第5話 ここが変だよエストランド領
SIDE:リドリー
私がエストランド領で働き始めて早くも二ヶ月が経ちました。
これまで働いてきた私の感想は『この領はおかしい』です。
まず新しい雇い主様たちがおかしい!
私を雇ってくださった新しい雇い主様たちのお名前はメルキオル様とラウラ様。
どこかで聞いたことのある名前だと思っていたら、昔読んだ有名な絵本に出てくる勇者パーティーの錬金術師と剣士の名前でした。
問題はこの絵本が実話を元にした物語で、悪役の邪神を倒した勇者様が現在のミストリア王国の国王様だということです。
…………本物じゃないですよね?
なんかメルキオル様が作ったポーションが光り輝いていたり、ラウラ様はそこら辺に落ちている石ころでワイバーンを落としたりしているのですが……絵本に影響を受けた親御さんから登場人物の名前を付けられただけですよね?
お願いだから誰かそうだと言ってください!
私の心の安寧のために!
……いえ、ワイバーンのステーキはとっても美味しかったのですが……お腹が弾けそうになるくらいまで食べてしまっただけに、私はあの出来事を夢だと思えないのです……。
だからこそ確認したい…………本物じゃないですよね?
まあ、冷静に考えればあり得ないことはわかっているのです。
絵本のモデルになった事件は300年以上も昔のできごとですから、お若く見えるラウラ様たちが絵本の登場人物の可能性は限りなくゼロに近いはず……
「……ご当主様たちの年齢?」
しかしそんな疑惑を持っていたせいか……あるとき私は洗濯物を干しながら、先輩侍女のマーサさんに訊ねてしまいました。
「はい、ちょっと気になりまして」
メルキオル様は常に仮面を付けているため年齢がよくわかりませんが、少なくともラウラ様は二十代前半くらいにしか見えません。
しかしあの貫禄と覇気は二十代で出せるものではないですし、お二人の年齢は私にとってエストランド七不思議のひとつでした。
ちなみに他の不思議は未定です。
私の質問にマーサさんは顎に手を当てて少し考え、いつものおっとりした声で答えてくださいます。
「えっとぉ……本人たちは『100から先は数えてない』とか言ってたけどぉ……たぶん350歳くらいじゃないかしらぁ?」
二人とも不老種でした。
……い、いえ、吸血鬼が年を取らないのは当たり前でしたね。
だけどなんでラウラ様までお若いままなのでしょう?
「……狼獣人にも不老種がいるのですか?」
他ならぬ狼獣人のマーサさんに訊ねると、彼女は首を横に振ります。
「ううん、狼獣人に限らずぅ、人は限界を超え続けると不老種になるのよぉ」
その言葉に私は幼い頃に冒険者から聞かされた与太話を思い出しました。
「あー……どこかで聞いたことがあります。確か100回くらい死線を超えると、定命の壁を壊せるとかなんとか……あれって御伽噺じゃなかったんですね?」
普通は100回も死線を超える前に死にますから……。
乾いた声を出す私に、マーサさんは頷きます。
「100回なんて大げさよぉ……せいぜい7、80回くらい? ダンジョンでちょっと頑張れば誰でもイケるわよぉ? ちょくちょく内臓が破裂して血尿とか血便とかたくさん出るけどぉ、わたしも不老種に成れたしぃ」
マーサさんは意外と武闘派でした。
今後はぜったい逆らわないようにしましょう。
いえ、これまでも逆らったことなんてないのですが、今後は更に服従ムーブを徹底していきます!
そんな風に私が内心で誓いを立てていると、マーサさんがしげしげと私の全身を眺めていることに気がつきました。
「……どうかしましたか?」
絡みつく視線に私が首を傾げると、マーサさんは尻尾をブンブン振りながら頬に手を当てて考え込みます。
「ん~……前から思ってたんだけどぉ……リドリーちゃんってちょっと弱すぎないかしらぁ? 体力も無さそうだしぃ……心配だわぁ……そんなに非力じゃワイバーンにすら勝てないでしょうしぃ……」
ワイバーンの討伐は騎士団の精鋭部隊が行う仕事です。
普通の侍女はワイバーンどころかオークにすら勝てません。
「あ~、気になるわぁ……目が離せないわぁ……私が鍛えてあげたいわぁ……」
これはよくある『新米が気に食わないから、ちょっと鍛えてやるかぁ、ぐへへ……』みたいな話ではありません。
むしろそれよりもヤバいです。
狼獣人は群れの中にいる自分よりも弱い個体を気に入ると、本能的に鍛えてあげたくなってしまうのです。
せめて自分と同じくらいの強さまでは……と。
マーサさんから群れの仲間として認めてもらえたことは嬉しいのですが、定命の壁をぶち壊すような非常識の塊から修行を受けるなんて冗談ではありません。
「そう言えば大切な用事を思い出しまちた」
命の危険を察知した私は、速攻で踵を返して逃げ出しました。
唸れ! 私の健脚っ!
今こそ小動物獣人の本領を発揮する時です。
しかし私が振り返った先には瞳をギラギラ輝かせたオオカミさんがいて……人間離れした動きで逃げ道を塞いだマーサさんが、私の肩をガシッと掴みます。
「大丈夫よぉ、私はラウラ団長よりも優しいからぁ……そうねぇ、リドリーちゃんには柔拳術が向いてると思うわぁ……まずは相手の力を利用した投げ技と、掌底での内部破壊を覚えていきましょう。手の平で生き物の心臓を潰す感触って、すっごく気持ちいいのよぉ?」
「………………ひゃい」
逃げられませんでした。
そして私はその日から、仕事後にマーサさんと護身術の修行をすることになりました。
超攻撃的・護身術の修行を……。
◆◆◆
マーサさんとの会話で疑惑を深めた私は、エストランド領にある唯一の商店を目指して歩きました。
やっぱりこの領はおかしい。
先輩のマーサさんも絶対におかしい!
……なんであんな武神みたいな人が、こんな田舎で侍女をやっているのですか?
先ほど軽く見せていただいたマーサさんの拳技は、私の常識から大きく逸脱していました。
大地って拳で割れるんですね?
「まずはこれくらいできるようにならないとぉ」なんてニコニコしていたマーサさんの笑顔が脳裏にこびりついて離れません。
……誰かあれは夢だったと言ってください。
拳で地割れを作るなんて常識人である私には不可能です。
そんなわけで、私はこの領に来てから経験したおかしな現象の数々が夢だと確認するためにも、先日注文しておいた絵本を受け取りに来ました。
妄想の原因であるあの絵本さえ確認すれば、私は悪い夢から覚めるはずなのです……。
幸いノエル坊ちゃまの教育用に絵本を購入したいとラウラ様に相談したところ購入費用まで出していただけることになったので、私は数冊の絵本に紛れ込ませて、例の絵本を秘かに注文していました。
「こんにちは、アリアさん。商品の受け取りに来ました」
「あら、リドリーちゃん。いらっしゃい」
私が訪れたお店は酒場と宿屋と雑貨屋さんを兼業しているエストランド領の中央にある商店です。お店の前には石造りの噴水広場まで作られていて、正直に言えば領主様のお家よりも大きな建物です。
そんな村一番の建物の中では、数人のゲッソリした男性冒険者さんが幸せそうな表情で静かにお酒を飲んでいました。
彼らになにがあったのかはあえて言いませんが……私を迎えてくださった店主のアリアさんは、桃色の髪が色っぽい【淫魔族】の美人さんです。
面積の小さい布に包まれた巨大なお胸がボインボインと揺れていて、同性の私でもドキドキしてしまいます。
「はいこれ、注文の品ね」
今日も腰をクネクネさせて色気を振りまくアリアさんは、カウンターの上に私が注文しておいた絵本の山を置いてくださいます。
「確認させていただきます」
できるメイドとして注文の品に間違いがないか確認するのは当然のこと。
だから私はさっそく絵本の山を手にとって、その中から目当ての一冊を取り上げました。
ちょうどやってきた他の村人さんとアリアさんがお話をしているうちに、私は絵本を目的のページまでパラパラめくります。
私が見たいページは勇者様が剣士と錬金術師に出会うところ。
確か二人は冒険者の一団を率いる団長と副団長で、勇者様と出会うページには彼らの姿が描かれていたはずなのです。
そして私は確信に代わりつつある疑惑を払拭するために目的のページを目にして……
「っ!?」
そこに描かれていた【金狼旅団】の姿に凍りつきました。
はるか昔に読んだ絵本のそのページに描かれていたのは、黒髪金眼の女剣士に率いられた屈強な一団。
団長【閃剣】のラウラ。
副団長【千賢】のメルキオル。
特攻隊長【血飢】のマーサ。
斥候隊長【音無】のセレス。
魔法隊長【百色】のアリア……。
他にもこの領で聞いた覚えのある名前がズラズラ並ぶ絵本に、私の背中には冷や汗が止まりません。
そうなんですよ……この絵本【邪神討滅伝】には、なぜか【金狼旅団】の描写だけがやたらと細かく描かれていて……それで幼いころの私の記憶にも微かに残っていたのです。
うろ覚えだった記憶が補完されて震える私の耳元で、いつの間にか背後に回っていたアリアさんが囁きます。
「それで? リドリーちゃんはその絵本をどうするつもりなのかしら?」
「!?」
御伽噺の世界の住人から話し掛けられて、私は正直に答えました。
「の、ノエル坊ちゃまに読み聞かせようと思いまして……」
「あら……それはダメよ?」
私の言葉を聞いたアリアさんがクイッと指を振ると、私の手の中から絵本が浮かび上がってアリアさんの手へと渡ります。
「うちの団長ちゃんと副団長ちゃんはこの絵本が大嫌いなの。ラインハルトのバカが脚色しまくったせいで、恥ずかしい二つ名が広まっちゃったんだから」
ラインハルトというのは、この国の国王様のお名前です。
もちろん私は国王様をバカ呼ばわりしたアリアさんの発言を、聞かなかったことにしました。
「……か、かっこいいと思いますよ?」
パコッと私の頭を優しく絵本で叩くアリアさん。
「そう思えるのは若いうちだけなの」
その姿は絵本に出てくる妖艶な魔女そのもので……私はしばし見惚れました。
アリアさんは取り上げた絵本をカウンターの向こうにしまうと、新しい絵本を取り出して私が抱える絵本の山に乗せてくれます。
「ノエルちゃんに読んで聞かせるならこっちの絵本にしときなさい。神古紀から神戦紀の正しい神話が記されているから」
そう言って渡されたのは見慣れぬ絵本でした。
神古紀とか神戦紀ってなんでしょう?
表紙に施されている見事な装飾を見るに……これって王族とかが教育に使うやつじゃないですか?
超高級品を抱えてプルプル震える私にアリアさんは冷たく微笑みます。
「ところで……さっき目にした二つ名は忘れたわよね?」
「………………ひゃい」
もちろん私は壊れた玩具のように首を振りました。
そして満足そうに頷いたアリアさんは、なぜか私の全身を興味深そうに眺めてきます。
「ところでリドリーちゃん……あなたって魔法使いの素質があるんじゃないかしら?」
……いえ、そういうのはもう間に合ってます。