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第45話  忍び寄る魔手





 SIDE:イヌ耳冒険者



 ミストリア王国で活動する冒険者は、強くなればなるほど北方へと拠点を移していく傾向がある。


 それは単純に北方のほうが魔物が強いというのもあるし、また、私のような獣人にとっては北部辺境域に憧れの冒険者が暮らしているというのも理由のひとつだった。


【金狼旅団】の初代団長、【閃剣】のラウラ様と言えば獣人では知らぬ者がいない生ける伝説だ。


 彼女の剣の一振りは山を崩し、海を割り、魔物のスタンピードを咆哮ひとつで押し返したなんて逸話まで残っているが、実際に【閃剣】を見た者が言うには、彼女の逸話はどれも控え目に語られているらしい。



 真実を語るとあまりにも現実味がなくなるから、吟遊詩人ですら自重する。



 冒険者の両親を亡くした私に斥候の技を叩き込んでくれた恩師によれば、【閃剣】とはそれほどの超越者なのだとか。


 5歳で剣を取り、山賊の一団を殲滅し。


 10歳の頃には【金朱】の冒険者として認められ。


 20歳になる前に定命の壁を破って【聖銀】の仲間入りをする。


 最終的には冒険者としての最高位【緋金】まで昇り詰め、7人いる冒険者ギルドのグランドマスターの1席を務めた真の英雄。


 さらには金月神様の祝福を持ち、使命を受けて邪神すら討滅してみせたのだから、彼女は我ら獣人族の誇りだった。


 彼女の英雄譚に憧れて冒険者になった獣人は数え切れないほどいるだろう。


 そして私も、そんな伝説の背中に憧れた夢追い人のひとり。


 自分で言うのもなんだけど、16歳で【金朱】になっている私はかなりの才能があるほうだと思う。

 残念ながら剣は苦手だから【閃剣】にはなれないだろうけど、いつか金狼旅団の斥候担当である【音無】みたいな達人になりたい。


 そんな夢を持つ私は、他の冒険者たちと同じように強くなるほどミストリア王国の北を目指し、遂には最果ての地であるオルタナの街へと辿り着いた。


 この街は獣人冒険者にとって『聖地』と呼べる場所だ。


 ここより北には北部辺境域と呼ばれる土地があるが、そこに住む者たちは定命の壁を超えた【聖銀】以上の冒険者だけ。


 べつに【聖銀】以上でなければ住めないという決まりはないのだが、あまりにも生息している魔物が強すぎるせいで、自ずと一握りの強者しか住めなくなっているのだとか。


 そしてそんな天険の地――北部辺境域を纏めているのが、ラウラ様たちが立ち上げたエストランド家だった。


 爵位こそ最下級の騎士爵でしかないが、ミストリア王国においてこの家のことを知らぬ者はよほどの阿呆くらいだろう。


 かつて北方から飛来する【棘尾飛竜】から国土を守るために造られた【オルタナ砦】。


 そこはミストリア王国において常に頭痛の種だった。


 ワイバーンを狩るためには精鋭の騎士が30人くらいは必要となるが、戦って生き残れるのは半数程度。


 砦の防衛設備を使えば損害は減らせたが、それでもたびたび飛来するワイバーンたちにオルタナ砦には屍の山が積み上がり、彼らの死体がワイバーンを呼び寄せないように当時のオルタナでは地下室に遺体を並べていたらしい。


 そんなことをすれば兵の士気が下がるが、遺体を燃やすとその匂いがまたワイバーンを呼び寄せるため、どうしようもなかったのだとか。


 常に死と隣り合わせで劣悪な環境から逃げ出す騎士が続出したが、この地でワイバーンを止めなければ国土が荒らされてしまう。


 そのため昔はミストリア王国全土から【オルタナ兵役】と呼ばれる徴兵が行われ、各地の領主たちはオルタナ砦に私兵を派遣することが義務付けられていた。


 生きて帰ってくる者は2割。


 そしてその2割もほとんどがワイバーンとの過酷な戦いに精神をやられて、帰ってくる頃には廃人のようになっている。


 いつしかオルタナ砦に兵を送ることは生贄のような行為として捉えられ、騎士たちは北に送られることを何よりも恐れた。


 しかしある日、そんなオルタナ砦に現れたのがラウラ様たち金狼旅団。


 彼女たちはオルタナ砦の北に子育てのための開拓村を作ると言い放ち、騎士たちの制止も聞かずにそのまま北部辺境域に住み着いた。


 それからオルタナ砦に飛来するワイバーンの数は激減し、そこでようやくオルタナにいた騎士たちはラウラ様たちエストランド家の思惑に気付いた。



 自らが人柱となってミストリア王国を守護する。



 邪神を共に倒した国王陛下への友情の証か、それから幾度となくエストランド家には騎士を派遣する提案が出されたが、誇り高い彼らは「肉を取られては困る」と冗談で返し、一切の援助を受け付けなかったという。


 それからエストランド家の周りには、彼らを慕う凄腕の冒険者たちが住み着くようになり、オルタナ砦には滅多にワイバーンが飛来しなくなった。


 それからエストランド家についた渾名は『北部辺境伯』。


 王都に顔を出す義務がない騎士爵のまま、ミストリア王国を護る北の守護神。


 騎士と民衆に愛される最も高潔な貴族。


 と、まあ……私が知っているこれらの情報は、オルタナの街に住む年寄から聞いた話だけど、この街においてエストランド家が神様の如く敬われていることは事実だった。



 やっぱりラウラ様は凄い!


 私もいつかは彼女みたいな偉業を成し遂げてみせる!



 しかしオルタナにやってきて一ヶ月。


 私のそんな意気込みも長くは続かなかった。


 流石は天険の地と謳われるだけあって、オルタナの周辺にいる魔物はとても強い。


 ただのゴブリンでも上位種が出ることが当たり前で……他の獣人冒険者とパーティーを組んで素材採集をしている最中、私はゴブリンアサシンが放った呪矢を太ももに受けてしまった。


 どうにか依頼は終わらせたけれど、私の傷と矢を見てパーティーのリーダーは顔を青くした。


 呪矢の厄介なところは普通のポーションが効かない【不治の呪い】がかけられていることだ。

ゴブリンシャーマンによって作られたこの悪辣な矢を受けると、特別な聖水や一握りの聖職者しか使えない浄化魔法を用いなければ傷が治らなくなる。



「……お前は今すぐオルタナから離れたほうがいい……これは高位の回復魔法でないと治らない……」



 しかしオルタナの街の神殿はがめつく、聖水の販売や浄化魔法の使用を求めると多額の献金を要求されるのだとか。


 最初は別の街に行って呪いを解くことも考えたが、浄化魔法が使える聖職者がいる街となると、最悪王都まで戻らなければいけなくなる。


 一か八かの可能性に賭けて、なけなしのお金を集めてオルタナの神殿を訪れた私は、そこにいた堕落した聖職者たちに絶望した。



「聖水が1瓶で金貨12枚ってどういうことよ!?」



 金貨を見せることでようやく通された応接室、対面のソファに埋もれた脂肪の塊みたいな司祭に私は声を荒げる。


 王都なら金貨1枚で買えるものを、10倍以上の値段で売りつけてきた聖職者は、趣味の悪い指輪をたくさんつけた太い指で聖水の瓶を揺らした。



「べつに無理に買えとは言わんがね……私が見る限り、その傷は急いで浄化したほうがいい。呪矢を受けて肉が腐り始めると、ここから王都に戻るには時間が足りないからな」



 お金を集めるために2日も時間をかけてしまったことが失敗だった。


 新しい土地に来たばかりで出費が嵩み、少し働かなければ聖水を買えそうにないと判断した私は、怪我をした身体で無理を押して金策に走ってしまった。


 完全に足元を見た司祭は光輝く聖水の瓶を引っ込めると、代わりに鈍く光る水が入った瓶を取り出してくる。



「まあ、金が無いと言うなら、こちらの『低級聖水』を売ってあげましょう。見習いが作った品ですが、少しは呪いを抑える効果があるかと」



 そう言って机に置かれたのは低級聖水とかいう物が入った瓶と、色街にある娼館に身売りをするための契約書……。



「っ!?」



 頭に血が昇った私は用意した5枚の金貨を机に叩きつけて、低級聖水が入った瓶だけを引ったくって神殿を後にした。


 教会から離れ、人気の無い路地裏へと入ったところで、低級聖水の瓶を取り出して中身を改めてみる。


 ……あんなクソ聖職者に渡された薬なんて使いたくはないけれど、今は他に頼るものがないから試してみるしかなかった。


 聖水の中に不純物がないことを確認してから、恐る恐る瓶の蓋を開ける。


 匂いを確認したが無臭だったので、試しに少しだけ傷口へと垂らしてみると、すぐに痛みが引いていくのがわかった。


 しかし胸を撫で下ろしたのも束の間。



「――うあっ!!?」



 全身に鳥肌が立って、私は思わず低級聖水の瓶を路地裏の壁へと投げつけた。


 瓶が割れ、大金で買った薬が地面へと吸われていく。


 なにが起こったのかはわからない。


 わからないけれど……この聖水を使ってはならないことだけは本能的に確信した。


 獣人は勘が鋭い種族だ。


 昔から何度もこの直感に救われたことのある私は、割れた瓶と自分の傷口を見て冷や汗を流す。


 少量だが自分の体内に入れてしまったコレはなんだったのだろうか?


 心の奥底から恐怖が這い上がってくるが、今の私にはどうすることもできない。


 本当に少ししか使ってないから大丈夫だと自分の心を励まして、自慢の尻尾を力なく垂れ下げた私は宿へと戻った。




 それからは地獄の日々が始まった。


 太ももの傷の痛みを感じるたび、頭の中に生まれたもうひとりの私が、聖水への甘い誘惑を囁いてくる。


 路地裏で感じた痛みが引いていく快感。


 脳裏で囁く新しい自分がもたらす背筋が凍えるほどの全能感。


 動く度に心が聖水を求め、仕事をすることもできず、装備を売り払っても生活費が工面できなくなった私は、遂に宿屋からも追い出された。


 ……もうどれだけ食事を摂ってないのかもわからない。


 頭にあるのは太ももの痛みと、あの鈍い光を放つ聖水のことだけ……。


 もしもこの身体を売れば、あの聖水をもう1度手に入れることができるだろうか?


 そんな甘い誘惑から逃げるために私は理性を振り絞って歩き続けた。


 痛みを感じると聖水のことを思い出してしまうが、太ももが千切れそうなほどの激痛が正気を取り戻させてくれる。


 そうして朦朧とした意識のまま街を彷徨っていた私の耳に、不意に鐘の音が響いた。



 カラーン、カラーン、カラーン。



 3回……この意味はなんだっただろうか?


 ああ、そうだ……確かワイバーンが無事に討伐されたことを伝える鐘……そして今はエストランド家の者が街を訪れた時に鳴らされる鐘……。


 不意にモヤがかかっていた頭がハッキリして、北門のほうに目を向けた私は、そこにひとりの英雄がいるのを見つけた。


 赤髪の狼獣人。


 その姿は冒険者の酒場で何度も聞いた【血飢】のそれとピッタリ一致した。


 広場にいるオルタナの住人たちが膝を突いていく、私も気がつけば膝を突いて頭を垂れていた。


 冒険者として【金朱】まで至ったからこそわかる……圧倒的な力の差。


 まるで真龍のごとき力を秘めた狼獣人の女性は、背後にいる者たちへと声をかける。



「それでは坊ちゃまぁ、まずは冒険者ギルドに行く感じでよろしいでしょうかぁ?」


 ざわっ!



 その言葉に広場にいる住人たちが騒めいた。


 坊ちゃま……?


 エストランド家の大幹部である【血飢】がそう呼ぶということは……ラウラ様の御子息様!?


 私の予想を肯定するように【血飢】の後ろにいた黄金の鎧を纏った大男が雄々しい声で返す。



「ああ! まずは例の件から済ませてしまおう!」


 ざわわっ!



 再び騒めくオルタナの民。


 ラウラ様のもとに新たな子供が生まれたという噂は聞いていたけれど……まさかお会いすることができるとは思わなかった。


 思わず私も顔を上げ、英雄の御子息を必死で目で追った。


 大きな身体に、逞しい足取り。


 エストランド家に生まれた子供は国や冒険者ギルドの重職に就いていると聞くが、新たな御子息も間違いなく英雄の素質を持っていた。


 鎧の中から溢れ出す膨大な魔素に、民たちが圧倒されている。


 しかしそうして不躾に御子息の姿を目に焼き付けていると、黄金の鎧の肩に腰掛けた少女から凄まじい殺気が放たれた。



「――控えなさい」



 まるで天が落ちてきたかのような巨大なプレッシャー。


 少女は御子息様の従者なのか、御子息様へと視線を注いでいた者だけを選んで圧をかけている。


 ……存在の次元が違う。


 人と神ほども離れた力の差を実感し、私は必死で地面へと額を擦り付ける。


 そして頭から聖水のことがすっかり掻き消され、私の意識が完全にハッキリしたころ、頭上から思わぬ声が降ってきた。



「ん? そこのお前! その足はどうした?」


「!??」



 話しかけられちゃった!?


 慌てて頭を上げた私は血の気が引いていくのを感じながら言葉を紡ぐ。



「……あ、あの……ご、ゴブリンの呪矢に……撃たれて…………」



 緊張しすぎてまともな言葉を使えなかったけど、御子息様はまったく気にしなかった。



「そうか! ついてなかったな! 次からは気をつけろよ!」



 温かい御言葉をいただき、涙が零れそうになる。



「……は、はひっ…………」



 返事が震えてしまったが、死出の旅路のお土産として、私は素晴らしい思い出をいただいた。


 冥府で師匠に会ったら、この時のことを自慢してやろう。


 そんなことを考える私へと御子息様は思いがけない行動に出た。



「――【覇王の祝福(キングズ・ヒール)】!」



 神が顕現したのではないかと思うほどの光の柱が空へと伸びる。


 唐突に放たれた高位回復魔法に広場で成り行きを見守っていた民衆たちは瞠目し、広場を満たす聖なる光に包まれて私の身体から呪いと痛みが溶けるように消えていった。



「……あ……き、傷が…………」



 包帯をずらして確かめると、私を蝕んでいた傷はすっかり消え去り、死の気配で冷え切っていた身体の奥底から命が湧いてくるのを感じる。



「どうだ? 楽になったか?」



 気さくに声をかけてくださる御子息様に、私は泣きながらお礼を繰り返した。



「…………はいっ! ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」



 この御恩は絶対に返さなければ!


 装備を売り払ってしまったから少し時間はかかるかもしれないけれど、お礼のお金を受け取ってもらうことはできるだろうか?


 なんなら身体で払っても構わないのだが……そんな提案をするのは失礼だろうか?


 どうして恩返しをすればいいかと考える私に、しかし御子息様は更に意外な行動に出る。



「おい! リド! 金を寄越せ!」


「くっ……くくっ……ほどほどにしておけよ? アーサー」



 アーサー様というのですか……素敵なお名前……。


 そして恩人の名前を知ることができて恍惚とする私の手を取り、アーサー様は数枚の金貨を……。



「ほら! これで美味い物でも食え! お前はちょっと痩せすぎだ!」


「えっ!? ええっ!?」



 ちょっと待って!?


 命を救ってもらった上に、こんな大金まで貰えないよ!


 必死で返そうとするも力強いアーサー様にムリヤリ金貨を握らされ、彼はマントを翻して颯爽と立ち去ってしまう。



「それでは皆の者! 騒がせてすまなかったな! 我々は先に行くから楽にしてくれ!」



 ドキドキと高鳴る胸を押さえて、その偉大な後ろ姿を見送る。



 絶対に、絶対に……この御恩をお返ししなくては……。



 お金や身体なんかじゃまったく足りない。


 たとえこの魂を捧げてでも、一生を捧げてでも、彼に恩返しをするのだ!




 それが私と未来の大英雄――アーサー・エストランド様との出会いだった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] ラウラ 「邪神討伐すんのにみんな不老種になっちゃった。食費が大変 」 ↓ 「おっ!お肉がいっぱい飛んでる、ここいいじゃん?」 団員 「さすが姉御っす!あと、他の限界突破しちゃった大飯…
[一言] >凄まじい殺気 軽くって言ったじゃないですか。やだー! >アーサー・エストランド様との出会いだった。 そもそもアーサーに2度目の登場はあるんだろうか?w
[良い点] ギルド長とか今後餌食になる協会のお偉いさんsideの話もぜひ!! [気になる点] >>>爵位こそ最下級の騎士爵でしかないが、ミストリア王国においてこの家のことを知らぬ者はよほどの阿呆くらい…
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