第43話 街への道中
SIDE:ノエル
早朝に歩くというのはどうしてこんなに気持ちいいのだろうか?
エストランド領を旅立ったあと、私たち一行は涼しいうちになるべく距離を稼ぐため、オルタナへと続く街道を早足で歩いていた。
私はオルタナまでの道のりを知らないため、今日は社会勉強も兼ねて空間魔法を使わずに徒歩で移動している。
走れば目的地まで数十分で到着するだろうが、このような街道で走っていると旅人たちに警戒されてしまうため、必要がなければ歩いて移動するのが旅人のマナーらしい。
先頭では道案内も兼ねて歩くマーサさんが、その後ろを行くリドリーちゃんと会話している。
「街で組み手はしませんからね! 騒音が迷惑になりますから!」
「わかってますよぉ♪」
「……なにか変なことを企んでいませんか?」
「企んでなんかおりませ~ん♪」
やたらとテンションが高いマーサさんと、それにビクつくリドリーちゃん。
どうやらマーサさんも何かを企んでいるらしい。
そんなメイドさんたちの様子を眺めながら、最後尾でパワーアーマーを歩かせる私は黄金鎧の肩に乗るアイリスへと話しかけた。
「アイリちゃんはオルタナに行ったことがあるのか?」
「……周りに人がいない時は口調を元に戻して」
「あ、はい」
ロールプレイをオンにしていると婚約者が不機嫌になるのでやり直す。
「アイリスはオルタナに行ったことがあるの?」
彼女は王都から来たのだから立ち寄ったことがあるのではないかと思ったのだが、アイリスは優雅に風になびく髪を押さえると、首を横に振った。
「いいえ、エストランド領に来るときには素通りしてしまったから、私もあの街に入るのは初めてよ」
「そっか、それじゃあ楽しみだね? 特産品とかあるのかな?」
前世は都会で生まれてしまったから街中なんて人が多いだけだと思っていたけれど、こうして田舎者として街に行くことになってみると、けっこうワクワクするものである。
コーラ以外にも美味しいものがあるのではないかと期待する私に、アイリスは知っている情報を教えてくれた。
「確かオルタナの街は地竜とワイバーンの素材を加工した武具で有名だったはずよ。それらを求めて冒険者たちが集まってくるから、冒険者向けの商売が活発なんじゃないかしら?」
「地竜って【重肉竜】みたいなやつ?」
うちの領で飼育している草食竜も地竜の一種だったはずだ。
「ええ、北部辺境域で採れる地竜の素材ってけっこう有名なのよ」
北部辺境域というのはエストランド領を含むエキナセア大草原の周囲に存在する領地の総称だったはずだから、おそらくオルタナの街はその取り纏め役なのだろう。
あの大人しい地竜の素材で防具を売っているということは駆け出し冒険者の街とかそんな感じだろうし、引退した冒険者たちが好んで暮らしている北部辺境域と密接な関係を結んでいることは間違いない。
貴族的な表現で言うなら、いわゆる『寄り親』というやつだろうか?
このあたり一帯を牛耳る派閥の長がオルタナの街の領主様で、エストランド領は牛耳られている零細領地のひとつ……みたいな。
村を出る時にやたらと父様が「街で問題を起こさないでね!」と念押ししてきたけれど、派閥の長に睨まれたくなくて必死だったのかもしれない。
……まあ、すでに問題を起こすことは確定しているんだけど……私がやろうとしていることは違法な品を摘発するという、完全に正しい行いだから大丈夫なはずだ。
「へー、うちで採れた素材ってオルタナに卸してたんだ」
呑気に私がそんなことを呟くと、アイリスに首を傾げられた。
「……前に義父様からオルタナとエストランド領の関係性を教わったはずだけど……覚えてないの?」
……まったく覚えていませんでした。
「いやー……どうも僕の頭って興味の無いことはさっぱり覚えられないみたいで……」
調薬や錬金術の知識は一発で覚えたんだけど、貨幣の価値とか貴族関係についてはさっぱりである。
頑張って興味の無い情報を覚えても、後から興味のある情報が入ってくるとトコロテンみたいに押し出されてしまうのだ。
「もう……ノエルったら私がついていないとダメなんだから……」
そうだね……アイリスと夫婦になったら家計や貴族関係については彼女に任せたほうがいいだろう。
そのまましばらく歩き続けて朝日が昇ったころ。
私たちは街道脇で持参した簡単な朝食を取った。
けっきょくイザベラさんとセレスさんの喧嘩は日を跨いだあとも続いていたため、料理長の不在により、台所に置いてあったパンにカットステーキを挟んだだけのサンドイッチがメニューである。
「ほらほらぁ、リドリーちゃんもたくさん食べてぇ♪」
「そ、そんなに食べられませんからっ!」
口ではそんなことを言っているものの、ステーキサンドを20個ほど押し付けられて、リドリーちゃんのお腹はキュルキュルと可愛い音を立てた。
「…………」
正直なお腹にメイドさんの顔が真っ赤になる。
「大丈夫ですよぉ!【鬼怪闘法】を使っていれば、これくらい食べられるようになるのはすぐですからぁ!」
「くっ……なんて恐ろしい拳技でしょうか…………」
どうやら彼女は乙女心と食欲を天秤にかけて葛藤しているらしい。
朝食を食べたあとはマーサさんが知っていたメアリーの『日除け』機能を使いながら街への道をまた歩き続ける。
エストランド領ではメアリーの機能開発が一種のトレンドになっているため、マーサさんは井戸端会議でこう言った便利機能の最新情報を仕入れているのだとか。
影から伸びた赤い日傘が私たちを勝手に追尾してくれて、さらには日傘の下に『冷んやりモード』を維持してくれている。
流石に目玉だらけの日傘は目立つから他の通行人が来る時には隠さないといけないけれど、これはなかなかの神機能だった。
「いつもありがとうございますぅ、メアリーちゃん」
「メアリー、大変だったら無理しなくていいからね?」
ぷるっ!
働きすぎの眷属を心配して声を掛けると『大丈夫!』と力強い思念が返ってくる。
いちおう吸血鬼の眷属であるメアリーは闇の中にいる方が快適なはずなんだけど……確認してみると最近は太陽光からもエネルギーを吸収できるようになったらしい。
私がアイリスの血を定期的に吸っていることで、眷属も神聖属性との相性が上がっているのかもしれない。
まあ、ペットは主人に似ると言うし、メアリーも日光浴の気持ちよさに目覚めたのだろう。
そうこうしながら昼前まで移動を続けると、やがて街道の左右を挟んでいた森が切り拓かれて、青々とした麦畑が姿を現した。
風に揺れて波打つ緑の海に、空から落ちてきた入道雲の影が流れていく。
そして目の前に広がった一面の麦畑の向こうには、初めて生で見る石造りの城壁が見えていた。
「街だっ!」
初めてのおつかいでテンションが上がっている私は思わず叫んだ。
緑の麦畑に浮かぶ石造りの街。
堅牢そうな城壁の上からは、内側にあるもうひとつの城壁が見えていて、その上には大量のバリスタが並んでいる。
おお……創世神の呪いの気配をプンプン感じるよ……。
どうやらアイリスの呪いをずっと吸っていたせいで、私は甘い呪いの気配に敏感になっているらしい。
甘い香りが漂う街とか、甘味に飢えた子どもとしては期待が膨らむばかりだ。
試しに影の中からメアリーにイビルアイを射出してもらって、上空に打ち上げられた目玉の視界を借りると、街は直径2.5キロメートルくらいの円形に広がっていることがわかった。
内側の城壁は直径500メートルくらいの大きさで、上空から見ると城壁が二重丸のような模様を描いている。
「? なんで内側の城壁のほうがぶ厚いんだろう?」
普通なら外側の壁を厚くすると思うのだが、内側の城壁のほうが倍くらいの厚さがあることに首を傾げると、マーサさんがその理由を教えてくれた。
「オルタナはもともと砦だったんですよぉ。200年くらい前から砦としての機能がほとんど必要なくなってぇ、冒険者向けの商売をするために外側の城壁を築いたんですぅ」
「詳しいんですね?」
マーサさんは街の歴史とかに興味があるのだろうか?
「私たちもオルタナの外壁の建設を手伝いましたからぁ……主に手伝ったのはメルキオル様とアリアですけどぉ」
ああ……そう言えばエストランド領の住人は生き字引なんだった。
見た目が若々しいからときどき忘れてしまうけれど、マーサさんも300歳を超える【不老種】なのだ。
「父様たちが出稼ぎに来たんですか?」
「だいたいそんな感じですぅ」
私の脳裏に汗水垂らして石材を運ぶ父様と、労働者相手に春を売るアリアさんの姿が浮かび上がる。
「今でこそ田舎でゆっくりしているけれど、昔は父様たちも苦労したんだ……」
「……坊ちゃま? たぶんその想像は間違っていると思いますよ?」
うんうん、と自分が恵まれた環境にいることを再確認した私は、続けて空から街を見たついでに地図を作っておくことにする。
「リドリー、羊皮紙ちょうだい」
「? はい」
空間魔法から取り出された羊皮紙を受け取った私は、イビルアイから送られてくる街の画像を影から取り出した血液で再現して、そのまま羊皮紙へと貼り付けた。
あとは錬金術の【乾燥】で血液を固めれば、簡単な地図の出来上がりである。
「これで良し」
「……良くありません」
航空写真を手にして頷く私にリドリーちゃんがビシッとツッコミを入れてくる。
まあ、カラーじゃなくて白赤なのが改善点だよね?
だけど全身鎧の肩に乗って見ていたアイリスは褒めてくれた。
「……すごい。地図ってこんなに簡単に作れたのね」
「うん、初めての街だから作ってみた」
やっぱり地図がないと不安だから即興でやってみたのだが、なかなかいい出来映えである。
影の中のメアリーが物欲しそうな思念を送ってきたから、あとでメアリーでもできるやり方を考えてあげよう。
血液操作で写真を作る部分がメアリーには難しいと思うけれど、他にもやり方はあるはずだ。
そして上空にいたイビルアイが影の中に戻ったところで、地図を覗き込んだマーサさんが困ったような顔をした。
「坊ちゃまぁ……その地図は街中で出さないでくださいねぇ……誰かに見られたら問題になりますのでぇ……」
……せっかく作ったのに?