第36話 魔女の家のお掃除
久しぶりに見た魔女の家はそれほど変わっていなかった。
周囲を石垣に囲まれた、木造平屋建ての一軒家。
人が住むのをやめてしまうと家は急速に朽ちると言うが、魔女の家には【状態保存】の魔法でもかかっているのか建物の劣化はそこまで酷くない。
大きく変化している点を挙げるとすれば、かつて私が穴を空けた納屋の屋根から背中に翼を生やした女性型モンスターが出入りしていることなのだが……。
「……巣になっているわね」
「……ですねー」
目的地の惨状を見て、アイリスとリドリーちゃんが遠い目になる。
あの魔物――【翼女鳥】には百舌に似た習性があるらしく……魔女の家の周りでは大量の死体が枝に突き刺さっていた。
いわゆる早贄というやつだ。
唯一の救いは魔物の死体ばかりで人間の死体がないことだろう。
畜産農家で暮らしているだけあって、死体を見ても女性陣は悲鳴のひとつも上げないが、彼女たちからは確実に『……これを片付けるの?』という空気が漂っていた。
言い出しっぺの私は慌てて解決策を出す。
「だ、大丈夫だよ! 生モノならメアリーが片付けてくれるから!」
ぷるっ!
影から元気に返事をしてくれる眷属が頼もしい。
死体以外の物はメアリーには頼めないけれど、そこらへんは掃除の達人であるリドリーちゃんにお任せすれば大丈夫だろう。
というか【収納魔法】を割ったお皿の証拠隠滅に使っている彼女はガチで掃除のプロだから、なんなら死体の掃除も余裕でイケると思う。
期待しているからね、リドリーちゃん。
納屋だけじゃなくて母屋のほうにもハーピーが出入りしているけれど……私とリドリーちゃんが力を合わせれば乗り越えられない戦いなんてないのだ。
そして魔女と戦った時よりも強大なボスに挑む気持ちになって私が家を眺めていると、屋根の上で周囲を警戒していたハーピーがこちらへと顔を向けた。
「ギュッ!? ギュイッ! ギュイイイイイイイッ!!!」
私たちの存在に気付いたハーピーが耳障りな鳴き声を上げて、ガラスを引っ掻いたような音が周囲に響く。
ハーピーたちは家の中だけでなく周囲の森にも巣を作っていたらしく、その鳴き声に呼応して数百体のハーピーが空へと舞い上がった。
「「うわぁ……」」
シャルさん以外の女性陣から嫌悪と倦怠感が混ざった声が漏れる。
……いや、わかるよ?
生き物って群れになると途端に気持ち悪くなるからね。
テレビ画面を通してみるならまだしも、生で遭遇すると群れの生理的嫌悪感は尋常ではない。
「ふっ……これだから若い娘は頼りないのじゃ……行くぞ主君! 今こそ妾と主君の力を見せてやるのじゃ!」
シャルさんはやる気のようだが……空中を縦横無尽に飛行するハーピーたちを始末するのに必要な労力を考えてしまうと……私もまともに戦う気にはなれなかった。
「仕方ない……」
これの相手をシャルさんとしていたら日が暮れてしまうと判断した私は裏技を使うことを決意する。
「……主君?」
普段の戦闘では自己鍛錬のために使わないようにしているのだが……これからゴミ屋敷の清掃を手伝ってもらう仲間たちの士気を維持するためには、早急なハーピーの排除が必要だった。
私は、パン、パン、と手を叩いてから、影の中の眷属へと指示を出す。
「メアリー、『ご飯ですよ!』」
そして戦闘を迅速に終わらせたい時のために設定したキーワードに反応し、制限を解除されたメアリーは、森の影から無数の触手を空へと伸ばした。
ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ!
あっという間に真っ赤な触手が空を埋め尽くす。
地面から生えた数百本の巨大な触手は表面に浮かぶ眼球でターゲットを捕捉すると、狂乱して逃げ惑うハーピーたちを器用に捕まえて、生きたまま触手の内側へと飲み込んでいく。
そしてかわいい眷属の食事シーンを眺めることしばし。
ぷるっ!
空にいるハーピーを全て呑み込んだメアリーは、静かに影の中へと触手を引っ込めた。
ついでに枝に刺さった死体まで回収してくれる眷属の仕事っぷりが優秀すぎる。
「これで良し」
そして私が満足して頷くと、
「――良いわけありませんっ!」
「あいたっ!?」
なぜかパワーアーマーの頭部に拳骨が落とされた。
「なんですか!? あのメアリーちゃんの大きさはっ!?? ちゃんと面倒見るって言いましたよね!?」
「……いや、ちゃんと面倒見ていたから大きくなったというか…………」
私の反論に、リドリーちゃんは、フンス、と仁王立ちしてお説教してくる。
「大きくしすぎですっ! 少しは限度ってものを知ってください! 食べ過ぎてメアリーちゃんが病気になったらどうするんですかっ!?」
自分も嬉々としてメアリーに餌を与えていたくせに……。
しかし賢い吸血鬼である私は、さらなる鉄拳制裁を回避するため、素直に返事をする。
「はーい」
まあ、反省したところでメアリーはすでにエストランド領のゴミ処理を担当してしまっているから、増加速度が減速することはないと思うけどね……。
そもそもメアリーは個体数を増やして大きくなっているだけで、太っているわけではないから問題ないのだ。
さっき地表に出てきた触手も氷山の一角にすぎず、無限に広がる影の世界にいるメアリーの本体はもっと大きかったりする。
……最近ではどこまで大きくなるのか楽しくなってきていたから、そこのところだけは反省しよう。
影の世界に入り切らなくなったら流石にマズいからね。
そしてペットの飼育方法について反省を終えた私は、悲し気な視線を感じながら魔女の家へと足を踏み入れた。
「…………主君……っ!?」
……まったく活躍の機会を作れなかったシャルさんには本当に悪いことをしたと思っています……。
◆◆◆
SIDE:リドリー
坊ちゃまに案内された秘密基地予定地は、色んな意味でヤバい物件でした。
まずは単純に見た目がヤバいです。
小さな街くらいなら簡単に滅ぼしそうな数のハーピーを倒して家の中に足を踏み入れると、そこには大量の腐肉と骨が転がっていました。
ほとんどは魔物の死骸ですが……よく見ると少量の人骨なんかも転がっていて……とても不気味な汚屋敷に目眩がしてきます。
「……なんというか……これは掃除が大変そうですね……」
床や壁には大量の虫が這い回っていますし……よくこんなところを秘密基地の候補として選びましたね?
「うーん……前に来た時はもう少し綺麗だったんだけどなぁ……みんな黒くてシュワシュワした液体を見つけたらすぐに教えてね? それは凄く危険な物だから……」
全身鎧を影に収納して歩く坊ちゃまにジト目を向けると、坊ちゃまは私の意見に同意することなく謎の発言をして奥へと歩いて行きました。
……なにやら私の直感が危険な気配を告げている気がします。
これは早く引き返したほうがいいかもしれません。
次にヤバいのはこの家の周囲を漂う【燐気】です。
竜巣山脈に近いせいか、この辺りは山脈から流れてくる【燐気】が非常に強くて……魔女の家は常人ならばここにいるだけで少しずつ正気を失っていくような危険地帯でした。
体内魔素を完全制御できる私たちなら影響を受けないはずですが……そのような場所を遊び場にしようとしている坊ちゃまは、すでに頭がやられているのかもしれません。
当然、私は侍女として候補地の変更を進言します。
「……坊ちゃま? この場所はやめて、エストランド領の中に秘密基地を立てるというのはどうでしょう? 少しくらいなら私がお金を出してあげますから、みんなで新しく基地を造りましょう」
私財を投げ売ってでも主人の狂行を止めようとする私に、しかし坊ちゃまは首を横に振ります。
「それじゃあ秘密基地っぽさが足りないよ。こういうのは滅多に人が来ないところに造るから楽しいんだ」
くっ……こんな時だけまともなことを言って!
しかし最もヤバいのは、この家の元家主が【邪術使い】だということです。
これは侍女教育の時にセレスさんから聞いた話ですが、邪術使いとは『この世に存在するありとあらゆる生命を惨たらしく殺し続ける』と創世神に誓いを立てた頭のおかしな連中で、基本的には関わらないことがベストなのだとか。
もちろんそんな邪術使いが住んでいた屋敷が普通の物件のはずもなく、このお屋敷もそこかしこから強力な呪物の気配がプンプンしていました。
「……こんなところに人が住めるのでしょうか?」
遠回しに撤退する意思を主張すると、先を歩いていた坊ちゃまがやけにいい笑顔を浮かべて振り返ります。
「もともと魔女さんが住んでいたんだから大丈夫だよ!」
……人食い魔女を『人』の枠に入れているあたり、やはり坊ちゃまの頭はもう手遅れかもしれません。
というか坊ちゃま……確実に私の逃げ道を塞ごうとしてますよね?
さっきから女の子が帰りたいオーラを出しているのですから、そろそろ紳士として反応しましょうよ!
そして私がわざとらしく「きゃっ!?」とか「ひゃっ!?」とか悲鳴を上げて、虫に驚くフリをしながら奥に進んで行くと、虫とかまったく気にせず進んでいたアイリス様が感想を口にしました。
「少し穢れているけれど造りは悪くないわね……家具は趣味が悪いから全て入れ替える必要があるけれど……掃除と浄化をすればだいぶマシになるんじゃないかしら?」
人の骨や皮で作られた家具を見て『趣味が悪い』で済ませられるアイリス様に、私は同情の念を抱きます。
……こういう時は少し怖がったほうがモテるのですよ?
しかし普通の女の子なら卒倒するような物件を見て前向きに住むことを検討できるあたり、流石は坊ちゃまの婚約者でした。
そんな風に私が感心していると、
「人骨の家具がいらんなら妾がもらうぞ!」
今度は戦闘で使われなかったことに拗ねて坊ちゃまの手を離れ、メアリーちゃんと合体したシャル様が声を上げます。
「デザインが格好良くて少しもったいないが、腹いせに砕いてやるのじゃ!」
前から思っていたのですが……シャル様はちょっと趣味が悪いです。
ご立腹のシャル様に坊ちゃまが何度目になるかわからない謝罪をします。
「……悪かったって」
「ふんっ!」
まあ、シャル様は怒ってもすぐに忘れるので放っておいても大丈夫でしょう。
そこらへんは坊ちゃまも察しているらしく、シャル様の気を逸らすためにも活き活きと仕事を割り振っていきます。
「それじゃあ僕は納屋の屋根の応急処置をするから、シャルはメアリーと家具の片付けを、アイリスは家全体の浄化をお願い……もちろんリドリーは掃除担当ね? それで昼食前にちょっとだけ作業してみて、ご飯を食べながらみんなで情報共有しよう!」
「……うむ」
「……わかったわ」
「…………」
坊ちゃまに頼まれたアイリス様とシャル様が、なにかに気が付いて、そそくさとこの場から離れて行きます。
……やはりそう来ましたか。
ここに来た時から嫌な予感はしていたんですよ……もしかしたらこの汚屋敷の清掃は私の担当にされるかもしれない……と。
坊ちゃまの侍女として雇われている私にとって主人の家を掃除するのは当然のお仕事ですから……こうなるのは自然な流れでした。
しかし汚屋敷の清掃をやりたいかと言えば……当然そんなものはまったくやりたくないわけで……私は侍女の矜持と面倒な仕事の間に挟まれて、ここに来たことを激しく後悔しました。
――秘密基地という素敵な響きに釣られた自分が憎いっ!
決して目を合わせようとしない私の顔を、坊ちゃまが粘着質に覗き込んできます。
「……お願いできるよね? リドリーは掃除が得意だもんね? もちろん僕も屋根のほうが終わったら手伝うから……やってくれるよね?」
悪魔のような笑顔で掃除を担当させようとゴリ押ししてくる坊ちゃま。
「くっ…………」
そして侍女として激しく葛藤した私は……仕方なく最終手段を使用しました。
パン、パン。
「……メアリーちゃん、『ご飯ですよ!』」
「あっ!?」
ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ!
真っ赤な触手の嵐が通り過ぎた後に残されたのは、塵ひとつ無く綺麗になった室内と、私にジト目を向ける坊ちゃまがいて……。
「……リドリー…………」
「………………」
偉そうにお説教をかましておきながら、さっそくメアリーちゃんに大量のご飯を与えてしまった私は、その場で片膝を突いて坊ちゃまに頭を差し出しました。
「……本気でいくからね?」
「……もちろんでございます」
いちおう拳骨を覚悟していたのですが……優しい坊ちゃまはデコピンで勘弁してくださるようです。
たとえ拳骨でも坊ちゃまの筋力なら痛くないと思うのですが……
「――いたいっ??!」
……血液操作で強化するのはズルくないですか?