第18話 吸血鬼教育
母様とアイリス、二人の剣術訓練はアイリスの手足が10回斬り飛ばされるまで続いた。
貴族令嬢の手足をスパスパするのはどうかと思ったけれど、アイリスは手足を斬り飛ばされても気にせず戦っていたから、やはりこの世界ではこれが普通なのだろう。
私はせっせと流れ出た血をアイリスの体内へと戻したり、斬り飛ばされた手足をポーションで繋げる手伝いをして、気がつけばマネージャーみたいな仕事をしていた。
本来であればこういうのはリドリーちゃんの仕事なのだが、なぜかブルブル震えたままフリーズしてしまって使い物にならなかったため、私は彼女の代わりに汗だくになったアイリスへとタオルを渡してあげる。
「……お疲れアイリス」
「ノエル……ごめんなさい。あなたの仇を取れなかったわ……」
本当に申し訳無さそうに落ち込むアイリスに、私は首を振る。
「ううん、これは特訓だから仇なんていらないよ?」
そもそも私の手足は無事にくっついているため、仇という考え方はおかしいだろう。
しかしそんな私の考えは汗ひとつかいていない母様に否定された。
「いや、そういった気持ちは上達の助けになるから必要だ。アイリスは私がノエルの手足を斬り飛ばした回数を決して忘れるな。その回数分、私の手足を斬り飛ばせるようになるまで、お前は剣術の鍛錬を続けるんだ」
とても嬉しそうな顔で教育する母様に、アイリスは真剣に頷く。
「はい、次は絶対にぶった斬ります!」
そう言って笑い合う二人は師弟の絆で結ばれたらしい。
流石はこの世界の剣士だけあって思考回路がバーサーカーである。
ちょっと私にはわからない世界だ。
好戦的な笑みを浮かべる二人に軽く引いていると、母様が今後の予定を告げてくる。
「アイリスは明日から昼の時間に私と訓練をする。特別な用事がなければ毎日だ。ノエルは5日に一度だけ訓練をする。剣士との戦いは経験しておいて損はないからな」
ふむ、次は5日後か……それまでに少しでも強くなっておきたいものである。
そして母様に解散を宣言されて、初回の剣術訓練は終了となった。
剣士になるのは無理だと現実を教育されてしまったが、早いうちから自分の適性を判断できたので良しとしよう。
「それじゃあノエル、私とリドリーはお勉強の時間だから」
「ああ、うん、頑張って」
訓練を終えたアイリスは私に挨拶をしてから、フリーズしたままでいるリドリーちゃんを引きずって家の中へと入っていく。
彼女は貴族令嬢としての教育を受けているため、幼女だけど多忙なのだ。
リドリーちゃんもイザベラさんの教育に連れてかれてしまったため、残された私はさっそく強さを求めることにした。
まずは訓練後のアドバイスをもらうため、私は後片付けをしている母様へと話しかける。
「母様」
私の呼びかけに、めくれ上がった岩盤を足で戻していた母様は、ズズンッと大地を揺らしてから振り返った。
「なんだ?」
土埃を背にする母様、超ワイルド。
少しだけ母親のかっこいい姿に見惚れていた私は、すぐに我に返って質問を続ける。
「吸血鬼としての技を磨くのと、魔法を覚えるの……強くなるにはどちらを優先したほうがいいでしょうか?」
剣士が向いていないなら私が目指すべき道は二つだろう。
ひとつは吸血鬼として持つ種族固有の能力を磨いていく道と、もうひとつは生まれ持った賢さを活かして魔法職になる道。
新しいなにかを修得することもできるけれど、まずは素質があるものから磨いていったほうが効率的だと思う。
顎に手を当てしばらく考え込んだ母様は、はっきりと自分の考えを教えてくれる。
「……おそらくノエルは魔法職にも向いていないだろう。お前の頭はメルに似て賢いけれど、性格は私に似て単純だからな」
そっかー……私の性格って母様に似ていたのか……そう言われると『単純』と評されても悪い気はしないから不思議である。
「それじゃあ吸血鬼としての技を磨いたほうがいいですか?」
「うむ、お前は血液操作の適性が高いみたいだし、まずは本能に従って種族としての戦い方を磨いてみるといい」
「本能に従って……」
私の本能に従うと『牛乳風呂ならぬ血液風呂とかやってみたいぜ、ヒャッハー』ってなっちゃうんですけど……本当に従っていいんですかね?
赤子の時代からリドリーちゃんにたびたび血液壺に漬けられていた私は、いつの間にか血液大好きっ子になっていた。
ほら、映画とかで血液に浸かる吸血鬼が出てくるだろう?
吸血鬼になった今だからわかるのだけど、あれは入浴とは違った心地よさがあるのだ。
マジで一度経験すると病みつきになるレベル。
まあ、流石に血液風呂は戦闘に関係ないと思うけれど……とりあえず種族特性を伸ばすという方向性は決まったから良しとしよう。
「……わかりました。ちょっと考えてみます」
「ああ、いろいろ試してみることだ」
母様にアドバイスのお礼を言ってから、私は家の中へと戻り、そのまま地下室を目指す。
自分で考えるのもいいけれど、せっかく吸血鬼の先輩が身近にいるのだから、まずは助力を求めてみるのが先だろう。
そして地下室への階段を降りると、酒や塩漬け肉が入れられた樽の奥に父様の研究室が見えてくる。
天井から吊るされたソーセージを掻き分けて研究室の扉をノックすると、すぐに父様の優しい声が返ってきた。
「開いてるよ」
危険な作業中は鍵がかけられているため内側から開けてもらうのを待つのだが、今は普通に入っても大丈夫らしい。
「失礼します」
声を掛けてから扉を開けると、多種多様な素材や薬品の瓶が壁一面に並ぶ怪しい部屋が現れる。
その最奥に置かれた執務机で書類を書いていた父様は、私が近づくと顔を上げて微笑んだ。
「やあ、ノエル。なにか用事かい?」
研究室にいる時の父様は仮面も外套も付けていないため、爽やかなイケメンスマイルが私を迎えてくれる。
あまり仕事の時間を邪魔してもいけないので、私は単刀直入に用件を述べる。
「実は母様の授業を受けていたら、僕には剣士としての才能も魔法使いとしての才能も無いことがわかりまして……だから父様に吸血鬼として強くなる方法を教わりに来ました!」
私の質問に父様の笑顔が固まった。
「……僕の記憶が確かなら、ノエルたちはラウラから常識を教わっていたと思うんだけど……どうしてそうなったのかな?」
「母様には剣術の常識を教えてもらったんです」
「ラウラが……剣術の常識……?」
うん、この世界の剣士はマジでヤバいってことがわかったよ。
しばらく遠い目をしていた父様は、頭を振って瞳に光を取り戻してから私に訊いてくる。
「……それでノエルは剣術の才能が無いって言われたのかい?」
「はい、残念ながら母様の足を動かすこともできなくて……しばらく粘ってはみたのですがダメでした……」
そうして私が訓練の様子を話すと、父様は再び遠い目になった。
「い、いや……剣を持ったラウラに立ち向かえるだけでも凄いからね? 普通は対峙しただけで気を失うから……」
父様は子供にリップサービスができる紳士である。
しかし立派な田舎者になることを目指す私は、せめて田舎の主婦と渡り合えるくらいには強くならないといけないのだ。
「ですが、いずれは僕も母様みたいにワイバーンを石ころで落とせるようになりたいですし……最低でもアイリスを守れるくらいには強くなりたいんですっ!」
「うん……その基準は凄くおかしい……」
そうして頭を抱えてしまった父様を説得することしばし。
しつこく吸血鬼としての修行をおねだりした結果。
最終的にはフィアンセを守りたいという情熱が伝わったのか、私は父様から協力の約束をゲットした。
「仕方ない……放っておくとノエルはなにをするかわからないし……なるべく害の無さそうな知識から教えていこうか……」
父様はそんなことを呟いていたけれど……危険な知識を教えてくれてもええんやで?
そして昼食を終えた午後の時間。
私は仕事を片付けた父様から、さっそく吸血鬼としての戦い方を教えてもらえることになった。
訓練には魔物を使うらしく、父様に手を引かれた私は村から北西にある森へと歩いていく。
村の北西にある森には竜巣山脈から流れてくる魔力が原因で、魔物が多く生息しているらしい。
「僕から離れないようにね? この森には子供を食べちゃう悪い魔女が住んでいるから」
「はーい」
そんな親子のやり取りをしながら森の端へと近づくと、さっそく父様が魔物を見つけて私に教えてくれる。
「あ、いたいた」
そう言って父様が近づいていった木の根本には、プルプルした透明の身体を持つ謎生物がいた。
「ほらノエル、見てごらん? これが【粘液魔】だよ」
最弱な魔物の代名詞と巡り合ったことに、私のテンションは急上昇する。
「おおっ! スライム!」
「ノエルはスライムが好きだったよね? 前から興味を持っていただろう?」
まあ、最初に倒す魔物と言えばスライムですからな。
もちろん日本の国民的RPGをこよなく愛していた私は、最初に倒すならこの魔物だと心を決めていた。
これまで害虫とは嫌というほど戦ってきた私だが、魔物と戦った経験はないのだ。
「うん! ぶっ倒すよ!」
さっそく棒を拾って構える私を、しかし父様が静止してくる。
「いや、待って……今日はこのスライムを【眷属化】する方法を教えるから……」
なるほど、吸血鬼は眷属を使って戦うのか。
「倒せば仲間になるのでは?」
木の枝をブンブン振りながら前世の常識を披露すると、父様は乾いた笑いを零した。
「ははっ、ノエルはそういうところ、ラウラにそっくりだよね……」
ああ、うん……母様もとりあえず殴りそうなタイプだよね……。
しかし父様は他のテイム方法を教えてくれるらしいので、手招きされた私は棒を捨てて、スライムの前でしゃがんだ父様の横へとしゃがみ込む。
「いいかい? 吸血鬼は血を使って【眷属】を作ることができるんだ。スライムはその練習にもってこいだから、やり方を教えてあげるね?」
解説して父様は手袋を外すと、懐から取り出したナイフで指先を小さく傷つけて、一滴の血液を空中に浮かべた。
私が見守る前で血液はスライムへと近づいていき、体表に付着すると中へと染み込んでいって、最終的にはスライムの核がある部分まで到達する。
「よく見てて」
そして父様がスライムの体内にある血液へと魔力を流すと、スライムの透明な身体は一瞬で血液の色に染まって、パンッ、と破裂した。
「わっ!?」
いきなり爆発四散したスライムに私はびっくりして尻もちをつく。
そんな子供らしい反応に、父様は上品に笑った。
「ふふっ、今のが眷属化の方法だよ。吸血鬼の眷属になると日光に弱くなるから、影の中にいても弱いスライムは蒸発しちゃうんだ。これなら無駄に眷属が増えることもないし、かわいそうだけど眷属化の練習にはもってこいだろう?」
やたらと手慣れているあたり、父様も似たような教育を受けたことがあるのだろう。
吸血鬼の伝統にでもなってそうなイタズラを受けた私は、頬を膨らませて父様の脇腹を小突く。
「ごめんごめん、僕も子供にこれをやるのが夢だったんだよ」
「? エリック兄様には教えなかったのですか?」
私には吸血鬼の兄がいると聞いたことがあるので訊ねると、父様は気まずそうに答えてくれた。
「……エリックはどうなるのか予想しちゃったから…………」
「!?」
よくできた兄ぃ!
なんだか負けた気分になって、私は「ぐぬぬ……」と唸る。
「だ、だけどノエルは日光を克服してるからっ! そっちのほうが凄いんじゃないかなぁ!」
必死で父様が励まそうとしてくれるけれど、私としては地頭が良いほうがかっこいいと思います!
「まあいいです……いつか兄様はギャフンと言わせてやりますから……」
「……うん、やめてあげて?」
兄弟間の確執を兄がいないところで作ってしまった父様が必死で止めようとしてくるが、私の意思はとても固い。
「そんなことより、僕もやってみていいですか?」
「あ、ああ…………すまないエリック……」
返事をしない私に父様は意思の固さを悟ったのか、兄様に小さく謝った。
大丈夫、大丈夫。
ギャフンと言わせる気は変わらないけれど、かわいいイタズラをする程度だから。
まだ顔も合わせたことがない兄様に、そんなに無茶なことはしないって。
気を取り直して眷属化の練習をすることにした私は新たなスライムを探して森の端をうろつく。
「……出会い頭にカンチョーとかしたら許してくれるかな?」
よくできた兄の秘孔を突いてやるのだ。
「……いちおう言っておくけれど、エリックは伯爵だからね?」
べつのイタズラを考えるか……。
そんな会話をしているうちに初の眷属となるスライムが見つかり、私はそいつの前で両手を合わせた。
すまんなスライムよ、私の実験台になってくれ。
けっきょく倒すことに変わりはないのでナムナム祈りを捧げて、指先からプチュッと少量の血液を出す。
小さいころから血液操作で遊び続けたおかげか、私は皮膚を傷つけなくても血液を体表に出すことができた。
「ノエルは器用だね」
「血液操作は得意ですから」
努力の成果を褒められてあっさり機嫌を良くするチョロい私は、そのまま父様に習った通りにスライムを眷属化する。
透明の身体に血液を侵入させて、核を血と魔力で侵食するイメージ。
初の眷属化は上手くいったようで、父様の時と同じようにスライムは赤く染まった。
「……うん?」
「……あれ?」
しかし血液の色に染まったスライムは弾けることなく生存し続けて……ぷにぷに寄ってくる赤い粘液に、私と父様は首を傾げる。
「……もしかして僕の日光耐性が原因でしょうか?」
「……ああっ!」
私の予想に、ポンッ、と手を叩いて納得した父様は、そのまま流れるように頭を抱えた。