第34話 王女の骸と女騎士
SIDE:イザベラ
国王陛下にノエル様の報告を行った数日後。
元暗部の長として極秘任務を受けた私は、憎きセレスとともにオルタナの街にひとつの荷物を届けに向かっていました。
エストランド領から最寄りの街となるオルタナは、エキナセア大草原で取れる薬草や魔物素材で潤う冒険者の街です。
朝のオルタナを目立たぬ格好で歩き続けた私たちは、やがて西門からやや離れた路地裏に看板を掲げる小さな商店――『グランツ商会』の前で歩みを止めました。
「この店です」
「ん、早く済ませる」
……いちおう我々が受けているのは国の未来を左右するような重大任務なのですが、相変わらず緊張感のないセレスは欠伸なんてしています。
どうせまた読書に夢中になって夜ふかしでもしたのでしょう。
彼女の美しい褐色の肌が荒れてしまったら世界にとっての損失ですから……帰ったらちゃんと私がケアをしてあげなければなりません。
まったく余計な仕事を増やして……本当に困った女です!
「少しは顔を引き締めなさい。いちおう我々は喪に服している最中なのですから」
「……中に入ったらちゃんとするし」
やる気のない同行者に私は小さく嘆息し、オルタナの街で王家の密偵の拠点となっている商会へと足を踏み入れました。
『閉店』の看板が掲げられた扉を押し開けると、店内には冒険者向けの道具や消耗品が所狭しと並んでおり、その奥に2人の人影が直立不動の姿勢で待っています。
ひとりは男。
このオルタナの街で密偵として活動している『グランツ』は、引き締まった顔立ちをしたダークエルフで、密偵としては下っ端ですが、確かな実力を認められて王女殿下付きを認められた有望株です。
もうひとりは女。
私と同じエルフ族の彼女――『シェリル』は、ミストリア王国の北部辺境域で活動する密偵たちの取り纏め役でした。
2人とも先々代の暗部の長であるセレスが入ってきたことで動揺が目に現れます。
「未熟、こんなやつらに荷を任せられるの?」
いつの間にか完璧な無感情を顔に貼り付けて若い密偵たちを評価したセレスに、シェリルとグランツは片膝を突いて頭を垂れました。
「失礼致しました。御大」
王家の影として感情を気取られるのは確かに失点ですが……しかし、暗部の創設者が唐突に現れたのですから、表情にまで動揺を出さなかった2人はよくやったほうでしょう。
「まあいい。空間魔法が使える者は?」
……本来ならば先に2人が本物の密偵かどうかを確かめるのが手順なのですが、セレスは勝手に仕事を進めてしまいます。
いちおう他国の者が2人に成りすましている可能性もあるのですが……私の師でもあるこの女は『動きを見ればどこの所属かわかる』という意味不明な特殊能力を持っていて……セレスがいたころの王宮は『間者の墓場』とまで言われていたくらいですから、2人に問題はないのでしょう。
セレスの問いにはシェリルが答えました。
「収納だけなら」
「容量は?」
「3.6メートル四方です」
「よろしい」
2メートル四方以上の収納魔法を使えるシェリルは非常に優秀と言えるでしょう。
ミストリア王国の暗部でも20人いるかどうかと言った貴重な人材で、10メートル四方以上の収納魔法を使えることが、暗部の長となるための最低条件でもあります。
密偵にとって空間魔法ほど便利な魔法はありませんから、後進がきっちり育っていることにセレスは無表情のまま頷きました。
「それでは『荷』の確認を」
そのままセレスは2人の前に空間魔法から蓋の無い棺を取り出し、その中で眠る少女の死体を見せつけます。
「「っ!??」」
銀髪で、全身の肌が腐った少女の死体。
その痛ましい姿を見た2人の瞳が深い悲しみを湛えましたが、今度はセレスも2人の動揺を指摘することはありませんでした。
影として忠誠を誓った主が自分よりも先に棺に入る。
アイリス様の場合はどうしようもなかったこととはいえ、2人の悲しみは想像を絶するものでしょう。
この死体がメルキオル様に造っていただいた偽物だとわかっている私ですら、その光景には顔を顰めてしまったのですから、私とセレスは2人に少しだけ心を整える時間を与えました。
残念ながら、彼らレベルの密偵には真実を話すことはできないのです。
「……確認、しました」
15秒ほどでシェリルが声を絞り出し、セレスが棺に蓋をして、淡々とした声音で素早く指示を飛ばします。
「――荷を収納したら、王都まで止まらずに走れ、我々3人は足止め」
そこでようやく店の外に人の気配があることに気付いたのか、弾かれたように顔を上げたシェリルが棺を収納し、セレスの開けた【転移門】から街の外へと飛び出していきます。
悲しみに飲まれて敵の接近に気づかなかったのは減点ですが、指示を受けてから実行に移すまでの速さは及第点と言ったところでしょう。
「……もしかしてわざと気取られました?」
棺を取り出すとき、やたらと雑な魔法の使い方をするから不思議に思っていたのですが、まったく周囲の魔力を揺らさずに【転移門】を閉じたセレスは肩を竦めます。
「なんのことやら」
いちおうこの店は密偵の拠点なのですが……チラリとグランツに視線を向けると、自分の店を餌として使われた彼は遠い目をしていました。
やがて正面の扉が静かに開けられて、そこから白銀の鎧を着た聖騎士たちが店の中へと入ってきます。
その先頭に立つのは威風堂々と言った佇まいをした緑眼の女騎士。
身長2メートルを超える大柄の女で、軽々と巨大な両手斧を背負っています。
クセのあるショートカットの金髪から【牛人族】特有の角を生やした聖騎士は、セレスの姿を見て軽く目を見開いたあと、親しげに声を掛けてきました。
「おおっ!? 久しいな! 【音無】ではないか!」
「……うげぇ……エスメラルダ…………」
自然に名前を呟いてセレスが情報を渡してきます。
なるほど……彼女が【鈍牛】ですか。
聖光騎士団三番隊隊長――【鈍牛】のエスメラルダ。
複数の神殿を母体に持つ世界最強の騎士団で隊長を務める彼女は、覚醒した【半神】クラスの実力を持っていると聞いたことがあります。
朗らかに笑う女騎士は一歩前に進み出て、胴鎧だけ付けていない胸を張って【牛人族】の豊かな乳房を揺らしました。
「おいおい堅苦しいじゃないか! 前に殺し合ったとき、私のことはエダと呼んでくれと言っただろう?」
「お前と主に殺し合っていたのはラウラ……そんなことも忘れたのか、鈍牛」
「ハハッ! もちろん覚えているとも! いつの間にかお前に脇腹を抉られていたこともバッチリとな! あの時の傷は記念に残してあるんだ! 見るか!?」
「…………見ない」
断ったにも関わらず上着を脱ごうとする女騎士を、周りの聖騎士たちが慌てて止めます。
ちょっとだけ服の下にある巨大な乳房が見えましたが……この女は敵ですね。
深い意味はありませんが、彼女は我らエルフの敵です。
グイグイ距離を詰めてくる彼女がよほど苦手なのか、珍しくセレスが本気で顔を顰めていました。
「……それで? こんな寂れた店に何の用?」
わかりきったことを聞くセレスに、女騎士はニヤリと笑います。
「ああ、ちょっとした風の便りで聞いたのだが……なんでもアイリス王女が他界されたそうじゃないか……彼女こそ『聖剣の担い手』だと考えていた私たちとしては、どうにもその情報が信じられなくてな……率直に言うと、ここには王女の死体を確かめに来た」
「っ!? 貴様っ!?」
不敬な女騎士の物言いにグランツが激昂しましたが、剣の柄に手をかけた聖騎士たちの動きを見て不用意に飛び出すのはやめてくれました。
忠誠心が高いのは結構ですが、まだまだ青いですね。
私は彼を手で制して前に進み出て、無礼な聖騎士たちに殺気をぶつけます。
「……ふざけたことを抜かすと八つ裂きにしますよ?」
前列にいた聖騎士たちが意識を失って倒れ、後列にいた聖騎士たちが一歩後退ります。
そうして私が無礼者の躾とはこうやってやるのだと若手に示していると、後頭部をセレスに殴られました。
「あほ」
「ぐっ…………」
久しぶりに受けた師の拳に脳を揺らされて、私はクソ女騎士を八つ裂きにしようと練っていた魔術を霧散させました。
私の殺気を正面から受けても平然としていた鈍牛は、我々のやり取りをみて高らかに笑います。
「クハハハハハハッ! 活きの良い弟子を育てているじゃないか! どうだお前! 聖光騎士団に入らないか!? 今なら私の部隊の副長にしてやるぞ!」
「……お断りします」
脅すことすらできなかったことに苦々しい顔をして私が断ると、女騎士は肩を竦めて近くに倒れる聖騎士のひとりを担ぎました。
「うむ、残念だ……それじゃあ今日のところは帰るか。ほら、お前たちもこいつらを運ぶのを手伝え……まったくだらしがない連中め……あとでみっちり修行をつけてやらないとだな」
「隊長っ?! 王女の死体を確認しなくてよろしいのですか!? これは他ならぬ聖務ですよっ!?」
聖騎士のひとりが女騎士の行動に異を唱えますが、軽々と3人の聖騎士を担いだ彼女は不敵な笑みを浮かべてセレスを顎でしゃくります。
「そいつが来ている時点で何をしても手遅れだ。王女の生死は『不明』と報告しよう」
そして聖騎士たちに撤退を促して、自然体で殿を務めながら店から出ようとした女騎士は、最後にセレスへと振り返って訊ねました。
「……ところでエストランド領を探ろうとしていた私の部下が、何者かに目玉を盗まれたのだが……犯人に心当たりはないか?」
不思議な質問に、セレスは短く答えます。
「さあ」
それを聞いた女騎士は再び肩を竦めて、
「そうか……邪魔したな」
扉の向こうへと姿を消しました。
そして外から完全に聖騎士たちの気配が消えたあと。
「まったく……1番面倒なやつが送られてきた……」
短く愚痴を零したセレスは、窓から差し込む日光に照らされて壁にできた自分の影へと、静かに語りかけます。
「あいつから『目』を離さないように、だけど近づきすぎてもダメ」
「ハッ!」
自分への指示だと思ったのかグランツが答えましたが、私は彼から見えない位置の壁に、影から血文字が生えてくるのを見逃しませんでした。
『――かしこまりました。セレス師匠』
……どうやら私にはリドリー以外にも、妹弟子ができていたみたいです。