閑話 シャルティアの華麗なる1日 前編
SIDE:シャルティア
我が名はシャルティア、剣じゃ!
主君の家で暮らすようになってどれだけの月日が経ったのかは忘れてしまったが、今日は妾の最強の1日を皆の者に紹介してやろうと思う。
妾の粋な計らいに感謝するのじゃぞ?
まず、妾の1日は夜明け前から始まる。
「ふぁあ~……」
主君のベッドで目覚め、大きな欠伸を一発かましたら、主君の無事を確認。
うむ、今日も主君は元気に朝寝坊をしておるな!
主君の上に狂愛神の末裔がのしかかっており……唇の1ミリ手前で主君を見つめているのがなんともキモいのじゃ……。
「あら、シャルティア。おはよう」
狂愛神の末裔が主君を見つめたまま挨拶してきたので、妾も挨拶を返してやる。
「うむ、お前さんは相変わらずじゃな!」
この幼女はファーストキスで主君の前歯を粉砕してからというもの、自分からキスすることを自重しているらしい。
その代わりにこうして主君の唇に近いところに唇を置いて、ハプニング的なキスを狙っているようなのじゃが…………発想がイカれてるとしか思えないのじゃ。
「んん~……」
妾との挨拶で主君が動いたのか、二人の唇が軽く触れて、イカレ娘が身体を震わせる。
「……うふっ、うふふっ……うふふふふふふふふっ……これで128回目のキス……ノエルったら私のことが大好きなんだから…………」
……こやつのことを長く見ていると頭がおかしくなりそうなので、妾は早々にベッドから抜け出すことにした。
まあ、主君も頭がちょっとアレなところがあるから、この二人は放っておけばいいのじゃ。
「とうっ!」
気合いを入れてベッドから飛翔した妾は、華麗に床へと着地する。
「ふぐっ!?」
くっ……今日は鼻から着地してしまったが……べつに痛くなどないのじゃ!
そのままゴロゴロ床を転がって移動し、ドアの前で再びジャンプしてドアノブに噛みつけば、頭の重さでガチャリとドアが開き、今日は一発で廊下に出ることができた。
「フハハハハハッ! 見たかドアノブよ! 貴様はもはや妾の敵ではないのじゃ!」
かつての強敵を一撃で屠った事実に成長を実感し、妾は廊下を転がったあと、今度は階段を降りることにする。
ごきゅり……。
声を上げて助けを呼びたい気持ちがこみ上げてくるが、しかし勇壮なる妾は意を決して最初の一段へと飛び出した。
「てやっ!」
勇ましく飛び出した妾の鼻が階段の角へと着地して、そのままゴロゴロ転がっていく。
「――ふぎっ!? ぎゃっ!? ぐへぇっ!??」
……やはり階段はまだ強敵だったらしく、1階に降りるころには妾は目を回していた。
「ぐ、ぐぬぬ……次こそは負けないのじゃ!」
いまだ攻略法の見えぬ強敵との再戦を誓い、妾は1階の廊下を転がっていく。
そして目的の部屋の前まで辿り着くと、妾は周囲に誰もいないことを確認してから、少しだけ身体を生やした。
「ふっふっふっ……」
天井から吊るされている灯りの魔道具に自分の髪を括り付け、そのまま身体を首の中に収納すれば準備は完了じゃ。
特別に片方の眼球をブラブラ垂らし、舌をデロンとさせた妾は、渾身の生首のフリを披露した状態でその時を待った。
少しの時間を置いて部屋の中から人が動く気配がし、やがて水差しを持った寝巻き姿のリドリーが扉を開けて出てくる。
「――ぎゃあっ!??」
天井から吊るされた妾を見たリドリーは尻もちを突いて空の水差しを宙へと放った。
ガシャーン!
くううぅ……これじゃよ、これっ!
妾はこの時のために生きておるのじゃ!
「フハハハハハッ! 目が覚めたかリドリーよ! 今日も修業が足りんな!」
これがなんの修業になるのかは知らんが、とりあえずこう言っておけばだいたい相手が悪いことになると思う。
生首のフリをする時のコツというやつじゃな!
皆の者も真似をする時は使っていいぞ?
「もうっ! またシャル様は私を驚かせてっ!」
立ち上がったリドリーは空間魔法を駆使して割れた陶器を一瞬で片付け、妾の頭を両手で掴んでくる。
前から思っていたのじゃが……割れた陶器を片付けさせたらこの娘の右に出るやつはいないと思うのじゃ。
あまりにも自然な証拠隠滅……妾でなければ見逃していたわい……。
リドリーの洗練された技術に、妾は心の中で称賛を贈った。
「ああ……また床を転がってきたのですね。埃だらけじゃないですか……綺麗にしてあげますからじっとしていてください」
「うむ! よきにはからえ!」
「はいはい」
そうして髪を整えてもらった後は、妾が直々にリドリーの修業を見てやることにしている。
まあ、妾が修業を見てやることなど滅多にないのじゃが、この娘はよく妾の世話を焼いてくれるからお礼というやつじゃな。
着替えを終えたリドリーに裏庭まで運んでもらった妾は、メルキオルに作らせた妾専用のデッキチェアに座って、草原で対峙するマーサとリドリーに声をかけた。
「――始めぃっ!」
振り返ったリドリーがジト目でこちらを見つめてくる。
「……まずは走り込みですから、シャル様はそこで静かにしていてください」
「申し訳ありませんシャル様ぁ、すぐに組手を始めますからぁ」
む……殴り合うのではなかったのか……失敗、失敗。
しばらくリドリーとマーサが飛んだり跳ねたりするのを眺めていると、二人が対峙してこちらにアイコンタクトを送ってきた。
ふう……やれやれ。
妾の出番というわけじゃな。
仕方ないから今日も仕事をしてやるのじゃ。
「――始めぃっ!」
号令と同時に殴り合いを始めるリドリーとマーサ。
妾が号令をかけてやったおかげか、二人ともいい動きをしておる。
特にリドリーの動きは日に日に良くなってきており……どこかで見覚えのあるその動きに妾は首を傾げた。
う~ん……あやつの拳は誰かに似ている気がするのじゃが……誰じゃったかな……?
妾とはそれなりに仲良しだった気もするのじゃが……。
うむ! まったく思い出せん!
そして朝日が昇り始め、調子を上げたリドリーの髪の先端が紅く染まってきたころになって、ようやく二人は殴り合いをやめた。
「――そこまでっ!」
妾の号令で礼をした二人がこちらにやってきたので、妾は適当にアドバイスをしてやる。
「リドリーはもっと魂の囁きに耳を傾けるのじゃ!」
「またそれっぽいことを言って……」
雑なアドバイスにリドリーから再びジト目を向けられてしまったが、こやつは言葉で伝えても無駄なタイプだから仕方ないのじゃ。
続けてマーサのほうには技術的なアドバイスをしてやる。
「マーサは【仙穴気功】の練り方がちょっと甘いのじゃ。丹田の中心に真円を作って、そこに力が流れ込むようなイメージでやると良いらしいぞ?」
誰かがそんなことを言っていたような気がしたのでそのまま教えてやると、マーサはハッとなって妾の前に跪いた。
「ご助言を賜り感謝いたします! 今後も研鑽に励みます!」
「うむ!」
素直でよろしい!
「なんでそっちは具体的なんですかっ!?」
いや、妾ってば剣じゃし。
格闘術にはそれほど詳しくないのじゃ。
早朝の仕事を終えたあとは、リドリーに抱えられて主君を起こしに行く。
「坊ちゃま~! 朝ですよ~! 起きてくださ~い!」
ガチャリと扉を開けて中に入ると、そこではベッドで眠る主君と、その横であたかも『添い寝していただけです』みたいな空気を醸し出す狂愛神の末裔がいた。
イカレ娘が妾に『余計なことを言うな』と視線で釘を刺してきたので、賢明な妾は硬く口を閉ざすことを選択した。
妾もまだ死にたくはないからな!
余計なことは言わないのじゃ!
「またアイリス様は勝手に潜り込んで! 淑女がそんなことしちゃダメじゃないですかっ!」
プンスカするリドリーに狂愛神の末裔は妖しい笑みを浮かべる。
「よかったらリドリーもいっしょに寝たらどうかしら? ノエルの身体って冷んやりしていて気持ちいいのよ?」
「するわけないじゃないですかっ!? 坊ちゃまと添い寝なんてしたら非常識が伝染りますっ!」
狂愛神の末裔に添い寝を許されるのはけっこう凄いことだと思うのじゃが……リドリーは自分が奇跡のような偉業を成し遂げていることに気付いていないようじゃ。
妾の感覚からすると天地が引っくり返るような出来事でも、リドリーにとっては日常茶飯事らしい。
人畜無害そうな顔をして、この娘もたいがい頭がアレなのじゃ。
これは最年長である妾がしっかりせねばと決意を新たにしていると、二人の喧騒に目覚めたのか、主君がゆっくり口を開く。
「……ずいぶんな言い草じゃないかリドリー?」
半目で訊ねる主君に、リドリーは頬を赤く染めた。
「……だって坊ちゃま……ときどき寝惚けて噛みついてくるんですもん……」
リドリーからの意外な発言に、狂愛神の末裔を取り巻く空間からピキッと硬い音が響く。
「……どういうことかしら? 私はまだ寝惚けて噛みつかれたことがないのだけれど? リドリーはいつの間にそんな素敵体験をしていたのかしら?」
急に沸騰したイカレ娘に、リドリーは慌てて妾を盾にした。
「ぼ、坊ちゃまが赤ん坊のころの話ですよ!?」
「うっ……くっ……やめるのじゃリドリーよ!? 妾を視線の盾に使うでないっ! あ、熱っ!? なんかこやつの視線は熱いのじゃっ!??」
なんという眼力じゃ!?
妾でなければ脳天まで貫かれて昇天しておるぞ!!?
「もー……アイリス……朝なんだから、ちょっと静かに……」
「っ!?」
最終的には寝惚けた主君がカプっとイカレ娘の首に噛みついて吸血することで場が収まったのじゃが……朝から嫉妬で大地を揺らすとはなんと傍迷惑な娘じゃろうか……。
「まったく……お前さんはもう少し寛容な心を持て!」
妾がせっかくアドバイスをしてやったというのに……イカレ娘は寝惚けて夢中で血を吸う主君の頭を撫でながら恍惚としていた。
「だって……自分でも大好きが止められないんだもの……」
頬を赤らめて恋に狂うイカレ娘に、拳を握ったリドリーが冷や汗を流す。
「……これは二、三発殴っておいたほうがいいのでしょうか?」
「……無駄じゃリドリー……ミストは元々こういう性格なのじゃ…………」
「…………ミスト?」
殴ったところで正気に戻るどころか、むしろ悪化するまである。
狂っているくせに根は純粋……だからこやつは厄介なのじゃよ……まったく!
しかしそんなやり取りをしていることが、なんだか無性に懐かしくて……妾は心の内に生じた郷愁にも似た感覚に首を傾げながら、ようやく目を覚ました寝坊助に挨拶をする。
「おはよう、主君」
「うん、おはよう。シャル」
むふーっ!
挨拶が返ってくるというのは良いものなのじゃ!
やはり1日の始まりはこうでないとなっ!
そして今日も妾の華麗なる1日が始まった。
2025.04.27 台詞の一部を変更しました。