第47話 低みを目指して
SIDE:ギルドマスター
俺の名はギルベルト。
ミストリア王国でも指折りの冒険者の街、オルタナでギルドマスターを務める【鬼人族】だ。
普通のギルドマスターはギルマスと呼ばれることが多いんだが、俺の場合は名前がギルベルトなせいでギルと呼ばれることが最近の悩みだったりする。
べつに親しく呼ばれるのはいいんだけどよ……ギルドマスターには威厳ってものが必要だろう?
いちおう現役のころは定命の壁を破って【聖銀】の冒険者として数えられたくらいの実力はあるんだが、オルタナの街に来る冒険者は更に上の冒険者に憧れている連中がほとんどだから、俺の経歴くらいだと軽く見られてしまうらしい。
主にこの街の冒険者が憧れているのはエストランドの住人だ。
初代【金狼旅団】の構成メンバーは最低でも【聖銀】以上だし、団長のラウラ様と副団長のメルキオル様は【緋金】に到達した冒険者なのだから、そんなの憧れて当然だった。
というか俺も憧れている。
まあ、俺の場合は玄人だから、そこらのニワカどもとは違って【血飢】のマーサ様一筋だがな。
マーサ様は【黒金】の冒険者で、金狼旅団の幹部を務めた大人物だ。
戦闘スタイルは武器を使わない徒手空拳。
俺たち鬼人族は鬼神様から伝授された格闘術に誇りを持っており、徒手空拳での戦闘が強いやつほど尊敬されるため、鬼人族の中にはマーサ様に憧れているやつが多かった。
なによりあの赤髪と赤目がいいんだよ……。
我ら鬼人族にとっては『血の赤』こそが聖貴色で、鬼神様の色でもある赤色を持つ者はそれだけで敬意を向ける対象となる。
つまり赤髪赤目なうえに優れた拳士であるマーサ様は、鬼人族にとって最高の女性のひとりだった。
強者揃いのオルタナの冒険者を纏めるのは大変だけど、冒険者ギルドとの調整を担当されているマーサ様とお話する機会があるのが、ここで働く最大のご褒美だ。
そして今日も俺が憧れのマーサ様に思いを馳せて仕事をしていると、
カラーン、カラーン、カラーン。
エストランドの住人が街に入ったことを告げる鐘の音が聞こえてきた。
「なんだ? 珍しいな……」
この鐘が鳴らされることは滅多にない。
オルタナにエストランドの住人が正面から入ってきてしまうと、街を挙げての歓待が始まってしまうため、彼らがオルタナに入る時は不法侵入することがほとんどだ。
なにか急ぎの案件でもあっただろうかと、ちょうど書類を整理していたサブマスターに視線を向けると、彼女も首を傾げていた。
「……正式な会談の予定はなかったはずよ?」
ふむ、彼女がそう言うなら確かなのだろう。
脳筋の俺とは違ってエルフの魔術師として出世してきたサブマスターのエレナは、オルタナ冒険者ギルドの頭脳だからな。
まあ、北門のほうには冒険者がたくさんいるから、すぐに情報が届くだろう。
そして俺が面倒な書類仕事をしながら報告が来るのを待っていると、さっそく顔なじみの獣人冒険者が俺の執務室にノックもせずに駆け込んできた。
「ギルっ! 大変だ!」
うちのギルドでも指折りの実力者の行動に、俺はギルドマスターとして苦言を呈する。
「ノックくらいしねぇか! それとギルマスと呼べ!」
まったくお前くらいの冒険者になると貴族の相手をすることもあるんだから、少しくらいは礼節ってものを学びやがれ!
「そんなことよりエストランド家のマーサ様が街に来てるんだ! なんでも冒険者ギルドに来る予定らしい!」
「そっちを先に言え馬鹿野郎がっ!」
できればこちらから迎えを出したいくらいだが、そういった特別扱いをエストランドの住人は嫌っているため、俺はギルドマスタールームで迎えることにして部下へと指示を出す。
「エレナ! 最高級の茶と菓子を用意しろ! 粗相があったらぶっ飛ばすぞ!」
「ええ、わかったわ」
やたらと大人しいエレナに俺は少し違和感を抱いた。
いつもなら「バカのくせに偉そうに言わないでよっ!」とか「他の職員にそれ言ったらぶっ飛ばすからね!」とか、威勢の良い言葉と張り手が返ってくるのだが……最近のこいつはどこかおかしい。
……もしかして失恋でもしたか?
まあ、鬼人族の俺からしてみればエレナは筋肉が足りないが、他の種族から見れば美人の部類に入るらしいので、彼女にもいろいろと悩みがあるのだろう。
「どうしたんすかね、エレナさん? なんだか元気がないような……?」
「……お前もそう思うか? 数日前からあんな感じなんだが……」
「まあ、うちのメリダも最近ボーっとしてますし、月のものが重いのかもしれませんね」
「……ああ、そういうこともあるのか…………女ってのは大変だな……」
「ハハッ、ガサツなギルにはわからない悩みだよ」
話しているうちに調子に乗ってソファへと腰掛けた生意気なガキに、俺は怒りの拳骨を振り下ろす。
「ひぎゃっ!??」
「ここでくつろいでんじゃねえよ、タコがっ! てめぇはさっさと下に行ってマーサ様を出迎えやがれっ!」
「う、うっす!」
そしてギルドマスタールームからタンコブを作ったバカを追い出したところで、俺は部屋の真ん中に正座して精神統一した。
本来ならこちらから出向くのが当然のところを、わざわざギルドマスタールームまで来ていただくのだから、最初は土下座して出迎えるのが筋ってものだ。
相手が憧れの冒険者ってのもあるが、なによりエストランド領はオルタナの冒険者ギルドにとって最も重要な取り引き相手だから、非礼を働くことは絶対に許されなかった。
エストランド領から納められるワイバーンや地竜の素材から得られる収益は、オルタナの冒険者ギルドが出す収益のおよそ4分の1を占めている。
それを切られたらうちのギルドは終わりだし、ワイバーンや地竜の素材で冒険者向けの商品を作っている職人たちも仕事を失い、オルタナ全体が困窮することになるだろう。
冒険者ギルドの長として、それだけは絶対に避けなければならなかった。
つまり大切なのは土下座だ。
美しい完璧な土下座こそが、冒険者ギルドを、そしてこの街を守ることに繋がるのだ。
決して俺が敬愛するマーサ様に全身全霊で敬意を示したいだけではない。
……エストランド家の長女のカミラ様は現役のグランドマスターの1人で、俺の上司の上司のそのまた上司に当たる御方だが……それにビビっているわけでも決してない。
そして俺が完璧な土下座のための精神集中を行っていると、茶と菓子を持ったエレナが戻ってきて、テーブルに俺とマーサ様の2人分を並べると無言で出ていった。
……やはりあいつは重いほうなのか?
いつもなら来客が席についてから茶を出すし、俺が床に正座しているとアホを見る目と辛辣な言葉が飛んでくるのだが……どうにもあいつがしっかりしてないと調子が狂う。
……やはり今日は土下座が必要そうだな。
ギルドマスターとして培ってきた長年の経験が、トラブルの可能性をひしひしと伝えていた。
そして俺の精神統一が終わったころ。
ギルドマスタールームの扉がノックされ、そこから赤髪の戦女神と……そのお連れ様が入室された。
おいっ!? 同行者がいるなんて聞いてないぞ!?
情報伝達は正確にしろよ!
しかし土下座が必要なことに変わりはないので、俺は咄嗟に用意していた台詞を変更し、マーサ様とそのお連れ様を出迎える。
「お会いできて光栄です! エストランド家の皆様!」
部屋に入って来たのはマーサ様と他3人。
真夏だというのに黄金の全身鎧を纏った大男と、魔女みたいな格好をした仮面の獣人女と、全身に包帯を巻いた黒髪の幼い侍女。
いずれも俺が顔を合わせたことのない方々だが、雰囲気だけでもエストランドの住人であることが十分にわかった。
……ただの村人だよな?
頼むからただの村人であってくれ!
俺が頭を床に擦り付けながら同行者が重要人物でないことを祈っていると、マーサ様が彼らを案内し始める。
「ここのギルド長が土下座をするのはいつものことですからぁ、気にせずソファのほうへどうぞぉ」
……だ、大幹部のマーサ様が敬語を使っているだと!?
しかも自ら案内を買って出て、黄金の鎧たちを先にソファへと座らせた?
つまり彼らはマーサ様よりも上位の人物ということで……
「ご紹介致しますぅ」
と、俺が混乱していると、マーサ様が率先して彼らを紹介してくれた。
「こちらはラウラ様の御子息でぇ……えっとぉ? なんと紹介すればぁ……?」
御子息様だって!??
確かに数年前から新たな御子息誕生の噂が流れていたが……本当に生まれていたのか!?
「うむ、ここは俺様が自分で名乗ろう!」
黄金の鎧を纏った大男はソファから立ち上がると、なぜか俺の前へとうつ伏せで寝転ぶ。
「俺様の名はアーサーだ! はじめまして、オルタナのギルドマスター殿!」
その挨拶に俺は瞠目した。
なん……だと!?
黄金騎士が選択したのは、我ら鬼人族に伝わる最大級の礼法。
土下座を超える土下寝!
相手に首を差し出すだけでなく、肉体から全ての力を抜き、完全な不戦の意思を表す究極の礼。
貴族や権力者の息子なんてものは傲慢で我儘なガキに育つのが普通だというのに……エストランド家の御子息は初対面の男に土下寝できるほどの傑物らしい。
俺の上を行く作法を見せる黄金騎士に、こちらも負けじと土下寝の姿勢を取る。
「は、はじめまして、オルタナのギルドマスターを務めるギルベルトと申します!」
くっ……こちらは生身の分、床で鼻が潰れて声を出しづらい!?
ラウラ様の御子息と紹介されたこの御方が土下寝をしている以上、こちらが先に頭を上げるわけにもいかず、俺は彼が頭を上げてくれるのを待つしかない。
「ふむ、ギルベルト殿は元冒険者とお見受けしたが……いかがかな?」
しかしアーサー様は土下寝していることを気にする様子もなく、普通に会話を続けてくる。
「はっ、おっしゃる通り、若い頃は世界各地を転々と放浪し、武者修行に明け暮れておりました」
「! どうりで立派なお体をしているわけだ! 男として羨ましい!」
「いえ、私なんてまだまだ未熟者で、アーサー様こそ立派なお身体をしているかと」
「いやぁ……実はこう見えて中身は貧弱でな? 鎧を付けているのは強そうに見せるためなのだ!」
「ハハッ、またまたご冗談を! アーサー様からは強者の気配がプンプン伝わってきますよ?」
「そう言うギルベルト殿こそ良い筋肉をしているではないか! それほどの筋肉、なかなか見ることはないと思うぞ?」
「いやいや……」
「いやいやいや……」
……いつまでこの姿勢で話せばいいんだ!?
土下寝なんてアクロバティックな作法は生まれて初めて使ったから、終わらせ方がまったくわからない!
ちょっと自慢の筋肉を褒められて嬉しいけれど、そんなことより床と頭に潰された鼻のほうが心配だった。
そんなやり取りをアーサー様としているうちに、ギルドマスタールームの扉が再びノックされ、扉が開けられた後に困惑した部下の声が響く。
「…………は? ギル? なにバカなことやってんのよ!?」
久しぶりに聞いたサブマスターからの毒舌に、俺は嬉し涙を流しながら手信号でメッセージを送った。
『――助けてくれエレナっ! ここからどうしたらいいのか……まったくわからない!』




