第4話 新米侍女の苦悩
もうひとりの主人公、リドリーちゃんの回です。
SIDE:リドリー
27回目の就職活動に向かう私の心には暗雲が渦巻いておりました。
小さいころに冒険者だった両親を亡くし、孤児院に預けられた私は運良くミストリア王家が主催する孤児育成制度を受けることができ、これまで職業訓練施設で侍女としての仕事を学んできました。
怪しい繋がりがない孤児を幼いころから鍛えあげて高貴な方々に仕えさせるという取り組みはずっと昔から続いているらしく、私はそんな素晴らしい取り組みに感謝するとともに、いつか素敵なお姫様の侍女となることを夢見ておりました。
それでいずれは王子様に求婚されちゃったりしてとか……そんなありもしない馬鹿げた夢を見ていたのです。
12歳になるまでは……。
初めて見習い侍女として王宮に足を踏み入れた私は、到着からわずか15分で、自分の足に躓いて廊下に並べられた花瓶のひとつを割ってしまいました。
儚く壊れる私の夢と花瓶。
我ながら鬼神のごときチョップでした。
ぱっくり割れた花瓶の断面を、私は永遠に忘れないでしょう。
幸い花瓶は偽物だったとかで、多額の借金を背負わされることは回避できたのですが、王宮侍女として自分の足に躓く者は不適格だと言われ……落ちこぼれのレッテルを貼られた私は、土下座してお情けで貴族様のお屋敷を紹介してもらいました。
だけど生まれつきそそっかしい私はその後もお皿や花瓶を親の仇のように割りまくり……先輩侍女からお説教をされまくり……雇い主様から解雇されまくり……そして14歳になった今でも職探しの日々を過ごしております。
王宮から追放されるときに多めに渡していただいた手切れ金も底をついてしまったので、次の職場を解雇されたら私は野垂れ死ぬことでしょう。
ここ3日ほどなにも食べていないせいでくっつきそうになるお腹と背中を膨らませるため、唯一の特技である精霊魔法を使用して、私は精霊さんに語り掛けます。
「……お、お水をください」
目の前にプカリと現れた水球をすすると少しだけ元気が出てきました。
精霊さんの優しさたっぷりのお水で喉を潤した私は、休んでいた道端から重い腰を上げて最後の職場に向けて足を進めます。
冒険者ギルドで紹介してもらったその職場は、まさしく地の果てにありました。
私がいたミストリア王国の王都から乗り合い馬車に揺られて2週間、そこからさらに徒歩で1週間……王国の最北端にあるエストランド領が私の新たな職場候補です。
この辺りの地域では引退した冒険者が王国から土地を購入して開拓村を築いているので、そういった家が冒険者ギルド経由で募集を掛けていたのでしょう。
流石にここまでくれば王都で鳴り響いた私の『花瓶クラッシャー』という悪名も届かないでしょうし、雇い主様が交通費を前払いで支給してくれるという条件もあって、私は最後のチャンスをこの職場に賭けました。
そうして長閑な田舎道を歩くことしばし、私はついに最後の職場へと辿り着きます。
そのお屋敷は、お屋敷というより田舎の村長が住むようなこじんまりとした『家』でした。
王宮から村長の家へ……私も堕ちたものです……。
そんな失礼なことを考えてしまった私は、パンッ、と頬を叩いて気持ちを切り替え、素晴らしいお屋敷の門を叩きます。
たとえ小さなお屋敷だとしても仕事は全力でやりますよ!
今回の私は命がかかっているのですから、全力も全力です!
元王宮侍女候補の実力を見せてやりましょうっ!
まあ、まずは面接に合格しなければならないのですが……。
扉を開けて対応してくださった赤髪の狼獣人さんに冒険者ギルドで書いてもらった紹介状を見せるとすぐに雇い主様を呼びに行ってくれて、私はこじんまりとした応接間に通されます。
意外と質のいいソファーや家具を見渡していると、しばらくして扉の外に足音が聞こえて、私はソファの横で直立不動の姿勢を取りました。
ガチャリと扉を開けて入ってきたのは、黒髪金眼の狼獣人さん。
金月神ラグナリカ様の寵愛を感じる美しい御姿に、血まみれの肉切り包丁を持ち、血まみれのエプロンを掛けたその人は、私の姿をひと目見ると短く告げました。
「……採用」
……採用されてしまいました。
いえ、外の様子を見れば家畜を解体していただけだと理解はできるのですが……それでも血まみれの雇い主というのは怖すぎます……。
全身から突き刺さるような覇気を発する血塗れの狼獣人さんから全力で逃げ出したいのですが、採用されてしまったからには逃げることができません。
小動物系の獣人である私は、強そうな肉食獣人さんに本能的に屈服してしまうのです。
「今日からお前はノエルの世話係だ」
続けて告げられた仕事内容に、私は肉切り包丁で解体されないよう丁寧に言葉を発します。
「……ご質問よろしいでしょうか?」
「構わん、普通に訊け」
言葉が少ない新たなご主人様は元冒険者らしく、貴族のような回りくどいやりとりは好まない様子です。
私は言われたとおり、率直に訊きました。
「ノエル様というのは?」
「私の子供だ。昨日生まれた」
新しい雇い主様は、子供が生まれた次の日から働いていました。
そうして血塗れの身体を清めた雇い主様――ラウラ様に案内されて、私はノエル様と初めての面会をさせていただきました。
ベビーベッドでこちらを見上げる小さな赤子は、見惚れるような漆黒の髪に青と金の瞳を持っていて……それを目にした私の背中にラウラ様が抜いた短剣が押し当てられます。
「念のために忠告しておくが、変な気は起こすなよ?」
「………………ひゃい」
ノエル様の御姿を目にしてしまった私は、すぐに自分が採用された理由を悟りました。
夜空の黒に、金月の金、そして蒼月の青。
双月信仰が盛んなこのミストリア王国において、すべての聖貴色を宿したこの御方の姿はあまりにも尊すぎます。
それこそ教会関係者が知れば誘拐されて聖人に祭り上げられてしまうことでしょう。
つまり私はノエル様の秘密を守るために採用されたのです。
変な気を起こしたら、いつでも喉を切り裂いて、物言わぬ死人にできるように……。
背中に当てられた短剣の感触に私はシクシク涙を流しながら、とりあえず新しい仕事が見つかったことを喜びました。
◆◆◆
それから私は必死でエストランド家の仕事を覚えました。
とはいえ私の仕事はノエルお坊ちゃまのお世話なので、それほど変わった仕事はありません。
子供用の布オムツやシーツを洗濯して、定期的に交換するだけ。
授乳は奥様と先輩侍女のマーサさんが担当してくれるので(私はまだ母乳が出ないので当然ですが)、仕事自体はそこまで多くありません。
ノエル様は種族が吸血鬼なので、太陽光を部屋に入れてはいけないという変わった点はありますが、もともと王宮侍女になるために教育を受けてきた私としては許容範囲内です。
空いた時間で吸血鬼の子育てについても勉強しています。
なにより滅多に泣かないノエル様は、見た目の美しさも相まって、それはそれは可愛らしく……私は少しずつこの職場が好きになっていきました。
食事も美味しいし、口止め料が含まれているのかお給料も高額なので、できれば末永く働きたい……。
しかしそうなると問題になってくるのは私の『おっちょこちょい』です。
新しいこの職場に来てからも私のそそっかしさは治りませんでした。
まだ一カ月くらいしか経っていないのに、割ったお皿の数はすでに両手で数えきれないほどになっています。
くっ……定期的に絡まる自分の足が恨めしい!
しかし幸いなことに新しい雇用主であるメルキオル様とラウラ様は、私がお皿を割ってもクビにすることなく許してくださり、今のところは先輩侍女のマーサさんに軽くお説教をされるくらいで済んでいます。
だけど侍女として矜持はズタボロです。
お皿を割るたびに私の心も割れているのです!
そして今日もまた、私は安皿にエルボーを叩き込んでしまいました。
最近では呆れられているのか、マーサさんにも「メッ」くらいしか言われませんし……私も自分の不甲斐なさが嫌になってきました。
せっかく素敵な職場(命の危険はあるけれど)が見つかったのに、どうして私は失敗ばかりなのでしょう……。
この間もノエル様が鼻血を噴出しているのを見て全力で叫んでしまいましたし……吸血鬼の子供はああなることがあると事前に勉強しておいたのに……適切に対処できないばかりか「手間がかかる」なんてノエル様に八つ当たりまでしてしまった自分が嫌になります。
そうして今日も私はどんよりと曇った心を抱えて、珍しく泣き声を上げるノエル様のもとを訪れ……そこでメラメラ燃えるノエル様を発見しました。
「ぼ、坊ちゃまあああああああああああああっ!??」
もちろん私は絶叫しました。
お世話をしている赤ちゃんが燃えているのですから当然です。
いえ、そんなことを考えている場合ではありません!
なぜか開いているカーテンまで私は全力疾走しました。
お願いだから今だけは転ばないで!
自分の足にまともに動けと懇願したのがよかったのか、無事に私はカーテンまで辿り着き、陽光を遮断するべくカーテンを閉めます。
そして振り返ると、そこにはベビーベッドの上で黒焦げになっているノエル様の姿がありましたが……メルキオル様から吸血鬼の子育てに関する書籍をお借りして目を通していた私は、慌てず近場にあった血液入りの壺を抱え上げました。
大丈夫、まだ間に合うはず!
灰になっていない吸血鬼は再生するのですっ!
そうして壺の中身をベビーベッドにぶちまけると、血液を皮膚から吸収してノエル様の身体は再生していきました。
しかしホッと安堵したのも束の間。
今度は私の絶叫を聞いて駆けつけてきた先輩メイドたちに、私が疑われる番でした。
まあ、そりゃあそうなりますよね……。
普段からそそっかしい私が、坊ちゃまの部屋で空になった壺を抱えこんで、血塗れになった坊ちゃまの前で呆然としていたのですから。
「あっ……ちがっ…………これはちがくてっ……っ!?」
自分の状況を把握した私はどうにか先輩メイドたちに真実を伝えようとしますが、こんな時に限って私の口は上手に動いてくれません。
……これはまた首になるパターンでしょうか…………。
そして流石に眉尻を吊り上げてマーサさんが私を叱ろうとした時、
「だっ!」
私の背後から血液の球が飛んできてマーサさんのエプロンを汚しました。
「ノエル坊ちゃまっ!?」
唐突な坊ちゃまの行動にマーサさんが目を見開いて固まります。
気が付けば、私の周りには3個の血球が浮かんでいました。
それはまるで私を守るように……。
振り返ればベビーベッドから覗く色違いの瞳と目が合って、私はその瞬間に落ち着きを取り戻しました。
明確な意思を持って浮かぶ血球にメイドたちが揃って固まる中、ラウラ様が駆けつけてきて、冷静に状況を確認されます。
「……なにがあった?」
ノエル様が守ってくれているおかげか、今度は落ち着いて話すことができました。
「カーテンが開いていて、坊ちゃまが焼けていました……おそらく血液操作で開けてしまったのだと思います。瀕死の状態でしたので血を使いました」
これまでの職場でも似たような状況はありました。
普段の私のそそっかしさが原因で、他の侍女からミスを押し付けられたり、運悪く貴き方に勘違いをされてしまったり。
「そうか――」
ですがラウラ様は私の言葉を信じてくださいました。
それどころか私の肩に手を置いて、
「――恩に着る。お前が居てくれてよかった」
こんな私に、そのようなお言葉までくださいました。
私を見つめる黄金の瞳には優しさと温かさが満ちています。
……涙が零れそうになりました。
それはずっとずっと、私が求めていた言葉。
誰かの役に立ちたくて、誰かの役に立っているのだと認めてもらいたくて。
だけどどんなに頑張ってもこれまでもらえなかった言葉……。
初めていただいたその言葉に、私はちょっとだけ自信をもらいました。
それから私はマーサさんにも勘違いした謝罪とお褒めの言葉をいただいて、エストランド家の侍女としてちょっとだけ馴染むことができました。
戸惑うこともたくさんあるけれど、私はこの新しい職場でなんとかやっていけそうです。
だから私は血塗れになったノエル様の部屋を眺めて、今度は信愛を込めて呟きます。
「……坊ちゃまは、本っ当に、手がかかりますねー…………」
いくらでも手をかけてください。
エストランド家の新米侍女、リドリー。
私はこの素晴らしい土地に骨を埋める覚悟で、粉骨砕身、働きますっ!
次回もリドリーちゃんの回が続きます。