第20話 ペットの管理は主人の義務
メアリーを眷属にした翌朝。
私は朝食を終えて剣の特訓に行くアイリスと別れたあと、屋敷の庭でメアリーに対して号令を掛けた。
「集合っ!」
眷属の主から命令されたメアリーは、たちまち家中から這い出してきて私の前で一塊になる。
そうして集まったメアリーの体積は軽トラックくらいの大きさまで膨れ上がっていた。
「たった一日で大きくなったね……」
このペースで成長していくと数日後には屋敷よりも大きくなってそうだし、早めに対策を考えたほうがいいだろう。
ペットの管理は主人の義務なのだ。
そして私がペットの成長ぶりに感心していると、メアリーからなにやら申し訳なさそうな思念が伝わってくる。
ぷるっ、ぷるっ。
「んん? なになに……体の一部が集合できそうにないって?」
血液を通して眷属とは繋がっているから、なんとなく言いたいことがわかった。
ぷるっ、ぷるっ。
ふむ……どうやら昨日の夜にセレスさんがメアリーの一部をお持ち帰りして、現在もソファベッドとして使用しているらしい。
まったく困ったメイドさんである。
私は命令を守れなかったことを詫びるメアリーへと、笑顔で問題ないことを告げた。
「セレスさんが相手なら仕方ないよ。というか、どうせ彼女のところに用事があったから、いっしょに話をつけに行こう」
メアリーも勝手にお持ち帰りされて困っているみたいだし、とりあえず今日はセレスさんのところに向かうとしよう。
「……これだけ大きければ乗れるかな?」
セレスさんのところまで行く道なら外部の人たちの目にも触れないし、メアリーに乗って行っても問題ないだろう。
そして私がスライムの身体に乗って移動することを考えると、気を使ったメアリーが触手を伸ばして私の身体を持ち上げてくれた。
「お? おおー……」
そのままプニプニする体の上に乗せてもらうと、まるでマーサさんに抱っこされた時のような心地よさが私の全身を包み込む。
昨日まではもう少し硬かった気がするのだが……メアリーはマーサさんにも抱っこされていたから、あの感触を再現したのだろう。
我が家の中ではマーサさんの抱っこが一番気持ちいいのだ。
全身を奇跡の柔らかさに包まれた私は、最高にリラックスした状態でメアリーに命令する。
「それじゃあ東に向かって出発! ゆっくりでいいからね?」
特に急ぐわけでもないので景色を満喫しながら進もうという私の意思に従って、メアリーは人間が歩くくらいの速度でヌルヌル移動してくれる。
まったく振動を感じないメアリーの上はとても快適だった。
途中ですれ違った行商人さんがメアリーを見て目を丸くしていたが……気にしてはいけない。
「あー……今日もいい天気だなー……」
ちょうど春が終わって夏が近づいてくるような時期だから、気温も温かくてちょうどいい。
道の端には色鮮やかな野花が風に揺れていて、長閑に白いチョウチョが飛んでいる。
風に靡く草原とか、木柵の向こうで草を食む【重肉竜】とか、既に見慣れた光景だが何度見ても飽きることがない。
まったくいい土地に生まれたものだ。
そんな幸運を噛みしめながらメアリーの上で寝そべると、よく晴れた青空が視界を埋め尽くして私は更なる贅沢が欲しくなる。
「これで血液があったら最高なんだけど……」
日光浴しながら血液を飲むことが日課だったから、どうやら私には青空を見ると血を飲みたくなる癖があるらしい。
そうして家から水筒を持ってこなかったことを少しだけ後悔していると、メアリーが小さい分体を私の口元へと寄せてプルプルしてくる。
「……え? 飲んでいいって?」
確かにメアリーの身体は血液っぽいけれど……眷属を飲んでしまってもいいのだろうか?
私は気を遣わせてしまったかと思って一口サイズのメアリーを持ち上げてみるが、小さいブラッディスライムからは『不安』や『恐怖』の感情は伝わってこず、むしろ『期待』や『喜び』の感情が流れてきた。
「……もしかしてメアリーは僕に飲んで欲しいの?」
ぷるっ! ぷるっ!
手の平で元気に跳ねるメアリーは全力で肯定してきた。
ふむ、まあ、本人がそう言っているのなら飲んでも問題ないのだろう。
「それじゃあいただきます」
メアリーの味も気になったので試しに一口サイズのメアリーを口に入れてみると、爽やかな甘酸っぱさが舌の上に広がる。
「んっ! 美味しい! メアリーの身体、すっごく美味しいよ!」
素直に褒めると、私を乗せるメアリーの身体がブルッと震えて、恍惚とした感情が伝わってきた。
……メアリーってMなのかな?
食べられて喜ぶ眷属の反応に少しだけ困惑するが、増えすぎたスライムの体積に困っていた身としては減らす方法が見つかっただけでもありがたい。
メアリーの身体はとっても美味しいし、増えても私が飲みまくれば……流石にこの量を飲むのは無理だな……。
吸血鬼である私は血液ならかなりの量を飲むことができるのだが、それでも軽トラックサイズの血液を飲み干すのは難しい。
母様やアイリスならそれもできるだろうけれど、メアリーの味はあくまで血液の味だったので、吸血鬼じゃないと美味しく感じないだろう。
「こんど父様に勧めてもいい?」
ぷるっ! ぷるっ!
父様に飲まれるのもメアリー的には嬉しいようだ。
そしてペットの減量方法を模索しながら田舎道を進んで行くと、道の先に木陰で赤いクッションに寝そべって本を読むセレスさんの姿を発見した。
どうやらあの人もメアリーの有用性に気付いて、さっそく外で使用しているらしい。
勝手に人様の眷属を使う図太いメイドさんに私たちが近づいて行くと、本から顔を上げた彼女が口を開いた。
「……でっかいメアリー、ずるい」
相変わらずマイペースなセレスさんに、私はメアリーの上でプンスカした。
「もーっ! ずるいじゃないですよ! 勝手にメアリー連れ去って!」
私が飼い主として苦言を呈すると、セレスさんは身体の下のメアリーをムギュッと抱き締める。
「連れて帰っちゃダメ! この子はうちの子にする!」
必死でペットを取られまいとするセレスさんの姿は、見た目が美少女だけに心に来るものがあった。
このメイド……自分の容姿の使い方を心得てやがるぜ……。
まあ、気持ちはわからなくもないけどね。
メアリーのクッション性はマジで気持ちいいから。
「……わかりました。それでは交渉しましょう」
ペットの親権を巡って争うことにした私は、とりあえずセレスさんがいる木陰が気持ち良そうだったので、自分の下のメアリーに命令してセレスさんの下にいるメアリーと合流してもらう。
「ああっ……私のメアリーが……」
大きいメアリーに小さいメアリーが吸収されたことでセレスさんは少しだけ悲しそうな顔をしたが、合体したメアリーがキングサイズのベッドになると、速攻でゴキゲンになった。
「きゃほーっ!」
でっかいメアリーの上でコロコロするセレスさん。
その姿があまりにも楽しそうだったので、私もセレスさんを見習ってコロコロした。
「きゃほーっ!」
コロコロ。
コロコロ。
コロコロコロ。
ひとしきり遊んだ私とセレスさんは、メアリーの上で並んで仰向けになる。
近くを流れる小川のせせらぎ。
頭上で風に揺れる木の葉の擦れる音。
それらは絶大なリラックス効果をもたらしていて……私はここがセレスさんのお気に入りスポットであることを確信した。
「……僕もときどき、ここを使っていいですか?」
「……メアリー貸してくれたら許す」
いちおうメアリーにも確認してみたが、私の許可があればセレスさんのところでお世話になるのは問題ないみたいなので、私は寝転んだままセレスさんと握手する。
「それじゃあ交渉成立ってことで」
「ん、ノエル坊は話がわかる」
ペットのレンタル契約が成立したところで、私はセレスさんのところに来た本題を切り出した。
「ところでメアリーが大きくなりすぎて家に入らなくなりそうなんですが……なにかいい方法とかないですかね?」
なぜか今は父様がポンコツになっているため、私は知識人のセレスさんにペットの飼育方法を相談した。
「それならいい本がある」
セレスさんは空中にクルッと指を走らせ、そこに開いた小さなゲートに手を突っ込んで二冊の本を取り出す。
これも異世界に来て驚いたことのひとつなのだが、この世界では当たり前のように空間魔法が使われていた。
我が家に日用雑貨や食品を卸してくれるアリアさんもよく使っているし、最近ではリドリーちゃんも多用していて、かく言う私もリドリーちゃんが使っているのを見ているうちに簡単な空間魔法くらいなら使えるようになっていた。
そして私が便利そうな魔法の解析を行っていると、それに気づいたセレスさんはもう一度同じ魔法を使ってくれて、私の前に開いたゲートから本を手渡される。
「ありがとうございます」
セレスさんの気遣いにお礼を言ってから本のタイトルを確かめると、2冊の本の表紙にはこう記されていた。
『影世界の渡り方』
『闇に住まう生物とその飼育法』
タイトルを確認した私が書籍から顔を上げてセレスのほうを見ると、彼女はメアリーを撫でながらこの本を選んだ理由を教えてくれた。
「メアリーは日光が平気だけど、吸血鬼の眷属だけあって闇の中にいるほうが好きみたい。だからこの子を飼育するなら、坊の影に住ませてあげるのが一番だと思う」
「……僕の影に?」
珍しく饒舌になったセレスさんに驚きながら訊ねると、彼女は私に貸してくれた本を指しながら解説を続けてくれる。
「ん、吸血鬼はよく眷属を影の中に入れている。その本には影世界の特性とかも書いてあるから、ノエル坊も吸血鬼として読んでおいたほうがいい」
「わかりました。ご教授ありがとうございます」
お礼を言ってセレスさんへと会釈して、私は貴重な本を汚さないように先ほど覚えた空間魔法を使ってみることにした。
とりあえず目標がないと使いにくいので、リドリーちゃんの魔力を目標にして魔法を発動する。
貴重な本だろうからリドリーちゃんに渡して、私の机の上に置いといてもらおう。
そして指先に纏わせた時空間属性の魔力で空間を繋げると、ちょうどお盆に乗せたティーセットを運ぶリドリーちゃんの前にゲートが開いた。
「――ひゃっ!?」
「あっ……」
唐突に開いたゲートに驚いたリドリーちゃんは、ガッシャーン、とティーセットを落として粉砕する。
「ああああああああっ!? アンティークのティーセットがあああああああっ!?」
ついさっき怪しい行商人から買ったばかりのティーセットがお亡くなりになったことに慟哭するリドリーちゃん。
そっとゲートを閉じた私は、となりで目を丸くするセレスさんへと笑顔を作り、魔法を使った感想を口にした。
「……この魔法って扱いが難しいですね」
「……ん、難しい魔法ではある」
そして冷や汗を流していると、私の前に再びゲートが開いて、荒ぶるリドリーちゃんが顔を出す。
「ちょっと坊ちゃま! いきなり変な魔法を使わないでくださいよ! おかげでティーセットが粉々になっちゃったじゃないですか! ……まあ、偽物だったからよかったんですけど……」
「……リドリーもこの魔法が使えたんだ?」
驚く私にリドリーちゃんは呆れた顔をした。
「はあ? こんな難しい魔法、使えるわけないじゃないですか! 私は坊ちゃまが閉じた空間を気合いでこじ開けただけです!」
「そっちのほうが難しいと思う……」
セレスさんの的確な突っ込みにも気づかず、荒ぶるリドリーちゃんはそのまま私に仕事を押し付けてくる。
「とにかく! イタズラした罰として坊ちゃまは偽物売りつけた行商人を捕まえてください! 坊ちゃまを止めなかったセレスさんも同罪ですから、二人で協力するんですよ!」
「「ええー……」」
「ええー、じゃありませんっ!」
言うだけ言って、また気合いで空間を閉じるリドリーちゃん。
まったく……主人に仕事を押し付けるとは、めちゃくちゃなメイドさんである。
面倒な仕事を押し付けられた私とセレスさんは、二人で顔を見合わせて頷き、身体の下のスライムへと指示を出した。
「「メアリー、ゴーッ!」」
そして木陰で横になるナマケモノ二人から命令されたメアリーは、伸ばした触手の先端でクルッとゲートを開いて、その先で驚愕する行商人を捕まえる。
「「――その手があったか!?」」
あまりにも鮮やかすぎるメアリーの手並みに、私とセレスさんは二人で驚愕した。
……どうやらうちの子は主人よりも頭がいいらしい。




