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第32話  アイリス王女、死す





SIDE:ラインハルト



 イザベラが届けた報告書を読んで、私は王宮の執務室で自分の目を疑った。



「……これは本当なのか?」


「間違いありません。精霊の目を通して、私が直接確かめました」



 執務机の横に控える最も信頼できる部下が、力強く首肯する。


 この世界とミストリア王家が抱える最大の問題――【創世神の呪詛】に対するノエル・エストランドの様子を観察するように命じて届けられたその書類には、信じ難い報告の数々が綴られていた。



『アイリス・セラ・ミストリアの呪いを3年以上吸い続けた結果……異常なし』


『刻死樹海にて【邪術使い・奪眼のストレガ】の呪詛を受けた結果……異常なし』


『ストレガが保有していた神級呪物【創世神の血潮】を吸収した結果……異常なし』



 おまけに娘のアイリスが神から与えられた使命を達成したとまで書かれているのだから、これは腹心の部下の正気を疑っても仕方ないだろう。


 むしろ点数稼ぎのために『耳心地の良い報告を捏造してました』とでも言われたほうが、まだ納得ができた。


 おまけにこの報告書……監視対象のノエル坊に見せていたらしく……文末に彼からのメッセージが記されている……。



『――ハルトおじさんへ。できれば【創世神の血】というものを常備したいのですが……おじさんのところに在庫がありませんか?  ノエル』



 そのあんまりな追伸の内容に、私は思わず突っ込んだ。



「美味しい飲み物かっ!!?」



 所持するだけで死刑が確定するような呪物を王宮に置いているわけないだろうがっ!


 これまでノエル坊の耐性に『いつか限界が来るのではないか』と冷や冷やしていた自分が馬鹿らしく思えてくる。


 スー、ハー、と私は深呼吸を数回して冷静さを取り戻し、念のためイザベラへと確認した。



「これらの報告が全て事実なら……ノエル坊の命は私やアイリスよりも重くなるのだが……この記載に誤りはないか?」



 ミストリア王家にとって――いや、この世界にとって『創世神の呪詛に対する完全耐性』というものは、それほど重大な意味を持っている。


 このままノエル坊がアイリスの呪いを吸い続けてくれるだけでも蒼月神の復活が早まるだろうし、これまで封印して隔離するしか対処法がなかった【創世神の呪骸】の一部をこの世から消し去ることは、神々でも為し得なかった救世の奇跡だ。


 疑いの目を向ける私に、しかしイザベラは強い意志を秘めた瞳で断言した。



「誇張や誤りはありません。このような言い方はしたくありませんが……今やあの子の命の価値はミストリア王国よりも重くなりました」



 王宮の執務室でミストリア王国の国王本人に向かって、不敬とも取られかねないことを堂々と宣う部下の姿に、私は全ての報告に嘘偽りがないと信じるしかなかった。


 どうやら私はとんでもない男のところに娘を預けてしまったらしい。



「……私はどうしたらいいのだろうな? この事を全世界に向けて発信し、親友の息子を救世の英雄として祭り上げるか?」



 この世界の住民として、神々から世界の命運を委ねられた【半神】として、わりと本気でノエル坊の存在を公表する選択肢を思案する私に、しかしイザベラはきっぱり首を横に振る。



「それは悪手でしょう。そのようなことをすれば、世界中の【邪術使い】たちが血眼になって殺しに来るでしょうし……なにより坊ちゃまは田舎で静かに暮らすことを望んでいるみたいですから」



 その言葉に私は軽く報告書を叩いた。



「……これが『静かに暮らす』と言えるのか?」



 魔境を攻略して特級賞金首を討伐したとか、伝説の神剣を手に入れたとか……まるで吟遊詩人が歌う英雄譚のような報告書を掲げてイザベラに半眼を向けると、彼女は苦笑して肩まで竦めてみせた。



「坊ちゃまにとってはそれが『静か』なのです。私たちとは見えている世界が違うのでしょう」



 そんなことを言われたせいで、私の脳裏に大波に襲われて騒ぐ私たちと、その傍らで平然と佇む巨大なノエル坊のイメージが過ぎった。


 私たちにとっての大波を、まるで水たまりで起こるさざ波のように足首で受けるノエル坊。


 大波に翻弄される私たちを見下ろしたノエル坊は、さらに水たまりをパシャパシャさせて無邪気に笑うのだ。


 頭を振ってそんな恐ろしいイメージを吹き飛ばし、私は真剣に今後の対処法を考える。



「せめて王都に招くことはできないだろうか……爵位とか勲章ならいくらでも出すから」



 世界の命運を握るような子供を見守る立場の国王としては、できれば軍備の整った王都で生活してほしいというのが本音である。


 しかし私の願望はまたもイザベラによって切り捨てられた。



「これは私見ですが……坊ちゃまにとって爵位や勲章などそこらの石ころと変わらないでしょう。むしろお菓子で釣ったほうがまだ効果があるかもしれません」


「囲い込みも難しいか……」



 これが普通の子供相手なら、国王としての権威で王都に招くくらいはできるのだが……ここに来て娘を婚約者にしたことが大きな問題となっていた。



「ええ、そのようなことを画策すれば、必ずアイリス様の逆鱗に触れますから」



 ……そう、問題はうちの娘がノエル坊にベタ惚れしていることだ。


 女神の末裔であるミストリア王家は、本来なら女王が統治することが望ましいのだが……ミストリア王家の女は必ず『恋狂い』になるからという理由で、私のような男の王族が国の統治を任されている。


 女王に国の統治を任せると、恋した男に国の全てを貢いでしまうからだ。


 ミストリア王家は1000年以上続く歴史の中で、そういった女王や王女の恋愛問題によって幾つもの存亡の危機を迎えており……私は執務机の反対側に積み上げられたアイリスからの手紙に視線を向けて頭を抱えた。



「……いちおう聞くけど、この手紙は?」


「ノロケでございます」



 しっかり首肯する部下の姿に私はさらに深く頭を抱えた。


 適当に一枚の手紙を山から抜き取って目を通してみれば、そこには美麗な文字でいかにノエル坊が素晴らしいのかという解説が長々と書き連ねられていた。


 手紙は新しくなるごとに文字が小さくなっていき、最新の物に至っては文字が小さすぎてパッと見では黒い紙にしか見えない。


 ダメだ……これは本当にダメなやつだ……。


 ミストリア王家の男児は国王になるための教育として、過去の女性王族の醜聞を教え込まれるのだが……アイリスのパターンは『最狂』と言っていいほどヤバいパターンだった。



「これ……下手に手を出したら国が滅びるよな?」



 使命を終えた【半神】というものは、ひとりで一軍を滅ぼし得る兵器として見られる。


 そしてミストリア王家の王女はパートナーへの愛情が深ければ深いほど強力な【半神】となることで有名だった。


 特に【先祖返り】であるアイリスが、どこまで力を強めているのかは私ですら想像がつかない。


 そんなアイリスを近くで見守っていたイザベラは、恍惚とした表情で私が手にする黒い手紙を見つめた。



「はい、最近のアイリス様はまさに蒼月神様の生き写しと言ったご様子で……それはそれは強く美しく成長されております!」



 ……そう言えばイザベラは敬虔な双月教の信徒だったから……下手な選択をするとこいつもアイリスの味方になるのか……。


 はああ~、と深く嘆息した私は、娘からの手紙を机の上に置いて、国王として真面目に今後の方針を思案する。


 ノエル坊のことは基本的に放置するしかない。


 彼の自由を束縛するような選択をすれば、アイリスはクーデターでもなんでも起こして玉座を奪いにくるだろう。


 その時はたぶんエストランド領の連中もアイリスの側に付くから……最悪の想像を私は即座に放棄した。



 無理無理無理無理……ぜったい無理!



 ラウラはもちろん敵に回したくないし、メルキオルだってブチ切れると怖いんだぞ?


 というかあそこの連中をひとり敵に回すたびに、私の胃袋と国家の防衛費を入れた財布には大きな穴が開くだろう。


 つまり私に残された選択肢はノエル坊とアイリスをセットでエストランド領に据え置きとするしかないのだが……そうなると、やはり使命を乗り越えたアイリスの存在が問題になってくる。


 ……だって【先祖返り】の【半神】だよ?


 おそらく将来的には、うちの国の最高戦力だよ?


 そんな兵器と呼ぶべき存在を保有しておきながら、田舎で恋をしているため動かせませんとか……ちょっとシャレにならないだろう。


 我が国に所属する戦略級兵器(デミゴッド)が増えたともなれば、同じ中央大陸に存在する【東部諸国】や【神聖教導国】が黙っていないはずだ。


 できればアイリスには質の高い【抗呪薬】のおかげで【先祖返り】だけど呪いに負けずに生き残ることができたとか理由を付けて、ミストリア王国史上最強の戦争抑止力として働いてもらいたかったのだが……。



「……アイリスは出張とか」


「無理です」



 きっぱり断言する部下の姿に、私は執務机に額がめり込むほど頭を抱えた。


 くっ……こうなったら仕方ない!


 父親としてこの選択だけはしたくなかったが……国のためを考えたらこうするしかないだろう。



「……イザベラ、暗部に通達を回せ」


「ハッ」



 そして雰囲気の変化を察して仕事モードになった部下へと、国王である私は泣きたくなる気持ちを押し殺して、ひとりの親としてあまりにも非道な命令を発した。



「――これよりアイリスには『病死』してもらうことにする」






     ◆◆◆






SIDE:ノエル



 リビングで父様から貰った学会誌に目を通していた私は、少し気になる記事を見つけて対面のソファに座る婚約者に質問をする。



「ねえ……王都で王女殿下が亡くなったらしいんだけど……アイリスって王女殿下と同じ名前だったんだね?」



 学会誌の最初のページには王女殿下の死を哀悼する文章が記されていた。



「ええ、たまたま同じ名前で……」



 アイリスはお姫様然としたテーブルマナーで、優雅に手にしたティーカップを机に置く。


 その顔には深い悲しみの色が浮かんでいて……王女殿下の死に心を痛める婚約者の姿に、私は彼女を慰めようと言葉を続けた。



「……王女殿下とは知り合いだったの?」



 高位貴族の令嬢で名前まで同じならば、それなりに仲良しだったのではないかと思ったのだが……アイリスは少し考えたあと、やんわり首を横に振る。



「……『知り合い』とは呼べないと思うわ。お顔はよく知っているけれど……会話したことすらないから……」


「そっか……」



 高位貴族の令嬢でも知り合えないとか……やはり神の血を引いた王族というのは、私みたいな木端貴族の息子では顔を見ることもできないような貴い存在なのだろう。


 それでも殿下の死に心を痛めているアイリスは、世界でも有数の清らかな魂を持っているに違いない。


 私なんてろくに話したことのない親戚の訃報を聞いたところで『法事に行くのめんどくせえ』としか感じないのに……見た目が美しい人は中身まで美しいという理論は正しいみたいである。


 そして幼い命が失われたことに私が目を瞑って黙祷を捧げていると、いつの間にかとなりに這い寄ってきたアイリスに抱きつかれた。



「あのねノエル……実は私、王女殿下の死に関係するやんごとなき事情で、しばらく王都に行けなくなってしまったの……」



 目を開けてアイリスのほうを向くと、憂いを湛えた蒼い瞳が見つめ返してくる。



「それは葬儀とかにも参加できない感じ?」



 高位貴族の令嬢ならば王族の葬式とか強制参加だと思っていたのだが、アイリスは腰まで流れる銀髪をサラサラ振って、王都に行けない理由を話してくれた。



「……私の顔って王女殿下にそっくりなのよ……だから王都に行くと政治的に問題があるみたいで……」


「……そういえばアイリスって先祖返りだったね」



 祖神に血が近いアイリスなら直系の王族と顔が似ていても不思議ではないだろう。


 もしかしたら高位貴族令嬢のアイリスがこんなド田舎に滞在を続けるのも、王女殿下と顔と名前が似ていたことが原因なのかもしれない。



「ええ、だからもうしばらくはこの領のお世話になると思うわ……ざっと300年くらいもあれば、ほとぼりも冷めると思うから……」


「アイリスも大変なんだね……」



 田舎が最高だと思っている私ならばともかく、年頃の女の子が大人の事情で都会に行けないというのは辛いだろう。


 さらには敬愛する王女殿下の葬儀にも参加できないのだから、彼女の悲しみは、心の穢れた私には想像もできないほど大きくなっているに違いない。


 思わず同情の視線を向けると、悲しみと不満を爆発させたアイリスが私の胸元に縋り付いてくる。



「ええっ! ええっ! お父様ったら勝手にこんなことを決めて! 本当に酷いのっ……だからノエルに頭を撫で撫でして慰めてもらいたいというか……できれば膝に乗せて抱っこもしてほしいというか……っ!」



 それからしばらく王女殿下の死と都会に行けなくなったことを悲しむアイリスを、私は撫でたり抱きしめたりして慰めてあげた。



「うふふふっ♪」



 こんなことで幼女の気が紛れるというのなら、お安い御用である。



「まあまあ、アイリス。しばらく都会には行けなくなってしまったかもしれないけれど、田舎には田舎のいいところがあるんだよ?」


「……ほんとうに?」



 瞳をウルウルさせてもっと撫でろと頭を擦り付けてくるアイリス。


 いつになく悲しむ彼女の気持ちを前向きにさせるため、私は密かに温めていた楽しいイベントをアイリスに教えてあげることにした。



「うん、たとえばいっしょに秘密基地を造るのなんてどうかな? 森の中にちょうどいい一軒家があるから、そこを僕たちの隠れ家に改造するんだ!」



 子供なら誰でも喜びそうな計画に、アイリスの顔色が明るくなる。



「二人で愛の巣を作るのね!」



 愛の巣っていうか……幼馴染と秘密基地を作ったら青春っぽいかなと思ったんだけど……まあ、アイリスが楽しそうならなんでもいいか。


 子供らしく一瞬でゴキゲンになった婚約者に、私は適当に返事をする。



「うんうん、そうだよ」



 するとアイリスは悲しみを乗り越えたのか、整った顔に満面の笑顔を咲かせた。



「嬉しいっ! 私、ずっとノエルを囲い込む巣が欲しかったの!」



 まったく……アイリスはまたアリアさんから変な言葉を教わって…………。


 おそらく意味も知らずに不穏な言葉を使う幼女に呆れていると、紅茶の給仕をするため部屋の隅に控えていたリドリーちゃんが、遠い目をして何かを呟いた。



「…………女って怖いですぅ……」




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[良い点] あー……ラインハルトパッパ…とりあえず胃薬と10円ハゲ防止用に…と言うか…ヤンデレの遺伝子、他の方ので薄くなってるはずなのに皆ヤンデレなのやばくね?女限定で…
[良い点] ある程度、情報共有必要じゃね?呪い系とかおやつ代わりに楽しんでますとか…
[良い点] 面白くて一気読みしちゃいました [一言] 応援してます!
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