様も新しい味を楽しめたからな! むしろこちらからお礼をしたいくらいだ!」
チラッ、チラッ、とリドリーちゃんに視線を送るが、断固として財布のヒモを緩める気配がない巨乳妖艶神秘魔女さん。
「う、うわああああああああんっ!!?」
遂には泣き崩れてしまったエレナさんに、私はどうすればいいのかわからなくなり……とりあえず頭を撫でておいた。
……恨むならケチンボなリドリーちゃんを恨んでね?
それからエレナさんは謝りまくるギルベルトさんによって廊下へと運ばれていった。
◆◆◆
SIDE:ギルベルト
俺は状況を把握するために、ギルドマスタールームから泣きじゃくるエレナを連れ出した。
……いったいこいつに何が起こったというんだ?!
「すぐに双月神殿の連中を探って! あいつら裏でとんでもないことやってるわよ!?」
廊下で落ち着きを取り戻した彼女から事情を聞いてみると、急速に顔から血の気が引いていくのを感じた。
人の意思を奪う『低級聖水』に、創世神の呪いを利用した邪術の気配だと!?
「呪いはかなり薄められているけれど、間違いなく創世神の呪詛を元にしたものよ!」
「そんなの国家転覆も有り得る大事件じゃねえか!?」
小さく叫ぶ俺にエレナがまくし立てる。
「だからそう言ってんのよ! いつの間にかオルタナの街は邪術使いどもに狙われていたの! 私だってアーサー様に治していただくまで、心と身体がバラバラで、頭の中に生まれたナニカに身体を操られていたんだからっ!」
なんてこった……。
前からオルタナの神殿連中はいけ好かないやつらだと思っていたが……まさか邪術使いと繋がっていたとは!?
いきなりエレナが茶菓子に呪いを仕込んだと言い出した時には正気を疑ったが、どうやら本気で彼女は正気を失っていたらしい。
寛大なアーサー様の気遣いでエレナの凶行が不問にされたのだと思っていたが……
「……アーサー様は事件の全容を把握しているのか?」
それなら土下寝をしたことにも、呪いの茶菓子に怒らなかったことにも……全てに説明がつく!
土下寝をしたのはオルタナに対して自分が一切の敵意を持っていないことの宣言で、呪いの茶菓子は最初からエレナが正気ではなかったと知っていたのだ。
俺の考えを肯定するように、エレナが神妙に頷いた。
「間違いないわ。あの御方はオルタナを救いに来てくださったの……不甲斐ない私たちに見返りを求めることもなく、ただ民を救うことだけを考えていらっしゃるのよ!」
……そんな聖人が存在するのか?
いや、アーサー様の度量が並外れてデカいのは短いやり取りでもわかっているが、オルタナの冒険者ギルドを預かる身としては、どうしても情報の出所が気になってしまう。
街にいる俺たちでさえ今の今まで異変に気付けなかったというのに……エストランド領に居てどうやってオルタナの窮地を掴んだんだ?
「……アーサー様が黒幕ってことはねえよな?」
思わず脳裏を過ぎった疑惑を零すと、エレナから本気の拳が飛んできた。
「バカッ! この大バカッ! あれだけの神聖魔法を操れる御方が邪術使いと繋がってるわけないでしょっ!? 少しは考えてからものを言いなさいよっ! アーサー様は私のために呪物まで口にしてくださったのよ!?」
顔を真っ赤にして顎を狙ってくるエレナに、俺は早々に白旗を上げる。
「わ、悪かった! 俺が間違ってたから!」
確かにこの街でエスランド領の御子息に害のある茶菓子を出したなんてことになったら、エレナはサブマスターとして終わりだった。
たとえ俺たち以外に事が露見しなかったとしても、エストランド家に深い敬意を抱くエレナは自ら職を辞していただろう。
アーサー様が機転を利かせて茶菓子を口にしたことで、こいつの心と名誉は守られたのだ。
――俺様にこんなものは効かない! だから気にするな!
高らかに笑うアーサー様の行動の裏には、確かにそんな気持ちが含まれていた。
俺がエレナを救ってくれた恩人を疑ってしまったことを反省していると、騒がしく下の階から女性の冒険者やギルド職員が駆け上がってきて、廊下で状況を整理する俺たちに向かって同時に捲し立てる。
「ギル! 神殿に殴り込むぞ! あいつら邪神に魂を売りやがった!」
「アーサー様はどこにいるのっ!? 街を救うお手伝いをさせてっ!」
「これは聖戦よっ! 聖光騎士団にも応援を頼みましょう!」
よく見ると女たちの中には一般人も紛れており、全員が殺気立った表情で武器を手にしている。
……どうやらアーサー様に救われたのはエレナだけではないらしい。
口々にアーサー様に救われたことや、低級聖水の情報を出してくる女性たちに、俺は声を張り上げた。
「ま、待て待て! 今はアーサー様のご意見を伺うのが先だ! あの御方をこれ以上お待たせしないためにも、少しだけ待ってくれ!」
そう言った途端、ピタリと言葉を止める女たち。
彼女たちの瞳は『さっさと話を聞きに行け! アーサー様を待たせるな!』と雄弁に語っており……その圧に押された俺は泣き止んだエレナを連れてギルドマスタールームへと戻る。
「失礼しました。お時間をいただき申し訳ない」
そこではアーサー様が先ほど凄まじい殺気を発していた少女を膝に乗せて可愛がっており、俺たちが謝罪しながらソファに戻ると、彼はひとつ頷いてから同行者を紹介してくれた。
「紹介がまだ途中だったな! マーサは知っているだろうからいいとして、この子は俺様のフィアンセのアイリちゃんだ!」
その紹介に廊下からいくつもの壁を殴る音が響き……俺のとなりに座るエレナもドスッとソファに拳をめり込ませた。
アイリと紹介された黒髪の少女が包帯の下で不敵に笑う。
「ふっ」
……女って怖えな…………。
続けてアーサー様はソファのとなりに腰掛ける大きな三角帽子を被った仮面の魔女へと視線を向けた。
「そしてこっちが俺様の盟友――リドルリーナ・エミル・ミストリアだ!」
「!?」
「あっ!? すまん……ついフルネームで紹介してしまった……」
「っ!? っ!?」
なにやら仮面の魔女がアーサー様の鎧をバシバシ叩いているが、意表を突く名前を聞いた俺はそれどころではなかった。
「――エミル・ミストリア!?」
確かその名前はミストリア王家を抜けた王族の子孫が、後に王家から認知された時に与えられる名前だったはずだ。
蒼月神の血を継ぐミストリア王家では王女が駆け落ちすることがよくあるため、そういった時の対処法が細かく設けられている。
エミル・ミストリアを名乗れるのは直子だけだったはずだから……。
「……つまり、リドルリーナ様は王族の子、ということですか?」
確認のために質問すると、リドルリーナ様は視線を逸らした。
「…………くっ……くくっ…………」
……なにか複雑な事情でもあるのだろうか?
視線を彷徨わせて黙り込むリドルリーナ様の代わりに、アイリ様がはっきり宣言される。
「ぷっ! ふふっ……彼女は正真正銘、【半神】の縁者よ。なんならミストリア王家に確認してもらっても構わないわ」
「!!?」
アーサー様の膝の上でプルプル震えるアイリ様と、慌てふためくリドルリーナ様。
……見たところ2人は仲が良さそうだが……いったいどういう関係だろうか?
しかしそこまで言うならリドルリーナ様は本物の神の末裔だろうから、俺とエレナは再び土下座して、高貴なる血筋へと敬意を捧げた。
「偉大なる蒼月に連なる方とも知らず……今までのご無礼をお許し下さい!」
エミルの名は上位貴族並みの権力を持つため、身分的には彼女がこの街で最上位となる。
それこそリドルリーナ様の機嫌を損ねたら、俺たちの首など簡単に刎ねられるだろう。
「ちょっ!? やめっ……ゲフンゲフン…………くっ、くくっ……我を敬う必要などまったく無い! たとえどんな血を引いていようが、我はただの庶民だからな!」
しかしアーサー様と同様に寛大なリドルリーナ様は、俺たちの度重なる不敬をまったく気にしていない様子だった。
それどころか自ら俺とエレナの手を引いて、丁寧にソファへと戻してくださる。
ああ……この御方も本物だ…………。
アーサー様といい、リドルリーナ様といい……権力に溺れず、民を思いやる心を持っていらっしゃる……。
話せば話すほど敬意が湧いてくるお二人に、俺とエレナが崇拝の眼差しを向けていると、アーサー様の斜め後ろに控えていたマーサ様が咳払いをした。
「オホンッ! それでは自己紹介も終わりましたしぃ……そろそろ本題に入ってはいかがでしょうかぁ?」
「む! そうだな!」
促されたアーサー様は鎧の隠しから一枚の羊皮紙を取り出し、机の上に広げる。
「――んなっ!??」
「――これはっ!!?」
それを覗き込んだ俺とエレナは揃って驚愕した。
『売買契約書――品名:創世神の血』
オルタナにある双月神殿のトップである大司教の名が記された魔法契約書を叩きながら、アーサー様が真剣な声を出す。
「これは俺様が倒した魔女の家から見つけた物だ」
「【奪眼】のストレガですぅ」
「「!!?」」
マーサ様の口から出た賞金首の名前に、俺は本日何度目になるかわからない驚愕を抱いた。
特級賞金首【奪眼】のストレガ。
そいつはラウラ様ですら下手に手を出せないほどの凶悪な邪術使いだったはずだ。
あの魔女は身に纏う邪気が強すぎて、命と引き換えでなければ討てないとマーサ様から聞いたことがある。
それほど強大な世界の敵を若くして倒したという英雄は、俺たちに向けて挑戦的な言葉を投げてきた。
「この魔法契約書は貴殿たちに預ける。そして俺様にできるのはここまでだ……なぜならこの街を守るのは、他ならぬ貴殿たちの仕事だからな!」
その鮮烈な言葉に、俺はガツンと頭を殴られた心地がした。